


LINEでつながって、従弟妹達のおかげで助かった。
あたしゃ何もできず老婆が狼狽しただけだった。

















女子講習会のために、先週の金曜から小松で泊りがけで家を空けていた。講習会は皆さんのお陰で無事終了し、私自身もいろいろな勉強が出来た。実家へ5日ほど行っていないので気になっていた。
案の定、今朝仕事に行くと、母から電話があった。いつも、何日か顔を見ないと母が電話をしてくる。仕事中なので昼にかけ直そうと思っていたら、またかかってきた。事件か事故か?「布団が小屋にあるんや。気持ち悪い・・」ついに母がおかしくなったのではないか。「本当にうちの布団じゃないんやね?」「カーテンもある・・。気持ち悪いし、区長さんに電話しようか・・」いや、区長よりそれは警察では。
職場の上長に言うと「すぐに行ってあげて、警察に知らせた方がいい」と、言ってくれたので実家へ行くと、車庫には見たこともないカーテンと布団があった。その前に、弟が正月に帰省した時に小屋の整理をしていたので訊いてみた。布団もカーテンも無かったと言った。泥棒が入ったら警察に通報するが、物が増えていたらどうする?あ、不法投棄、住居不法侵入。
警察の若いお兄さんが見えた。家族の生年月日とわたしの住所と、生年月日と勤務先を聞かれたので答えると、勤務先を全部ひらがなで書いたので「へぇー」と、思いながら、今はそういうことを考えている時ではない。現場検証で、おかしな布団を指さして写真を撮るのだが、なかなかシャッターがおりない。「すみません、すみません」と、刑事らしき人のカメラの切れないシャッターをもどかしく思う。早く職場に戻りたいが、殺人事件でもないのだし、こんな些細なことで警察を呼んでしまって申し訳ない気持ちがあるので我慢。
それでも、実家の隣の空き家に人が住んでいて、その不審者が6か月もいて警察に捕まったこともある。要するに、人があまり入らないところに住んでいると怖いのである。だから、今回も母の思い違いではなく不審者の影が見える。怖いのは、そのどちらも地面に置いてないことだ。布団は一輪車の上に、カーテンは棚の上に。要するに、いらなくて捨ててあるわけではなく、また使うという事ではないか。と、すると不審者はまた現れる。そのことが怖い。
それぞれの物を指さして写真を撮り、計量するのを写真に撮っている最中に、無線で近所の家の名前が聞こえた。警察の方が〇〇さんの家はどこですか?と、訊くので、角を曲がってすぐですと答える。「何かありましたか?」と、訊くと「同じようなことが・・」と、言葉を濁した。
その〇〇さんは、娘の嫁ぎ先のお父さんの兄にあたる家で、娘に顛末を話して後で事態を聞いたら、「中身の入ったままの冷蔵庫が捨てられていた」という事だった。たまたま、うちにパトカーが来るのが見えて通報したらしい。
何はともあれ、不審者がきたのだ。怖い。母は「この小屋は何で建てたんやろ」と、言う。え”っ!!「車があったやろ。車庫やったんやよ」と、いうと「あ、そうか・・」と、弱々しく言う。父の車を売ってしまったので、車の無い車庫は母にとっては「何の小屋?」になってしまったのだろう。このことも怖い。〇〇さんには悪いが、うちの不法投棄が気のせいではなかった証明が、冷蔵庫ということ。
犯人は誰だ!!警察はパトロールを強化しますとかいうかと思ったが、「ゴミは自分で処分してください」と、言い残して帰って行った。冷蔵庫はいくらか取られるよねと、人の心配をした。
大変残念で、超落ち込むのが車の事故である。やった瞬間は奈落の底に落ちたように「がぁーーーん。」となる。車が、がぁんとなったと同時にがっくりくる。
平和堂の駐車場で、相手は駐車場内の進路の矢印の反対方向からやってきたので、私が一旦車を下げた時にぐいぐい進行してきたので、仕方なく元の場所に戻して、通り過ぎるのを待って下がることにした。相手が通り過ぎたので、少しバックして確認したら、通り過ぎて行ってしまったと思った車が、切り返して迫ってくるので、やばいと思って止めて待ったが、そのまま相手は反対側の駐車スペースに入れるほうだけ見ているようで、早いスピードでバックしたので逃げ切ることも、クラクションをならすことも出来なかったことが悔やまれた。
お互いの車を自分で直せばいいかなと思いながら降りたが、降りた瞬間100%こちらの非のように言われたので困った。相手が男の人だと初動の言葉に負ける。「奥さん、なんで下がったんですか!!」わたしは、瞬間後ろを確認したときに、やばいこの人は後ろを見ていないわーーと、思ってすぐ止まったので、負けずに「わたしは止まっていましたよ。」と、言ったが埒があかないのですぐに保険の代理店に電話すると、5分ほどで来てくれてすごく嬉しかった。相手の方は電話連絡だけで終わって、そちらの保険会社の人は来なかった。
傷は確かにわたしの方が完全に止まっていたので、角が凹んでいる。向こうはしっかり傷跡が引きずられている。向こうの言い分は、自分の進路方向に私が邪魔してきたということだ。
わたしは、その場では保険会社の人に話して、自分の非も認めたが、後でじわじわと5分5分ではないかと思ってきた。そして、時間が経つにつれ、向こうの方が悪いと思い込んできた。道路ではないので、駐車場の矢印は交通ルールではないかもしれないけれど、安全のために引いてあるのだと思う。そこから少しずつなんか違うなあと思い始めたが、もう保険会社に任せるしかない。
話をしていると、関係ない人が「あらあ・・」とか言って声をかけてくる人や、当て逃げと勘違いしたのか自分が当て逃げされたことを語りだす人がいて、これまた厄介である。
名前を名乗りあってから、殿の同級生だと分かって「ご愁傷さま」と、言われてから急に態度が柔らかくなって、「奥さん、よろしく頼むわ・・」と、去って行った。車両保険に入っていないそうだと代理店の〇さんが言っていた。身体は大丈夫だったので、お金で済むことならと思うが。
職場に遅れて行く旨を伝えてから行ったので、同僚に話をすると、すごくわたしの肩を持ってくれるので、かえって自分の反省点が見えた来た。不運ではあるが、事故には原因があるし、回避することは出来たはずなので、後でうじうじと自身を責めて落ち込んだ。だいたい、頭から駐車したことも良くなかった。これからは、必ずバックで駐車しよう。
台車で道場へ行くのも気が進まず、夜の稽古は休んだら、誰とも話をしない夜となり、ますます落ち込んだ。どよーーーん。
この日は、があーーんで始まり、どよーーんで終わった。
父が先日から目が回るというので、かかりつけのH医院で紹介状を書いてもらい、2000年に脳の手術をしたときにお世話になったN脳外科の先生にMRIの検査をしてもらい、異常がないことを確認し、少し血管に瘤が認められるが影響はないとの診断。これは、以前からあったものだ。
膝が痛くてS病院へもかかっているので注射をしてもらいに行く。目が回る、頭がぼんやりするというので、運転は難しいので連れて行くと、そのS病院でも、目が回る眠れないと訴える。
結局、行きやすく甘えやすいS病院へ自分でさっさと入院してしまいびっくり。
「先生は2か月くらいいたら、少し落ち着くやろうと言われた」と、本人は呑気なことを言っているが、気が気でならない。いつもの、機関銃のようなしゃべりではなく、すっかりぼんやりした年寄りとなった。
気になってH医院で先生に聞くと、「寒暖の差が激しいと三半規管に異常が出てめまいがすると思います。市民病院は重病でなくては入れてもらえないし、お父さんはわがままのきくところが居心地がいいんだと思いますよ。暖かくなると落ち着くと思います。」とのこと。
入院中に市役所の心待ちセンターの方にきてもらい介護認定の申請をしたが、「元気で車を運転されるようになったら認定は下りないかもしれませんから、今の状態ならとれるかも知れませんね。」と、言われた。父は認定されたらあちこちに手すりがほしいと訴えていた。おまけにどのような仕事をしていたかと聞かれたら、今の住所に移り住んだことから生い立ちまで話し始めたので「目が回るのにつらいやろ、聞かれたことだけ答えればいいよ」と、促すと「ありがとうございます」と、市の方から礼を言われた。彼女も困っていたのだ。
今日は風呂も入れてもらえたらしく、気分も良さそうだった。しばらく様子を見るしかないのかもしれない。桜も開きだしたので、何とか快方に向かいますように。
2009年、実家の父が屋根から落ちたことは大事件だった。連絡を聞いた時は、これで寝たきり老人になるのだと、ぼんやりと思った。
救急車で運ばれた時のことを、最近母が語った。いわゆるむし返したのである。
近くで草むしりをしていた母は、鈍い音がしたので慌てて駆け寄ると、頭からコールタールで真っ黒になった父を見て、目が見えなくなるといけないと、とっさに目の周りだけタオルで拭いて、救急車を呼んだそうだ。正しい処置であった。
病院へ運ばれた父は、目だけがぎょろぎょろして、顔は真っ黒だった。父の姪が看護士をしているのだが、後日「真っ黒な顔の人が、救急車で運ばれて来たらしい」と、院内で評判だったと語っている。
担当の医師が、父の顔を見ては、吹き出しそうになり「どうやって取るかなぁ。」と、言いながら笑いをこらえて、後ろを向いていたらしい。同室の人は後に、見舞いに行った私に「おかしくて・・」と、語った。幸い背骨に3か所のひびで済んだが、もちろん本人は痛いし、動けないし辛かったに違いないが、無情にも周りのみんなは笑いに包まれていた。
辛い思いをしてもなお、他人を笑わせる父は偉大だ。しかし、その頃、病室をひとつはさんで、同居している姑に続いての父の入院で、看護士はわたしに「大変ですね。」と、笑った。
人を笑わせるのは良いが、身内を笑いものにしてはいけない。恥ずかしいのである。しかし、自分でもおかしく笑うしかしゃあないのである。
実家へ遊びに行ったら、母が草餅を焼いてくれて、皆で食べながら話をしていたが、父が「水が違うところへ入って、ひどくむせて大変やった。」という話をしたので「しゃべりながら餅を食べると、のどにつまるよ。」と、注意したら「そういえば・・」と、話し出した。
小学校3年生の頃、桜祭りで「お神明さん」で、父親にするめをもらったら、いつも食べなれないのでうますぎて、半分噛んで飲んだらのどに詰まって、半分はのどの奥へ、半分は口の中に残り、つらいのつらくないのって大変やった・・。と、いうこと。
次に話は、屋根から落ちた話につながるのだ。
「わしもいろんなことがあった・・」と、苦労話にいくのかと思ったら、たいがい失敗話となるので、そんな父の娘として生まれたわたしは失敗の結晶だったのかと思える。
昨日、午後4時頃、犯人は逮捕された。父によると「大捕り物やった」そうだ。
朝からパトカーと消防車と、ライトバンと警官6名程が待機し、空き家の持ち主と連絡を取りながら、踏み込む機をうかがっていたようだ。捕まったのでとりあえず安堵。
しかし、放火もけが人もないので、これは住居不法侵入くらいの罪となると、出所したらまた来るのでは?と心配だ。
またまた事件か。母に用があって電話をしたら、全く身に覚えのない若い男の声で「はい、〇〇です。」と、名乗った。弟はもう愛知に戻り今日は仕事始めに違いないし、一体誰だ?と、躊躇した。「もしもし、どちら様ですか?」それはわたしが聞きたいセリフだが、こちらから電話をかけて「あなたは誰です?」とも言いづらく自分の名を名乗ったら母が出た。
今電話を取ったのは誰なのか、一体何があったのか聞いたが「別にどうもないんや。」と、言うので要件を言って電話を切った後すぐに実家に向かった。強盗に脅かされているのかもしれない。あるいは、今流行の「貴金属ありませんか?」という類の人が我が家に上り込んでいるのかもしれない。とにかく、不審な出来事を見過ごし、後で何故確認に行かなかったのかと悔やむことになったら大変だ。
行ってみると、物々しい感じで2台のライトバンと、男の人がざっと6人ほど、実家の隣の空き家の前をうろうろしていた。聞くところによると、不審者がその空き家にいるという近所の人の通報で、警察や近所の人が実家に集まっていたらしい。
誰もいないはずの家の二階に光が見えたとか。また、人の気配がすることがあり、向こう隣の人が、夕べも光っていたので通報したとのこと。鬼火ではあるまい。
母は、朝早く新聞を取りに出るのが怖いという。昔の家なので、ポストが外についていて玄関の戸を開けなくてはならないのだ。
とにかく、状況は分かったが心配なので「金目のものは預かってあげるわ」と、父に言うと、「そっちの方が怖い」と、すげなく断られた。
クレーン車が浮いている話で思い出した。
実家の爺さん、今年結婚が決まった孫のために預金をしてあったそうだ。しかし、定額預金の証書を見てびっくり、名前が違う。
「未央」なのに、「美央」となっていたそうで、本人確認ができない。おかげで、あれやこれやと煩雑な手続きをしなくてはならない。
やはり、そそっかしい。それを指摘すると「銀行が間違えたんや。」と、他人のせいにするので、「最終的に確認するのは自分でしょう。」と、言うとあっさり認めた。しかし、今から20年以上前だから、まだまだ元気な時だろうに。
それで、「今、宙に浮いとるんや。」と、笑っていたので、「宙に浮いとるんなら、〇也(弟)に、言うといてや。ねえちゃんがタモを持って追いかけまわしとるよって」そう言うと、やたら笑っていたが、本当はひどく怯えていたのかもしれない。油断ならないのがそばにいると。
筍が出ていないか、実家の山を歩いたが、今年は裏作とか。
仕方なく、お茶だけ飲んで、いつものように父の失敗話をまたまた仕入れてしまった。
父は、買い物をしていて、自分の車と間違えて、同じ車種の車にキーを差し込んで、なかなか開かず焦ったという話。
それに加えて、母が言う「図書館で止めた時も、車に積もった雪まで降ろして、間違いに気づかんだんや」
「あん時は、隣に止めてあったし、てっきり自分の車と思ったんや」
雪を下してもらった車の人は、不思議な気がしただろう。また、キーをガチャガチャやっていて、車上荒らしと間違えられなくて良かった。しかし、何で車内を荒らすのに、車上なのだろう。車内荒らしでは?
孫にカイトを買っておいた。うちへきた時にあげようと思っていた。そして、その時が来た。14日は、娘たちが仕事なので、わたしの家は臨時保育所と化した日だ。
朝からみぞれの日だったが、午後のひととき晴れた。4歳のKENと2歳のmomoは、昼寝をしたが、今年一年生になるkouはずっと「晴れときどきぶた」を、ひとりで時々声をあげて笑いながら読み終えた。
「たこあげようか?」と、わたしが言うと、目はきらりんと光った。だんなは寝ている孫の番をするという。たいがい体を動かすことは人に譲るタイプだ。わたしが病弱だということを忘れている。退院してから、婆さんのマシンガントークに対抗しているのをみれば、そう思っても仕方がないだろう。うちの爺さんも含めて男達は無口だ。
完全防寒スタイルでふたりで外へ出ると、カイトは何もしなくても風にあおられてあがる。kouは嬉しくて、自分の頭の上にあるだけで、うわーうわーと歓声をあげる。
糸を引きながら結構思い通りにあがるので、ぐんぐんあげていったら「電柱でござる」のを忘れていた。あっというまに、電線にかかってカイトが回転した。回転したらもうだめだ。
「切るしかないね」と、言うと、今まではしゃいでいたkouは、涙を溜めて「ばあばが調子に乗るからいかんのや」と、すねた。楽しかっただけに落胆は大きかった。「ごめんね。北陸電力に電話して謝るね。凧はまた買ってあげるから」と、言ったが「悲しい一日や」と、言ってまだぐすぐずしていた。カレンダーの紙とストローで、小さい凧を作ると、少し機嫌を直して、ウッドデッキのとこで行ったり来たりしていた。かわいそうに、これはわたしの不注意である。
後で娘に「テレビで言ってるやろ。電線のところで凧を揚げないでくださいって」「はい・・・」
翌日電話した。「大変申し訳ないことを致しました。」と、いうと明るく丁寧な電力のおにいさん(若い声なのでたぶんお兄さんだと思う)が、対応してくれた。だんなにくれぐれも、孫が引っかけたと言わないようにと釘をさされた。もちろん言わなかった。「凧が 引っかかりまして・・・」すべては、凧の自発的な行動のせいにした。
午後に高所作業車(後で孫に教えてもらった)が来て、凧は回収された。頭を下げ、罰金は?始末書は?と、口先だけの挨拶をし、頭は真摯に下げた。凧は端っこだけ擦り切れたが、無事だった。昨日からの強風によく耐えた。本当に迷惑千万だ。5人もの人の時間給を支払うと1万円にはなるだろう。時間的には15分ほどか。ちなみに、かかった線はNTTの線だということ。上の方が電線とか。だからと言って、来てしまったので取ってくれた。次にかかった時は、NTTに電話するという道がある。反省が足らない。反省の足らない人間は、また間違いを犯す。そうならないように、今、反省文を書いている。
後で、kouに言うと喜んでくれて、「中央公園でリベンジや!」ついでに、「車が2台も来たよ」というと、「バスケットに乗る人を運んでくるから、2台いるんやよ。はぁば。」「よく知っとるねぇ。」「俺はなんでも知っているんだ。」言われるままのばぁば。