まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

オトシブミ

2018-08-31 | 暮らし

オトシブミという響きがいい。好きな人の前で文を落とすのだそうだ。拾ってくれなかったらどうするのだろう。

職場の庭の桜の木が毛虫で無残なことになった。その後、足元を見たら葉がくるりと巻いているのを見つけた。これは「オトシブミ」という昆虫である。横から見ると黒い目のようなものが見えた。

玄関にはMさんが持って来てくれた「サギ草」が、咲いている。本当に鳥のようだ。自然にはロマンチックなものが、まき散らされている気がする。そのことに気付くことも幸せ。

 

 


口コミ屋

2018-08-30 | 暮らし

過日、サプリや化粧品の効能というのは実際のところよく分からないと書いた。その後、ニュースで知ったのだが、サプリメント等の口コミ屋がいるのだそうだ。

☆の数を微妙に調整したり、コメントも劇的に効くとは言わず、じわじわと効いているとか、それらしく書くのだそうだ。コマーシャルか、効能書きか、薬局の方に訊くということで判断しているが、口コミを参考にしている人もいるだろう。

1回2000円でウソの口コミを書くというのだ。もちろん、そのサプリを試してはいないらしい。厄介な世の中になってきた。

厄介でざわつく世の中で、結構なストレスを抱えて生きているのだと思う。そんな中で正しい選択をするのは容易ではない。すべてのことを疑わなくてはならないのも辛い。

 


明日から新学期

2018-08-30 | 暮らし

昔は9月から新学期だったが、なぜか明日8月31日から新学期である。子供たちにとって長い夏休みが、あっという間に終わった。

家の西側のゴーヤはすくすくと伸びて、たくさん収穫できた。

同じようにすくすく伸びている子どもたちは、だんだん大人の言う通りには動かない。昼ご飯を食べると、午後にはちゃんと友達と遊びに出かける。それが普通に育っている証拠でもある。

ゴーヤチャンプルー、ゴーヤのおひたし、ゴーヤの天ぷら、炒め物。美味しいものではないが、なぜかだんだん口に慣れてくる。何を作っても、好き嫌いなく食べてくれることが何よりである。

夏休みが終わって、まだ暑い初秋に、しみじみと日の過ぎることが早いと思う。

飛ぶように日が過ぎるという事は、飛ぶように年を取っているという事か・・・

 

 


戦争に近づく

2018-08-28 | 暮らし

金曜の中日新聞を読んでびっくりした。

秋田県に、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」導入を検討しているということだ。これは、候補地の人々は怒り心頭と思う。戦争に向かってじわじわと歩を進めているように思える。

強い電磁波を発するレーダーで上空のミサイルを探知するというもの。そういうものがあるところを狙われる可能性もあるし、電磁波に対しての影響も心配だ。

モリカケ問題や、日報問題でウソをついた防衛省に対して人々はそれを許していないことを分かっていない。「みなさんに被害が及ばないようにします」というのは、原発が絶対安全と言った時と同じだ。それなら、国会議事堂もその迎撃システムのそばに移したら?すぐに情報が入っていいんじゃない?と、言ったらどうだろう。口をゆがめて失笑する人が浮かんだ。滑舌の悪い人が、そういう極論を言ってはいかんと言いそうだ。

世界の唯一の被爆国なのに、核兵器禁止条約に賛成しない理由もあるにしろ、やっぱりだめだって言えない辛さ。その辺の不可解さ。ロシア、北朝、中国って、日本は危険な場所にいることは確かだ。

七尾湾に今なお機雷が沈んでいるという。戦争の傷跡は癒えてはいないのに、更に戦争の準備をするのだろうか。何もしないところへ、北朝鮮は襲ってくるのだろうか。わたしには、分からないが、事態は悪化しているように思える。

 

 


物の値段が分からない

2018-08-25 | 暮らし

呉服屋の展示会があると、今なら100万の着物が40万円ですという。では、今でない時に買うと100万円なら、今でない時に着物を買わない。そして、帯を1本お付けします。いえいえ、帯はいらないから、その分安くしてください。いえいえそれはできません。それでも、着物は美しく芸術的で、欲しい着物は高い。これがいいですねというと、「お客様、なんと目が高い」高いのは、目ではなく着物である。しかし、それは本当に芸術品で、安い着物ならいらないのである。ここの心理が不思議だ。

歯茎に良い歯みがきが、1200円で今なら歯ブラシがおまけにつきます。いえいえ、歯ブラシは電動を使っているのでいりませんから、その分安くしてください。いえいえ、それは決まりなのでダメです。

車の日よけ、2つで6980円。いや、車は1台しかないからひとつでいいのにと思う。ひとつ3000円でも高いなと思っていると、なんと!今なら4個で6980円という。4個もいらない。

物の値段は、こちらの思うようにならないものだ。いつも同じような価格で売られている食品を見ると、ほっとする。3個100円というと、つい買ってしまう。


化粧品

2018-08-21 | 暮らし

美白、しわやシミがなくなるという類の高価な化粧品を信じていない。たぶん、邪魔くさがりなので丁寧なケアができないから逃げているのかもしれない。本当は化粧もしたくないくらいなのだが、世間の人に失礼かと身だしなみという観点でする。

唯一信じるのは、日焼け止めクリームだ。山へ行く時塗りたくった効果はあった気がする。

いろいろなサプリの半分は信じていない。物忘れしなくなるDHAとか、まぐろのなんとかとか。膝が痛くならないコラーゲンとか、そう簡単に解決したら医者はいらなくなるだろうと思う。しかし、ビタミンCや、コラーゲンを飲んでみる。飲まないより飲んだ方がいいだろうと半分信じている。アミノバイタルもしかりである。

飲まなかった場合と、飲んだ場合、あるいは、塗った場合と、塗らなかった場合が自分自身では比較できないから困る。他人と比較できないのである。きれいな人は、何も塗らなくてもきれいで、その人が高級な化粧品を使ったからきれいなのではないと思ってしまうからだ。どうしたって、年を取るとそれなりになり、異性を越えて人間として付き合う事となる。

年を取って昔の面影が少しあると「あらあ、変わらんね。昔のまんまや。」と、「んなわけない」と、思いつつ社交辞令で挨拶をする。怖い。傍から見たらもっと怖いだろう。昔のままという事は、昔からふけていたのか。そんなことを考えていたらあほらしくなって、早く化粧を落として風呂へ入って寝ようと思う。幸か不幸か化粧を落としても同じ顔である。

 


ヨーコさんの言葉

2018-08-21 | 暮らし

ヨーコさんの”言葉”という5分の番組を観た。「100万回生きたねこ」の絵本を書いた佐野洋子さんだ。

この本を借りてきて孫と読んだら泣けてきた。昔、何故この本が絶賛されるのか分からなかった。何度も生き返る猫が初めて好きになった猫と一緒になり、死んでしまう。ただそれだけのことという作者の言葉に惹かれる。ただそれだけのことが人間の望みなのかもしれない。猫がメス猫を見送ったあと「ねこは はじめてなきました・・・」そして、最後に死んでしまうというところでほっとするのは何故だろう。

もしかして、わたしもそれを望んでいるのかもしれない。会社も辞めてパートで月の半分だけ仕事をしているが、本当はもうどこへも行かず、のほほんと暮らしていたいのだ。

ヨーコさんの言葉に「あらゆる宗教は やがて失われていく愛をおそれた人間の知恵が 創ったのかもしれない。」と、いうくだりがある。

セカオワの「MAGIC」の歌詞の中に「いずれは全て失うのに どうして大切なものが増えていくの?」というのがあった。

どちらも同じことを言っている気がする。大切な人を失うのはもう嫌だ。友達や知り合いが亡くなるのは困る。朝も昼も泣く日が来るのはもうごめんだ。人はそんなに簡単に強くなったりしない。辛さを忘れる時間を作るのが上手か下手かというだけなような気がする。ヨーコさんもわたしのこの考えを分かってくれるだろうか。

2010年に佐野洋子さんは亡くなった。ちなみに、「100万回生きたねこ」は、1977年10月20日第1刷発行、借りて来たものは2016年12月2日 第112刷発行。たいしたものである。

追伸 後日、本屋で見たら「2018年4月23日 第114刷」と、記録更新していた。

 


処暑

2018-08-20 | 暮らし

秋の節気である処暑。猛暑の毎日でどうなるかと思っていたのに、朝晩涼しくなってきた。立春から210日目と220日目は、台風襲来とされてきたが、それどころではない。台風はどんどん生み出されている。地球が熱くなってきた証拠なのだろうか。少しずつ異変を感じながら、知らないふりをしていてもいいのだろうかと思う。かといって考えたところで、自分の力で暑さがおさまったり、台風が消えたりはしないのだが。

処暑の「処」には、止まるという意味があるそうだ。なので、暑さがおさまるという事だ。

さて、話はころっと変わって、トランプがしゃべるたびに、株価が変動する。処という言葉をトランプに貼り付けたい。


世界の哲学者に人生相談

2018-08-19 | 暮らし

「世界の哲学者に人生相談」という番組があった。

ひとつの失敗にこだわり、気になって抜け出せないという相談者に対し、パスカルは「想像は途方もない見積もりをして、小さな対象をわれわれの魂をみたすほどまでに拡大する」と、答えた。

エピクロスは「明日を最も必要としない者が、最も快く明日に立ち向かう」早い話が、明日を心配する前に、今を一生懸命生きることだという。

ギリシャの時代から、人間の悩みっておんなじだねえって結論で終わった。 


長ーーい会議

2018-08-18 | 弓道

みなさん本当に辛抱強い。朝9時から、夕方の4時まで会議だった。途中お弁当を食べる時間以外は会議をしていた。山を6時間歩くのと、じっと座っているのでは、歩いている方が達成感がある。それでも、どの議案も外せないことばかりで、いよいよ全日本遠的大会の詰めの段階に入ってきた感がする。皆さんご苦労な仕事が多く頭が下がる。

車で金沢へ行って、朝からの歩数をみると1400歩しか歩いていないのになぜかへとへとになった。

この疲れを癒すには、道場へ行くのが良い。道場には4人の仲間がいて県体が終わってから、何故かみんなよく中たる。稽古を終えて帰ると何だか疲れが取れてすっきりしたような気がする。3階の窓から花火が見えた。今日は早く寝るに限る。

 

 

 


秋風が吹く

2018-08-18 | 暮らし

猛暑からいきなり秋になったような涼しさだ。30℃にならないとこんなに爽やかなのだ。エアコンはいらない。日差しは夏だが、田んぼの稲はやわらかな黄色になっている。

夏休みに宿題がはかどらない孫たち。おまけにゲームに没頭することが多くなった。それでも、恒例のペンキ塗りは喜んでしてくれた。kenはモンベルのTシャツを着ていたので、汚さないように脱いで塗るように勧めた。ふたりとも、日陰になった午後に塗りだして、「ペンキ塗り日和だ」と、愉しんでいた。「ペンキ塗りは楽しいし、お金はいらんよ」と、kouは言ったが、約束なので500円をポチ袋に入れた。

小一時間で塗りあがり、年々上手になる。家を建ててからウッドデッキはすぐに傷んで、作り直して今ので3回目だが、ペンキを塗りだしてからは効果が出ている。この場所は子供たちも大好きで、勉強に飽きると外に出て、カンフーみたいな真似事をして身体を動かしたり、椅子を持っきてゆったりする。

また、来年もお願いね。


お盆

2018-08-16 | 暮らし

いつも、盆と正月は座敷で宴会をするが、この暑さでは廊下を通って料理を運んだり、食器を運んだりするのが面倒だ。また、居間にはエアコンがふたつついているので、みんなが寄っても涼しいだろう。

しかし、子ども達が大きくなって、kouに至っては、会うたびに「ばぁば、また小さくなった?」と、いう。すでに、わたしの身長は越えてしまい、日々伸びている。生きるという事は、子ども達の成長を見るという事だ。自分の歳を棚に上げて。

そういう訳で、今まではソファの席で子供席を用意したりしたが、大人より食べるのだから、保育園のnanaと一緒にするわけにはいかない。考えあぐねて、バーベキュー用のテーブルを出した。

我ながら良いアイディアである。大人6人、子ども4人。娘も部屋に入るなり「わー」と、感嘆の声をあげてくれた。

子供たちも大きくなって、大人と一緒のテーブルがいいに決まっている。kenは、目の前にあるおかずを取らずに、やたら大人の方に手を伸ばしている。

「同じのが目の前にあるよ」と、いうと「オレが取ったら、momoちゃん取れんやろ」と、優しいのである。

この夏は暑かったので、冷製スープをよく作った。今回は子供たちに、長い間使わなかったガラスのティカップに入れて、プチトマトの輪切りを浮かべた。子供より母親が「かわいい・・」と、声をあげた。大人は乾杯の後に一口スープ。

我が家は一挙にファミリーレストランになった。

子供は大人の元気の基である。わたしの子供だった娘たちは大人になってしまい、女の子には「ママ」と呼ばれているが、男の子たちは「ママ」から「おかあさん」から「かあさん」になって、今は「かあちゃん」に、なっている。呼ばれる名前にふさわしい風貌になるものだ。

わたしは小百合なので「おかあさま」と、呼ばれたいが。普通に「おかあさん」である。なぜか婆さんもわたしを「おかあさん」と、呼ぶ。婆さんを生んだ覚えはない。

それでも、まずまず幸せな状態ではある。元気だし。でも、このテーブルのしつらえに、もうひとり向こう側に座る場所が空いている。みんなを見渡して、乾杯の音頭を取る白髪のじいじの席だ。3回目のお盆である。


県体打ち上げ

2018-08-15 | 弓道

県体の後の楽しみは、美味いビールでの打ち上げだ。

金沢から帰ってから、シャワーを浴びて外へ出ると、思いのほか涼しかったので、自転車で行くことにした。せっかく修理したのだから、今がまさしく出番だ。山代までは10分もあれば行ける。

しかし、いつもは気付かないが、自転車に乗ると道路の傾斜がよくわかる。ひとこぎひとこぎ、ビールの旨みが増していく気がする。

今回は、会長の厳しいお言葉を半分聞き流し、乾杯の後は、ビールをしっかり流し込む。

この後は、お盆の忙しさがやってくる。ひとときの穏やかな時間である。何十年来の仲間との話。若い人との話。弓の話で尽きない。尽きないが、日曜の夜は「明日」が、気になるので、早々に散会となった。外に出て自転車にまたがると、口々に気を付けて、飲酒運転はだめだから引いて行くようにと、みんなの温かい言葉を受けて暗い歩道をこぎだした。確かに暗い、危うい、暑い。どんな時も三拍子揃うのである。

しかし、この時間に自転車族はいるもので、あちこちライトが揺れている。ほんの少しの上り坂をこぐ。元気な一日だった。今日のしめくくりに思ったことは、控えめな中たりと、控えめな生ビールだった。来年こそは、浴びるほど飲めるようにがんばろう。


県民体育大会

2018-08-14 | 弓道

松井秀喜氏が、始球式の後で「甲子園に魔物がいます」と、笑って言っていた。甲子園やオリンピックには魔物がいるのだ。県体はレベルが違うが、やはりレベルの違う魔物がいるようである。全体的に低迷だった。

日曜日にスイカを食べて強化練習したが、スイカでは強化できないことも分かった。いつもは、どこかの部門で好成績を出すのに、今回は一般、壮年、男女共残念な結果だった。わたしは自分の中では、夏が来れば思い出す・・びくも来なかったし、会の浅さは引き足らずだったのではと2回目の立でなんとか体勢を立て直そうとがんばったことが良かった。中りはもう1本というところだが、それは誰もが思う事で、選手全員あと一本という結果は永遠に続くのである。8射皆中しない限り、あと1本という言葉を吐くのである。

さて、試合はともかく、わたしのもうひとつの課題は的前審判。福井国体の審判をしなくてはならないことで、先日も県理事長の計らいで経験を積むようにという事で、小松で勉強させてもらった。今回も機会を頂くが、朝の役員打ち合わせの時に、なぜか的前審判長みたいに全員に説明をいきなりさせられたが、お陰様で段取りその他の説明が出来て良かった。しかし、きわどい矢の〇✖が怪しいとき「?」の、判定を発声しに前へ出るのが嫌だが、?を確認しているうちに次の矢が飛んでくるので、これは潔く?を出すという事にちゅうちょしないタイミングというのが分かった。1回目に、前へ出たときに周りの人に助けられ、2回目は落ち着いて声を上げて戻ると、「よくできました」と、声をかけられた。相当みんなが心配してくれたのだろう。

まずは滞りなく終了できたことが何よりで、前回の小松の時より涼しかったので元気だった。この元気は夜の部で発揮しなくてはならない。


修理の日

2018-08-13 | 暮らし

先日、約束の洗面台を取り付けに業者が来てくれた。洗面台は今までより5㎝ほど高い。急に自分が子供になったような気がした。新しい洗面台は開きの中の水道管があるところ以外は引き出しになっていて具合がいい。また、三面鏡の中に差し込みがあって、電動歯ブラシを使っているので、鏡を閉じた状態で充電できるのですっきりする。もちろん、外にはドライヤー用のプラグはある。

しかし、シンクが大きすぎて、顔意外に何を洗うのだろうと思える。水の流れがいまいちだ。なぜなら、すり鉢状ではなく水が流れやすいように工夫してあるのだそうだが、背が低いために手前で歯を磨くので、改めて必要以上に水を流してきれいにしなくてはならない。こういうものは、現物を見てその前で立ってみて買うものだと反省した。水道が壊れただけだが、大きな出費となった。

壊れるときは、いろいろ続くようで、しばらく乗っていなかった自転車のタイヤもぺちゃんこで、空気を入れたがだめだった。車に乗せて修理を依頼すると虫がダメになっていることと、タイヤもゴムも傷んでいるとのことで、6000円の修理となった。

自転車を預けた後、実家へ行くと座敷の網戸が古くなったというので、見るとガムテープで貼ってある。これはいかんわ。と、言うことで、それも網戸の張替えに出すことにした。思い出して、我が家の居間の網戸も愛猫チョムがいつも爪を立てて登っていたので、半分から下がぼろぼろだ。一緒に出すことにした。

わたしの車に2枚の網戸を載せた。その日一日、行ったり来たりで終わってしまう。

翌日、両方とも修理が終わったという連絡が入り、一緒に車に載せた。すごい。載ったのである。先日、軽トラのベンツや、レクサスタントと呼ぶ話をしたが、こうなったら、わたしのは屋根のある軽トラタントだ。七夕の竹も運ぶしよく働く。