まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

楽しい運動会

2011-09-30 | 暮らし

3歳になったばかりのkenは、踊りの最中、下に引かれたラインのピンクの粉が気になって、踊りを踊らず、しゃがんで拾ってばかり。こちらは、我が家の血筋かも。踊りはうまくなく、集中力に欠けるところ。

5歳のkouは、クラスで一番足が速いらしく、スタートの構えもひとりずば抜けてかっこいい。あちらの爺さんが、「この前、スタートを教えたんや。前に体重をかけて」、リレーでも、ひとり抜いた。たぶん、むこうの爺さんに似たと思う。

祖父母対抗で、風船渡しをした。リレー式で前から順に風船を送り、後ろの人が走って前へ出る。わたしは、背が低いので、上から送るときは、殆ど風船に触らない。後ろの人が取ってくれる。ひとり人数分に入っていない。そのためか、チームは一番。

主人のチームは、アンカーの主人が、走って前へ出るときに、ずてっところんだ。おまけに、デジカメを落としたことに気づいて、戻る始末。周りのみんなは爆笑だった。そして、案の定、びりだった。後で言うには、最近走った覚えがないので、長い足が絡んだそうだ。

やはり、kouは、向こうの爺さんに似たのだと思う。


獅子舞

2011-09-20 | 暮らし

今年も祭りがやってきた。3歳になったばかりのkenは、お面や獅子を異常に怖がる。

家にある鞍馬山の土産の天狗の面を見ただけで、怯えて「かくしてー!」と、泣く。怯え泣く姿が可哀相だ。ちなみに、写真の獅子は爺さんがだいぶ前に彫った物。

前に、娘が髪を乱して鬼の面をかぶって、節分の豆まきをしたらしい。どうも、その時に異常に怯えてトラウマになったのではと言う。婿殿は仕事で遅く帰るので、ひとりで節分をしたら、助ける人がいなかつたからではと娘の弁。婿殿は、お面をかぶらなくても怖かったのではと言う。

さて、今年も一軒一軒、獅子舞がやってくる。玄関で太鼓をたたくと、吹き抜けの玄関いっぱいに、家中に太鼓の音は響く。

わたしは、kenに、「お祭りの獅子は、おうちの中の悪者をやっつけるから、いいもんなんや。そして、ありがとうと言って、お金をあげるんやよ」と、言いながら、袋に青年団の人に渡すお金を入れた。それをkenに持たせると、うなづいて「獅子は、お金が好きなん?」と、聞く。獅子でなくて、獅子舞をする人間がお金が好きなのだが、「そうや。お金を渡すと静かになって、帰るんや」と、答えた。

五歳のおにいちゃんに頭を噛んでもらうと頭がよくなるというと、kenも聞いていて、パパにしがみついて、お金の袋を握りながら、順番に頭をかんでもらって、頑張ったので、ハイタッチして喜んでいた。

本人は、泣かずにがまんしたことを喜んでいたが、パパが「また来るかもしれん・・」と、言った言葉に大反応。「びえ゛っーーーお金。お金・・」と、半泣きになって、PCの横に小銭が見える貯金箱のところへ走って行った。間違ったことを教えたかなあ。


日本語でお願い。 力編

2011-09-17 | 暮らし

3歳になったばかりの孫が、お兄ちゃんの影響か、仮面ライダーや、ゴ-カイジャーで、ことばをぐんぐん覚えていく。「登場」とか、「パワー」とか、意味を分っている様子。

こちらは、次つぎに変わっていくジャーについていけない。初めは「シンケンジャー」で、次は「天装戦隊ゴセイジャー」で、現在は「海賊戦隊 ゴーカイジャー」このジャーはどういう意味なのだろう。

片仮名も英語も読めないのに、次々と学習している。

先日、CDプレーヤーをいじりながら、「ちからっ(力)」と言って、「POWER」ボタンを押していた。

「おとっ(音)」と言ってボリュームをあげていた。

そういえば、実家の両親にCDラジカセを買ってあげたとき、わかりやすい日本語表示を条件に選んだ。やはり、電源 「入、切」でしょう。音量「大、小」でしょう。

これからの商品は、高齢者にやさしいものがいい。

ちなみに、うちの爺さんは、最近はリモコンも持たくなった。以前は、番組を選んでいたが、この頃は、 つけっ放しのままだ。家族は、困ったなあと思うが、本人は困った様子はない。ここまでくると、英語であろうが、日本語であろうが、どうってことはないのだ。

爺さんの椅子の下で、猫はたぶん日本語でないている。


臥待月

2011-09-16 | 暮らし

今年の十五夜は、天候の条件がよくて本当に綺麗な月だった。

家の前の田の稲刈りも終わり、後は祭りを待つばかり。

ちなみに、十五夜の翌日から月が出るのが、だんだん遅くなると言うことで、十六夜は「いざよいの月」その次の日は「立待月」、「居待月」「臥待月」「宵待月」、と、だんだん出るのが遅くなる。

今日は、ちなみに臥待月で、なかなか出てこなくて、寝て待つくらいだということらしい。

情緒があるが、仕事をしていると、ゆっくり月見と言うわけにはいかない。仕事帰りに、月が出たら早く夕飯の支度をしなくてはと思う。夕食は7時半過ぎとなる。我が家では夕食が出るのを、立って待つか、座って待つかという具合である。ちなみに、立って待つというのは、だんなが皿を並べたり、冷蔵庫から漬物を出したりする。座って待つのは、諦めてビールを飲み始めることを言う。

月をきれいに写せないので、月見団子替わりのウサギの饅頭でも写しましょ。

ゆっくり月を眺めて、ゆっくりと年をとりたいものだ。


十万石まつり 弓道大会

2011-09-13 | 弓道

なんと暑い日になったことか。熱中症で倒れる人がいなくて良かった。

少人数で、何回も打ち合わせて当日を迎え、190名の生徒が無事大会を終えて帰っていった。

9時30分開始、16時終了。長かった。年々手伝いも減り、わたしたちも年をとる。昔は、錦城山の下で、「げんばまつり弓道大会」をしていたことがあった。それこそ、屋外で手作りの射場をつくり、ビールを飲みながら運営し、参加人数もわずかで、面白かった。

底辺拡大のもと、学生に広く呼びかけようという趣旨で始めたが、開設記念とまつりの大会、年2回の大会を開催するのは、なかなかしんどくなってきたことは否めない。係員のメンバーが、何十年経っても増えずに、平均年齢だけあがっていく。

それにしても、無事終了して嬉しかった。一般の部で、山中のお医者さんである上○先生が8射7中で優勝し、納射をしていただく。先生の大会での優勝は初めてなので、本人はもとより、会員も嬉しかった。


日本語でお願いします

2011-09-13 | 仕事

会議室からもれ聞こえてくる、「アウトソース」とのことば。

今期の目標「みんなでソリューション」

どうして、日本語で話さないかなあ。

プロパーの採用を減らし、アウトソーシングの対応のために、マニュアルを作成し、システムインテグレーションをしていきましょう。

直採用を減らし、社外調達の対応のために、手順書を作成し、制度を構築していきましょう。では、だめなんですか?

コスト削減や、マーケティング力強化といった、顧客本来のニーズに対し、ITを軸としたソリューションを提供する。

費用削減や、 売るためのしくみ力強化といった、顧客本来の要求に対し、ITを軸とした解決策を提供する。

と、いうかんじかいな。あーやだ。

過日、わが社は雷が落ちて停電にみまわれ、リンクスが復旧するのに時間がかかった。そのため、PCの緊急対応訓練が行われることになった。

選ぶアイコンが全部英語なので、腹が立ってきた。自分の英語力のなさだろうが。フォルダー上の「emergency」を選んでという。「緊急」というフォルダーがあれば、緊急時に迷わなくて良いのに。元に戻すときは、「normal.bat」に、決まってるでしょう。ちっち・・ノーマルくらい知っちょるわい。と、言いたかったが吉永小百合は、怒ってはいけない。


十万石まつり弓道大会 準備

2011-09-06 | 弓道

同窓会が終わったと安堵していたら、今度は十万石まつり弓道大会の準備だ。

この大会は、南加賀の高校生と、毎年楽しみにしてくれているという福井の北陸高校の生徒達が出場する。一般は、加賀山中のメンバーだけで、手伝いが主となる。

開催にあたり、協会の事務局として、雑用が舞い込んでくる。

そして、密かに自分が仕事をしなくてよいように、秘策を練っているうちに、いつのまにか段取りの仕事をしていることが判明した。こんなとき、あのプランナー○久○君を呼んで来たいくらいだ。

大雑把なわたしには、緻密な計画は苦手だ。一番良いことは、みんなを担いで、祭りの神輿のように、うちわで扇ぐ係りになることだ。 

さて、まつりのメインイベントは、大皿神輿だ。毎年、厄年の男の人が担ぐことになっている。

すべてが、順調にいきますように。


脱皮

2011-09-06 | 暮らし

だんなが会社の日帰り旅行でいない間に、車庫の二階にある丸秘の箱を焼却場に出す決心をした。

ついでに、トロフィと表彰状も車に積んだ。捨てることは、また始まることでもある。先が短いので身辺整理をしているわけではない。

棚の中や、引き出しが満杯になると、そこには未来が入らない。

で、丸秘のダンボールは、中学生のときからの日記だ。大切にしていたわけではなく、なんとなく捨てきれず、年をとったら見返して、懐かしむかもと思ったが、ちらりとみたら恥ずかしくて、稚拙で笑えた。これは、自分以外の者の目にさらさないように、早々に処分すべきだ。

これで、学生時代に、いかにもてたか、人気者であったかという証拠はなくなった。また、いかに無口で大人しかったかという証拠もなくなった。

クリーンセンターは、車の列が続く。みんな捨てる物が多いようす。

焼却場のおじさんは、トロフィを持って、わたしの顔と見比べた。何か言いたそうだったが、わたしが「何も聞くな」という顔をしていたので、何も言わずに、コンベヤの溝に捨てていた。

前に、だんなに置き去りにされて、焼却場内をうろうろしていたことがあるので、とにかく、さっさと引き上げたい気持ちだった。

帰ってから、シャワーを浴びると、まるで脱皮したみたいにいい気分だった。

しかし、まだまだ捨てたい物がある。

 

 

 


弓を引くこと

2011-09-05 | 弓道

弓は凶器である。殺傷を目的とするところから生まれた。

そのことを身をもって体験しているので、よくわかる。離れが出やすくて、暴発をしてしまうからだ。暴発というのは怖い。意識なく離れてしまうのだから。「離れを弓に知らせずぞよき」と、先生方は言われるが、「暴発」と、「知らせず」とは違う。初心者指導にも、学生にも安全指導はするが、彼らは身をもって怖いと思っていない。そのため、とんでもない事故が部活中に起きたりする。

いたずらに怖がらなくても良いのだが、時折、怖いと思うことがある。それは、危険という怖さと、うまくいくだろうかという不安の怖さからもくる。

野蛮なスポーツではなく、日々技術の向上を願うのは、武道という名の下に格上げされたからである。

たぶん、今以上にうまくはなれないのではないかと、痛切に思う。体力的にも若くないし、精神的にも、若い頃と違って、ナイーブになっている。はたからみると、おばさんは剛健にも見えるかもしれないが。

反面、チャンピヨンスポーツではなく、精神修養だと言い聞かせたりするその中にもやもやがある。それを、葛藤というのだが。

弓は立禅として高尚な目的を掲げれば、ほんとかいなとなるが、これは、ほんとなのである。

知らないうちに、苦境に立たされ、しなくてもよい苦労を手に入れ、それだからこそ、世間の噂話をする暇もなく、押し手がどうの、引きがどうの、肩甲骨だ、蝶骨だと、解剖学に耳を貸し、生半可な理解力に自己嫌悪に陥る。ここに、哲学、あるいは禅がある。

西田幾多郎と鈴木大拙は、どちらも石川県の有名な哲学者だ。その人たちの言葉を借りれば、鬱憤、傷心、迷いを吐露し・・と、なる。生きることと、弓を引くことが同化してきた。

これは、やばい。息苦しい・・。ああ、自由に生きたい・・あれっ。十分に楽しく自由なのに?


あきゆらら

2011-09-03 | 暮らし

できましたね。山海堂さん。

山代温泉 パドックで行われた同窓会役員の打ち上げに、完成品を持ってきてくれた。女の子は大喜び。(女の子じゃない・・)もなかを開けて、並べ替えて、それぞれパチリ。

栗が美味しい。コスモスとイチョウが可愛い。

さて、同窓会役員会の打ち上げは、事務局長の挨拶から始まった。毎回感心する○久○君の事務処理の素晴らしいこと。イベント会社を作れば・・と、思う。次回も頼むというみんなの要望に、いやいやと首を振る。わたしは、○久○君の命をうけて、あれこれ仕事をしてしまったので、彼は人を動かすことも長けているのだ。社長の貫禄もあるし。

なんとか、足も出ずに終わり、明朗会計の報告の後、会長の挨拶の中で、「T先生が、手書きの手紙が印象に残ったと言ってました」と、言われて嬉しかった。

とにかく、長い年月が経ち、先生方の出席がなかったらどうしようかと、わたしは先生方の案内係として責任を感じたので、会長の印刷の案内文のほかに、手書きで一生懸命熱い文章を書いた。そして、○尾先生には、自宅まで行って手渡しをした。卒業後、先生には何回か会う機会があったので、なんとしても、出席1名は確保しなくてはならない。

暑い中、土曜の午後に尋ねて行き、ステテコ姿の先生から、出席の返事をその場でもらえて嬉しかった。このことは、誰にも言わなかった。とにかく、先生の出席一名確保。先生は何十年経っても、私たちの学年は印象深いとおっしゃってくれた。先生も若かったのと、学年ごと持ち上がりだったことも、理由のひとつだろう。体調を崩された先生以外は、全員出席。

先生は13歳年上で、U先生は新任だったので、5歳しか違わない。女性から、「うちの旦那といっしょやーー」と、喜んでいるのか、嫌がっているのか判明しかねる声があがった。

すべては、人望のあつい会長と事務局長と、まじめな会計のたまものだった。

一緒に役員をしてくれた○ムちゃんは、「みんな昔から仲良しだった仲間みたいやね」と、言った。ほんとに30ん年ぶりの結成とは思えないチームワークだ。