まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

夏色とぜんざい

2017-01-31 | 小さきもの

孫たちに「ぜんざいを作ったけど、ばぁばんちで食べる?」と、聞くと間髪を入れずにkouは「食べる!!」と、言いう。kenは、「ぜんざいって、おしるこか?」と、聞く。おしることぜんざいの違いを述べると「食べる!!」と、言う。「じゃあ、おしるこやったら食べんの?」「おしるこでも食べる。」甘い物好きのkenはどちらでも良いのだ。

帰りの車の中で、いきなりふたりが「駐車場の猫があくびをしながら~🎵今日も一日を過ごしてゆく♫」ゆずの「夏色」を、歌いだした。愛猫チョムを思い出すなあ。わたしが、歌を真似すると、ふたりはあまりの音痴に笑う。早口の歌は難しいのである。

タブレットを出して餅が焼けるまでふたりが再び歌いだした。子ども達は歌うのが好きだ。いや大人だって歌は好きだ。子ども達は楽しそうに歌う。わたしは、その歌詞の中に自分を探す。

子ども達がぜんざいを食べている間その曲の歌詞を見ていた。

「この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく♫」と、いうところがある。人生の下り坂を、一緒にゆっくり下る人がいなくなったことを思う。チョムも逝ってしまったし。子どもや孫でも埋められないのは、伴侶の大きさだ。

「いつか君の涙がこぼれおちそうになったら 何もしてあげられないけど少しでもそばにいるよ♪」そういってくれる人が現れる可能性がない歳になってしまった。

こうやって、ぜんざいで孫を少しの時間でも繋ぎとめて歌を聴く。夏色とぜんざいとは、何の関りもないのである。

 

 


称号者講習会

2017-01-30 | 弓道

土曜、日曜と称号者講習会だった。

射の上達はにわかにできるものではないが、体配においては、やればやるほど上達が見える。なかなかうまくいかない場合は、努力の至らなさだと思う。大前になって一つ的をしたとき、やはり歩行が少し早くて、後ろに気が回らなかった。目線が落ちるとますます小さく見える。道場へ行くたびに鏡を見ては歩行や後退の稽古をするのだが、人前で後退をすると、右足と左足の長さが違うのではないかというようなぎこちなさが出たりする。

さて、男子の肌脱ぎについても、後輩に正しいやり方を伝えることができるように、必死で見ていてもなかなか覚えられない。自分がするのが一番良いのだと思う。脱ぐ訳にはいかないから、「下に胴着を着てやったらどうかね。」と、女子同士で話をする。

しかし、それより自分の問題だ。ついに、恐るべき間合いの下手くそなわたしの番で、一つ的で中立が立射の場合どうするかということになった。わたしは落ちで、大前と果たして息を合わせられるか。吐く息を意識すれば、なんとか感じることができると思いつつも緊張した。緊張と集中力はピークとなった。

I先生の「よし」と、いう声に安堵して気を抜かないように。それでも、射位のところで少し気がそれた。汗・・。

日ごろから緊張感のある稽古をしなくては、本番では気が続かない。体幹、体重のかけ方、身体の真ん中で離れるようにすることなど課題は満載だ。少しはましな方に向かっているのだろうか。まだまだでんな。


雪が降る

2017-01-26 | 暮らし

雪が降ると、景色は一変して雪化粧をするので美しくて好きだ。

窓からウッドデッキを通して景色が広がる。しかし、空は暗い。今朝は路面がつるつるだった。

職場に到着すると、木々からポタリポタリと雪の滴が落ちてくる。

昨日の夕方、孫たちとそりが出来るように雪を積んだ。スノーダンプと、スコップでせっせとかき集めて山を作る。盛り上がって3人できゃあきゃあ言って、誰が最長記録が出るかやっていたら、一番重いせいかわたしが長い距離を稼いだ。夕食の支度が遅くなってしまった。子ども達はご機嫌で、「ばあばありがとっ!また、あそぼ―」と、言われた。わたしが遊んでもらっていたような。

今日の夕方、昨日の雪山が解けて、富士山のようになっていた。兵どもが夢の跡。

 

 

 


目がしょぼしょぼ

2017-01-25 | 弓道

パソコンを見ていたらだんだん目がしょぼしょぼしてきた。と、言いつつまだ向かっている怖さ。

今日は女子部の2月の講習会の申し込み締め切りで、どんどんメールが入って来て、ついには45人を超える申し込みになった。どうやってこなせばいいのだろう。嬉しい悲鳴だ。

その間、メーリングリストで、あーだこーだと言っていたら、またまた遅くなったけれど解決して良かった。解決するのもメールと電話を駆使して行う。

おまけに、2月には、加賀市の総会もあって、その資料が手つかずだ。怖い。そうしているうちに、理事長から表彰の推薦書の確認メールが入ってきた。

これでは、夜眠れなくなる。便利な世の中になってきたものの、仕事も抱えることになる。でも、先輩たちが頑張ってきたのだから、引き継いでいかなくてはならない。

人が話したり、意思を伝えたりすることでお金儲けになるなどとは昔の人は考えもつかなかっただろう。文字が出来たときから、人は人に気持ちを伝えたかったんだ。平安時代から手紙や短歌を読みかわしていたのだから。NTTなどの会社は、人がしゃべればしゃべるほどお金が入る仕組みに目をつけたのはすごいと思う。かけ放題でも儲かるってことは、その他に副産物がいっぱいあるってこと?

ほんとうは、人はやっぱり誰かとつながっていたいのだと思う。こうやっているうちにも、ピンと音がしてメールが入ったりすると、ちょっと嬉しい。友達が「どうしてる?」って聞いてくれると嬉しい。2月にごはん食べようって。うわーー、2月って予定がぎっしりだ。完了したのは歯の治療だけだ。


長靴登山 大失敗

2017-01-24 | 山歩き

天気予報は雪マークだが、せっかくの休みにじっとしていられない。殿のセーターを着て、一緒にお出かけしよう。少しぶかぶかだけど、丁度いい暖かさだ。

しかし、セーターを着たところでひとりは一人なんだけど。

昨日は、母を病院へ連れて行ったので、今日は自由にできる休みなのに、家にいても猫もいなくなったし、婆さんはTVを観ているし。ひとりの休日ってつまらないなあ。ふと、空を見ると青い。

天気予報は完全に雪だが、青空がわたしを呼んでいる。あつあつの紅茶とお菓子を入れて、行けるとこまで行こうとしたのがまずかった。

轍がだんだん深くなる。このままいくとやばいかなと思いつつ行くと、車の底がつかえてくる感じがした。おまけに雲行きは危うい。このままでは、前にも後ろにも行けなくなる。わたしは、ここで引き返そうと賢明な選択をしたはずだった。少し広いところで方向転換をしようとして、前の左の車輪を沢側の方へ落としてしまった。雪で路肩が見えないので、アスファルトから土のところへ落ちたのだが、雪で車輪は空回りする。

軽トラックが通り過ぎて行った。きっと、アホ人間がいると思ったのだろう。T字の雪を落とす棒で車の下や前を払っていたら折れてしまった。スコップを載せていないことを後悔した。どうしようもないので、まほろ駅前多田便利軒の瑛太と松田龍平を思い出した。彼らに代わる某〇氏に電話をしたら、「しばらく待ってください。おかあさん!また、やらかしましたね。がはは・・」

また、車が来て、女性の方が「大丈夫ですか?」と、声をかけてくれて、「ありがとうございます。うちのものを呼びましたので。」と、言うところへ瑛太が登場。女性の方が「旦那さんがみえるって。」と、連れの人に言っているところへ、旦那ではなく息子みたいな人が下りてきた。いつも便利屋に使ってすみません。とは、言わなかったが感謝、感謝。ひたすら謝る。おまけに旦那にしてしまった。あっという間に車は上がって帰路につき、午後にお茶を飲みにどうぞと言って、実は台所の戸が閉まりにくいのも直してもらった。

瓶のシングルモルトが残っているのを全部袋に入れて、日当にもならないけれど渡す。コーヒーを飲みながら、数々の事件を笑われた。ピロリ菌の入院や、ダイヤモンド白山の話をしながら、「穴があったら入りたいわ。」と、言いつつ穴もないし。

青空が出たと言って、うかつにふらふらと出歩かないようにしよう。次に行くときは電話をするように言われた。「引き止めるか、近場で仕事をします。」と、温かいお言葉。「プチ遭難したオトンのセーター着て行ったしやわ。それから4駆買う。」「そこですか!?」がはは・・。

人に迷惑をかけないようにと孫たちに言っていたのは、どこのだれか!

わたしは一体何をしているのだろう。疑問だ。

 

 

 


チーパー

2017-01-23 | 料理

何故かチーズとワインがメインのパーティなので、いつからかこの会を「チーパー」と、呼ぶようになった。町内の仲間なので、歩いて行き来できることが嬉しい。今回は我が家で新年会となった。みんな夕食を終えてから集まる。

各自、ワインやビールやつまみを持ってくるのだが、女4人毎回飲み物もつまみもかぶることがない。この会で集まり5年になるが、今回も、それぞれに持ち寄ったものはどれもかぶらなかった。そして、毎回かぶらなかったことを驚くところから始まる。Sさんが「大寒たまご」と、言ってさくらたまごを茹でてきてくれた。大寒に産んだ卵がいいそうだ。

酒粕に漬けたクリームチーズを買ったのは好評だった。

ワインは必ずわたしが開けるのである。今回も、スポっと良い音がして成功だった。一度別のところで失敗したことがある。原因は、オープナーに問題があったと思っている。

それにしても、毎回ワインの名前を覚えることも出来ず、フランスとオーストラリアのワインというところの確認までで、わたしたちは酔うのである。話もやばくなるのだ。「あの朝ドラに出ていたあの人、あの人、だれだっけ。」「あさちゃんの旦那。」「えっー、まれじゃなくて・・・」「柳楽・いい男になったね。」「今、NHKで出てるよ。観てる・・・母親と三角関係」「えー、怖い。」

「最近、セカオワに・・」「ああ、あのドラゴンナイトが、取られない、取られないに聞こえるあれね。」

みんなの名誉のために、もちろん真面目な話もしている。ピアノの先生のKちゃんと、「同じひくでも、弓を引くのは自己満足で、他人を感動させるのは難しいわ。ピアノは、弾けば人をいい気持ちにさせるよね。」「そうは言っても、だんだんオーラがでんくなって、時折、失敗するようになってきたよ。」やっぱ、稽古かねえ。でも、あちこち無理がきかなくなってくるしねえ。あぁ、単なるくどき話か・・。そうして、夜は容赦なくふけるのでありました。おまけに、わたしは、明日仕事があると皆に言えなかった。この盛り上がりにワインは注いでも、水を差すことはできない。可笑しすぎる。楽しすぎる。

 


君の名は

2017-01-23 | 映画

メガヒットの謎ということで紹介されていたので、ついに観てしまった。

「夢の中で出会う。男女が入れ替わる。」と、言うのは、平安時代にまで遡る伝統のモチーフだとか。「とりかへばや物語」

小野小町も夢で会った人を想い歌をよむ。「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」

それが時を超えて現代人の心の琴線に触れたこと。美しい映像。予想外に中高年の心をとらえたこともヒットの理由とか。出会いや別れを自分の人生と重ね合わせる。

ときめく出会いは若者だけにあると思っていた。年齢を重ねるとひとつひとつの出会いが大切になってくる。別れを何回も繰り返しているので、臆病にもなる。じゃまくさくなって年賀状を減らすように友達の関係を減らしていくようになるのは寂しい。

それにしても、夢に憧れの人が出てこないのはなぜか?見知らぬおっちゃんが、うちの家事をこなしていた夢を見た。よほど、人との出会いより寒くて掃除をしたくないというほうがわたしの頭の中では重要なのか。


檸檬

2017-01-19 | 暮らし

友達の家の庭に生ったレモンをもらった。店にあるのとは違って、丸くて大きくてつやがある。朝採ったばかりとのこと。

あまりに綺麗なので、眺めているとなんとも幸せな気持ちになる。しかし、檸檬という漢字はなぜあんなに難しいのだろう。漢字で書くと、いや殆ど書いたことはないが、その難しい字はレモンの気位の高さではないかと思える。柚子は田舎の木になっているが、レモンは都会にあるような感じ。

檸檬と言えば、「梶井基次郎」の短編小説が有名だ。三島由紀夫が『檸檬』を日本の短編の最高のものとし、「一個のレモンが読者の眼の前に放り出されたような、鮮やかな感覚的印象をもって終わる作品」と解説した。小林秀雄やその頃の著名人がやたら称賛した『檸檬』。

確かに魅力的である。小説ではなくレモンそのものがである。レモンは料理では魔法のように料理の味を引き立てる。鶏肉にかけると塩分が少なくても味が引き立つし、酢の物に入れてもよいし。レモンケーキとして菓子にしてもよい。ジュースに入れると酸化しなくなるので、リンゴジュースなどに入れるとさらによい。

しかし、わたしのひび割れの指先にレモンの汁は容赦なく痛みを与えた。なんだかレモンに拒否されたような悲しさである。

 

 


旅に出ます

2017-01-18 | 暮らし

孫を迎えに行くと、2年生のkenがなかなか帰る準備をしないので、「ばぁばは、今晩旅に出るんやから早く用意してっ!」と、言うと「え”っ!ばぁば・・もう帰ってこんのか?・・・」と、言う。

「なんでや。旅行やよ。」と、言うと「旅は旅行と違うやろ。」と、言うので説明をしたが、どうも「旅に出ます。探さないでください・・。」と、言うのを認識しているのではないか。時間がないので旅に出ても必ず戻ってくるからと説明しておいた。

両親が東京でせんべい屋をしていた頃に「成田さんでお参りをして・・」と、よく話していた。確かに成田さんは広いし大きいし、父母が若かりし頃、わたしを連れてここへお参りに来ていたことを想像する。父は36歳の時に腎臓病で故郷へ帰ることとなった。この寺で祈願したことは何だったのだろう。もしかして、わたしの成長を願ってくれていたかもしれないと思い、わたしが生まれたことを感謝して手を合わせた。「こんなに大きくなりました??」「成長しました??」ううむ・・大きくも成長も未完成っぽく年をとったなあ。

成田さんと呼ばれる寺が本当は「成田山新勝寺」であることを初めて知った。


田部井淳子さん最後の山

2017-01-12 | 山歩き

「山と渓谷」の記事で田部井淳子さんの言葉で、「やりたいことはやろうとさえすれば必ずできる。やりたいけどできないという人は、本当はやりたいわけではない。」と、いうのがあって本当にそうだなあと思った。一歩を踏み出すのは、山だけではない。

録画してあった「田部井淳子 最後の山」を、観た。末期がんにも関わらず、東日本の震災にあった高校生と富士山に登るのだ。その3か月後には亡くなるのである。でも、山に行っている時はとても幸せそうだ。

抗がん剤に悩まされている様子だった。抗がん剤の副作用は、わたしも経験があるので身につまされる。わたしも、今でも左手の指先が少し痺れている。年配の方は回を重ねるごとに、歩行が困難になっていくこともまのあたりにした。同じサイクルで受けるので、毎回一緒になって顔見知りになるのだ。

さて、末期の時は歩行も困難になるのである。殿は病院へは車いすで移動した。そんな身体で富士山とは、いくら七合めとはいえ登山である。本人はエベレストよりしんどいと言っていたが、どんなに辛かったことだろう。でも、自分の身体は全身に癌がはびこっているのに、高校生を見送り励ますのだ。登頂の連絡が入ると我がことのように良かった良かったと喜んでいる。その姿に泣けた。

ちょうど4年の孫が泊りに来ていて一緒に観ていた。登頂できて良かったと思って嬉しいんだか、癌の身の上を悲しんでいるんだか分からない。「泣けるときって悲しい時だけじゃないんね。」と、泣いていたら、孫がわたしの顔をのぞいた。そして、ちょっとにやっと笑った。

 

 


インド&ネパール料理

2017-01-11 | 料理

大聖寺駅前にあるインド&ネパール料理というのが気になった。友達を誘って行ってみた。友達は、こんな田舎にインド人が店を出して大丈夫なのかと思っていたらしい。

「プラシッダ」という店で、2015年に出来たのだそうだ。インド人の夫婦で(たぶん夫婦だと思う)やっている。11時半に駐車場で待ち合わせて一緒に入った。ひとりで入るには勇気がいるのである。

大聖寺駅前は私たちが若いころは食事する店も、お菓子屋もうどん屋も、ゴルフ道具を売る店もあったのに、加賀温泉駅が出来てからはシャッターが下りた店が並び食事処は駅前のホテルだけになったのだ。そこに、勇気ある店が出来た。パンフレットを見たら、愛知、岐阜、福井にも店があるのでチェーン店のようだ。

わたしたちは、それぞれ「日替わりカレー」「野菜カレー」「ポークカレー」と、違うものを頼み、辛さは選べるのだが怖くてみんな「普通」の辛さを選んだ。2.MIDIUMである。

1.MILD、2.MIDIUM、3.HOT、4.VERY HOT、5.SPECIAL HOT

何という大きいナンだ。少し甘めなので、少し辛めのカレーを頼めば良かったかもしれない。

ナンは食べきれなかった。

食後は、友達はそれぞれチャイと、コーヒーを頼んだ。わたしはラッシーを飲んだ。甘いので、やはり少し辛いカレーを頼めば良かったとまた思う。

 

 


ブログ依存 ネット依存

2017-01-10 | 暮らし

恐ろしいことに気付いた。いつの間にか、夜のひとときがパソコンに向かう時間となって、ブログに向かってしゃべっている自分が習慣になっている。(もちろん声は出していない。)

昨日いきなり、「ページが開けません」と、なって、gooブログが開かなくなってうろたえた。今まで書いたものがなくなったのか!!!と、思った。何回か電源を落として再起動をかけたりして、不安な時間だった。結局、風呂に入って寝ることにしたが、プロバイダに膨大なデータがあることが不思議に思えた。いつかはなくなるだろう電子データ。それらはどうなるのだろう。

そして、書くことが癖になっている。話し言葉なら消えるのだから、消えてもいいのだけれど、殿とのことが書いてあるのが消えるのは悲しいなあと思ったことだった。

今朝、再びこのブログが開いた時ほっとしながらも、依存症になっているのだということを知る羽目になったことが怖かった。

 


女は黙って

2017-01-09 | 暮らし

先日、「男は黙って」に対し、「女は黙って」ということになると、怖いねって友達が言う。

「女が黙るときは、怒っている時だ。」となる。別に怒っていないのだが、なんて言っていいか分からない時と、何かを言い出したら止まらなくなることが自分でも怖いということもある。また、自分がとてもみじめになりそうな時もしゃべらないのだ。分が悪くなる時は黙っているに限る。きみまろではないが、どうしてあんなに可愛くて愛しい妻が怖い妻になるのか分からない。それは、きっと妻に対するもろもろの罪が自身をおびえさせるのだろう。

かの、土屋さんも言っていた。彼とは親しくしているわけではないが、考え方に同調してまう時が往々にしてある。例えば、「自分の意思を伝えることはそれほど重要なことなのか。」と、いうこと。「意思を正確に伝えたら人間関係は壊れるに決まっている。・・・円滑な人間関係を築くにはむしろ意思を隠し、相手の意思を誤解する能力が必要だ。「気持ち悪い顔ですね」と、正直に意思を伝えるより「個性的で美しい顔立ちですね」と心にもないお世辞を言う・・。言いたいことが言えない者が、自分の意見をネットで言う時代である。

もうひとつは、話をすればするほど言わなくてもいいことまで言ってしまう。そうなると、聞く方は聞かなくていいことまで聞く羽目になる。ほどよい距離感が必要なのだ。たとえ夫婦でも全部話さない。いや、夫婦だからこそ全部話さないこともあった。若い頃もてたということや、何人かの人に求婚されたとか。言っても信じなかったかもしれないが。これが「言わなくてもいいこと」か・・


目に楽しい

2017-01-08 | 料理

りんごを乾した。Eテレでドライフルーツをやっていて、料理家の方が「目に楽しいものは 心も楽しい」と、言っていたのを観て、ほんとにそうだなあと同感した。先日、しいたけを不規則に干して、ひだが上がいいか笠が上がいいのか考えていなかったが、しいたけはそれぞれにちんまりと可愛く乾せたのだった。彼らは勝手に寝返りをうつように縮こまって乾せていた。しいたけは男か?

確かにきれいに並べると、目にも楽しい。しかし、これは毎日少しずつ減っていく。干せ具合を見ながら食べてしまうからだ。

りんごは切ると黒くなるのに、日に当てると色が変わらないので不思議だ。そして、甘味が増して美味い。

始めはぷにょぷにょしていて、カリッとなるまでに半数がおやつになってしまう。

茹でさつま芋。甘味が増して羊羹のようだ。もっと固くならなくてはいけないのに、羊羹状態で孫に食べられてしまった。目に楽しい。食べて楽しい。心が楽しい。

 


男は黙って

2017-01-07 | 暮らし

殿はよく言った。よくしゃべる人を見て、「しゃべり過ぎやなあ。」と。それが、肩にのしかかっている。言いたいことを半分にしようと思うことがある。「よくしゃべるなあ。」と、わたしに言っている時もあった。でも、黙っていると「どこか具合が悪いのか?」と、聞いてきた。

時折、黙って聞き手に回ると、壁か空気と間違えられているのか、話はわたしの周りで大盛り上がりになっていることがある。そこに参加しなくても、誰も気にしないのである。そこまで言ってもいいのか、わたしが聞いていることを知ってか知らずか、危うい話まで聞かされることもある。あまり黙っているとストレスになる。

世の中で、大切な話などほんの少ししかない。もしかしたら、一日中ひとことも大切な話などないのかもしれない。でも、人は他愛ない話をして気を紛らわせる。暇つぶしの井戸端会議は、昔からストレス解消にもなるのである。

「今度新年会しましょう。」と、町内の婦人会友達からメールが入る。みんな一緒に役員をした仲間で私より10歳ほど若いのでわたしは年長、いや今となっては長老だ。今度は我が家でする約束をしていたので楽しみ。ほんとは、みんな他愛なくしゃべりたいのだ。

殿は殆ど仕事の話もしないし、黙って本を読んでいた。男は普段はあまりしゃべらないものと思っていた。かといって、お酒を呑むと陽気に寒いダジャレを飛ばしていた。そういえば、「男は黙ってサッポロビール。」と、いうCMがあったっけ。キリンビールやアサヒビールではしっくりいかない。ましてや「男は黙ってバドワイザー」と、言ったらずっこける。良いCMだったなあ。黙っている男がかっこ良かったのは昔のことか。