まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

イチゴ狩り

2015-01-30 | 暮らし

娘に誘われて孫たちと実家の近くのフルーツランドへ行って、ハウスのイチゴ狩りをした。

入場料金は意外と高かったが、イチゴは美味しかった。一度に14個も食べたのは初めてだ。

小さなバケツに食べた後のへたを入れていく。大きいイチゴよりも、少し小さめがおいしいと思った。

帰りに殿に採れとれのイチゴを買って帰る。殿は、ひとつしか食べなかった。このところ、食事を作っても、大きなため息をつくだけで、美味しいものを作っても、ひと口食べればいい方だ。

朝の野菜と果物のジュースは、飲んでくれるので、イチゴを全部ジュースにした。

毎日のジュースは、小松菜、キウイ、リンゴ、人参など。今日のジュースは昨日よりうまい!明日のジュースも、美味しいでしょうかっ・・・・


流星ワゴン

2015-01-28 | 読書

重松清の小説は、わたしの読んだ限りではハズレがない。困ったのは、病院の待合室で「その日の前に」を、読んだとき泣けてきたこと。いじめに向き合う。命に向き合う。親子の関係に向き合う。ここまで心境を表現できるのはなぜなのだろう。

さて、今回TVで放映されている「流星ワゴン」は、重松氏には珍しく現実にはありえないような設定にも関わらず、引きこまれる。本を読んだけれど、どんなふうになるのか楽しみだった。何といっても「ダブルフェイス」で、共演した西島秀俊と香川照之が、親子役をするのだ。

予想を超えた演技に驚いた。香川が唾を飛ばして叱るところ、西島が目を充血させて怒ったり泣いたり。これって演技で出来るもんなの?おまけに、子役も鼻水を垂らして泣いている迫真の演技というのが、次々に出てくる。

これは、見逃せない日曜の9時。

 


うつつを抜かす

2015-01-27 | 暮らし

ううつつを抜かすという言葉がある。まさしく、ここ3日間ほど、うつつを抜かしていた。弓道のことばかり考えていて、父の病院へ行くことを忘れていた。

現(うつつ)とは現実であり、それをどこかへ置き忘れ過ごしていた。ところが、うつつはちゃんとやってくる。

さて、「ゴルフにうつつを抜かす」とかいう風に使われるが、この言葉を正しくいうと「ゴルフをしていたがために、うつつを忘れていた」ということになる。

さて、「イスラム国」人質のとんでもないニュースは、現実のこととは思えない恐ろしい話だ。関係者の方はどんなに心を痛めていることだろう。犯人は、狂気の世界にいるのだと思う。「狂気の世界にうつつを抜かしている」という言い方はおかしいかもしれないが、犯人は正しい現実を見つることが出来ていないのだと思う。こういう人たちは、正義や自分をどこで見失ったのだろう。

この恐怖に対して祈るしかない。どうか早く解放されますように。

 


調整器

2015-01-26 | 暮らし

4,5日父の病院へ行っていなかったので、実家へ寄って母を連れて行く。母は、わたしに遠慮してタクシーで通っていたようだ。

さて、着替えを持って行くと父はメモした紙をくれて「看護婦に買って来いと言われた」という。どうも、入院した日も、おむつとかパットとか買ってくるように言われたので、市民病院や大学病院の感覚とは違うとは思っていたが、父の震える手でやっと書いたと分かるメモには「調整器 便器を洗う」と、書いてある。聞くと液体のようなので「調整液?」かなと、あやふやなまま母と薬局へ行った。「在庫切れです」と、いうので違うところへ行くと、「扱っていない」という。4件回って、もしや・・・と、思った。「消臭液」では?急いで病院へ電話をした。やはり「消臭液」だった。申し訳ないとは思ったが「次回は看護師が書いて手渡してほしい。」と頼んだ。

病院の人は、専門なので品物の名前は常識の範囲だろうが、こちらは初めて使うものだったりする。まして、耳の遠い父が何回か聞いたであろう名前は「調整器」なのだ。父の仕事は機械や、器具を使う仕事だったのでそちらの名前を連想するのだろう。

手渡されたわたしも、ぼやっとしていた。ポータブルトイレを洗うというのでそういう液があるのかと父のメモをそのまま鵜呑みにした。途中でおかしいと気づいたのは、さんざん回った後だったのだから、自分の勘が冴えていなかった。

介護用品の勉強をしなくてはならない。何となく関係のないような気がして、いわゆる無関心であった自分を反省する。


ありがたいお言葉

2015-01-25 | 弓道

帰ったらメールが来ていて、今日玄関まで見送って下さった方より素敵な言葉が届いていた。

「人は人生において出逢うべき人に必ず出逢う、

それも一瞬早くも無く、遅くも無い時に。

私の大好きな森信三先生の言葉です。

わたしの弓道人生に最も大切なお二人です。

末永くお付き合いをお願い申し上げます。」

ありがたい言葉だった。弓道の仲間や、会社で出会った仲間、気の合う友達。

今日も夕方、同窓生がコーヒーに誘ってくれて、みんなで小一時間だったが楽しい話をした。

この時間はとんでもない笑い話が出来るのでいい。それに、生活の知恵を入手。ありがたい。

そうだ、この前〇未ちゃんがプリンを作ってきてくれたのを、殿が喜んで食べてくれた。アップしとこっと。


宝物の日

2015-01-25 | 弓道

毎年加賀市で行われる「称号者講習会」は、今年は何故か小松の桜木の道場で行われた。お蔭で殿が観に行くことができた。加賀の道場は残念なことに3階のため登ることが出来ないからだ。

自分の薄っぺらな射に気付き(ずっと前から気づいてはいたが)、どうにかしようともがき苦しんでいた。大きな違いは、これではダメだとすごい危機感があふれてきたことだ。今までは、どこか少し妥協したり、甘い自分を許していたため一歩も前へ出ていないことに気付いた。

誰かに習うというのではなく、まずこうしたいという自分の気持ちがなくては、どんな良い講習も馬の耳に念仏。出来なくてもそこへ行こうとしなくてはならない。やれることだけやっていたのでは、階段を上がれるわけがない。

さて、それより何より、講師の先生や弓道仲間にお会いしたいという殿の気力に、車椅子を押して道場の入口へ行った。前から指導部の先生にわがままを言って見取稽古ということで半日見学を申し出ていた。先生は快く迎えてくれてありがたかった。道場の玄関で持ってきたタオルで車椅子の車輪を拭こうと思っていたのに、殿は歩くと言って廊下をゆっくり歩きだした。

みんなに会って、いつもより笑顔と会話とが飛び交い、何十年顔を見知っていてくれた人たちが、暖かい声をかけてくれたことで、胸が一杯になった。これは、わたし達にとって「宝物のような時間」だった。一コマ一コマを大切に思える時間だ。「遠くの親戚より近くの弓道人」

わたしも、懸命に引くことしか出来なかった。引きが甘くあと2センチ引くように言われたが、これは先輩に言われていつもやたら手首で引こうとしていたことが間違いと先生の指導で分かった。柔らかくなくては伸びないのだ。全く反対の事をしていた。ここ数年、弓を引いて誰にも褒められたことはないが、今日は先生の声のお蔭で「もっと引いて!裏的!!」という声に助けられ良い矢がでた。まだ、自分一人の力ではないなとおもいつつも、矢が素直に飛んでくれた。後で殿にいうと、殿の角度からは立射の人の陰になって半分しか見えなかったらしい。

殿の疲れが出るといけないので、半日で帰る支度をしていたら「お父さんが、ちゃんと引けるか見守っとったよ。それに答えるような矢やった。夫婦愛を感じたわ・・・」と、言われた。後で殿に聞いたら「何も考えていなかった」と言っていた。多分そうであろうとわたしも感じてはいた。おまけに、ビデオショップが近づいたら「緋牡丹博徒」が発売されているから買ってきてとのこと。まあそんなとこだ。

わたしの射より高倉健さんの映画の方が楽しいに決まっている。それに、確かに弓は自分が引いてこそ楽しい。ごめんよ。昨日と今日は、久々に楽しかった。この日の為に時間を見つけては、ちまちまと稽古した甲斐があった。

 

 


パ・キャマラド

2015-01-23 | 暮らし

孫に「クラリネットこわしちゃった」を、歌ったら意外と喜んだ。

しかし、「ドとレとミの音が出ない~♪」の次に、「ドとレとミとファとソとラとシの音がでない~♪」と、歌ったら、孫が「全部出んやん」と、言った。本当だ。これでは全部の音がでないわけだ。

覚え間違いかなと思って調べてみた。ちゃんと合っていたが、今度は「パパからもらった大事なクラリネット」を、壊して全部の音がでなくなったとは、なんということだと思い始めた。おまけに、「とっても大事にしてたのに」である。何十年、なんの疑問も持たずに歌っていて、ここへ来て敦賀弁の残るおにいちゃんに「全部ならんやん」と、指摘され、ついでに加賀で生まれた弟に「全部ならんがいね」と、言われ困った。

すると、諸説あることが分かった。「パ・キャマラド パオ・パオ・パンパンパン」というのはフランス語でらしい。日本語の歌詞で壊してしまったのか。本当はクラリネットは壊れていなかったのだ。僕が未熟で鳴らないのである。パパが「パ・キャマラド」と、声援を送っているらしい。

「パ・キャマラド」とは、「一歩、一歩だよ・・」あるいは、「リズムを取るんだ・・」とか。

しばらく、「パ・キャマラド パキャマラド パオパオ パンパンパン」を、歌い過ぎて弓を引いたら、会のところで頭の中にパオパオが浮かんできた。離した後、的にパンパンパンと、なればいいが、頭の中がパンパンパンだった。

 


茶の間で寝る

2015-01-22 | 暮らし

旦那が少し下血した。もしかして大量出血した場合、大変なことになると思い、過去3回の経験から真夜中に出動できるようにソファで寝かせ、わたしは床に布団を敷いて服のまま寝た。幸い大したことがなかったが、明け方救急窓口に電話し大事を取って出かけた。

孫を保育園へ送っていかなくてはならないし、爺さんがディサービスの日なので、婆さんも大変だし、看護士に「うちの孫と年寄りがごちゃごちゃしているので整理してきます」と、一旦8時過ぎに自宅へ戻り、ついでに入院の準備もして、孫を送ったあと病院へ戻ると、救急処置室から外科の処置室へストレッチャーに乗せられた旦那が移動中だった。

検査するまで外科の処置室にいた。看護士に「途中で靴がなくなった」と言われ、見るとストレッチャーの下に靴が片方しかなく、そこから検査室へ移動するときコートとカバンと、靴を片方だけ持ってとぼとぼストレッチャーの後ろを着いて行く寝不足のわたしが、なんとなく間抜けな感じがした。

後で、看護士に「始めから片方しか無かったのでは?」と言われ、歩いて夜間入口から入ったのに、脱げるわけがない。生まれてこのかた、歩いている最中に片方の靴が脱げても知らん顔している人を見たことも聞いたこともない。しかし、エレベーターで2階までいくほんの少しの距離なので、看護士がすぐに戻ってみたが、廊下に何もなかったのでそう疑った。

結局、靴は翌日誰かに拾われて戻ってきた。旦那は血圧が低く、貧血もひどいので点滴をしたが出血の心配はなく、翌日には退院できることになり、やれやれであるが、朝から何もせず片方の靴を持ち歩いているだけで、へとへとになった。

実家の母も心配で電話すると、タクシーで父の病院へ行ったという。夕方は孫を歯医者へ連れて行く。わたしは病院巡廻運転手だ。

 


ワインのお供

2015-01-21 | 料理

ワイン続きで、ワインのお供の紹介。ワインにチーズは欠かせない。ワインにイカの塩辛とか、キムチとはいかない。おでんや鍋でもない。

わたしのフランスパンにクリームチーズを詰めたもは、口うるさい娘たちのお墨付きだ。

市販の柔らかめのフランスパンを、長いスプーンで中身をくり抜いて、熱湯でゆでたミックスベジタブルと、くり抜いたパンと、クリームチーズを混ぜて、マヨネーズは少々味を調えるだけ。それを、パンに詰めて、細いサラミソーセージをグッと押し込んで冷凍する。

食べる3時間前くらいに冷蔵庫で切りやすい状態まで戻す。

作り方は簡単だが、切るタイミングが難しい。固すぎるとチーズが崩れる。柔らかすぎると、切り口がつぶれて美しくない。

一度切って冷凍しておいてもよい。テーブルの上で、良いタイミングで溶けてくる。

食したい方は、ワインを持ち込めば、ただで食べられる。要予約。

ワインはスクリューキャップよりコルクの蓋がよい。

 

 


熟成

2015-01-19 | 料理

ワインのことは詳しくないが、安い値でけっこう美味しそうなものがある。

先輩は「チリ産」がお気に入りだ。フランスのボルドーも「ワインの女王」と言われるので良いのではないかと思い、迷った挙句2本とも買った。缶ビールと違って、ふたを開けても全部飲み干さなくてよいので少しずつ楽しめる。

実は、ワインのコルクを開けるのが得意だ。なるべくコルクの蓋のワインを選ぶが今回は安くコルクではない。

先日テレビで、ボルドーワインを作っている人が語っていた。ブドウの木を植えて実がなるのに5年。仕込んで熟成が始まるのが5年。長いものは50年とかあって、自分たちは味わえないが、先人からの大切なワインを今味わい、今度は次世代へつなぐのだそうだ。熟成すること50年。

おおっ!わたしも完全に熟成した。味わい深いものは目をつぶって味わうのだ。


儲ける

2015-01-18 | 暮らし

値上げ前の古い50円のはがきがあって使い道がないので、2円切手を貼り新聞のパズルを解いて応募したら、1000円の図書券がもらえた。パズルを解いたのは殿なので儲けは殿のために使うことにした。先日高倉健のDVDを買ったので、次のが出たらまた買おう。

さて、昨今1000万円預金しても、1年で0.03%の利率では3000円の利息で、そこから国税と地方税をとられると2000円しか手元に入らないという計算となると、殿は500万円預金して利息を得たのと同じ金額を儲けたこととなる?

稼ぐというのは、穀物を植えるという意味と、仕事に励むという意味がある。獲り入れは家の仕事であるという。このとき、はがきを用意して切手を貼って出したのはわたしなので、ふたりで稼いだということか。そして、儲けは「得をする。利得」と、ある。働いても働いても利益にならない場合は、稼ぐとは言わない。毎日、朝から晩まで働いている気がするが。

定年前に会社を辞めて65歳までに、過去の預貯金を食いつぶしていくわけである。おまけに家の借金もあるのにも関わらず普通に日々の暮らしのレベルも下げず、何とかなると思っている怖さ。

時折、「そこのうちはたんまり稼いで、ようけあるやろ」と、言う人がいる。一体、人のうちの財布の中身をどうして予測できるのか。自分でも、なるべく知らないように目をつぶって予測不能になっているというのに。それに、よそのうちにお金があろうがなかろうが、うちには一銭も入ってこないのだ。そして、「ようけ」(たくさん)の金額が分からない。億単位か、何千万なのか。TVである会社の社長に「一線を退いた時いくらあればよいですか?」と、聞いたら「8億あればなんとかなる・・」とのことだった。毎日の米があればいいと思っていたわたしは驚いた。

そんな中で、傷病手当や、生命保険はありがたい。自分がかけていたとはいえ助かるのである。自分たちだけは元気で長生きと若い時は思っていた。人生は、その年になるまで、どんなに説いても、分からないのである。わたしも、両親の心境は推測しても及ばない。


歌会始め

2015-01-15 | 暮らし

歌会始で15歳の少女の「この本に すべてがつまつてるわけぢやない だからわたしが続きを生きる」の句が気持ちよかった。潔いというか、きっぱりと言い切る気持ちよさ。小さい時から句を作っているらしい。

もう一句「ふたりして荷解きおへた新居には 同じ二冊が並ぶ本棚」は、思わず顔がほころんだ。我が家も時折、同じ本を買ってきたことがあり共感をおぼえる。

お題は「本」で、BOOKでも、数の一本、二本の、本でも良いらしい。陛下は「夕やみのせまる田に入り稔たる稲の根本に鎌をあてがふ」と、詠まれた。紀子様は「日本」と詠まれた。

それではと、日頃より殆ど句に親しまないわたしも、ついつられて作ってみた。

「病んでなお一本の矢を引ききって呼吸(いき)する肩に秋の陽とまる」少し重いか・・。

「秋の暖かい日を選んで道場へ行くと、午後の陽は斜めに差し込んで、1本射るたびに息を整える殿の肩に陽がさすのでありました。」さて、とまるではおかしいか。どなたか、ご指南を。

 


時間割

2015-01-15 | 小さきもの

小学2年の孫の時間割を見て驚いた。ランドセルに全部入っているので、毎日時間割を合わす必要がないというのだ。教科書は国語と算数と音楽が入っていた。水曜「音楽」「生活」「生活」「国語」。木曜「算数」「体育」「書写」「国語」とか・・・基礎はやはり「読み書きそろばん」

自分の小学生の頃の時間割など覚えていないが、2年生の時は社会や理科はあったはずだ。確か通知表には5教科あった。

今は、理科や社会は3年生からなのだ。生活というのがその役割なのか。老婆心ながら、体育の後に書写は、ボールなど握ったり、力を入れた後は、鉛筆が握りにくいのでは。いや、老婆心とはまさしく。子供たちにはそんな不都合はないのだ。

高学年になるにつれ図工と音楽がだんだん減っていくようだ。社会人になったわたしは、図工と音楽と体育にだけ興味があるなあ。


夏下冬上

2015-01-11 | 暮らし

殿の先輩が毎月料亭で開いている会を、今回は先輩方々が殿の身体をおもんばかり、我が家に集合となった。

家を建てたときにがんばって買った囲炉裏つきの座卓は非常に重い。移動させるのに全体重をかけて運んだあと、炭火を起こしてみようとしたが、なかなか火が点かなかった。火種の上にそっと炭を置いて、息を吹きかけたがすぐ消える。

料理を運んでいるとH先輩が「かかとうじょう」というので、「かかあ(かあちゃん)登場」かと思ったら、「夏下冬上」炭の置き方のことだった。火種は夏は炭の下に、冬は炭の上に置くと火が点き易いのだそうだ。「冬上夏下」ともいうのだそうだ。知らなかった。さすが先輩たちは年の功である。

この火はさっさと消して「一酸化炭素鍋」の危険を回避して、カセットコンロで調理した鍋を五徳の上に置いて炭の雰囲気だけ楽しんだ。今回初めて「緑茶鍋」を作ってみたが、いつものとりやさい味噌の鍋の方が良かったかも。

坂網の名手、鴨取りの先輩の鴨ねぎ串焼きは絶品。

「天狗舞」と、「八海山」を飲み比べた。何はともあれ楽しいひとときだった。


長州ファイブ

2015-01-11 | 映画

「長州ファイブ」は、幕末に長州藩から派遣され秘密留学した5人の長州藩士の物語。長州五傑という。

その頃の話は、大河ドラマにも出るが。維新の頃の人々はなんと魅力的なのだろう。伊藤博文、久坂玄瑞、高杉晋作はもちろん、この映画では主人公、山尾庸三を松田龍平が演じる。

吉田松陰の言葉が沁みる。「心というものは生きておる。生きておるものは必ず気がある。感動する場面に遭遇すると、気は発動する。この発動の気を与えてくれるのは旅である」という。「人を育てればその人が工業を起こす。」「技術者こそが真の革命家となる。」

さて、この5人はどんな旅をしたのか。