まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

フグ料理

2012-12-30 | 料理

だんながフグ料理へ連れて行ってくれた。

先日、ふぐふぐと騒いでいて、別に不遇の人生ではないが、送別会も忘年会もないわたしに、少しでも楽しい年末を迎えるためにという心遣いのようだが、過日忘年会で迎えに来てくれと言いつつ、帰ってこなかった詫びかもしれない。

亭主達者で留守が良いので、わたしとしては、フグフグとうなづくだけだ。前に金沢より近いところでふぐを食べられないかと調べていたら、なんと近い山代の料亭で扱っているとこが分かった。

その中でも、「もりもと」という料亭を予約して行くことにした。若女将さんのLADY KAGAのチャーミングな名刺を頂いた。

フグのひれ酒は、特に体に沁みた。また、鍋の後の雑炊の旨いこと。天ぷらの後の雑炊というのもよい。この後、元気ならカラオケだが、今日は静かにフグを堪能した後、静かに帰った。

だんなと漢字で今年と来年の希望を表すことにした。わたしは、今年を漢字ひと字で表すと「省」。いろいろな意味で長い間の仕事を省みることや、健康について反省することなど。また、来年は「生」生き生きと生きるということ。

では、よいお年を。

 


ミッドウェー海戦

2012-12-30 | 暮らし

BS歴史館で、ミッドウェー海戦の敗因をやっていた。分かりやすく、順序だててまとめられていたので、勉強になった。

朝のラジオ番組「三枚おろし」で、武田鉄也がノモンハンと、ミッドウェーを2週間かけて熱く語っていた理由が改めて分かった。

なぜなら、日本の上層部は、総括をしないから、作戦を失敗した指揮官は、多くの兵を殺してしまった責任をとらず、また次の戦地で同じ過ちを繰り返す。また、偽装の報道で国民をだましてしまう。というようなことを、つばをとばして(ラジオなので見えないが、そう思うくらい力が入っていた)語っていたので、引き込まれてしまった。

東電に94億円賠償請求した米兵の記事を読んだとき、もしかして、ミッドウェーから日本の政治家は変わっていないのではないかと思われた。東日本大震災のときに、福島第一原発事故の影響が正確に伝えられず被ばくし健康被害を受けたとしての損害賠償の訴えだ。

事実と異なり誤解を招く情報をながしたという。まるで、戦時中の話と同じ。

真珠湾奇襲攻撃の時のアメリカ指揮官ハズバンド・キンメルは、更迭され、ミッドウェイはチェスター・ニミッツが指揮官となる。「真珠湾の過ちを繰り返すな」と、言い情報を重視した。ハワイの太平洋艦隊司令部では、150人が24時間体制で日本の暗号を解いていたという。全部漏れていたのに、日本軍は暗号は絶対解読されないとたかをくくっていた。

日本は、図上演習で最悪の事態になると、敗戦思考は良くないと指摘され、作戦の練り直しがなされないまま戦闘を迎えることになる。おまけに、敵艦隊を見つけた後も、後手後手の対応で、たくさんの兵士を失ったのに、南雲忠一司令長官は、「復讐できるよう取り計らっていただきたい。」と、それに対して「承知した。」と答える山本五十六。ミッドウェーの惨敗は政府の上層部のみしか知らない。生還者も家族と会わせず隔離された。

海軍も陸軍も互いにけん制し、批判しない。最後は国民に頑張らせる。そして、国民それぞれに責任を負わせた。東條内閣は予算の7割を空母に使った。

そんなことを学んでいたらTVから「安倍内閣の不正予算について」とか聞こえた。聞き違いだった。「補正予算について」だった。原発の問題とか経済とか、エネルギー問題とか、問題は山積みなので、安倍さんも大変だろうが、ミッドウェーにならないよう祈るのである。


開拓庵

2012-12-28 | 暮らし

雪が降ると実家が気になる。年老いた両親では、雪かきもままならないのではないかと、心配して出向いたら、車がないので買い物にでも出かけた様子。

時間があるので、山へ登り白山を眺めたり、父が作った小屋「開拓庵」のところまで行く。雪のためか結構息が上がる。

9月の始めに伯父が亡くなった。父の兄で91歳だった。その通夜で久々に従兄たちと会った。小さい頃この山で遊んだ仲間だ。春になったら山の小屋で一杯飲もうと言っていたが、あの後、会っていないので、気になっていた。11月には、伯父の連れ合いである伯母が亡くなった。その子供である従兄は、奈良に住んでいるし、従姉は大阪だ。今年は、行ったり来たりの大変な年だった。わたしは、仕事を休んでいたので、どちらの時も、早くにかけつけることができた。しかし、こんな時しか集まれない。みんな、それぞれに忙しい毎日を送っている。

両親が買い物から帰り、こちらから聞きもしなかったのに、従弟達と49日の法要の時に会って、山で飲む約束をしたと言っていたとのこと。それでは、是非、弟が帰ってきたら実現しようか。男3人、女2人。


道の駅 こまつ木場潟

2012-12-28 | 暮らし

小松の帰りに道の駅に寄る。地元の野菜や地元でとれたもので作ったお菓子などがあり、食いしん坊のわたしには、そそるものがある。

食材は「四里四方のものを食え」と、言う。やはり季節のもの、地元のものはよい気がする。

また、食事には器がつきもの。九谷焼も面白い。結局「ごんだかきもち」を買った。これはかきもちというが、「かきやま」とかこのへんの方言でいう。なんで、かきやまなのだろう。

 


弓道談義

2012-12-26 | 弓道

先輩が遊びに来てくれた。今年の弓納めの話をしてくれて、中たりのないのと膝が痛くて体配が出来ないのが辛いという。でも、弓を引けるのでよいではないかと思うが、ここで究極の選択となる。

とんでもない射(例えば早気とか暴発とか)で、何本か中たるのと、そこそこの射で皆それでは、どちらがよいか。よい射なら中たるのだから、見た感じまあまあなんていうのはないのだ。でも、びくとか病的な射の者は、普通に引けたら(正確には普通に離せたら)中たらなくてもよいと思う。それほど、どん底な射。と、見栄えはよいが1本も中たらないという射。

全くもって、レベルの低い話に盛り上がるのも辛いので、先輩を敬い体の心配をした。腰と膝が痛いというので、腰から来る膝痛か、膝からくる腰痛だろうといい加減なことをいったにもかかわらず、心優しい先輩は相槌をうっていた。おまけに「体重を減らすことがよいのでは?」と、女心をはからない発言。

見舞いに来てもらったのに、玄関で送り出す時に先輩に「お大事に、早くお医者さんに診てもらった方がいいですよ。」と、言った後、弓道をしているお医者さんに通っているという。〇先生は内科のはず。いくら弓仲間とはいえ。

高校卒業後からずっと体の大きな先輩とわたしは立ちを組んでいた。先輩はおん前が好きで、わたしは落ちが好きなので、県体などはわたしが後ろになると、先輩の脇の下くらいから矢が飛ぶのだろうなと思ったことだ。

先輩は、女性なのに大胆な射で、大離れですごい。何がすごいといえば、練習しないで出場した中日本女子の大会で優勝してしまった。昇段もとんとんと錬士も六段も受かり、わたしは苦心惨憺なあげくにやっと合格だ。そのくせ、小さい後輩が、先輩に対して好き勝手なことをずけずけ言う。

先輩は、そんなわたしに、にこにこ聞いてくれて、ことあるごとに尋ねてくれる。ありがたい。

またワインパーティしましょうね。


ガラポン

2012-12-26 | 暮らし

退職記念と、誕生日と療養見舞いを兼ねて、主人がプレゼントをくれたら結構な枚数の抽選券がもらえた。クリスマスの抽選会で、ガラポンをするのだが、25日の最終日夕方あわてて行ったらすごい列。前の人を見ていると、白い玉ばかり。たまにお茶をもらう人も。

37回も回さなくてはならないので、ガラガラまわしていたら、緑と深緑の玉がぽろぽろ出てきて、そのたびに係の人が、「がらんがらん」と、鐘を振っていたが、何個も出るのと、玉がなくなったことで中断。再開しても、また出てきた。

1等賞は、空気清浄器なのでうちにあったし、使っていないしいらないなあと思っていた。ラーメンとか、お茶でいいわと思っていたら、まさしくラーメンとお茶だ。最終日のほうが、当たりの確率がいのだろうか。37回のうち、お茶が8本。5個入りラーメンが4回。高い確率だ。

そういえば、お盆にガラポン1回引いて、買い物した分と同額のカードをもらえた。2万2千円。

今年は、よく当たる。年末ジャンボもかくありたい。まてまて、いらないものまで当たったのでやばい。

ふぐを食べに行ってはあたるかもしれない。用心用心。

しかし、禁じられると欲望はまさに燃え上がる。禁じられた恋は燃えるのと同様。

 


北海道 カニしゃぶ

2012-12-25 | 料理

お歳暮が届いた。北海道のカニしやぶだった。

ゆずがたくさんあるので、自分でポン酢を作り、といっても、絞ったゆず酢に醤油を入れただけだが。白菜、えのき、豆腐、ねぎ。冷蔵庫のありあわせの野菜を入れる。

カニは、たくさんあったので、少し分けて取っておいた。次回は、海鮮鍋という名目で、何かを足して楽しもう。土鍋の出汁に入れると、花が開くようになる。

ぐふふ・・、北陸の冬は曇天の暗いイメージだけれど、鍋料理や美味しいものがあれば、乗り越えられる。基本食いしん坊なのだ。


ふぐは食いたし

2012-12-22 | 料理

新日本紀行で「ふぐ」の放映をしていた。何といっても、下関のふぐ。ぼたんもり。ふぐをひく技に、代々伝わる二枚切り、薄く開いて花が咲く。また、さばく包丁は特別でなくてはならない。フグのイノシン酸と、昆布のグルタミン酸の相乗効果。

セリをするときに「袋ゼリ」と言って特別なセリの仕方をする。仲買人とセリ人が袋の中で手の指を握って値が決まる。セリ値を競い合って高値がでないようにするらしい。

そして何といってもテトドロトキシン。豊臣秀吉が戦力を失うということで禁止令を出した。そんな中から落語「ふぐ鍋」が生まれた。庶民たちはひそかに食べていた。竜馬たちも食べていた。伊藤博文が解禁したという。

石川の美川のふぐの子漬けも紹介された。これも、珍味である。解毒発酵するメカニズムが今も解明されていないという。

刺身、鍋、ふぐのひれ酒、おじやで仕上げ。加えて、フグ刺しの脇役のポン酢を手作りしているところ。脇役の安岡ねぎの選別。下関の徹底したフグ料理へのこだわり。何度も旨そうな映像を見ている間に、どうしても食したくなった。

だんなと二人で盛り上がったが、下関へ行くには遠すぎる。金沢まで行かなくてはならないのも、今の状態では二の足を踏む。おまけに、最近はノロだとか、マイコプラズマだとか。ふぐの毒よりも、環境の毒のほうがこわい。

ああ、フグは食いたし、命は惜しし。


国民年金第3号被保険者

2012-12-21 | 暮らし

退職後、いろいろな手続きが済んで、いよいよ通帳からお金が減る一方の生活が始まる。今までは忙しくて洋服を買う時間もなかったのに、今からお金が入らないのに、物を買う時間が増えるという生活になる。欲望を抑えるか、脇目も振らずに家事にいそしむか。

わたしが働いているとき、かねがね思っていた。サラリーマンの妻は「国民年金第3号被保険者」という名目で、働かずに、年金をかけもせずに、将来年金がもらえるシステムを不公平だと思っていた。なぜなら、商売をしている人の奥さんは国民年金をかけているのに、サラリーマンの奥さんはなぜ?と、疑問だった、にも関わらず、今自分が主人の扶養になって、第3号という名のもとに、健康保険料も、国民年金もかけなくてよいというシステムも悪くないねと全くもって自分勝手な気持である。働きたくても働けない状況もあるなあとか考えた。

でも、本妻なのにいきなり3号とは?2号はだれ?

渋柿を干すと甘くなる。しかし、何もしないでおいでもうまみはでない。皮をむき手をかけなくてはならない。人生も手がかかるものだ。今の政治では、ほんとうに甘い老後はないかもしれないが。

 


プラセボ効果

2012-12-21 | 暮らし

プラセボ効果とは、医学的効果がないものでも、何らかの治療的効果が見られた場合をいう。例えば、ビタミン剤を痛み止めですと言って服用したら、痛みがなくなったとかいうときである。

逆に、医学的に効果的でも、自身が信用しないと、十分な効果が現われないということがあるかもしれない。それは、残念なことである。せっかく高い治療費を支払いながら、疑問をもったり、不安を抱えていてはならない。

プラセボ効果とは違うが、前にストレッチ体操の講演会に出席したときに、心理的な効果を得る実験をしたことがあった。ただ立っているとき、他の人に押してもらうと、身体はぐらつき倒れてしまうが、足の裏3点を意識すると、倒れるどころか、脇を持って持ち上げようとしても動かない。これは、弓を引くときの胴造に役立つのではないかと、一時期考えてやってみた。丹田を意識するということも、そこに丹田というものが存在するわけではないが、意識をもっていく。今、わたしの丹田はどこへ行ったのだ状態。ゴム弓を引くときも、足がずれている。「5歳ほど齢を取った気がする。」というと、横で「10才だろう。」と言いたそうにしている身近な他人がいる。

脳の働きがおもしろい。脳内の麻薬様物質が関与しているという。自分で思い込みをするとプラセボ効果が働くのだ。では、自分を吉永小百合だと思うことはよいことなのか?

 

 


闘う精神

2012-12-18 | 弓道

「月刊 弓道」の、11月号12月号に岡崎先生の記事があり、その中で、なかなか厳しいことが書かれていた。それは、日頃のわたしの弓道に対する甘さを、しっかり指摘されているような気がした。

「弓は必殺の射でなくてはならない」、ただ的に向かって中っただけでは弓道ではない。「飛、中、貫」の特に貫通力が大事といわれる。現在のスポーツとしての弓道では、その必要性を問われない。どちらかというと中たり重視である。もちろん、矢勢の鋭い矢は見ていてため息がでる。しかし、弱い弓を趣味でふわふわ引いて、放物線を描いて中てるような、わたしにとっての弓は何だろうと考えた。

そこで、岡崎先生の12月号に答えがあった気がした。

逃げることも臆することも、翻って驕ることも偉ぶることもなく、ただ困難に立ち向かい闘う精神を培うこと。そして、弓道は武道であり、武道は対峙するもの。対峙は、的に対してではなく、自分自身であること。

今の状況の中で、完全に戦意喪失状態だった。退院後に小松まで週2回血液検査に行くが、退院直後はその帰りが辛い。運転の途中で眠くなってしまうのだ。病院ですっかり体力を奪われた挙句のお出かけ。サンクスで美味しいコーヒーを買い求め、一息ついてから運転する。特に、3回目からきついですよという先生の言葉通り、副作用が出始めて、指先がしびれてきている。そのせいで、物をつかみ損ねて落とす傾向が出てきた。先日、デジカメを落としてしまったら、レンズ部分が引っ込まなくなって、それっきりになってしまった。足の親指は、ついているだけの感覚で、なんだかおかしい。丸いものが足先にある感じ。

常々、理不尽な治療だと思っているので、何に対して自分が闘っているのだか、腑に落ちなくなる。残りの2回が、済んでしまった4回よりも重い感じで押し寄せてくる。気楽に、笑って、という作戦も底を付いてきた。どうしても、このままの状態をよしとしていない自分がいる。あ、これが闘志なんではないか。へこたれていることが、すごく嫌なんではないか。

体力の落ちたこととは反対に、精神的に闘志がわいてくるのを感じた。もしかしたら、闘いたいというのは、人の欲求のひとつかとも思えた。誰とではなく、自分自身に対して。そのことが、弓道精神ではないか。


和食薬膳レシピ

2012-12-15 | 料理

「和食薬膳レシピ」という本に、食は薬なり、日本人が昔から食べている和食そのものが、薬膳なんです。とい書かれていて、五臓六腑の働きを補う、五味があるという話をしていた。

孫が聞いていたので、食べ物はどんな味がするかなあと言うと、「すっぱい。甘い、辛い。」と、あげていく。苦いのもあるね。塩辛いのもあるね。と、出尽くしたところで、4歳のkenが、「美味しい味。まずい味」と、つけたした。なるほど。

ちなみに、身体を冷やす食材は、きゅうりやトマト、なすなどがあり、夏に採れる。当然ながら季節のものが身体にいいというのは、その時々の食物は、その時の身体を守るのであり、意味がある。季節外れのものを無理に食べなくてよいのだ。

それにしても、病院食は辛い。価格も安いので仕方がないが、本日、4回目の治療を終えて家へ帰った。12月11日に入院し、4日間という短い間に、食欲がすっかりなくなる。ブログは予約でアップしておいたので、戻ったら暖かいコメントが嬉しかった。

残りの治療は2回となる。途中経過もよく、順調。他の人より元気そうで、なによりですねと女医さんより言われた。入院中、編み物と読書三昧。

主人も同時期に入院していて、本日久々にご対面。留守中の姑に礼を述べ、半分呆けた舅に退院の旨を伝えると、また病名を聞いてきた。がっくり。

娘ふたりが、主人とわたしを別々に迎えに来てくれて、とにかくみんなに世話になり、孫の顔も久々に見れて、感謝感謝。


ランドセルコンプレックス

2012-12-12 | 暮らし

1年生になる孫のランドセルが届いた。箱には「運送会社様へのお願い」が書いてある。宅急便の人が、「ランドセルです」と、届けてくれた訳は大切に運んでくださいとお願いしてあるからだ。中を開けても開けても、念入りな包装で、気持ちがどんどん昂ぶっていく。興奮がピークに達したときに、マンガチックなランドセルが現われて、「えっ?」と思わせ、カバーを取ると本来の真っ黒に光ったランドセルが登場する。わくわく、どきどきする。なんてことするんですか土屋さん。(メーカーさんの名前)やってくれます。

わたしの両親は、東京でせんべい屋を営んでいた。わたしは、社長令嬢として大切に育てられた。とはいえ、社長である父がせんべいを焼き、配達し、母は手伝っていたので、家内工業である。が、一応会社であった。しかし、父が腎臓病になったために、父の里である加賀市へ来たのだ。そのとき、ちょうど一年生になるわたしに合わせて引き揚げてきたのである。

祖父は、見目麗しい小さなわたしに、ランドセルを買ってくれた。学校まで5キロで、バス通学であるが、バス停までが遠いのだ。バス停まで30分ほど歩かなくてはならない。今も小さいが、その頃のわたしは、クラスで一番小さくて、祖父は軽いランドセルを買ってくれた。

残念ながら、これがひどかった。友達のランドセルは、椅子に掛けるとふっくらとしているのに、わたしのは、三角の形でぺちゃんこなのである。軽いのはボール紙の上に、ビニル貼りしてあるからだ。雨にも天気にも負けるのである。小学校3年になったら、このランドセルは壊れてしまった。そこで、新しいランドセルを買わなかったのは、3年生だからだった。新しいランドセルは一年生が持つものだからだ。その時から、肩から掛けるカバンにした。両手があくランドセルは楽なのに、斜に構えて歩きだし、幼くして遠い道を通い、わたしの人生の苦労はここから始まったといっても過言ではない。過言か。

ランドセルは雨にも天気にも負けたが、わたしはたくましかった。この後の人生を何とか乗り切ったのは、美しさと逞しさに他ならない。物事をまっすぐに見られないのは、幼い頃から斜めに構えていたからか。

何はともあれ、子や孫には最高のランドセルをと思う。


昔話の魅力

2012-12-11 | 読書

大人になっても面白い昔話。子供のころ聞いたはずなのに、改めて面白いと思う。

この本には江戸時代からの絵が紹介されていて、改めて真意や深いところ、不思議な感覚がわいてくる。

そして、突っ込みもしたくなる。

異常な生誕をした、桃太郎ーーおばあさんの包丁の刃先が入る前に、桃が割れたのか、包丁の刃は食い込んだのか、ここで桃太郎が血を流して生まれたらやばい。

かぐや姫ーー桃太郎と同様、おじいさんはうまく竹を切ったけれど、疑問が残る。お爺さんは竹が光っているのを、小判が光って竹の節の間にあると思わなかったか。まさか、姫がそこにいるとは。

舌切り雀のおばあさんは、おじいさんと夫婦なのに、なぜ悪いおばあさんと呼ばれるのか。のりを舐めた雀をおじいさんはなぜ異様に可愛がっていたのか?洗濯用の糊を全部舐めたら怒るでしょ。これって、雀ってもしかして、若い女ではないか。

かちかち山のたぬきは、なんだかかわいそうになってくる。背中を焼かれて、とうがらしを塗られて、あんまりな仕打ちに、子供たちにはどう説明すればよいのか。

浦島太郎などは、亀に竜宮まで乗せてもらっている間、酸素ボンベは必要なかったのか。息苦しい。で、乙姫様は、なぜ浦島太郎は悪いことをしたわけではないのに、玉手箱を渡したのか。時を忘れるほど竜宮にいた浦島太郎は、何か悪いことを乙姫にしたのか。

突っ込んではいけない。しかし、勧善懲悪なら辻褄が合わないではないか。

でも、子供のころわくわくした。童話や昔話は、なぜか引き込まれる。細かい辻褄などどうでもよいのである。

その話の流れと、登場する人物や動物に魅力があるんだろうと思う。

一寸法師は、打ち出の小づちで大きくなるとき、どうして服まで大きくなるのか?


保育園発表会

2012-12-09 | 暮らし

桃太郎になるんだってすごい。主人公じゃん。4人いるんだって。うわあ、シンバルかっこいいじゃん。この前、テレビでマーチングバンドをしていて、シンバルが大変かっこよかった。その様子がかぶってしまう。

とにかく、親ばか、爺婆ばかなのである。自分の孫の姿しか目に入らない。この可愛い姿が、いつかむさくるしいおっさんになるとは考えにくい。

ましてや、91歳のおじじになるなど考えにくい。けれど、みんな昔は愛らしかったのだ。

ついに、誕生日を迎えたうちの舅は、「今日誕生日やよ」と、言うと「89歳か」と、言った。ケアマネージャーさんにも、89歳と言っていたので、そのあと何度か訂正したら「91か、長生きしたもんや」と、言っていたが、徒労に終わった。やはり、89歳に逆戻りしている。

12月7日が、わたしの誕生日で、9日が爺さんで、10日が婆さんである。嫁に来て、ン十年繰り返してきたのに、ここへきて爺さん。「ほう、12月誕生日か?」と、初めて聞いたように言う。

まあ、いいか。とにかく、土曜の発表会のかわいい孫の写真を眺めていよう。彼らがおっさんになる前に、こっちがお婆になるのだ。爺さんの心配より、自分と配偶者の心配をしたほうがよいかも。