まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

おとぼけ家族のプチ遭難 最終回

2008-10-30 | 事件簿
小松の滝が原から塔尾までどうやって帰るか。
歩きたくない3人である。
例え歩く余力があっても、道路を不審な姿の親子が歩いているのを客観的に眺めると、決心がつかない。
こういうときに限って知り合いに見られたりするのだ。
しかし、誰に助けに来てもらうか。

互いに、親しい友達の名をあげた。
しかし、このおとぼけな状況をあからさまに出来る相手で、貴重な休日をつぶして、迎えに来てくれそうなのは、やはり家族以外にはいない。

第一候補は、なんといってもおとぼけのDNAの元である実家の父だ。
しかし、何回電話しても出ない。
自分達の不始末を棚に上げて「この緊急時にどこへ行っているのだ・・」と、やきもきする。

ついに、出産で帰って来ているもうひとりの娘に電話して婿殿に来てもらうことになった。
娘は家族のあほさ加減を暴露しなければならないことに呆れていたが、産後の身の上で動けないので、仕方なく助っ人を頼んでくれた。
彼が来るまで、わたし達はなけなしのお金をはたいて、自販機の飲み物を買ってアスファルトに腰を下ろし、タオルで頭を隠して、「遭難者」から「救助を待つ遭難者」という余裕が出てきた。
互いに冗談を言い合い、反省をし、次回は滝が原から登ろうとリベンジを決心した。

正午のサイレンと共にやってきた婿殿。あたかも救助車がサイレンを鳴らしてきたようなタイミングだった。
車に乗り込むと婿殿は娘に電話した。
「ただ今、無事救出しました。」
後で、婿殿にガソリン代と称してお礼に1万円を渡した。
「いやそんなん、いいっすよー」と言いつつ
「オムツのひとつも買えるから」と言うと、口では断りつつ手は福沢諭吉をつかんでいた。
手は口ほどにものを言う。

この後、おとぼけぶりはまだあった。
家へ帰ったが、塔尾にわたしの車があることを思い出す。
旦那とふたりで取りに行く。
そして、夜の反省会では頂上を到達していないことに気づく。
獅子岩で少し遊んで下山したので、そこが後ろ山と言うところで、もうひとつの頂上へは行っていないのだ。
リックも持たずに行った事も反省のひとつで、後日、リックと杖を購入した。
それだけで、次回の目標の半分を達成した気になっている危ない夫婦に、月日だけは容赦なく過ぎて、あれから2年も経ってしまった。

そして、これを書くのに二週間もかかってしまった。
その間にも、新たな事件は起き続ける。






おとぼけ家族のプチ遭難 続編

2008-10-24 | 事件簿
鉄塔を目安に降りていったが、そこは登ったとき休憩した鉄塔とは全く違うところだった。鉄塔は同じ形だがあたりの景色が違うことは誰にも分かった。

終始前進という方針を変えないリーダーに対しいつもならここで、軽いギャグをかますところだ。
「これがほんとの鉄塔徹尾(徹頭徹尾)」と、浮かんだが、状況が悪いので黙っていた。
はるか向こうにも鉄塔がある。そこへ行くには一山超えなくてはならないように思う。
仕方なくやみくもに降りるしかない。
誰ももと来た道へ戻ろうとは言わないし、ここへきてリーダーが誰であるか分からないし、わたしも自分の意見に自信が持てないので、皆と黙々歩くしかない。

誰だこの前登ったし・・と言っていたのは、誰だ小学生の遠足と言っていたのは・・と、心の中では罵倒していたが、しかし、ここで誰をも責められない。
「朝出発でよかったんね。夕方やったら道も見えんし完璧な遭難やわ」
と、励ましたつもりがこの状況では嫌味に聞こえる。
どこへ行っていいのか分からないというのは不安だ。疲れ方も倍増する。
「太陽があっちにあるということは、あっちが海側で、もしかしたら小松に出るかもしれんね」と、思いつきだけを頼りに歩く。
登っているのか降りているのか分からないだらだらとでこぼこの高さが続く。

川の音が聞こえる。
「水の流れに沿って行けば降りられるやろ」と、これまで無口だった旦那がリーダー然としてきた。水は下へ流れるものだ。
そんなの当たり前だろうと思ったが、娘の前でも旦那は立てなくてはならない。
いらぬことを口走らないようにするこの心豊かなわたし。
しかし本来、山で遭難したら谷へ降りるのは危険らしい。

ようやく砂利道が見えてきて、タイヤの後があるのを見た時、小躍りするほど嬉しかった。おまけに、登山の格好をした中年の夫婦らしい人に会う。
この状況で人に会うというのは、何よりほっとする。
ここで熊に会ったら、互いに罵り合いながら逃げるだろう。
その人たちは、杖を持っていて、足にも脚絆のようなものを巻いてる。
もちろん登山靴だ。
「おはようございます」と、挨拶されあまりの自分達のみすぼらしい軽装にちょっと恥ずかしい気がした。
おまけに、今遭難しかけたというふうを見せないように、にこにこ笑って答えた。

しかし、そこは小松の滝が原だ。問題はここからだ。
もう一度登って塔尾へ降りるか、小松から県道を通って山代まで帰るか。
民家のある所まで来て一度腰を下ろすと、もうぐったりだ。

さあどうする。

つづく・・

遭難事件

2008-10-21 | 暮らし
自分のプチ遭難の前に、今朝のニュースで、ひ孫と一緒に山に入って行方不明になったおじいさんと、女の子が救出され、他人事ながら嬉しかった。
なんといっても、歩いているときのあの不安は当事者にしかわからない。

本当に良かったと思う。
そして、海も山もほんとに怖いのである。
人間も怖いし、生きていくのが本当につらい。

気の弱いわたしは、生きることの辛さを受け止めるすべがない。
考えた挙句、美味しいものを食べビールを飲んで
ひたすら辛いことを忘れることにした。

客先からの注文も忘れがちである。
失敗も忘れるので、同じ失敗をしてしまう。
こういうのを雇っている会社の方が怖がっているかもしれない。

おとぼけ家族のプチ遭難

2008-10-17 | 事件簿
ゆうべ雪山で遭難した夢を見た。
上も下も真っ白で、谷に降りては危ないが、見上げても尾根らしいものが遥かかなたのようで、ただただ白い壁が迫っていて怖かった。
寝ていて足が寒かったのだろうか。

目覚めて思い出した。
2年前のプチ遭難事件。誰にも語りたくないおとぼけ我が家である。

なぜか山に登りたいという意見で、珍しくだんなと娘とわたしの意見が一致した。
そもそも、年頃の娘とむさいおっさんが合意するという珍しいことが不吉な予感の始まりだったとは、この時は思いもしなかった。
少し前に会社の行事で登ったという娘。
「小学生の遠足で登ったし、お前にちょうどいいやろ」と、
わたしの知力と体力をおもんばかるだんなの優しいお言葉。
それで、わたしはぼおっとついていくだけで良いので楽である。
身なりはハイキング気分、チノパンとTシャツにカーディガン、軍手、タオル。
飲み物はペットボトル各自1本ずつを娘のリックにまとめて入れた。

スリリングな登り口ということで、塔尾(とのお)新道から登ることにした。
沢の横の急斜面を登る。天気は最高。順調に登り、途中で北電の鉄塔のところでお茶を飲んで、これを機会に次々と高い山にチャレンジするのもよいねと話し合っていた。
頂上には予想外に早く着いた。
ここまでは絵に書いたような円満なほのぼの家族である。
周りの景色に見とれ、あちこちうろうろした後、降りる。
降りる道は3方ある。どれだっけ。
「たぶんこっちやと思う」という娘に従う。

登りと同じく旦那が先頭だ。
娘は午後に友達と会うので、8時に登って降りれば遅くとも11時には帰宅できる予定でいた。
朝早いせいか全く人に会わなかった。
あるいは、多くの人は滝が原から登るのだろう。
旦那が分岐点で枝を結び付けてあるところをくぐった。
最後尾のわたしは不思議に思った。
登るときにはこんな枝のアーチはくぐらなかった筈だ。
学歴はないが賢さで旦那に勝るわたしは自信を持って言った。
「なんか違う気がするぅ・・」
「じゃあどっちへ行くのだ?」と、言うことになったら自信などない。
自信満々のふたりには、反論できなかった。

そして、うつむいて疑惑を胸に歩くわたしの目に飛び込んできたのはライターだ。
拾って先頭の旦那に声をかけた。
「おとうさん、ライター落とした?」
「わしのじゃない」
その時、不吉な予感は決定的になった。
まるで旦那の浮気に気づいたときにおきるような、どうか間違いが間違いであってほしいと願うような。いやな予感だ。
幸い、そういう場面に合うこともなく過ごした円満夫婦に疑似体験を迫る山の神様のいたずらか。
登るときに斜面をうつむいて登っていたので、ライターの落し物があれば気づくはず。
おまけに、誰にも会っていないのだ。違う道を歩いていることは確かだ。
主張したが聞き入れられなかった。
日頃のミステリーの読みすぎと思われたか。

とにかく北電の鉄塔をめざそう。登るときに休んだところなので分かるだろう。
しかし、鉄塔はあちこちにある。
到着したところは全く違う鉄塔だ。

とうとう迷ったことを確信した。
こういうときは、戻って上から見て行く先を修正すべきだが、戻る気がしない。
わたし達家族にあるのは、決断ではなく優柔不断だった。

つづく・・・



パパとばば

2008-10-14 | 暮らし


「゜」と「゛」の違いだが、全然違うのである。
2子の出産のために帰ってきている娘と2歳の孫。
その孫のかわいいことと言ったら言葉もさることながら「ばあばーなにしてんの」と、まとわり着いてくると嬉しくて仕方がない。
しかし、こんなに世話していても、当然ながら親にはかなわない。

今朝、保育所に送っていったら、玄関先で運動会の写真を見つけた。
「ばば、これなんや」「運動会の写真やね」
「あっ。パパと○○だっ。これもっ。」
遠距離で9/30の運動会以来会っていないパパ。
わたしは、沢山の写真の掲示を漠然と見ていたが、彼は瞬時に自分とパパを見つけた。そして、動こうとしない。
保育士さんが玄関まで迎えに出ても「いやんの」と動かない。
パパの写真に釘付けだ。
わたしに「パパとポニョしたのねー」と、説明する。
産後のママは見学で、大きなパパが親子競技もフォークダンスにも出て奮戦していたのだ。

運動会以来、親子で競技したポニョのかぶりものを片時も手放さないのは、ポニョが気に入ったからと思っていたが、もしかしてパパとのひと時を思い出すので手放さないのかもしれない。



どんなに金と愛情をそそいでも、親に勝るものはない。

しかし、お金をそそいでくれる祖父母なら何人もほしい。

ノーベル賞につづけ

2008-10-09 | 暮らし
基礎研究は一見、何の役にも立ちそうにないが、後になって思わぬ成果を生む。
あるいは、いろいろなところでひらめくことの大切さ。
また、ひらめいたことを寝かせて、練っていくこと。
とにかく、只者ではないノーベル賞が続々出るというのは嬉しいニュースだ。
良いことは取り入れなくてはならない。

わたしも、枕元でひらめいたことを寝かして練ってみようと思ったが、
アイデアを寝かす前に、自分が寝てしまって、なかなか前へ進まない。
わたしも、若い頃は自分がただ者ではないと自負していたが、このところ「ただ飲もう」という言葉が体中に蔓延してきた。
「のーめる賞」だわと、言ったとき、主人がわたしとの結婚を後悔したに違いない様子が見て取れた。
食卓椅子に頭を乗せてのけぞっているのだ。
よくみると過剰な飲酒のせいで彼は寝ていたのだった。

お互いに、ノーベル賞とは程遠いところにいることを自覚した。
だから、賞を取る人はすばらしいのだ。


おそろし第2弾

2008-10-06 | 暮らし
「消された年金」は、組織ぐるみの仕業の疑いが濃い。それなら、今度は組織ぐるみの隠ぺい工作が心配になる。記録改ざんが露見すれば、処分が待つ。処分を恐れて職員は口をつぐみ、上司は知らぬ顔を決め込みはしないか。社保庁にどこまで「性善説」が通用するだろう

北国新聞の時鐘である。
偽装うなぎ、汚染米・・でるわでるわおそろし話。
しかし、何が一番おそろしいって、みんなの金を握って思うように操り、真面目な風を装っている輩たち。
「堅いところへお勤めで、はぁ。」
いやいや、みんなの口に入るものを平気で売りながら、自分は食べないというおっさん。どちらも怖い。

ほんとにおそろしいのは、妖怪や怨霊ではなく、人間である。
そう思うと、わたしのぼけぼけ妖怪も可愛いものである。
可愛いものを持っている者は可愛いのである。

そういえば、政治家に可愛い人はいない。

おおぼけこぼけ

2008-10-02 | 事件簿
小さなぼけをかますことが多くなった。
それを事件というにはあまりにも些細なことではあるが、
それを日常の暮らしの中から外したいという小さな抵抗がある。

電話電卓
電話の前に電卓を置いてあった。
営業に電話しようと受話器を持ち上げて、一所懸命電卓の数字をたたいていた。
あ、かからんわ。

卵の損
家族が増えて、卵も一度に6つ割ろうとすると調子づいてくる。
最後の一個。ゴミのほうに中身を落として、殻をボールに入れた。

受話器で一服
「現場100回」刑事ではないが、頼みごとで製造へ出向いて
さんざ嫌味を言われながらも、最終的にお願いを聞き届けてもらう。
やれやれコーヒーでも飲もう。
と、カップを持つつもりが、受話器を持ち上げていた。