まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

景色が変わる

2018-02-27 | 山歩き

山へ行くたびに思うのは、何回か登った山でも毎回景色が違うので、全く同じ山という気がしない。雪が降れば様子も違うし、春が来れば花が違う。行き慣れた道も少しずつ削られたり、誰かが整備したり。

朝登るときに、帽子をかぶっていたが、耳が寒かった。やっぱり毛糸の帽子が良かったかなあと耳まで深くかぶって登った。

普段の生活から切り離されて登ったものの、帰りの登山道で、実家の母のケアマネさんから連絡があって、デイサービスの話となった。大事な話なのだが、一挙に現実に返る。明日は病院へ母を連れて行き、父を見舞い、ケアマネと話をしなくてはならない。

さて、下山して滝ケ原の町中に入るところに「TAKIGAHARA CAFE」と、いうのを見つけた。お腹がすいていたので、何か食べられないかと車を止めてみたら、生憎閉まっていて、3月にならないと開かない様子。

ガラス越しに中を見るわたしは、不審者と思われそうだ。今度、登山の帰りに寄ってみたい。楽しみが増えた。けれど、こういうところは友達と一緒の方が楽しそうだ。

アッと言う間に今年も2月が終わり、期末を迎える。弓道の仕事が残っていて焦る。ブログで何かを書くのは楽しいが、広報に茶化したことも書けず、書いた後に読み直したくないような文章もどうかなと思いつつ誰もが思うようなことしか書けなかった。

オリンピックで、一番印象に残ったのは、何をかくそうセカオワの「サザンカ」なのである。山に一人で登るとき、さびの部分を歌う。歌は雪に溶けていく。わたしの脳も少し溶けかかってきたかも。


長靴登山再び

2018-02-26 | 山歩き

ようやく山へ登れる天気となった。いざ行かん。と、思いつつ7時まで寝ていた。いかん、一日が短くなる。

朝ご飯を終えて、チョコレートと紅茶とアンパンを持って出かけた。昨年の2月に初めて登ってから1年経った。雪で道は開いていないので登山口まで30分歩かなくてはならないとの情報。雪が深いので長靴の方が良いという。難しければ戻ろう。車を道に寄せて山を仰ぐ。遠いなあ。

このところ雪かきで、日に1万5千歩から多い日は2万歩歩いていたが、山を登るのは久しぶり。山を歩くといろんな意味でリセットできる。ここから歩く。

どこまで続く・・でも、除雪が少しずつ進んでいる。

西ノ谷コースで行こうと思っていたのに、カンジキの後が歩きやすいのでその上を歩いていたら、行者岩コースに向かっていた。このカンジキ後で登って行こうか。谷歩きは夏なら涼しいが、なんか暗い。おまけに、何歩か歩くたびに膝上まで沈む。川の上に雪庇のように雪が覆いかぶさっている。だんだん川沿いの雪道は狭くなって、谷に落ちそうで怖い。木が折れて行く手を阻んでいたりする。

どこまでが道で、どこからが崖なのか、人の足跡は信用できるのか。時折、雪が崩れていて水が流れている。沈んだり滑ったりが怖い。

戻ることに決めて、一休み。ひとりだとこういう時、楽である。夏は持ち歩けないチョコレートと、熱い紅茶を飲む。山で飲む紅茶は家で飲むより旨い。そして、元気が出たところで戻って、再び「西ノ谷コース」から登ることにした。ロスタイム1時間。登り返す気力が出た。

誰とも出会わない山は安全第一で行かなければ。尾根の方が見晴らしが良くていい。しかし、アイゼンが必要だなあとつくづく思った。朝の雪は固くて良いが、だんだん緩んで沈むので穴だらけだ。

舟見平では、鞍掛山を愛する会の方が除雪していた。ベンチを掘り出してくれていた。靴の話をして少し休んだ。誰かソリのように登山道を滑り降りたらしく、滑って登りにくいと言われた。

1時間半かかって頂上へ。万歳。標識が首まで埋まっている。

方位盤も埋もれている。頂上を独り占めして、白山と対峙しながらの、あんパンと紅茶は格別である。

帰りには舟見平のベンチの周りはすっかり除雪されていた。

途中ロープは雪に埋もれて使えず、長靴は滑るので、急斜面では腰を落として長靴をスキーのようにして滑り降りた。転んでも尻もちをつくだけだ。これが意外と早くて安全。

50分で下りて、20分歩いて車に戻り、今日も安全登山に感謝。 


おめでとう!!女性アスリートたち。

2018-02-25 | 暮らし

カーリング女子は日本中を沸かせたと思う。日本中の人とコンタクトしたわけではないがそう思う。

この銅は勝ち取った銅メダルだと思う。よくも長丁場を闘い抜いた。

最後にイギリスのストーンが勢いよくぶつかってきて、ああっつ!と、思ったら黄色がナンバーワンになって・・と、いつの間にかルールも覚えてきて一体となって応援していた。会ったこともないのに、良かったねえと言ってもらい泣きしてしまった。「そだねージャパン」万歳。

同時に、高木菜那のマススタートでの金。小柄な体格をカバーするために、全身を使って大きく滑るよう、自分の滑りを突き詰めた。わたしは小柄な選手をつい肩入れする。大きい人と、小さい人が競っていると、つい小さい人を応援するのは、自分が小さいせいもある。

山を歩くと、小学生みたいなので歩幅の点で不利だと思ったりした。しかし、不利なことを数えてはいけない。小さいと熊に出遭った時に大きい人の後ろに隠れられる。

弓道の場合は、弓の握りが手が小さい事で難しい気もするが、さして不利なことはない。アピール度には大柄な人より弱いけれど、弓道は体格の大きさより度量の大きさの方が問題である。根性が小さい。

さて、今回は女性の活躍、特にアイスリンクでの活躍が多い。節句の日が近づき女性の優しさと逞しさを思う。

 

 


金メダル万歳!!

2018-02-17 | 暮らし

羽生選手の息を飲むような見事な滑りに、なかなかTVから離れられない。

カーリングの美女アスリートと呼ばれる女子チーム。みんな元気に声をかけあって、目が離せない。「そだね。」「うん、そだね。」「やってみよう」って声が聞こえてくる。タイムではコーチが英語でべらべら指示して、みんな「うん」って、うなづいている。全部聞こえるので、自分も参加しているような気分で、引き込まれている。

終始日本チームはにこやかで、OARは険しい顔になってきた。ショットも正確で・・。藤沢選手は上着を着ているが、どうして他のみんなは氷の上で半袖なのだろう。どうでもよいことに疑問が。

プレッシャーとは、皆の期待と自分の力の差で起こるという。なので、羽生選手や宇野選手には、ギャップというのがないのではないか。自分の演技をきっちりやり遂げるという、気持ちの強さが勝利につながる。

と、いうことは、わたしなどは試合でプレッシャーを感じるという事はない訳だ。別に誰も期待していないから。そうなると、やりきる!という強い気持ちだけを持って臨めばよいわけだ。しかし、やりきるというには、それだけの技量を持ち合わせていないと、何をやりきるのさ?って、ことになる。

2月の初めに弓道の女子講習会があって、懇親会で講師のI先生に、みんなの前で誓わせられた。「女子部長!みんなの前で誓って・・」と。何を誓ったか。その前に先生との話の中で、京都の審査で束ったのにダメだった原因は、一般的に掲げられる「深い会」「弓が回らない」「体配の未熟さ」を、挙げていたら、出来ないことを数えないことと指摘された。そうだった。ダメだった原因ではなく、言い訳のように聞こえるその言葉は何も生まない。何をするか!どうしたいか!を、追及しなくてはならないことに気付いた。それに気づくのに何年費やしたのか。これでは、お手上げだ。金メダル万歳!と、お手上げでは比べるまでもない。

 


華麗なるフィギュアスケート

2018-02-16 | 暮らし

ピョンチャンで、スピードスケートに驚き、ノルディックでライバルと紳士的な競争をした渡部選手に感心し、羽生選手、宇野選手の華麗な演技にため息をついた。

アメリカでは、そんなオリンピックをよそに、野放しの銃での悲劇が繰り広げられ、先日、日本の国会では「完全で不可逆的な非核化・・」と、滑舌の悪い総理大臣が、難しい言葉を使っていた。なんじゃらほい。忖度したり、不可逆的と言ったり、わたしの頭では理解できない。

今朝の新聞に、「8才の少女がトランプ大統領に銃の悲劇を手紙で訴えた。」と、あった。トランプ氏の答えは、「米国民を守り、国の安全を向上させるため力を傾注し続ける」とのこと。一体どうやって守るのかを問う手紙を再び書いたそうだ。

中途半端な言葉でぬるりとかわすのは、どこの国のトップも同じなのだろうか。

北朝と韓国の大統領はどんな思いでオリンピックを観ているのか。

心の底から、選手の頑張りを称え、応援することが出来るわたしたちは幸せなのだと思う。けれど、その幸せの裏で着々と良からぬ方向へ引っ張ろうとしている政治家がいることにも気付かなくてはならない。

それにしても華麗だったフィギュアスケート。しばらくは、オリンピックを楽しもう。難しいことを考えても疲れるだけだ。


久々の白山

2018-02-15 | 白山

曇天の空と、白い砂のようにさらさら降る雪がようやく治まって、白山が浮かび上がった。

父の見舞いに行って、実家の母に特製天ぷらうどんを作ってあげた帰り、車の中から見事な山が見えた。赤信号で慌てて撮ったのでどうなったか分からなかったが、家へ帰って見たら案外良かった。

雪化粧とはよくいったもので、雪が降ると美しい。女性も化粧をすると美しい。化粧をすると王子様がくるだろうか。いや、年は隠せない。

 


春一番

2018-02-14 | 暮らし

立春も過ぎて、春分までの間に吹く強い南風を言うのだそうだが、雪景色に囲まれていると春一番というのが違和感を覚える。とはいえ、久しぶりに太陽を見た。

ついでに言うなら2月14日は、「魚上氷」(うおこおりをいづる)というのだそうだ。

水ぬるむ季節、割れた氷の間から、魚が飛び跳ねる時期ということらしい。

水の中には春が地上より少し早くやってくるのだろう。雪のために、道場へ行けない。山中の月例会も雪の為に中止となった。矢道に積もった雪で、的が見えないことと、駐車場の除雪ができていないためである。

加賀市の月例会も中止になった。室内道場なのになぜかと言えば、駐車場に雪が積もったままで車が入れないのである。3階の屋根雪が、勢いよく下へ落ちてくる。以前、建物近くに止めたうちの車に、屋根雪がドカンと落ちて、車の屋根に直撃したことがある。屋根は凹んでしまった。他の人の車は、フロントガラスが割れた。そういうことで、その危険を避けるために中止となった。

これで、女子講習会の後、全く弓を引いていない。オリンピックを観ていると、自分の甘さを感じる。凄いなあと感心するばかりである。川底でうずくまる魚である。


シンデレラ長靴

2018-02-13 | 暮らし

今日も朝からまだ降りやまず。弓道の審査の申し込みを忘れていた。先日、弓友が「審査申し込み出した?」と、言うので、あ、そうだった。2月9日の名古屋の申し込みをしてあったが大雪のために断念しそのまま忘れていた。5月の申し込みを今しなくてはならないのだ。

急いで申し込み用紙を書いて、協会長の印を貰って、金沢の県連事務局長に送るのだが、どうも郵便事情が悪いようで、速達にしても変わらないだろうと郵便局員の話。ですよね。雪の具合は誰のせいでもないのだし。

ガソリン不足は解消し、灯油を入れに行って、途中、田んぼの中に車のバンパーを見つけた。病院の前には車のタイヤが落ちていた。雪の事故はあちこちで起きていて怖い。なるべく出かけないようにと思うが、必需品を買いに出かけなくてはならない。仕事へも行かなくてはならない。

長靴がない。平和堂にもイオンにもなかったが、スノーダンプを探しついでに寄った量販店のかたすみで、ついに見つけた。たった一足だった。あとは、黒い長靴と、調理場用の白い長靴しかなかった。深緑の長靴は、なぜ残っていたのかというと、サイズが小さい。22㎝だ。普段は23㎝だが、なぜか足を入れたらすっぽり入った。厚めの靴下を履いたらダメかもしれないが、背に腹は代えられない。

ガラスの小さな靴が合ったシンデレラの境地だ。しかし、王子さまは現れない。大爺さまは居るが。早く会いに行かなくては。長靴を履いて。

ちなみに、お気に入りの前の長靴は、横が切れたので似た色のガムテープを貼った。カッパズボンを履いたら分からないかも。こちらは、履き心地は最高なのである。


生きること

2018-02-12 | 暮らし

雪で身動きが出来なくなって、父の見舞いに行けない状態だった。

父は志願兵となって戦争へ行って、終戦後商売をして、腎臓病になって田舎へ帰って、余生はのんびりと母と過ごしたが、今はベットに寝たままで。それでも、一生懸命生きてきたのだからいい方と言えばいい方なのだろう。充分長生きもした。人の手を借りなくては生きられないというのは、大変だけれど、元気な者でも人の手や支えがいるというもの。

何のためなどという、意味や形式を与えなくてはならない生き方などない。

いずれは死んでいくために、精一杯生きるというのも考えようによっては辛いかもしれないが、忙しく日々を暮らすことが出来ることは、最大の幸せである。

雪は今晩も積もるらしい。毎日雪かきをしながら、人生も同じように繰り返し繰り返し暮らしながら、なにかを残せる訳でもなく、徒労のように終わるのかもしれない。しかし、その一つ一つの動作の中に幸せがあるのかもしれない。仕事のできる喜び。人と語る喜び。大丈夫?と、声をかけあう喜び。

今日も無事で感謝、感謝。


冬季オリンピック

2018-02-11 | 暮らし

冬のオリンピックはスリリングな競技が多い。どの競技も一歩間違うと骨折や、内臓破裂になりそうで怖い。リュージュなども凄いスピードだし、ハーフパイプもハラハラするし、スケルトンも、モーグルも。ホッとするのは、カーリングかもしれない。でも、なかなか難しそうな神経戦のところもハラハラする。

それにしても、フィギュアスケートは、どうしてあの下着のようなスタイルなのか?華麗で美しいからか?荒川静香の金メダルの時の衣装はこんなではなかったような。でも、最近のはびっくりな肌と間違うような布に胸の所だけ色があるみたいな・・。しかし、半ズボンやスピードスケートのようなスタイルで、フィギュアスケートをやったらやはり興ざめかも。

高難度が要求されるから、どんどん競技者は上を目指していく。大変なことだ。昔から、同じ的を狙って、あーだこーだと言っているのとはわけが違う。でも、弓道も最後の1本で勝負するときは、緊迫するね。華麗なスタイルで弓を引くことはないので安心だが。

それにしても、聖火を持って階段を上った韓国と北朝鮮の女性は露骨に仲が悪そうだった。難しいのは競技だけではない。

五輪の旗はどこかと思えばOARって、初めはどこ?と、思った。参加することに意義があるというオリンピックも、少し歪んで見える。

どうか、けがをせずに無事に競技を終えますように。金メダルは命がけ。

 


御願神事

2018-02-10 | 暮らし

毎年2月10日、菅生石部神社で竹割祭りがある。今日はその日で、例年にない大雪の中、その神事が行われる。

11時半に門から白装束の若い衆が駆け上がってくる。今年は雪の階段ができて高い位置から観ることができた。いよいよ始まる。あ、のぼっちゃんだ。何年か前は竹を割って、走っていたが、今はサポートする方になった。

時間になったら藁に火がつけられて、竹を割り始める。

大きな竹が全部割られると、次に神社の中にいる大蛇を引き回す。

子ども達は特等席の能楽堂から観ている。わたしたちも小学生の時に学校から観にきたっけ。あれは何年生の頃だろう。その後は、祖母と来たことがある。そして、仕事を辞めてから殿と来た時に、一番いい場所で、御神木に巻きついて両方で引き合い大蛇が千切れるところを観た。

今日は雪の為、正面の石畳のところだけで行われた。

引きあった大蛇が千切れると、神社の下の大聖寺川へ放り込む。ちょうど昼になったので、川を覗かずに帰った。また、誰かが川に飛び込んだのだろうか。

御願の日に雪がないことが多い近年、今年はいい景色で感動的だった。今年も無事でありますように。

 

 


雪害

2018-02-10 | 暮らし

実家は私道の為に除雪はしてもらえないので、〇土石の会社にお願いしてすぐに除雪してもらえてありがたい。久しぶりに実家まで行った。途中、やはりでこぼこの道路にタイヤを取られながら、まるでラリーをしているように車はアップダウンをくりかえす。

実家の前200mくらいは、地面がみえて綺麗になっているが、そこへ行くまでは、取り残された場所となって大変な状態。ようやく到着し、母から頼まれた食料を届け、ミルクコーヒーを飲んだ。10日ぶりに行った。

キウイの棚が潰れてしまった。その棚のところまでも行けない。

帰りに道を歩いている雉を見つけた。

鳥も餌がないのではないか?途方にくれているように見える。

 

 


雪山練習

2018-02-09 | 山歩き

いよいよ雪山デビューか!!かんじきスノーシュー。

実は、職場の先輩に貸してもらって積雪1mの裏庭を歩いた。

気持ちいいーー。テクテク雪上を沈まずに歩ける。天気もいいし散歩したいが。

軒の雪に触れるほどの高さを歩いている。こんな天気なら雪山もいいなあ。

それ以上遊んでいたら、給料引くぞ――、だって・・。

ところで、ついに長靴の横が破れた。古かったのではあるが、長靴はどこも品切れで入荷しないという。品切れと言えば、灯油も来週まで入ってこないとのこと。レギュラーガソリンも売り切れという看板が出ていた。


晴れ間

2018-02-08 | 暮らし

孫たちが休みなので、うちで昼ご飯を食べることになった。今日は、娘がお弁当を持たせたので、わたしは味噌汁だけ彼らにふるまう。

隣の中学生のタッ君がおばあちゃんと来てくれた。「雪除け手伝います。」と、いうこと。おばあちゃんは、部活代わりに近所の雪除けをしなさいという通達だという。ありがたい。孫たちも、彼が来てくれたおかげで、がぜんやる気になった。駐車場に小中学生が3人。小学生みたいなばぁばが1名。にぎやかだった。

アッという間に、わたしが持てあましていた車庫の前の雪がなくなった。ありがたい。

夕方、孫たちを見送って振り向けば、屋根雪が車庫と勝手口の間にドスンと落ちていた。

もう力尽きた。肩も痛い。そっと踏んでおこう。明日は仕事へ行く。

母から電話がかかり「今日は何日やろ?」と、言う。ついに来たか・・と、思ったら「新聞が3日間入っていない。」という事。除雪はされていないということで、3日たった今も街中麻痺しているので仕方ないが、何かあっても救急車が入れない状態というのは困る。ひとり住まいなので心配だが、市道ではないので個人で頼まなくてはならない。市役所に相談しても駄目なので、懇意にしている土木の会社に電話したら「明日、すぐに入りますね。」と、社長さん。うーん、我が家もしてほしかった・・・。


街を歩く

2018-02-08 | 暮らし

歩いて町の外れまで様子を見に行った。まずバス停へ行き、明日の出勤に備えることにした。しかし、最短のバス停は入ることができず、時刻表も確認できず次のバス停まで歩いて行った。バスは運休だ。

う、埋もれている・・。道路はじゃりじゃりの雪で、歩いている人はいないので車は大きく避けていくので、迷惑そうだ。時刻表を見て驚いた。通常大聖寺に向かうバスは5本しかない。雪が降っていなくても殆ど走っていないのだ。田舎だねえ。

八号線を歩いて横切るのも怖い。戻るための信号は、押し釦が押せない状況だ。

道のわきの竹は全部うなだれている。

車で買い物へ出かけるのも怖いのであるが、卵も牛乳もなくなった。

どうするかなあ・・