まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

マッターホルンの空中トイレ

2019-02-27 | 読書

いつも山登りの時の心配がトイレである。けれど、なかなかその話はしにくい。登山は男の人の案内で行くことも多いので、言い出しにくく、女性が一緒の場合はほっとするところだ。昔は「花摘み」とか、「雉うち」に行くと言ったらしい。

その話を堂々と書いてくれたのは、かの有名な登山家である今井通子さんだ。登山家である前に、泌尿器科の医師である。両親と妹ふたりと弟の五人が眼科医という中でひとり、食卓で症例の話が出来ないという今井さん。

さて、わたしは朝トイレに行くと、午後2時か3時くらいまでは平気だが、調子の悪い時は困るのである。鞍掛山なら2時間なので大丈夫。富士写が岳は、ダム湖の管理事務所のトイレを借りてから登れば下りるまで大丈夫。しかし、先日のように雪山の場合不安だった。朝8時30分に登り、頂上で3時間作業に付き合って下りたので7時間大丈夫だった。しかし、前もって対策を練って、いざとなったらどうするか考えなくてはならない。そんなこんなで、トイレの問題は一番悩むところではある。その時は、歩くと汗も出て、水分も控えて、お腹にカイロを貼ったので効果はあった。しかし、頂上で太ももに痙攣が起きたのは水分不足かなと思った。寒いので温かいハーブティを持っていったので少しは飲んでいたが、その辺のところはどの程度どうなのかよく分からない。しかし、トイレの問題は深刻で、有名な女性登山家がトイレをするために滑落して亡くなったこともある。あだやおろそかには出来ない問題だ。

さて、本の話だが、今井通子さんの「マッターホルンの空中トイレ」は、読んだだけでも想像するに怖い。4000mの所に飛び出して作られているトイレで、空中にあるような形で、北壁に落ちるようになっているのだ。床の下が2000m、3000m見えるわけだ。

世界のトイレの写真入りで、単行本は「TOTO出版」だった。なるほどねえと思ったが、文庫本もあって、こちらは中央公論社である。やはりどんな山でも、個室の水洗トイレがあるとほっとする。文化的な生活を営んでいるので、野生にはなりきれない。女性として世界初の欧州三大北壁登攀その他、数々の記録を残している今井通子さんも、トイレは落ち着けるところがいいねと。そして、下品な話ではなく、医学的には大事な話だとおっしゃる。わたしがその話をすると、孫たちに下品だと言われるのはなぜか。


いだてん

2019-02-26 | 暮らし

「木更津キャッツアイ」で、宮藤官九郎のとりこになったので、今回の大河ドラマは欠かさず観ている。始めは展開についていけないかと思ったが、先日は良かった。泣けるシーンもあって、やはりクドカンは裏切らないとまで思った。弥彦の親子関係、四三と足袋屋とのやりとり、宮藤官九郎の展開にだんだん乗ってきた。また、幼馴染が結婚するシーンは泣けた。

特に、獅童扮する兄が金策で、田畑を売るシーンの掛け合いが良かった。大竹しのぶも貫禄があった。弟の為なら田畑を売ってもオリンピック(ストックホルム)に行かせたい兄である。

「どぎゃんしても、行かないかんとですか?」「行かせてやりたかです。走ったそん先に何のあるかはしらん。何もなかかもしれん。ばってん、そん景色ば見る資格ば四三はもっとる!」そうだ。そうだ。わたしも、うだうだ弓を引いているが、少しずつ景色が変わって行くことを感じる時がある。ただ、あまりに同じところにいると、景色が変わらなくて、周りの人が変わって行くことを感じる。自身が一歩高みに上がって景色を見たいのだが、なかなかそうはいかない。その点、山は一歩前へ出ると頂上に近づき、景色が刻々と変わることが実感できる。

実際の景色が変わることと、モノの見方が変わることと、心のありようが変わることを体感できることはありがたいことだと思う。

と、いう訳で、引き続き大河ドラマのいだてんを観るのも楽しみのひとつになった。

 


渾沌

2019-02-24 | 暮らし

ニュースのコメントは考えなくてもコメンテーターが賛否両論も交えて上手くまとめるので、あえて取り上げなくてもいいし、そのことについて人と話すころには、次の事件が起きている。

虐待にしても、同じ事件ではなく違うところでまた起きた。そんな中で、いろいろな事件をスマホで撮った映像や、音声がTVでリアルに放映されると、怖い世の中だなあと思ってしまう。凶悪犯罪の重要な証拠になる場合もあるし、これを公にしなくてはならないのだろうかという物もある。こういう世の中を渾沌としているというのだろうか。

世の中は、いつの時代でも渾沌としているのだと思う。渾沌という言葉が昔からあるのでそう思う。渾沌に秩序を与えると、渾沌はなくなる。果たして、渾沌に目鼻を付けることがすべて正しいかということも問われる世の中だ。

正義を押し付けることが大罪になることもある。10人いたら10通りの正義がある。考えることは大切だが、自分の意見をいう時は、一呼吸置くことが大事だ。わたしにも、この「間」と、「一呼吸」が、足りないと思う。それは、弓を引いていてよく指摘されるところだ。射即人生と言われる意味を考える。せっかちで、間がないと重みがない。「お忙しい毎日なんでしょうね」と、見透かされてしまう薄っぺらい自分は、まだまだだなあと思う。

災害に襲われたら素早い判断が必要だが、人の意見に対する時には、まず相手の事を大切に聴くことを心掛けたい。話したい人は、話を聞いてもらいたいだけで、そのことに対するこちらの意見を求めてはいないことが多い。自分で話しながら答えを見つけているからだ。相談された時もそうだ。大方は結論は本人が持っている。大切なことは丁寧に聴くことと思う。そこが難しい。自己主張大会なるものを身に着けるような教育や、会社での研修で育ってきたからだ。今からは、好々爺大会を。

 


休みの時間

2019-02-22 | 暮らし

自分の為だけの時間は、休みの朝のご飯だけではなかろうかと思う。今朝はゆうべセットしておいたパンが焼けた匂いで目が覚めた。うちは、ホームベーカリーが二つある。婆さんもパンを作っていて、朝食は別々だ。わたしは殆どご飯だが、母がわたしの焼いたパンが美味しいと言ってくれるので、時々パンを焼くとはいえ、粉やバターを分量通りに入れて、タイマーを押すだけなのだが。食事が出来るようになったので、病院へお菓子代わりに焼き立てのパンを持っていく。

焼き立ては美味しい。

目玉焼きは水を入れないでそっと焼くと、美味しそうなだいだい色の黄身となる。

ゆっくり食べて、掃除機をかけて、いざ、両親の見舞いに行く。病院のはしごだ。母の退院準備もしなくてはならない。

父の見舞いに行くと「あんかはどうしとる?」と、自分の兄の事を問う。もうずいぶん前に亡くなった。従姉とお骨を貰いに金大へ行ったことを話すが、きっと火葬していないので、別れた気がしないのかもしれない。ピーチのジュースを美味しそうに飲んだ。

美味しいと言い、今度はどういう果物がいいか訊くと「安いのでいい・・」と、言う。こんな状態でも貧乏性なのである。

そして、午前中は見舞いで終わってしまう休みの朝だ。午後は郵便局へ振り込みへ行って、夕食のおかずを買い、学童へ孫を迎えに行き、夜は山中へ体育協会の話をしに、理事長と会長と3人で出かける。帰ったのは10時半過ぎだった。

すき間時間に少し本を読んだが、自分の為に使う時間は、やはり朝だけだった気がする。忙しいのはありがたいのかもしれない。貧乏暇なしでもある。

 


無事が一番

2019-02-21 | 暮らし

10時から母の主治医よりお話を聴き、経過が良いので来週早々退院することになった。点滴も取れたし、食事も普通に食べるし、廊下も歩けるので、いよいよ病院が退屈になってきた様子。まずは、一安心。

母のことは一安心だが、昨夜からいきなりパソコンのメールができなくなって、修復して終わったと思って、朝メール送信したが、エラーがかかる。メールが出来ないと致命的である。受信が出来るのに、送信できない。この頃、立ちあがりも悪い。どこの団体も、若い人がなかなか忙しくて、事務局の仕事は少し時間の余裕がある者の仕事となる。最近は、ソロ活なんて言葉も出るように、組織にしばられない、自由でいたいという若者が、今風でいいように報道されると少し違うなあと思ってしまう。少なくとも、わたしの周りにいる弓道関係の若者たちは立派だ。成績も立派だし、いろいろな面で協力してくれる。だからこそ、少しでも手助けできればと思うが、パソコンは必須だ。

三隣亡という言葉があるが、悪いことが起きると連鎖的に悪いことが襲って来るような時に、例えとして使う。本来、建築の関係でその日を避けるということらしい。そういう言葉がふとよぎった。いいことがないなあと思ったりする。心配事が続く時は、引き締まらない身体でも、身を引き締めなくてはと思う。そして、無事であることの大切さを思う。 


あきらめない

2019-02-19 | 暮らし

今朝、ゆっくり起きて、フルーツをたっぷり食べたいと思った。イチゴ、アボカド、りんご、バナナ、キウイなどをジュースにしてしまわないで、黙々と食べる。蕪の味噌汁に玉子を落として、パンを半分。

さて、父の見舞いと母の見舞いに出かけなくてはならない。病院へ行くと、負の気持ちになる気がするが、ここで元気に働いている人々がいる。頭が下がる。わたしも、元気を持ち込まなくてはならない。

出かける前に花に水をやると、驚くことに、一昨年もらって一度諦めていたシクラメンが、花を持っている。こんな小さな花もあきらめないで頑張っている。

今日の夜は、弓道の稽古に行かなくては。最近、イマイチなんだけど。あきらめずに・・・。


母緊急入院

2019-02-18 | 暮らし

ひな祭り会の翌日、「今日はありがとう」と、母から電話があり良かったなあと思って寝た。

2時半に医療センターから電話があって、母が救急車で運ばれたことを知る。急いで服を着替えながら、もう少し早く寝ればよかったと思った。眠い。

結局、以前と同じ腸炎だった。3時半に入院の説明を聞き、汚れ物を持ち帰って洗って、ベットに入ったのは4時半だった。

翌朝、7時まで寝ていた。弁当の用意もそこそこに仕事に出かける。今日を無事過ごせますようにと思った。あまり寝ていないからだ。帰りには、母の着がえや、入院の書類に印を押すために、実家へ行く段取りだった。

11時頃、自宅からケータイに電話が入った。「???」誰もいないはずだが。不審に思ったが出てみると、叔父だった「カギは開いとるし、電気は点いとるし、エアコンもついとるのに、かあちゃんはどうした?」昼に時間を貰って鍵を閉めに行くと、叔父が心配してくれた。やはり、ひとりでいるというのは危ないなあと思う。

ちょうど、玄関のチャイムが鳴って、出てみると区長さんが心配して、会社の昼休みに来てくれた。ありがたいことだ。母がひとりでいることを気にかけていてくれて、時どき声をかけてくれるのだそうだ。いつも、民生委員の方も顔をだしてくださるので、地域の方はありがたいと思った。

入院用品を持って、一旦職場に戻り、夕方病院へ寄る。疲れたのだろうか。出した料理が変だった訳ではないだろう。夜も寒くはなかっただろうか。座敷は寒いが、娘や孫たちも一緒だったので、少しは暖かかったと思うが・・と、心配したが、顔色も良く元気そうになったので良かった。

 


ひな祭り会

2019-02-17 | 暮らし

母のひとり暮らしが長くなってきたら、だんだん不安になったり、落ち込んだりする出来事が増えてくる。なるべく顔を出すようにしているが、わたし一人では、互いにストレスが溜まる。

前からの約束で、並べたお雛様を囲んで、土曜の夜にみんなでひな祭り会をすることにした。momoとnanaや、娘ふたりをよんだ。kouが6年生のサヨナラ会でおとうさんと出かけたので、唯一kenは男一人だ。でも、年下のmomoやnanaとかくれんぼをして遊んであげたり、いろいろ相手をしてくれるのでふたりとも大喜びだ。母と孫たちが一緒にお雛様の部屋で泊まることになった。

ちらし寿司と、豚汁に、鶏のから揚げとサラダで、子供が喜びそうな献立にした。中身はポテトサラダ。

  

婆さんふたりは、ひ孫とシルバニアファミリーで遊び始めて、盛り上がっている。

シルバニアは娘たちの物で、綺麗に保管してあったので、40年経っても十分遊べる。おかげで、母は心地よい疲れでいつもよりよく眠れたそうだ。

わたしも、久しぶりに娘とワインを飲んで、孫には本を読んであげた。みんな「そうべい」シリーズが好きだ。シリーズ4冊目で「そうべい りゅうぐうへいく」を、読んだら大うけだった。

家族は多い方がいい。ばたばたしているうちに一日が終わる。感謝、感謝。


捨てられないもの

2019-02-15 | 暮らし

机の引き出しの中にいらない物がある。このバッチは何だったのだろうとか、東寺で買った運が開けるシールだとか捨てよう。単語帳も交流分析の試験勉強のために、しっかりメモしてあったがすんでしまったこと。2級合格して、1級の試験を受ける日の前に殿の具合が急変した。今では全く忘れてしまった。ああそうだったなあと見直して捨てることにした。

思い付いたことを何でもノートに書いていた。日記ではなく「備忘録」のようなものだが、後で何かに間に合わそうというものではない。ただ、書いていただけのメモノートを捨てようとした。

わたしが話をすると、あなたは眠りだす。あなたが話をすると、わたしが眠りだす。お互い半分しか聞いていない。「わたしの話の半分しか聞いてないやろ」「半分聞いたら、いいほうやろ」と、笑う。

わたしたちは、同じ部屋で互いの危機管理の為に眠る。時折、危機管理委員会を開き、古い両親の家を解体するため、ふたりプロジェクトを組んだ。ガンになっていたのに、この大仕事を果たした。

わたしたちは「夫婦は身近な他人です」を、モットーに、すごく仲がいい。生涯仲が良い夫婦で終わるに違いない。

・・・いつ書いたのだろう。なんか捨てれないなあ。


消費期限

2019-02-15 | 暮らし

日々、捨てる物がある。ゴミの日に出せるよう身の回りの整理を少しずつしていくと、大切に取っておいた物も消費期限を迎える。

殿のスーツは未だに捨てられないが、せめてユニクロのものを集めて、リサイクルに出そうと思った。ユニクロの店に持っていくと、別に割引になるわけではないが、リサイクルとして快く受け取ってもらえた。このシャツやフリースはあまり着ていない。

なぜか、具合が悪くなってから、よく買い物に行った。目につく物を何でも買った。これから先の長い一生分を、短期間で満たそうというように。

わたしは、ガンになった後、カーテンを買い替えて、車を買った。殿は、ソファを買って、肘掛椅子やテーブルを買った。1年の間に「大爆発だ」と、買いあさっていた。何故か家具屋さんへ行くのが好きだった。疲れると、そのへんのソファやベットに腰かけられるからかもしれない。

買うという行為が、生きるという事につながるような気がした。

大きなフライパンが台所の引き出しにあって、家族が少なくなった今では必要ないので捨てる。最高8人で暮らしていたとき、チャーハンを作るのに大きめのフライパンを使っていた。もう何年も眠っている。古い天ぷら鍋も捨てる。小さなフライパンで揚げ物が出来ることに気付いたからだ。

家には歴史があって、店じまいもあって、その都度捨てて行かなくては、後に残されたものは大変だ。

でも、まだまだ生きていくために買い足す。それは、自分の未来のため。年をとっても未来はある。明日は未来だ。明日が今日になって、今日が昨日になると、また捨てる物がでてくる。忙しい未来である。

 


山へ行くこと

2019-02-12 | 山歩き

 休みの朝、予定がなくて晴れていたら、すぐに山へ行けるように、ザックにはレインウエアと手袋など必要なものが入っている。お茶とコーヒーを用意して、冷凍してあったあんドーナツを持っていく。ジムへ行く代わりの山。

鞍掛山に到着すると、車が15台ほど停まっていた。みんな思うことは同じ。北陸の暗い冬の晴れ間に「今だっ!!」と、出かけてくるのだ。

週一登山というくらい、登っていないと全く体力は衰えるのだそうだ。年齢が増すごとに。弓もそうだ。うまくなることより、現状維持をするにも日々の稽古が必要なお年ごろ。

今日は、西ノ谷登山道で行こう。ひとりで行くのは気楽でいい。友達と行くのは楽しくていい。それぞれ楽しみ方があるが、今日のように自分の時間があくのと、天気の具合が合って思い立った時はひとりだ。往復2時間ほどで、人がしょっちゅう行きかう 山は安心である。

 しかし、地面はぬかるんでいて田んぼのようだ。 光が差してきて、そろそろ服脱ぎ休憩をしなくては。ネットの天気予報は頂上は0℃ということだが、歩いていると暑い。そして、久しぶりで脚が重い。

 「ザ ドラゴンズ バック」新しい看板がある。登山の基本は、天気図が読めること。地図が読めることなどであるが、天気はネットで確認し、登山道は整備され、案内は細やかにされている。どこかへ遊びに行くより楽しい。考えたら、ひとりで遊ぶにはうってつけなのだ。 しかし、低山で、ハイキング感覚とは言え山なので難所もある。登る時より、下りるときの方が危ない。ぬかるんでズルズルなので慎重に。

 足元の悪いところは、石畳になっていてどこかの庭園のようだ。「妃殿下のお通りですよ」と、小百合を名乗る雅子さまが通る。日々山を整備してくださる方々に感謝。

本日もだいたい予定通りの時間で下山出来た。最後に舟見平で山頂を仰いで帰る。鞍掛山は双耳峰だが、ここから見ると頂上が一つのように見える。

空は曇ったままだが、気分は良好。身体が軽くなった感じ。頂上でのコーヒーとあんドーナツは美味しかった。 

下山後に町の奥の気になる喫茶店に入りたかったが、真っ暗だった。いつ営業するのだろう。さて、午後は実家と孫のお迎えと・・夜は道場へ。

 


ぎょっ!山代温泉

2019-02-12 | 暮らし

弓道の総会に出すお菓子を買いに山代温泉の「しもつね」へ行った。ここのお饅頭が美味しいので買っていく。しもつねは、創業100年経つそうだ。いつも、出来立ての饅頭が並び、数に限りがあるので早めに買いにいかなくてはならない。10時に行ったが、すでにゴマ皮でゴマ入り餡のお饅頭は売り切れていた。

白餡と、小豆餡が半々の饅頭とよもぎ餡を買った。評判が良くて弓道仲間の女性が店の名前と場所を聞いてメモしていた。「今度行こう!!」とのこと。

さて、「しもつけ」の通りを歩いていたら頭上から誰かに見られている気がした。

ぎょぎょ。スパイダーマンだ。いつからいたのか。知らなかった。

 

昭和のおもちゃの店らしい。あーびっくりした。


新年総会

2019-02-11 | 弓道

今年も新年総会の日を迎えた。毎年、資料を作り新年度の予定を入れていく。今年も、また弓道三昧の予定が入る。

総会は、加賀市の交流プラザさくらの部屋を借りるのだが、ここは無料である。市民病院が医療センターとなって移築したので、この建物をリフォームした。殿が亡くなったのはこの病院だ。古い病院だったのに、きれいに生まれ変わった。こんなにきれいになるのなら、殿が治療に通っている間にきれいにしてもらいたかったと思う。

病気になって思うのは、綺麗な病院はやはり入院していても気持ちがよい。わたしが入院していた金大は新しくて、部屋から出て、生のフルーツジュースを飲みに行ったり、食欲がない時は美味しいパン屋でパンを買えたので気が晴れた。病気でも買い物をしたり、コーヒーを飲みに行ったり出来ることは元気が出る。

殿の付き添いで部屋に泊った時、気が滅入る一方でだった。汚いし、付き添いのベットは簡素で夜は眠れないし、食堂はいまいちだし、かといって、片時も部屋を離れられないのでつらかった。車椅子を押して、いつも診察のために付き添った。それが遠い出来事になっていく。あれから5年目になるのだ。

ここで弓道の総会をすることになって2回めだ。殿も出席しているのではないか。あんまりいらんことを言わないようにしようと思った。今回は書記をしたおかげで、みんなの話を一生懸命聴いたので、殿も満足であろう。


筈打ち

2019-02-10 | 弓道

矢に矢が刺さって食い込んで1本の矢のようになった場合「継矢」と、言うが、今回は単なる「筈打ち」である。継矢は珍しいが、矢が2本ダメになってしまうので、大きな出費だ。筈だけの損失で良かった。

家へ帰ってからペンチで抜こうとしたがなかなか抜けず、小学4年のkenに持ってもらって抜いた。

kenは「母ちゃんに、歯が抜けたっていうわ」と、ティッシュペーパーにそれらしく置いた。kouは「よくそんなつまらないことを考えるね」と、ゲームに没頭していた。それもつまらないね。

さて、筈打ちをしたのは、中っていた矢だったのか、外れの矢だったのか。どちらにしろ抜いてしまえば、そこには何もない。どんなスポーツも、武道もそうではあるが、芸術と違って何も残らない。

それでも、何かが積みあがっているのだろうか。


雛飾り

2019-02-09 | 暮らし

木曜日は、毛布とシーツを洗いたくなるほど良い天気だった。洗濯をした後、実家の不法投棄されたごみを捨てに行って、車庫の中をきれいにした。

家に帰ると、風も吹いていたので、毛布もシーツも乾いていた。その後、いつものように玄関にお雛様を飾ろうと思った。天気の良いことがその気にさせる。

長い間、お内裏様とお雛様だけを飾っていたが、そうだ!段飾りを出そう。

最後に飾ったのは、長女が結納をする時だったように思う。あれからずっと、車庫の二階に片付けたままだ。いつも、ふたりでやらないと飾れなかったが、ひとりでも飾れる気になれば出来るのではないかと思った。身体が立つと元気な時に、もう一度飾りたい。

さて、車庫の二階から、せっせと箱を運ぶこと10回以上。汗が出る。山登りをしているみたいだ。階段を上ったり下りたり。座敷に運び込むと、まるで引越しのようだ。

困ったのはスチールの段と板だ。重すぎる。階段を引きずって下ろしたが、危ないので下で開梱し、何回かに分けて運ぶ。しっかり結ばれた紐は、殿が結んだままだ。もう二度と飾れないだろうと思っていた。気力も体力もないと思っていた。

いつも、段の骨組みをふたりで組み立てた。ひとりでは難しそうで、わたしが持っていて、殿がビスをはめていた。さて、ひとりでどうやって、立たせるか?ふっふっふっ・・、床の間の柱に寄りかければ出来るではないか。

ここまで、運んで組み立てて1時間かかった。あーしんど。

娘たちが小学生の時に、書いてくれたビニル袋の道具の名前がなつかしい。

女の子は人形を飾るのが好きだ。実家の両親がお金持ちでもないのに、奮発して良いのを買ってくれて感謝しながら毎年飾っていたのに、月日の流れることは残酷だ。でも、ささやかな幸せや喜びをきちんと祝わなくてはならない気がした。来年は気力がないかもしれない。今年が最後かもしれない。それならば、なおさら飾ろうと思った。

しかし、「平安御所庭」って、どう並べたっけ。またまた組み立て図を見なくてはならない。

うひゃー。お内裏様ってイケメンだわ。こんな人に見つめられたら困るだろう。

一年ぶりなので、お変わりない。問題は五人囃子や三人官女に異常がないか。

みなさん宜しいようで。

人形は気をつけていたのだが残念なのは、飾る餅などが、湿気のせいか少し変色していた。お道具は健在だった。

あ、掛け軸が見えなくなりましたわ。

ようございます。五人囃子もしっかり笛や太鼓もきれいで。

弓も矢もばっちり。

泊りに来たkenは、お雛様を見てひとこと。「ひなあられ食べたい」。そこか・・「まだ、だめーー」