まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ラッキー大抽選会

2022-12-31 | 暮らし
アビオで買い物をしたら、年末恒例の抽選券をもらえた。
「ラッキー大抽選会」と銘打っているので、さぞかしたくさん当選するのかと抽選会場を探したが、そこには「応募の手順」が書いてあるだけだった。

それを持っていきガラポンで引いて完結するならいいのだが、自分で机の上にある番号の付いた抽選券に、貰った抽選券をホッチキス止めして、ミシン目で控えを切り離し、好きな箱に入れるのである。
抽選の方法を貼ってあり、その前で皆がせっせと作業している姿が涙ぐましい。
応募の仕方ではなく、作業方法が書いてあると言った方がいいかも。
わたしも、取り掛かろうとしたら、前の方が
「あら~ホッチキスの針がないわ~」と、言うので机の向こうにあるのを探して持っていき、その人と共同作業になった。
これは従業員にとっては好都合なやり方ではある。
長い列を誘導したり、カランカランと、鳴らしたりしなくても、後日番号表を貼りだすだけでよい。
その日に客が自分で番号確認して自己申告するわけだから。
また店に足を向けるという効果もある。
見に来ない人には、当たりももらえない。

さて、箱がいくつも並んでいて、「5万円」が1本しか当たらない箱。
5千円のHOPマネーは10名が当たるという箱。
その他、電気製品とかの箱。
結局、5万円狙いをすると、1本以外はゴミ箱に抽選券を入れるような結果となるのに、誰もがその1本は自分が当たると思って入れている感じだ。
私が入れた時点で、その他の人は全員紙くずとなるのにである。

5千円のHOPマネーは、5万円の10倍の確率だと当たるような気がして、そこにも紙くずになることを考えもせず入れていく。

この涙ぐましい努力を惜しまないのは、年末の物価高が、誰の心にも一筋の希望を求める心境になるのだと思う。
店側の人件費をかけたくない気持ちと、景品にお金をかけたくない気持ちがひしひしと伝わる。
「大抽選会」ではなく、みんなが作業台に列になって作業しているので「台抽選会」と書くべきだと思いながら、発表の日をしっかり確認して帰る。
おおらかなわたしが、こんなセコイ術中にはまるという世の中はいけない。
政治家はしっかりしてもらいたいものだ。
特に自民党にはしっかりしてもらいたい。
辞任ドミノという不始末は、主婦たちを不安に陥れ政治に希望を失い、台抽選会でホッチキスをぱちぱちする行動に一縷の望みをかけているしかないのである。





卯の年

2022-12-31 | 暮らし
先日、玄関先の雪をどかしながら、効率よく身体を痛めることなくスコップを使うにはどうしたらいいか考えながら、固まった雪をどぶに捨てていた。

スポーツも武道も、回転が大事だ。
そして、回転を使うことでよりよい技が生まれるのではないかと。
ずっと前に、弓道誌に「弓道は回転だ」と、いう記事が載っていたことがある。

どんなスポーツも、いたずらに力を入れてはいけない。
そして、スコップの柄を膝辺に当てて、回転させると遠くへ飛ばせることが出来る。
しかし、遠くへ飛ばさなくても引きずってどぶへ捨てればいいのだった。
いらぬ動作をしていた。

そこへ、近所の折り紙名人のMさんが通りかかった。
外にいたお陰で、折り紙で作った兎を貰うことが出来た。


山へ行った人のお土産のツクバネも飾ってみた。




今日は、煮物だけして後はのんびりすることに。
今年は何年ぶりか、おせち料理を買ったのである。
殿がいたときは、付き合いで毎年名鉄エムザのおせち料理を買っていた。
金沢から、エムザの方が車で直接持ってきてくださっていた。
支払いは殿だったので、わたしはありがたく、うやうやしく頂いていたが、いざ自分で買おうとすると、貧乏性でこのところせっせと作っていたけれど、努力の割に、みんなの箸がすすまない。
正月に食べてくるせいか、2日の日、我が家集合時に同じものは食べたくないのかもしれない。

何はともあれ、みんなが集うことができることに感謝、感謝の1年だ。

皆様、今年もお付き合いくださいましてありがとうございました。








年賀状

2022-12-28 | 暮らし
今年は年賀状の取り掛かりが遅くなって、昨日やっと投函することが出来た。
年賀状しまいのお断わりがくるようになった。

会社の後輩には、そろそろ私を見限ってくれてもいいよと言いたい気もする。
でも、近況の家族写真とか来ると、元気でやっているねと微笑ましく思ったりもする。

殿がいた時は、300枚ほどあって、パソコンで住所を入力するのも、裏面を作るのも全部私だった。
若い時は、ふたりで芋版を作ったり、プリントごっこで作ったりしていた。
どちらも、印刷した後、乾かすために部屋にずらっと並べたっけ。

今は、自分の関係だけで90枚ほどになった。
いつもLINEでやりとりしている人とは改めて年賀状を書かないようにしているが、これから先どういう風に整理していこうかと思う。

「本年を持ちまして年賀状のご挨拶は失礼させていただきます。」
と、添え書きがあると、「そうなんだ・・・」と、一抹の寂しさを感じたりする。
なくなれば年末の忙しさのひとつが減ることは確かだけれど。。。
元旦の楽しさも無くなる訳だ。
特にひとりになった元旦など、年賀状も来なかったら、やっぱ寂しいだろうな。




師走には誰が走るか?

2022-12-28 | 山歩き
師が走るというけれど、走るのは時間で、時間は走るというより飛んでいくような気がする。

正月の用意をするために、花を生けるため実家へ南天をとりにいく。
弟に、竹を切ってほしいとお願いしてあったので、朝から出かけたら、彼は大きな木を切っている最中だった。


うわぁ~。
スリル満点だ。

さて、竹を貰って帰って、玄関の柱にくくりつけた。


ゴミ箱を買って来た。
その他の材料はただなので、久々に門松を作ろうと思った。
門松もどきだが。
お正月のblogに載せることができるかどうか。







サンタの森

2022-12-24 | 山歩き
昨日の大雪の時、冷え込みが半端なく、中庭が見えるガラスが凄いことになっていた。
初めて観る光景だ。一足早いホワイトクリスマスだ。



クリスマスにひとりというのは、「クリぼっち」と言うらしく、今日はイブだが、それなら一人でワインとケーキもいいのではないかと買ってきた。
前に買ったワインと飲み比べてみた、どちらも甲乙つけがたい。
もっと高級ワインだと違いが分かるのだろうか。
今回は、コルクの蓋ではなくて・・。
しかし、ワインとケーキは意外に合うと思うのだ。



先日拾ってきた松ぼっくりに色を付けて、ビーズをつけたり、ワインのコルクで木の幹を作ったりして並べたら可愛くて、パソコンでクリスマスソングを流しながら動画を撮ってみた。
娘達や大好きな友達に送った。


こっちがいいかな、こうかなとか並べ替えていると、子供の頃の人形遊びと同じだと思える。
LINEでやりとりしていると、いつの間にか時間が過ぎてしまう。
ちなみに、娘が「飲みにくればいいと誘いたいところやけど」と。
孫がコロナにかかり、家族は濃厚接触者になってしまって、一家も地味なクリスマスを迎えているようだ。
この頃は、職場の仲間も家族がなってしまって・・と、休んだりしていて、コロナ感染と聞いて驚かなくなってしまったが、用心に越したことはない。
引き続き予防をするためにも、クリぼっちは悪いことではないのかも。




顕著な大雪

2022-12-23 | 暮らし
新潟で国道での立往生を起こした「顕著な大雪」は、他人事ではなく、加賀市も今朝から降り続いているのでどこへも行けない。
顕著でなく、謙虚な雪ならいいのに。

今日は休みなので、のんびりと省エネ朝食をしていた。
昔の魔法瓶と呼ばれたポットも出してきた。
このストーブで沸かしたお湯は、ポットに入れて使う。
石油ストーブにフライパンを載せてリンゴ入りホットケーキ。




先日の温泉の余韻が残り、メールの確認を怠り、大事なメールを見落としていたので、今朝は再度メールの確認をして、年賀状も作らねばと思っていたが、それどころではなかった。
そうこうしているうちに、外の雪は20㎝ほど。
楽勝だと思っていた。


玄関も雪かきしたのだが、横の溝に落とすときに、一歩後ろへ下がったら反対側の溝にスポッと落ちた。
抵抗なくスコンと落ちて、雪もたくさん落としてあったので、尻もちをついただけですんだ。
雪かきは必ず2人以上でしましょうとTVで呼びかけているが、婆さんを呼んでくるわけにもいかないし、自分で安全を確保しなくてはと思う。


この穴に落ちた。



やっとあけたと思ったら、猛吹雪でまたまた真っ白になってしまった。


20㎝は積もっただろうと思ったが、さらに積もったので40cmになったのではないか?


登山をしているように辛い。脱水症状かもしれない。
一旦、家に入ってポカリスエットを飲んだ。
冬なのに、ごくごく飲めるとは。
午前中2時間。午後も2時間外にいた。
普段は5,6千歩くらいしか歩かないが、今日は13,000歩以上になった。


スノーブラシで枝をたたいていたら、顔面に雪がざざっとふりかかった。
うへぇーという感じ。


吹雪いてきたので、避難することに。
家の勝手口の風除室から、車庫の方を見たら、凄い吹雪の様子。
辺り一面、冷え切った状態だ。


ホワイトアウトだ。
買い物は無理だと思う。
娘がどこかにハマったとラインしてきた。
JAへネギの出荷をしてきたという弟は、「お客さんひとりやった・・」と言っていた。

結局、3回除雪したが、元の木阿弥。
まだ降っている。
双六では振り出しに戻ると言うが、この雪は除雪しても除雪しても、降りだしに戻る。
お手上げだ。




何年ぶりのお泊り会

2022-12-22 | 暮らし
毎年、旅行か温泉へ行っていた友達4人で「かよう亭」へ行った。
コロナ禍で我慢すること4年。と、思っていたが、4人で積み立てた通帳を見たら2019年10月に「ゆのくに天翔」へ行っていたのだった。
なんと曖昧な記憶だろう。
19日、仕事を終えて山中町ヘ走る。久々に降った雪も大したことなく、庭の風情となった。
女3人寄れば姦しいとは言うが、4人となったら大変である。
それがまた楽しいのだ。
元気はここから。


風呂も喫茶室も貸し切り状態だった。
チェックアウトも12時ということで、喫茶にあるハーブティを自由に飲むことが出来て、ここでもゆっくり。
みんなと過ごす時間はあっという間に過ぎるけれど、また次に会えることを約束して、元気でいようねと若い時からずっと変わらない仲間だが、健康のことを言うようになったのである。
解散の言葉「美しく年を重ねましょう」。




報恩講

2022-12-14 | 暮らし
昨日と今日はみぞれの中で報恩講のお手伝いをした。

朝、おぶきさんを仏壇にお供えするところから始まる。
何でおぶきさんっていうのだろう。おぼきさんとも聞こえる。



毎年報恩講には、檀家の当番の人が、町内の檀家の家を住職を案内して歩くのだ。
前回、平成26年の当番表は殿の名前だった。
殿が動けなくなって、わたしが代わりに出たのだった。
今回、要領は分かっているが、知らない人の家もあるので、地図にマーカーで印をして下見もした。
狭い路地も多く、空き家になったところや、新築になったところもあって、戸惑うのだ。
町内の檀家数40件で、4班に分かれて2日間。
なので、20件周ることになる。
田舎の先祖代々の家の仏壇は見事だ。
仏間があって、欄間があって、座敷が三部屋続きで、廊下が長くて、という家がざらにある。
我が家は、舅が次男だったので、建てた家も仏壇もこじんまりしている。
本家か分家かすぐ分かるのである。

浄土真宗の報恩講は500年前から行われているそうで、住職は正信偈の後に蓮如さんの御文を読む。

さて、わたしが嫁いだ頃、この報恩講は、家族一同で住職を迎えなくてはならないから会社を休むように言われた。
また、我が家で必ず休憩されたので、コーヒーを出したり、昼食の当番のときも休まなくてはならなかった。
しかし、今はどこの家を周っても、年寄りしかいない。
先祖代々でも息子さんが都会に出てしまったりで、高齢夫婦か、旦那さんひとりの家もあるし、お婆さん一人の家もある。
我が家もこの後、お婆さん一人の家になる。
うちのように、娘達が嫁いでしまった家はもう檀家も終了になる。

先祖代々の宗教で、守られてきたのだと思えるが繋げていけない。
今の世の中の新興宗教などが入るスキがないのは、ある意味守られていると言っていいのではないか。
一家の中で大切な人を失うと、余計に心の拠り所は必要と思う。
手を合わせて念仏を唱えるだけでいい宗教などは他にない。
お布施も法外に取られるわけではないし。
ありがたや・・・と、ついに婆さんになってしまった。

300円で泊まったということ

2022-12-12 | 暮らし
防衛費増額で、当然増税をするわけで、じわじわと戦争の準備をしていることを国民は気づいているのに、だからといってプラカードを持って反対運動をするわけでもない。
みんな、忙しい毎日を送っているので、反対運動などやっても無駄だと思っているし、そんなことする暇がない。
自分たちの清き一票は、清くない政治家に投票していることに後で気づく。
問題は解決されないまま、次の問題が起きたら忘れ去られる。
だから、次から次と問題を作ることが方策なのかもしれない。
問題と失言をちりばめて、国会はにぎやかである。
おかしいなと思うことも、与党が多いのだから与党の思うまま多数決で決まっていく。

コロナ禍になってから旅行支援というものができ、引きこもっていることは不健康なので、少しずつ人が普通に移動していることは良いことだと思う。
先日、5500円のホテルに3300円で泊まって、旅行クーポンが3000円分もらえたので、実質300円で泊まったことになる。
朝食は軽食だが、パンを2個食べたら300円の元は取れるだろう。
それに、オレンジジュースとコーヒーを飲んだら、おつりがくるというものだ。
さて、こういうのっていいことなのか?
観光庁は年明け1月10日から全国旅行支援を再開する。
その支援は国から出るのだろうから、殆ど旅行しない人たちは何もメリットがない。
医療に従事している人たちは、まだまだ緊張の中で働いている。
弓道仲間で医療に関わっているTさんは、コロナ禍になってから、殆ど稽古に来れなくなった。
「今年は忘年会します」と、言ったら
「いやぁ~、止めとくわ。相変わらず発熱外来はいっぱいやぞ」

300円で泊まった話など出来はしない。


ゴールの1本 最後の1本

2022-12-03 | 暮らし
ついに12月に突入。



2日の日は、日本中ゴールの1本に感動した。
90分走り周り、苦労して入れるあの1本。
比べるものではないが、弓は誰も邪魔せず、動かない的を外すことが不思議に思えるくらいだ。
緊張感はあるが、引いている者だけの楽しみのように思える。
しかしながら、国体や選手権の仲間の応援をしていると、観ているほうも緊張し接戦の末、最後の1本が入ると感動する。

1本という決めどころは、どんなスポーツにも武道にも共通する。
バスケットボールのゴールの1本。
バレーボールの床に突き刺さる1本。
「サーブの1本が入らない・・」と、ボールは1球なのだが、1本と数える。
剣道の竹刀の一振りの1本。柔道の決まり手の1本。
投手の投げた球は1球だが、バッターは「ここで、ホームラン1本打ちたい・・」と、願うのだ。
スキーに行くと、「最後の1本は気を付けて」と、言う。
滑り慣れてくるけれど、疲れているから怪我をしやすいので、最後の1本は慎重に。

昨晩、従兄たち4人で大切な最後の1本(お酒)を囲んだ。
弟は、あろうことか指を怪我して急遽欠席。
可哀そうにズキンズキンするだろうし、アルコールはダメだから残念だが仕方がない。

わたしより5歳若い従妹のI子ちゃんが9月に亡くなった。
生前、お兄さんにと贈られた「仕込み 四十三号」という長野県のお酒は、甘くてフルーティな味だった。
従弟が供養にと提供してくれて、わたしたちはこの最後の1本をしみじみ味わった。
そして、従弟の計らいで、欠席した弟に残りを頂き持ち帰って渡した。

3年前、何十年ぶりに従弟会をしようと集まって、I子ちゃんも一緒に皆でカラオケに行って、また集まろうねと言っていたが、コロナで集まれなくなった。
そして、気づいたらガンで急逝。
コロナのせいで見舞いも行けず、なかなか会えなくて実感がわかない。
寂しいかぎりだ。
最後の1本をみんなで頂いた。
たぶんI子ちゃんも同席していたのだと思う。