まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

やる気・・

2010-02-26 | 弓道
なんとしたことか、先日競技部の懇親会で、○田氏に
「あんたは、教士受かる気がないやろ」と、言われた。
たぶん、ただ受審しているだけだろうという意味を込めているのだ。
げっと思ったが、返す言葉がない。

それは、東京審査でも重々承知の上。
あわよくば合格すれば良いだろうというのが、傍目からみても伺われるわけだ。
誰が見ても、がんがんに稽古し、色々な講習会に積極的に出て
先生に食いついていく・・という姿勢がない。

私たち夫婦は、常日頃、自称「湯せんたまご」で、
長い間、ぬるま湯につかり、固まるでもなく、生でもない。
但し、湯せんたまごは長持ちする。腐りにくい。
そう、何があってもくさらない。
何を言われてもくさらない。

しかし、受けなければ合格はない。
出ない試合に優勝はない。

オリンピックで、周りのみんなが、金々々・・と、言う。
出場する選手の精神力は計り知れない。
そういう人の爪の垢でも煎じなくてはならないが、わたしたちの背負っているものは金でもなんでもない。
自身の宗教みたいなところがある。
チャンピョオンを目指すのではない。
自分が目標に向かって、今何ができるか、何をするか。

日曜の加賀市の総会で、○崎会長が
「みんな大きな夢をみましょう。」と、
「そして、叶わなかった時に、あぁ、あれは夢だったんだって言ってもいいじゃないか。」と、語られた。
なるほど、なるほど、そうですね、大きな夢をみましょう。
めちゃめちゃ同調して帰った。

帰ってから伊藤園のお茶を飲んだ。
おーいお茶に新俳句大賞の句が載っている。
「居酒屋で夢語るけど すぐ冷める」
いかん。湯せんたまごに戻りそうだ。

がんばれ社長

2010-02-26 | 暮らし
豊田社長が、公聴会に出席している姿をニュースで観ると、まるで、戦争映画で、永久戦犯に問われているような感じがする。

そんなに、寄ってたかって・・とも思うが、事態を深刻に受け止めなくてはならないのだ。
思わず、頑張れ社長と言いたくなる。
よい製品を消費者に提供する責任は重い。
豊田にも従業員がいる、その人たちへの責任もある。
豊田の会社に入ったことを誇りに思っているアメリカ人もいる。
その間で、社長は矢面に立たされる。
いろいろな批判はあるだろうが、日本の経済は豊田の影響を受ける。

身近に知っている社長さんが何人かいるが、みんなトップとして計り知れない重責があると思う。
がんばれ社長さんと言いたい。



近江商人

2010-02-24 | 仕事
翼の王国は結構面白い。
今月号は「近江商人の故郷・東近江の庭」の記事が興味を引いた。
商人達の庭もさることながら、その精神。
よく聞く「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしという言葉。

最近、政治家は自分だけよし、という世の中。
この近江商人の心意気が、企業の社会的責任の精神である。
せこいことをするのはすぐにばれる。そういう商売は長続きしない。
政治家もせこいことをしていると、すぐに剥がされる。

例えば、毎回見積もりや、注文のときに値切ってくる客がいる。
毎回やられると、見積りを1割UPして返す。
向こうが1割値引くなら、初めから掛けておくというもの。
そこには、信頼ではなく駆け引きが生じる。
信頼関係を築くのはなかなか難しい。

こんなご時勢なので、儲けたい気持ちはよく判る。
けれど、こんな時こそ、三方よしの気持ちを持ちたいものだ。




インビクタス

2010-02-21 | 映画
先日、娘と3D「アバター」を観て、わくわくした。
先住民の住んでいるところに、欲しいものがあるというだけのことで、戦いが起きるのだが、映画の中のことと笑えない。
実際、石油がほしくて戦争が起きたり、宗教が違う、肌の色が違うと言うことで戦いが起きるのだ。
そんなことも、考えさせられた。
また、この映画を作る創造力にも脱帽。
3Dのわくわく感。ほんとに目の前にドアがある。人の手がある。

しかし、残念ながら、私の中では、「モーガンフリーマン」登場の「インビクタス」は、アバターを超えた。
こちらは実話。南アフリカ大統領ネルソン・マンデラをモーガンフリーマンが演じるとなれば、うかうかしてはいられない。
ちょうど金沢で県連の競技部の会合(正式には懇親会)があるので、早めに行って旦那と観ることにした。
仕事の決断は躊躇するが、遊びの段取りと決断は早い。

期待を裏切らない。
マンデラが暗殺されるのではないかと、終始緊張が走る。
アパルトヘイトの南アフリカ。遠い国の無関係な出来事がスクリーンの中で身近になる。
刑務所からでてきたマンデラが、大統領に就任し、彼を支えた言葉がラグビーチーム主将フランソワ・ピナール(マット・デイモン)の気持ちを動かす。
スポーツが政治を動かす。
途中何回も、涙がじわっと出た。
また、後半のラグビーの試合は圧巻だ。
ラグビーをよく知らなくても手に汗を握るし、実況中継をはらはらして観ている南アの人と同じ気持ちになっていく。
やはり、映画館のスクリーンで観るべきものと思う。

(実際のネルソン・マンデラ大統領と、モーガンフリーマンは、そっくり。)

今日もがんばった・・

2010-02-19 | 仕事
朝から、納期を縮めと欲しいとの電話があり、現場に頭を下げて縮めた。
出ますよーと、電話したら、すべての納入先を替えてくれという。
送り状を切ってしまった後なので、出荷の係りに頭を下げて、再度納入先を登録しなおす。

その間に、別の製品を今日出荷してくれという。
その間に、見積りが入り、すぐ回答を欲しいという。
電話対応ばかりで気が焦る。

ようやく、注文の手配をすべて終えて家へ帰った。
第一声に気をつける。
「あー。疲れた」ではなく、
「今日も、がんばったぁ」ということ。
友達に習った。

ああ疲れたって言うのは、聞くほうも疲れてるし、みんな働いているのでよくないよって。
で、「今日も、がんばった」と、言ったつもりが
「ああ、がんばりすぎた」

インフル・・

2010-02-16 | 暮らし
朝礼で、30名全員そろってマスクをして輪になっている姿に慣れてきた。
しかし、インフルエンザを「インフル」と、縮めて言うのには慣れない。
日本語に直すと、流行性感冒なので、流感と縮めるのは納得がいくが。

出社してきたKさんは、予防接種を受けたのになったということ。
流行性なので、予防接種は流行遅れを接種しているということになる。
前にはやったものでは流行遅れというもの。

常に最先端を行くので、新型インフルエンザなどと命名しなくても、流行性感冒という言い方は、非常に的を射ていると思うのだけど。
まあ、そういうことはどうでもよいことで、とにかく風邪には気をつけましょう。
身体は温めましょう。
内からと外からと。



インフルエンザ

2010-02-13 | 暮らし
職場のフロアには30名いる。
その中で、新型インフルエンザが2名出た。
とにかく全員マスク。

翌日、インフルエンザで休みの人数は6名になった。
それが、新型か何型かはしらないが、とにかく開店休業状態。
時々、換気のために窓を開けるので、今度はその寒さで足がすうすうする。
換気の為、寒気を部屋に入れるのだからたまらない。
健康体でも、温度差にくしゃみが出だした。

休みの人のカバーをするため、電話に出るので仕事が進まない。
電話を取るとき、一度口をにぃっと無理に笑わせないと、不機嫌な声で出てしまいそうだ。

先日、お客様アンケートで、名前があげられ
「早い対応で気持ちがよく、感謝しています」と、褒められた。
嬉しいのも束の間。
全く、仕事が進まず、見積もりは返せず、
何回もお客様の催促を受けるわ、何回も計算が合わないわ
出荷漏れがあって、ばたばたするわ。
風邪でなくても熱が出そうだ。

夕方になったら、鼻水が出て止まらない。
ティシュはみるみる減っていく。
ぐずぐすになる。
これでは、日曜に女子部の研修会には行けそうにない。
やはり早めに断ることにした。
残念だが、日曜に遊びに出て、月曜に会社を休んでいては元も子もない。

夜は海鮮鍋と、熱燗を飲んで、早々に寝ることとした。

成長

2010-02-11 | 弓道
日々成長する。
半分に切られても、この成長ぶりはなんとしたこと。

年を取ると出来なくなることが出てくる。
矢数をかければ、腕が痛くなったりして無理な練習はできない。
そこで、効率よく、内容の濃いものにと考えながらもこれという名案もない。
この前も、大円筋、小円筋で盛り上がっていて、なるほどと感心しながら、自分で練習していても、自分の体が分からない。
どこが働いているのだ。
どの筋肉も働いていないので分からないのか。
解剖学の本を見れば、そのありかは分かるが、自分に置き換えて試してみるが、分からない。
この白菜みたいに、中を覗いてみればよいのだが無理だし。

十文字に左右に伸びていくときに、これかな、あれかなと探りながら、毎日変わらない。

けれど、容姿や筋肉は衰えても、日々鍛えれば、急カーブを緩やかにすることは出来る。
その望みを捨てずに日々の精進をする。
なんでもない、いつもやっていることを続けてやり通す。
これは、まさに禅の世界だ。

また、脳は、どんどん使えという。
実家の爺さんは、大きなダメージを受けても復活し、口の方は衰えを知らない。
その血を引いているので、脳みそは達者だと思う。ある意味。
これは、頭がいいというのではない。
口を動かすための脳が達者なのだ。

それにしても、この白菜も何かを語っている気がする。
「こんなになる前に、早く食べて・・」か。

最近の寝場所

2010-02-03 | 暮らし
我が家の愛猫は、なぜか同じところで寝ない。
何日か台所の隅の炊飯器の下だったのに、この頃はパソコンの椅子で寝る。



彼には、世の中の不況も政治の不信も、トヨタの不具合の心配もない。
色々なところで、影響が出そうな出来事が相次ぐ。
新聞を読んでいると、一緒に読もうとする。
いくら言葉が分かるといっても、読んで聞かせるわけにはいかない。



チョムよ、あなたの高い餌もなかなか買いにくくなるんですよ。
それでも、必要なものは買わなくてはならない。
給料が下がれば、消費も落ち込むだろうし、落ち込めば商品の価格も下がる。
必要なものしか買わなくなる。
買わないという事は、世の中が活性化しないということだ。

そんな、世の中というものとは無縁に寝ているのを見ると、猫になりたいと思う。
但し、うちんちの猫になりたい。
しかし、わたしが猫になったら、誰が旦那の世話をするのだ。
だが、旦那はよく猫の世話をする。
餌を入れるし、水も替えるし、膝に乗せて撫でている。
猫になったら、世話をされるのか。
それもいやだ。
あの餌を食べるのも嫌だ。

今、あるがままを感謝しましょう。