首

「散り椿」を借りてきて観た。まず、木村大作監督であることと、主演が岡田准一であることがいい。残念なのは、名カメラマンでもある木村大作の素晴らしい景色を映画館の大画面で観たかった。
木村大作監督は、カメラマンとしての作品は多く、監督としては「劔岳 点の記」「春を背負って」と、「散り椿」がある。
劔岳は映画館で観た。迫ってくる山々実際そこにいるような感じがした。
久々に土曜が休みとなった。よしっ!いまだっ!という勢いで行く。かねがね良い映画を観たいという気持ちだけで、実はQUEENを殆ど知らない。前評判のみで選んだ。
小松イオンの駐車場は一杯だった。14時15分からの上映の「ボヘミアンラプソディー」は満席状態だった。あろうことか、隣のおっちゃんは、鼻をすすること頻繁。場所を替えたくてももう遅い。始まるまで気になって困った。5秒ごとくらいに、ずりずり言うのだ。弱ったな・・と、思っていたが、始まってしまったら、すっかり忘れた。映画に吸い込まれたからだ。
都会では、劇場内ライブで、ペンライトや大声でフィーバーしているというが、ここは小松。石川県人そのもののわたしたちは、品行方正な観客だった。どう考えても、応援上映のドンドンパッ・・にはならないね。おまけに、最終にポロポロ泣けてくる。静かに泣きながら鑑賞を終えた。石川県人はシャイだが、心ではノリノリだったと思う。
詳細はこれから観る方の為に述べないでおこう。
一息つくと映画を観たくなる。しかし、忙しいのでせっかく借りてきたものが残念な場合、時間の無駄になるので、ある程度リサーチしたい。
「アイガー北壁」を、借りてきてわくわくしながら観た。残念な結果だった。そういうことか・・と、がっかりして終わった映画だった。他にも、面白そうと思って借りて来たDVDが、時間の無駄だったと思うような時がある。どんどん新しい映画が出ているが、衝撃のラストとかいうのは、後味が悪いことが多い。
昔、映画と言えば2本立てで、休憩が入った。社会人になって、大聖寺の映画館へソフィァローレンの「ひまわり」を、観に行った。2本立てのもう1本は「エマニエル婦人」だった。ポスターを観ればわかりそうなのものなのに、そういう映画とは知らず、観終わった後、映画館から出るのが恥ずかしかった。
小学校の頃、許可映画というのがあって、許可されないものは観てはいけなかった。母と叔母に連れられて「愛と死をみつめて」を、観に行った。吉永小百合と浜田光男だ。あの映画は許可されていたのだろうか。
学校の体育館で「あゝひめユリの塔」を観た。吉永小百合が主演だ。泉雅子も出ていた。学校は吉永小百合びいきだったのか。
推薦映画があって、チケットが配られたのは「黒部の太陽」だった。中学生だったかもしれない。三船敏郎、石原裕次郎・・。あのトンネルを掘るのは並大抵ではなかったことをいつまでも忘れない。とはいえ、感動したことは覚えているが、内容はもう忘れてしまった。なので、良い映画はまた観たいということになる。
この前、某所で友達と観たキムタクと二宮の「検察側の罪人」は、面白かった。映画を友達と観るというのは嬉しい。展開が早かったねえ、やっぱキムタクも二宮もいい俳優だねえ。と、話し合えるのでもっといい。
映画も、どこで、誰と、どんな風に観るかというのは大切だ。もちろん、いい映画は一人で観てもいいものはいい。
さて、今、何が面白いだろう。
映画館へ行くのが好きだ。でも、最後に行ったのはいつだっけと思うと無性に行きたくなる。
どんな映画を観るかというと、笑えるもの。ハッピーエンドで終わるもの。感動もの。と、思うのだが、ミステリーに引き込まれて「衝撃の最後」と、いう言葉につられ観てしまい後悔する時もある。そういうのは後味が悪かったりする。夜中に悪い夢を見そうだ。
先日、休日の前にDVDを借りて「花戦さ」を観た。池坊の花は素晴らしかった。話の内容は、一口でいうと、秀吉に殺された利休の仕返しに、利休と親交があった池坊が秀吉を「ギャフン」と、言わせる物語。但し、「ギャフン」とは言わなかったが。
生け花は見事だった。俳優陣も見事だった。物語としてはどうかな。
で、忙しさを縫って「万引き家族」を観た。世間の闇を凝縮しているような人達が一つ屋根で暮らしている。そこにある絆はどうなんだろう。人はひとりでは生きていけない。身を寄せ合うのは、本当の家族に受け入れられなかった人たち。安藤サクラや、リリーフランキーはすごくはまり役で、安藤サクラの個性的な演技に引き込まれる。そして、子役たちが凄い。これ以上語ってはいけない。今から観る方たちに悪い。
ほんの数秒のシーンだったが、見えない花火を見上げるシーンがあった。あぁ、家族だ!と思った。遠い昔に、我が家もこんな家族図があった。幸せは長く続かない。もしかして、花火のように。一瞬の間にわたしたちの幸せは光って消えるのかもしれない。
人生の殆どは、辛く苦しいのかと言えばそうでもない。そんな中に、小さな線香花火のような幸せを見つめているかもしれない。これは、万引き家族の映画とは関係ない話だが、家族や生き方や、しあわせの見つけ方もそれぞれ違って、生きていることが妙に嬉しく思えることがある。身体が動くことが、考えることが出来るのが幸せで、おまけに時間を見つけてイオン小松で映画を一人で観る楽しみも知った。これは、癖になりそうだ。ちなみに、イオンの株主だと映画の券を発券したときに、飲み物かポップコーンの無料券が一緒に出てくる。ちょっと嬉しい。こんな小さなことがちょっと嬉しいというのは、人間が小さいからだろうか。実際わたしは小さいのであるが。
ちょっと嬉しかったり、ちょっと楽しかったり、ちょっと面白かったりするのをかき集めて生きるのもちょっといい感じだ。ほんのちょっとずつだから、それがなくても落胆しない。すぐに取り戻せるからだ。
大きなお金を右や左に動かしている人は、喜びも大きいだろうが落胆も大きかろうと思う。また、代償も大きいだろう。ひとつの幸せのために大きな代償を払うということもあるかもしれない。それは、よくドラマの中であるな。
『ダンケルク』を観たいと思っていた。やっと休みが取れてDVDを借りて観た。期待外れだった。ひたすら戦闘シーンと、逃げる兵の映像で、そこには戦争の凄さは伝わってきたが、人の物語はどこにもなかった。たとえば、親とか友達とか人との物語はなくて、戦争というのは惨いものなんだということをひたすら描いたのだと思えた。飛行機での戦闘シーンでは、特攻隊のイメージも重なる。
正月に帰省してきた弟が『ハクソーリッジ』が、面白かったという。アメリカ軍が沖縄に上陸して、その中で銃を持たない衛生兵が負傷兵を助けていくという本当の話だとか。期待して、これも観た。夜遅くまで観て思った。いつの間にか、アメリカ兵に自分の気持ちが添って行く。主人公のアメリカ兵を応援している。火炎放射器で焼かれているのは日本兵だ。沖縄だ。感覚がおかしくなった。
先のふたつより、『プライベートライアン』のほうが印象に残った。
ずっと前に『プライベートライアン』を、映画館で観た。1998年に公開されたというから、20年も前なのだ。監督がスティーヴン・スピルバーグで、主演がトム・ハンクスだったので殿に付き合って観た。それに、救出されるライアン役が、マット・デイモンだった。俳優に惹かれ非常にミーハーである。始めの30分くらい戦闘シーンだったような気がする。
どんな映画もハッピーエンドがいいが、戦争映画はそうはならない。たいがいどよーんと暗くなるのになぜか観てしまう。
どちらかというと邦画が好きだ。しみじみと言葉のやりとりをするのがすごくいい。
「セトウツミ」は、大阪の高校生、瀬戸と内海が放課後、川辺で関西弁で会話をするだけなのだ。石段に腰をおろして、川を眺めて、クスリと笑えるふたりの会話にふわっと引き込まれていく。「漫才よりおもろいやん。」と、いつのまにかこっちも大阪のおばちゃんになっていく。
しかし、これがYou Tubeで観れてしまうのがこわい。いいのかなあ。DVD売れなくなるやん。
今をときめく池松壮亮と菅田将暉。菅田将暉といえば、「greeeeen キセキ」という映画もいい。歯医者を目指しながらバンドの活動をする。厳格な医者である父に隠れて活動をするというほんとの話。と、いうか歌がいいのかも。
「しゃべるだけの青春」って、キャッチフレーズだけど、しゃべるってすごく大切で、たまらなく楽しくて、時に聞き手になると、うっとうしい時もあるけど、基本はしゃべることはストレス解消になる。
父の見舞いに行くと、いつも嬉しそうだ。元気な時はわたしと漫才みたいな会話をしていたから、寝たきりになっても何か笑わせたくて話しかけると、父も「口を動かさんから、食べ物がこぼれるようになって困る。」と、言いつつ「せんべい食べたいんな。」と、いうので「今日は酒饅頭しか持ってこなかったわ。」と、言うと「せんべいが、まんべいか・・」と、言う。「なるほどねえ。」と、いうと、いたずらっ子のように笑う。わたしと父の会話は面白くもないだろうが、刻々と過ぎる時間の中での小さな抵抗だ。「タダマコ」ただおとまさこでは、冴えないが。
メガヒットの謎ということで紹介されていたので、ついに観てしまった。
「夢の中で出会う。男女が入れ替わる。」と、言うのは、平安時代にまで遡る伝統のモチーフだとか。「とりかへばや物語」
小野小町も夢で会った人を想い歌をよむ。「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」
それが時を超えて現代人の心の琴線に触れたこと。美しい映像。予想外に中高年の心をとらえたこともヒットの理由とか。出会いや別れを自分の人生と重ね合わせる。
ときめく出会いは若者だけにあると思っていた。年齢を重ねるとひとつひとつの出会いが大切になってくる。別れを何回も繰り返しているので、臆病にもなる。じゃまくさくなって年賀状を減らすように友達の関係を減らしていくようになるのは寂しい。
それにしても、夢に憧れの人が出てこないのはなぜか?見知らぬおっちゃんが、うちの家事をこなしていた夢を見た。よほど、人との出会いより寒くて掃除をしたくないというほうがわたしの頭の中では重要なのか。
久しぶりに市立図書館へ行って本を借りずにDVDを借りてきた。「オーシャンズ11」だ。
刑期を終えて仮出所したダニー・オーシャンが、カジノの売り上げ1億6千万ドルを盗む話だ。2001年のアメリカ映画である。
ダニー・オーシャンはカリスマ窃盗犯で、ラスベガスの3大カジノの現金が集まる巨大金庫から、厳重な警戒とセキュリティシステムを、各部のスペシャリストを募って、11人で実行するという話。何が良いかというと、銃撃もなく誰もけがもなく、スマートでかっこいい。
俳優陣がすばらしい。今までなぜ観ていなかったのかと思うばかりだ。ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモン、そして、ジュリア・ロバーツの美しさ。
大成功!!で、映画ならではの気持ちよさ。しかし、最後のシーンで、車の後を巨漢のふたりの乗った車が尾行していったのが気にかかる。
その後は、オーシャンズ12と、オーシャンズ13もあるようなので観たいと思う。しかし、やらなくてはならないことが山積みで、こういう時に限って、本や映画が観たくなる。きっと、現実から逃げたいのだろうと思う。
うだうだとブログを書いている暇があったら、石川県弓道70年誌の文を考えなくてはならないのに、困ったものだ。
先週の月曜は休暇を取って、孫の4年のkouと2年のkenを連れて、金沢まで電車で出かけフォーラスで「シンゴジラ」を、観に行った。自分で切符を買ったりもワクワクするみたいだ。ゲームは持たないことで、車窓をみながら駅名を見て子供たちは喜んでいた。「能美根上」では、kouが電車が傾いていることに気付いた。以前から傾いていたことを知っていたが、改めてこんな発見も子供たちには楽しいのだった。
金沢に着いたらkouは、「うわーー、人がいっぱいや。都会やーー!」と、感動していた。加賀温泉は田舎である。いや、金沢までのどの駅も森閑とした感じだ。夏休みで学生が少し乗り降りしていたくらいだ。
さて、「シンゴジラ」は、2年のkenには少し難しそうだった。総理と官僚と、自衛隊の出動の如何を会議室で、現在の政治の在り方を批判しているような内容だった。kouは前のめりにそのやり取りを食い入るように観ていたが、kenはポップコーンを食べながら会議室の間は寝ていた。
しかし、さすがにゴジラのシーンは強烈で、kenは釘付けになっていた。社会風刺的なところは大人も楽しめて、「ゴジラは会議室に出ているんじゃない。」式な感じ。
ひとりじゃ観ない映画を観ることができて楽しかった。映画はやはり映画館がいい。
ついに、我慢できなくなった。DVDを借りてきたのだ。「しんがり」を、読んだ後、もう一度おさらいのつもりで観たが、完全にはまった。改めて、内部統制の大切さも分かった。顧客相談室の室長が刺殺されるところでは泣けた。また、弁護士の奥さんも殺されるというとんでもない悲劇を生んだ会社上層部の債務隠しだった。
コンプライアンスが叫ばれる世の中になったのは、ほりえもんではなくここだったのね。という感想だ。
社長交代の時に新社長が「含み損は、いくら?300億?」の質問に、「いや、3000億円です。」というあたりから、腰が抜けそうな話ではあるが、実際あった話なのである。実際には、2600億円の債務隠しの話。
こうなると舛添さんも霞むんではないか。いや、それとこれとは別ですなあ。
ここで、学んだのは、にぎり、旗取り、含み損、不良債権、簿外債務、飛ばし、宇宙遊泳などなどの言葉。証券会社ならではのことば。わたしは、製造の会社でよかったなあと思う。ほんとに、実直でごまかせない製品を作るということはいいことだと改めて思う。
証券知識の乏しい個人顧客に、株や投資信託商品を売りつけ、勝手に売買を繰り返し、手数料を稼ぐことを「客を痛める」「客を殺す」などというらしい。痛められないようにしなくては。ただでさえ、別のところで痛められているのに。
久しぶりに映画を観た。イオンのオーナーズカードを出すと、割引とソフトドリンク無料券がもらえた。
さて、「杉原千畝」を、観たのだが日本のシンドラーと言われた人であることは知っていたが、どういう経緯でそうなったのかということと、ナチスドイツと、ロシアとのからみ、第二次世界大戦に入っていくまでの状況を、千畝を通して観ることができた。
ユダヤ人への迫害を、改めて映像を通して実感した。日本領事館は「大日本帝国領事館」という看板で、その頃の日本の大きな勘違いがうかがわれる。
小雪演じる千畝の妻が、領事館の外で何日もビザを待っているユダヤ人の人たちに交じって、母子の姿をみとめ「あの奥さんは、いつもの通り、ご主人に行ってらっしゃいと言って見送ったのかもしれない。そして、いつまで経っても帰ってこない主人を、待ち続けていたかもしれない・・・。」というところで、やたらに涙が出てきてしまった。
その映画のあと、気になるパンフレットを手にした。映画好きの父が読み間違えていた「たけの うちとよ」竹野内豊(たけのうち ゆたか)の、主演の「人生の約束」には、出演者に立川志の輔と室井滋がいて、パンフレットはもしかしたら、富山湾と立山連峰ではないかと思える。また、吉永小百合と二宮和也の「母と暮らせば」も、気になる。これを、涙せずして観ることができるかどうか。でも、良い映画は心を豊かにすると思う。