まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

薔薇物語

2020-05-31 | 
あぁ・・虫に食われて見苦しい姿に・・。バラは悲観しました。


成長につれて、その傷は目立ちますから、日に日に生きる意欲を失いました。


本当なら、どの花よりも美しく太陽に向かって誇らしく咲くところなのに。


こんな醜いのはもう嫌だわ・・・。どうしてわたしだけが、こんな目に遭うの!!
そう思って叫ぶほど、姿も心も醜くゆがむのでした。


生きる気力を無くしたバラは、手すりにぐったりと頭を載せて、考えることを止めました。
蛙が呼びかけましたが、バラはプライドだけはありましたから、醜いアオガエルの呼びかけを無視していました。


「聞こえないのか・・仕方ないなあ・・」
蛙は向きを変えて立ち去ろうとしました。


「何か?」
品のいいバラの声が聞こえました。
「おっとっと・・・びっくりした・・滑り落ちるところだった。」


「暑いから、しばらく日陰にいてもいいかなぁ。」
「どうぞ、ご勝手に」
そういうと、バラは力尽きて手すりに持たれていたのに、ほんの少し首を持ち上げました。


蛙はそれでもまだ暑いようで、ついにバラの花びらに潜り込みました。
「この穴からちょうど風も入るし、花弁はふわふわ柔らかいし・・なんて居心地がいいんだろう・・なんて柔らかな赤色なのだろう・・ありがとう」

生きる気力を無くしていたバラは、少し腹を立てながらも、蛙が気持ちよさそうにしているので、我慢していました。
そして、少し褒めてもらえたのが嬉しかったのです。


「今、世の中でいちばん、しあわせかもしれない・・」蛙は言いました。
切り取って飾られることもなく、生きているのが悲しいと思っていたバラは、少し元気が出ました。


緑色で醜いと思っていた蛙は、バラに同化して美しく輝いていました。
そして、小さな微笑みを蛙からもらいました。
誰かの為になるということは、なんとしあわせなのだろうとバラは思いました。


花が散るまで、バラは蛙のために宿になっていました。
そして、最後の力の限りバラは咲き続けました。
ほんの少し、バラと蛙は同じ夢をみました。

翌日、蛙は手すりから落ちて、干からびて死んでいました。
バラは涙のようにはらはらと、はなびらを散らしました。
誰かの為に泣くことが出来て、バラは不思議な気持ちになりました。







自転車に乗って

2020-05-23 | 暮らし
ここ何日か、ポーチ作りをしていたので、身体がなまってきた。
一息入れるために、大聖寺までサイクリングロードを自転車で行こうと決めた。
午後に出かけたので、帽子と、日焼け止めの手袋を忘れず。お茶も持ってママチャリの籠に入れて出かける。
10分くらい走ると、もうお尻が痛くなってくる。
こんなにペダルって重たかったっけ・・・。


川沿いを走るサイクリングロードは気持ちいいが、汗もかいてくる。



新幹線工事のところにさしかかり、迂回して川から離れてしまった。
途中で川に戻り旗陽橋に出て、そこから東町の郵便局で用事を済ませて帰る。
しかし、来る時と同じ道を帰っているはずなのに、新幹線工事の下をくぐって出ると様子が違う。川の反対側に出たのかなあ。分からないまま田んぼ道を走っているうちに、南郷に出てしまった。自転車で走ると、ずっとなだらかな上り坂だということが分かる。ペダルに抵抗感が。
再度サイクリングロードに戻りながら、こんな平地で迷っているようでは山は危ないなと思えた。


「夢街道」このあたりが一番気持ちがいい。



国道を越えるときは下をくぐる。左の道へ行くとどうなるのだろうか。
国道8号線を自転車で横断する人などいるのだろうか?怖い。


富士写ケ岳が見える。登りたいが、登山も自粛である。


無事帰宅。行きは25分。帰りは40分かかった。
あ、途中電話がかかったので3分ロス。
当然ながら、歩数計は全く歩数を増やしていなかった。
自転車こぎでは歩いていないので、お尻が痛いだけでつまらないな。
しかし、ここをまともに歩いたら日が暮れてしまう。
走るのはつらい。




ポーチ作り

2020-05-22 | 暮らし
家にいて出来ることに今度は、はまってしまった。
始めは片づけをしていて、布が出てきたので、暇つぶしにデジカメケースを作ろうと型紙から作ったものの、アメリカンスナップが旨く取り付けられず、ホックにした。
momoとnanaが欲しがったので、それぞれに作ってあげたら、髪留めなどを大事そうに入れていた。


デジカメケースより、ファスナーで開閉するポーチの方が良いかも、と思ったので、YouTubeを見ながら作ってみた。
ついに殿のスーツを解体するに至った。
休業で休みが増えたので片付けついでに殿のスーツを処分しようと思いながらも、仕立てのいいスーツをごみ袋に入れるのには忍びなかったのだ。
まず、ズボンを少し切ってみて、ポーチの試作品を作った。

生地もいいし、仕立てもいい、値段も良かったスーツである。


さすがに上着にはさみを入れるのは勇気がいる。
しっかり仕立ててあるものにはさみを入れる瞬間、断ち切るってこういうことなのかと少し胸が痛むが、その後、違う形で手元に残るのもいいのでは?と思った。

アンパンマンのキルティング生地は年長にも人気がないが、意外に可愛い。
しっかりしているので、いい具合に仕上がった。


黒い生地に中がアンパンマンというのもいい。



娘達に「お父さんのスーツのポーチはいらん?」と、訊くと「欲しい!!」と、言うことでいろいろなデザインと、内側の生地も変えて作るうちに増えてしまった。



母は花柄のポーチがいいというので別誂え。



娘に持っていくと、kouが「俺も欲しい」という。中2男子が意外だった。
「母ちゃんどれにする?」と、kenも一緒にみんなで選んだらしい。
じぃじのスーツというのが良かったのかもしれない。
後日、うちに昼ご飯を食べに来たとき、スマホの充電器と家の鍵を入れて持ってきた。なるほど。
結局、わたしの手元に残らなくて、新作をまたまたこしらえる羽目に。



コロンとした形が面白い。
洋裁店で本を買わなくても、今ではすべてYouTubeで見られて、本より分かり易いのでいい。
ついでに、ミシンをかけながら、「中田敦彦」の、YouTube大学を聴きながらずっと作り続けていたら、動かないので足は痛くなるし、胸も悪くなった。
娘に「根を詰めんときねや・・」と、言われながらも、何かにとりつかれたようになっていた。








不要不急

2020-05-19 | 暮らし
わたしは考え違いをしていた。
衣食住以外は不要不急と思っていたが、これだけ粛々と家でひとりでいると、人と会うこと、芸能、文化、スポーツは、不要ではないことのように思えてきた。

糸井重里さんのコピーは今でも生き生きとしている。
特に「くうねるあそぶ」・・人が生きてくうえで、「遊ぶ」は大事なひとつ。
遊びが経済活動を活発にもする。精神的にも良い。
いろいろなことは、生きていくために意味がある。

「バレーがしたい!!」と、叫ぶkou。
みんなと一緒にボールで遊びたいのだ。
本来なら、2年生は大会に向かって汗だくになる毎日のはずだ。
同様「弓が引きたい!!」
それは、素引きや巻き藁で引いていればいいというのではない。
道場で集いたい。試合に行ってみんなに逢いたい。
同じことを繰り返して、何が楽しいのか、弓引き以外には完全に不要不急のこと。
安土に飛んで行った矢を取りに行きながら、あーでもないこーでもないと、お互いに蘊蓄を垂れながら、そんなこと何年も繰り返しているはずなのに、指摘されて初めて気づいたような気がしたりする。
中りもはずれも、抜いてしまえば皆同じ。的に穴を開けたのは誰だか分からない。
それでも、気持ちよくなって帰るのは、みんなといるからだと思う。

コガネムシとバッタですら、ひとつの花に集っている・・・。
この花は美味しいのか?いい匂いがするのか?
虫は生きていく意味など考えないよね。






雨あがり

2020-05-17 | 暮らし
今朝、ウッドデッキから外へ出ると、花が前より咲いていることに気づいた。

田んぼは田植えがとっくに終わっている。
カラーの花がどんどん咲いてきているので覗くと!!




 
アマガエルも雨宿りをするのだろうか?それとも夫婦か?
アマガエルをよく見かけるが、アマガエルの卵って見たことがないなあ。

しかし、なんとなく重荷を背負わされているような姿がオスのような。


あまりに近づき過ぎたせいかメスが逃げて行った。
なぜメスと決めつけるのか。
メスのほうがよその環境になじむことが上手な気がする。
そうでなければ、よその家に住みつくなんてよほどの太っ腹でないと出来ないだろう。
また、その場から逃げる方法も知っている。
何の話だ!!




燕談義

2020-05-16 | 山歩き
娘達が新築して引っ越した途端、おしゃれな玄関の外灯に燕が巣を作りだしたという。
あっというまに出来上がって、可愛くて壊せないのでそのままにしてあるとのこと。
見に行くと、結構低い位置にあって、背が高い人なら覗けるくらいだ。
玄関が引き込みになっているので外敵に狙われにくそうだ。


我が家のガレージには毎年やってくる。
前の巣も残したままなので、もう6個目になった。



娘たちとツバメ情報を交換しながら、巣の材質が違うねということになった。
うちの周りは田んぼなので、田んぼの泥が入っているのではないか?
娘の家の周りは川なので、草木の屑かなと思える。
どちらにしろ、雛が孵ると可愛いのである。それに、フンの始末はしなくてはならないが、エサをあげなくて良いので、しばらくは可愛い客を楽しむことにする。
心配なのは、新築の玄関がかわいそう。それでも、娘婿もツバメを楽しみにしているようである。ただ、電灯の上なので危険はないだろうか。屑が電気で焦げないか。
心配なので、最近耳慣れた「専門家の意見」と、いうのを、訊くように伝えた。




定食屋ばぁば 冷やし中華

2020-05-12 | 料理
今日はmomoとnanaが来て、久しぶりによく遊んだ。
働くことは大事だが、それ以上に遊ぶことは大事だ。ストレスがなくなる。

momoがYouTubeを見ながら折り紙で寿司を作ったのを家から持ってきた。


それを、重箱に入れてバージョンアップ。
ガリ、ワサビ醤油・・も。殆どmomo作。



nanaが、その寿司をシルバニアに食べさせていて、女の子は可愛い。



昼は冷やし中華と、アスパラの豚肉巻き。


パンを作ったり、ミシンを使ったりと楽しんだ後、外で鬼ごっこをした。
あろうことか、6歳のnanaに追いつかれて捕まった。全力で走ったのにである。
確かに運動会では断トツに速いnanaではあったが、まさか・・保育園児に負けるとは・・・が~ん。
全力で遊んだ一日だった。ありがたい孫たちである。
久々に体を動かし、山へ行けなくて体力が落ちていることをも実感した。

せめて、毎日の素引きを忘れぬよう。


マスク2枚

2020-05-11 | 暮らし
アベノマスクは届かない。

新聞の川柳に「マスク2枚 みんなに配って 口封じ」と、言うのがあった。
届かないので、口封じは失敗だ。
その間に、10万円の申し込みの方が先になった。
こちらの方がありがたい。
国民異口同音感謝10万。マスク疑惑。

職場で、業者さんから素敵な記念品を頂いた。
可愛い手作りマスクが2枚入っていた。粋な計らいである。
同じ2枚でも、心がこもっていて、頂く方も感謝、感謝。

こうなると、後で届くマスクは2番煎じで、違う菌がついていそうだ。
あ、菌ではなく金がかかるマスクだ。


わたしが作ったマスクより可愛い。ゴムもやさしい。
もうひとがんばり自粛しましょう。



障子の張替

2020-05-09 | 暮らし
婆さんの部屋の障子が破れていることに気づいて、すぐにホームセンターへ行き、障子紙を買った。
UV効果のあるプラスチックの障子紙を買ったが、のりではなく両面テープで貼るタイプ。
まず桟に霧吹きをかけて、古いのを剥がす。

少し残った部分は雑巾でふき取る。
家にいることが多くなったので、家の細かいことが気になる。

のりの方が刷毛塗りして早く仕上がりそうだ。両面テープで桟を1本ずつ貼ると腰が痛くなる。



完了。
可愛い花模様を見て、婆さんご機嫌。
少し心配なのは、のりと違って日が経つとテープが劣化して浮いてこないかと思ったりする。でも、そうなったらまた貼りかえるとしよう。
気持ちがよい。久々の達成感。



父の思い出

2020-05-09 | 暮らし
父が生前書いていた自分史を読み直した。
父が志願兵で鹿屋の航空隊にいた頃の話や、わたしとの事を書いたもの。
自分の幼いころの思い出などを書いたものだった。
わたしがいらなくなったワープロを父は丁度町の区長をしている時に、必要に迫られて一生懸命覚えたのだった。
その後そのワープロで自分史を書いた。


時折、電話をしてきて、「お前のワープロはおかしい、神社と打っても変換せんぞ・・」と、言う。「どう打った?」「じんじやと打ったが、出てこんし、かみやしろと打った!!」と、言う。「じんじや」・・「神社のじゃは、小さいじゃ・・小さい、や、って打つんやよ」「あ、そうか・・・そうか・・」父は、年老いても何でもチャレンジした。
殿と政治の話をしたり、苦手なカタカナ語が世の中にあふれかえるのを、ノートに書いて、分からない時は婿である殿に訊いていた。
覚えたての言葉を殿に話していて「わしは高等小学校しかでとらんで、あんちゃん教えてくれ」と、殿に素直に質問しては喜んでいた。
このブログの事件簿は、殆ど父のことだ。父はいつも事件を起こしていたな。

話をもどして、父の原稿の話だ。「わたしと娘」と題されたもの。
病気ばかりしていた私に対する父の気持ちがありありと残っていた。
また、弟が生まれたとき、父は稲刈りをしていた近所の人に「男が生まれた!!」と、言いふらしていたらしい。母の出産の為に、ミゼットを買って無免許で乗り回していた昭和39年。
わたしはこの年、伝染病「赤痢」になって、隔離病棟に入院した。
小学校3年だったわたしの掃除場所が、幼稚園続きの廊下で、幼稚園に赤痢が広がっていた。うがい手洗いをしましょうと、先生に言われたかもしれないが、マスクもしない、消毒液もない。手洗いも十分でなかったのだと思う。園児が多かったが、同級生も3人いた。弟が乳飲み子だったため、父が付き添い入院してくれた。しかし、その時、父の母親が胃がんで危ない状態だった。
わたしは2週間で退院したが、父は保菌者となって、1週間延長。
わたしは退院するとき、友達のおかあさんとお風呂に入った。
父にとっては最悪の年だっただろう。迷惑をかけたものだ。
改めて思い出した。今のコロナのように爆発的にはらなかったものの、乳飲み子を抱えた母が、保健所の人たちが来て家中消毒をされて、その布団を干しながら情けなくて泣けたそうだ。
また、近所の人の手前、恥ずかしい気もしただろう。広い田畑に囲まれていたので、街中ではないことが少しは良かったかもしれないが。

今のコロナでは、自分がかからないことが、何よりもの貢献であるというのが分かる。自分一人の為に、家族を巻き込み、病院は隔離病棟なるものを用意し、医療現場は四苦八苦するのだ。それでも、発症するのは本人にとっては辛いことだ。

国の対応が遅いだの、中国が悪いだのと、果ては陰謀では?とかいう人たちがいるが、非力な自分に何が出来るか考えると、自粛し、マスク、手洗い、消毒を励行するしかないのである。
こんな中でも、県を越えて「駐車場閉鎖していましたが、〇〇の山へ行きました。」とか、言われると返す言葉がない。今この時期に山に登ってけがをしてヘリコプターを呼んだというニュースを聞くとがっかりする。

コロナ対応の批判は評論家に任せておけばいい。
わたしたちは、正しいニュースを見極め出来ることをする。
そんな中で、医療現場にビニルの上着をせっせと作ったり、手作りマスクを寄付したり行動を起こしている人たちに頭が下がる。
経済を考えると心も痛む。どうか、あの居酒屋が持ちこたえますように。

父の思い出が、いつの間にかコロナにすり替わってしまった。
安らかな顔で天寿を全うしたと思えることが救いだ。









花が咲く

2020-05-06 | 暮らし
この時期倦怠感という言葉を使うのははばかられるが、葬儀の後ぐったりしていた。
しかし、疲れたからといって、体重が減るわけではない。
家にこもりだしてから体重が順調に増え続けた。
身体を動かさなくてはと庭に出でみてびっくり。花が一挙に咲いた。
ほんの3、4日庭に出ていなかった間に。

毎年恒例の京都行もなく、年に一度会う遠方の弓道仲間との懇親も出来なかった。四条河原町の居酒屋で毎年集うが、きっと今は自粛で静かなことだろう。
富山の方とも審査や大会で、年一度だが毎年会うことが楽しみとなっている。
いつも当たり前に会える人たちに逢いたいと思う。
しみじみと、当たり前に弓を引いていたことの有難さを思う。

石川県は「特定警戒都道府県」と、なった。感染された方は本当につらいおもいをされている事だろう。一日も早い回復をお祈りしたい。




葬儀終了

2020-05-02 | 暮らし
新聞のお悔やみ欄は葬儀終了が目立ってきた。
先月末から、見舞いに行くと寝ていることが多くなった父に、4月に入ってコロナのため面会できなくなった。
4月10日に入院費を払いに行き、看護師に様子を訊くと「食欲が落ちてきている」とのこと。逢えないと心配が募る。

4月30日の朝4時に枕もとのスマホが鳴り、光る文字に病院名が浮かんだ。
瞬間すべてを察した。心配が現実となったのだ。「すぐ来れますか?」
急いで病院へ行き、父に逢うと寝ているようだった。しかし、息をしていないようだ。
看護師が医者を呼びにく間に、母、娘二人と叔父に連絡した。
弟たちにも連絡した。朝早いので、みんな何回かの呼び出しが必要だった。
5時20分死亡診断。その後は、あっという間に時が過ぎた気がした。
茨城に単身赴任している弟と、岡崎に住んでいる弟の嫁が車で来てくれた。
道中心配で、よその車にあおられないか、途中で眠くならないか、石は投げられないか心配だった。
連休はもちろん誰もが移動しない予定だったし、弟も父母の心配をしながらも、帰省を諦めていたのだ。
しかし、喪主である弟がいない葬儀などありえない。
他県ナンバーが移動するなどあり得ないと思ったが、こんな一大事があるのだ。
コロナのため、父の弟妹、わたしと弟。わたしの娘夫婦までしか呼べなかった。
弟の娘たちは東京いて、子供も小さいので来られない。
母方の兄妹も、人数が多くなるので遠慮してもらった。父も母も8人兄弟である。
わたしの娘夫婦も葬儀には出たが、斎場へは行かないようにした。
腰が曲がって小さくなった母も、葬儀までですっかり疲れ切って帰宅した。
葬儀場も、入場の消毒、換気のため、会場は明け放してあった。
暖かい日でよかった。

納棺では、寝たまま髪をシャンプーしてくれて、器械からシャワーで流してもらいきれいになった。髭も剃って、唇もきれいに整えてもらえた。
その間も家中明け放してあった。
殿や義父の時を思い出し、進化していることに驚く。
通夜は感染を避けるため、葬儀場での飲食はしないということで、お弁当とビールを持ち帰っていただく。寂しい限りだ。
夜は、弟と私が泊まり、何十年ぶりに布団を並べて眠った。
明日の打ち合わせ、遺産相続のこと、早くに愛知県に行った弟は、わたしよりも父母と過ごす時間が少なかったと思う。弟の知らない父の話・・話は尽きないのに、昨日からの疲れで眠ってしまった。
夜中に何回か起きて、父の棺を覗きに行った。
久しぶりに家に帰ったのに、すぐお泊りやね。長い間一緒にお泊りできなかったねえ。小さな子供みたいに何回も何回も覗きにいって話しかけていた。
意外といい顔やん。4月22日に94歳になったばかりだ。
母思いの父だ。10万円もらえるんだってよ。4月27日以降の死亡は・・。
「なんじゃそれ」コロナなど知らずにいただろう、あっちへ行ったら殿に宜しく。


斎場も15人以下と人数制限されていた。
入院生活が長かったので、解放されてほっとしているのではないかと思えた。
眠っているようで、きれいな顔だった。最後のお別れはやはりつらい。
「何食べたい?」「太鼓焼がくいたいなあ」(流動食なので無理だ)
「プリンどう?美味しい?」「うまい・・」
「車で来たんか?」「うん・・」「乗せて帰ってくれんかなあ・・」
いろんな言葉がよみがえる。


心なしか読経のスピードが速い気がした。いや、速かった。
また初七日も済ませ、7日ごとのお参りもお寺の方から遠慮したいとの申し出があった。こちらも、同じ意見だったのでほっとした。
これから先、まだまだ解決しそうもないコロナである。

御多分に漏れず、明日「葬儀終了」と、お悔やみ欄に載る。