まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

シルク素材のパジャマ

2015-05-31 | 暮らし

実は、長い間、ろくなパジャマを買っていなかった。夏はTシャツで、冬用はユニクロで、春秋は娘のおさがりのパジャマで過ごしていた。忙しい毎日に、大雑把に流す時間が夜だったのかもしれない。

娘が、お父さんにと、パジャマ工房というところへ注文し、ガーゼを2枚合わせたパジャマをプレゼントしてくれた。殿が着心地がよいと喜んでいたものを、着てみたら、ほんとうに暑い日は涼しく、肌寒い日は暖かく、肌触りもよい。

今回、ときめかない服を捨てた際に、これからの短い人生の長い夜に、最高のパジャマで寝るべきだと思い、シルク素材のパジャマを購入。とろんとした肌触りが心地よい。しかし、ガーゼ生地も負けずに心地よい。

至福の時間は自分でつくるもの。せっせと働いて、よく食べ、贅沢に寝る。

それにしても、なかなか寝つけないのである。なので、余計に夜の時間を贅沢に過ごすことにした。良い朝が来ますように。


103歳になってわかること

2015-05-27 | 読書

本屋に「絶賛」とあるので、買って読んだ。しかし、残念なことに心を動かされなかった。本は、出会いのタイミングが必要なのかもしれない。

103才になってわかることを、別に今知らなくてもいいと思った。今、初めて知ったことが多すぎるのでそう思うのかもしれない。

例えば、人生において重大なリスクを、割り引いて考えてしまうことは、誰に教わらなくても実感し、そのことから容易に抜け出せない。

幸せは最愛の人と暮らすことで、ひとりでも結構しあわせですと言うのは、まだ同感できない。きっと、103歳になったら分かるのかもしれないが、103歳まで生きていられる自信はない。

最近、ストーリーのある本を読んでいない。じっくり読めないのは、気持ちが入っていかないからなのだ。なので、良い本も心に届いてこないのだろう。人生を語られる本は、今の心境では受け入れ態勢がない。少し心がすねているのかもしれない。

片づけの本は流して読めるので心地よい。山田風太郎の本は、記録的に書かれているので、読みやすい。きっと、しばらくは、大好きな「重松清」も、辛いかもしれない。

とはいえ、「103才・・」読み終えて、次は何を読もうかと、積んである本をながめる。

先日TVで「荘子」を、していた。天命に逆らわず、あるがままに生きるということいたく共感した。でも、読むとなると難しいかな。


土地のこと

2015-05-26 | 暮らし

相続の手続きの中で、一番厄介なのは土地のことだった。山林というのは、確かめようがなく、ゴルフ場にかかっているのかどうかも調べようもなく、また、はっきりさせるほどの価値でもないらしい。法務局で公図を取ったもののどうしようもなく、結局、その筋の友達に概略を教えてもらった。もやもやが晴れて、ありがたい事だった。

正確に知ろうとすることが難しいということが分かった。自分の家にまつわる事なのに分からないという不可解なことだ。

おかげで、確認は難しいということと、爺さんは、息子に少しでも土地を残したかったのだという気持ちが分かった。あちこちの水田も、わたしは解らないまま、娘たちが継いでいくこととなる。今は、爺さんのものは婆さんのものなので、嫁がどうこういうものではない。

息子が亡くなったので、次の相続人の印鑑証明と実印がいる。結局、ここできれいにしておかなくては、次の代は相続すべき人が、どんどん広がってしまうのである。

さて、実家の方も、土木の人が相談に来て、道路の使用を頼みに来た。実家の前の道路は私道なのである。おまけに、開拓3名の連名での所有で、そのうちのひとりは亡くなって、子どもが権利を売ってしまい、その所有の不動産屋が倒産し、抵当に入っているというややこしさだ。聞くだけ聞いたが、ここは弟のものになるのだろうから、とりあえず聞くだけの話。

世の中も、空き家問題で難儀している。山林だとか、細かい山の土地の管理は放棄したい気分だが、それもできない。ますます、難儀なことだ。


人間臨終図巻

2015-05-25 | 読書

「人間臨終図巻」  山田風太郎  著

1986年の再版が最近出版されたが、図書館へいくと上巻、下巻で初版を借りることができた。古いが布張りの立派な本だ。

「十代で死んだ人々」八百屋お七からアンネ、森蘭丸と、始まり11名、「二十代」では源実朝、高杉晋作、赤木圭一郎、豊臣秀次、沢村栄治、夏目雅子、円谷幸吉と続いて32名、30歳からは、1歳ずつ刻まれている。31歳、32歳・・とつながり、99歳まで刻まれ、100になると、「百代で死んだ人々」で、まとめられて終わる。

それぞれの人々の、臨終を綴ってある。よく調べてあるなあと感心する。山田風太郎らしいなあと思う。巻頭も巻末もない。ひたすら人名と臨終の記。そして、誰にもその日は来るが、みんなその日は違う。

向田邦子は、飛行機事故だったっけ、台湾の旅客機が墜落したんだった。何歳だったかと調べると、52歳だったのだ。源頼朝から始まり、武田信玄、シェイクスピアと並ぶ。そして、わたしの今の歳で死んだ人は司馬遷、クロムウエル、誰この人?と、知らない人もいる。山本五十六、辻政信。あっ。この人、辻政信は、わたしの祖母と小学校で机並べていたんだって、授業中先生の話を聞かず叱られるが、質問されると全部答えたのだそうだ。

さて、「六十四歳で死んだ人々」では、小林一茶、ブラームス、与謝野晶子、東条英機、三好達治、山本周五郎、壇一雄、杉村茂一

「六十五歳」から下巻にはいる。年金がもらえる歳から下巻である。下巻までは生きていたいと思うものだ。しかし、人生は無常だ。いつならいいともいえないし。

ちなみに、最後は泉重千代、121歳。

 

 


人生がときめく片づけの魔法

2015-05-24 | 暮らし

話題の本「人生がときめく片づけの魔法」を、娘が貸してくれた。片づけをするのに本まで見なくてもと思っていたが、その考えは大間違いだった。

殿の遺品が片付けられなくても、自分のものを片付ければよいと始めた。その本にも「思い出」から手をつけたら片付かなくなるとある。一気に、短期に、完璧に。手始めは、全ての服(帽子など身に着けるもの)を、クローゼットやタンスから出して、「いるもの」とか「高かった」とかを抜きにして、ひとつずつ手に取って、「ときめく」か「ときめかない」かで分ける。新しいとかは関係なく、ときめかないけど捨てられないものは、その役割を終わらせてあげる。

とにかく、全部積み上げると、なんだか全部ボロの山にも見える。それを、たったたったと潔く捨てていったら、同じようなものを何枚も持っていることに気付いたりする。ごみ袋4個分いらない服が出た。そして、引き出しには立てて収納し、すべてが分かるようにするうちに、引き出しには、殿の服も並べた。別の箱に入れるのはやめて随所に同居させた。

同じように「ときめく」殿の服と、おんぼろな物は分けることが出来る。それぞれの引き出しに、ちょこっと殿がいるのである。これはいい。化粧ケースなどに入れるより、いつも見えるところにあるほうがよい。

そうしているうちに片付き、衣替え用の化粧ケースは全部捨てた。ハンカチや、フェイスタオルも山ほどあって、半分以上捨てる。何かの役に立てようと思ってはいけない。今までようこそ役目をありがとうなのだ。

しかし、殿の背広はちょっと手つかず。きっと、まだ「ときめく」のだと思うことにした。これは、主観なのでこれでいいのだ。スーツのズボンに札が下がっていた。全く穿いていないのがあるのは驚き。クリーニングしたワイシャツと背広は、娘の部屋のクローゼットへ移動。我が家の「もいっちゃん遺品館」だ。有名な人は、そういうのあるよね。世の中では有名ではないが、わたしにとっては大きな存在だ。

しかし、有名な人は、手紙とかガラスケースなどに陳列されたりする。作家の手書き原稿とか、お金の無心の手紙とか残されたら恥ずかしいよね。

さて、この後は、本にかかるのだが怖い。ちょっと、断念しそうな気配がする。もはや、弱気だ。それでも、手を付けなくては前へ進めない。


チョムよ

2015-05-20 | 暮らし

チョムが心地よさそうに寝ている。主が亡くなったことを知ってか知らずか、餌を食べた後、うろうろとソファの周りを歩く。

「どこいくんや?お父さんおらんよ。」という自分の声が寂しさを呼ぶ。やばい。

しかし、動く物、いわゆる動物がいるのはいいものだ。ふにやぁ~と、幸せそうに横たわって鳴いている。抱いていると温かくてなごむ。彼は私の気持ちなどわからんだろうなあ。

膝に乗せて自分で撮るのは難しい。

 

 


能美市弓道大会

2015-05-17 | 弓道

ついに、試合に行く。殿へのご厚情のお礼も兼ねて出かけた。

行って能美市の会長に挨拶すると、一緒に出迎えてくれたKさんに「今日来てくれるって言うし、みんな喜んどったよ。」と、言われ嬉しかった。久々に弓を引いて、相変わらずああだこうだと考えているうちに終わってしまったが、天気も良く清々しい気分だ。

昼食時間は、わいわいとピクニック気分で食べる。若い子がUSJ土産の、ハリーポッターの「百味ビーンズ」を、持ってきた。鼻くそ味、耳くそ味、げろ味、石けん味とかあるが、どうも聞いてしまうと手が出ない。無難な味だけつまんだ。「へんてこな味を食べると、午後の射に影響する」とか言って、食べなくても中たりは悪かった。本日も、修行の足らなさを知り、「また出直してきます。」で、しめくくる。

能美市の会長の開会式のご挨拶の「一射に入魂の気持ちで」と、言われたのにほど遠いが、始めの一手だけは無心だったなあと後で思った。どっちみち良い弓にならないのなら、ひたすら一生懸命引くことだけなのである。

殿よ、今日は泣かずに遊べたよ。相変わらずいまいちだった。そういえば、一度もわたしの射を褒めてくれたことがなかったね。あ、そっか、褒めるような射をしたことがなかったのだった。と、〇氏より頂いたお菓子をお供えして本日の報告。

最近は、ひとりで話しかけて、ひとりで結論を出している。独り言をいうこともある。「よっしゃ、行くわ」と、出かけ「おおい、どこにおるん・・」と、西方浄土は遠すぎる。


シンデレラ

2015-05-17 | 映画

保険屋さんから「シンデレラ」の映画の優待券を2枚もらったので、娘と4歳のmomoと観に行った。

ディズニー映画は楽しい。実写版シンデレラは4歳の孫も身動きできないほど、惹きつけられたようで最後まできちんと観ていた。

魔法というのは魅力なのである。しかし、今までなら何でもなく、やりすごすであろう場面で泣ける。まず、母親が亡くなるシーン。シンデレラを枕元に呼び「勇気と優しさ」を、説きながら「わたしを許して」というのだ。先立つ不孝を許してというのは、子が親に言うのであるが、早く逝く自分を娘に許しを請うところはつらかった。王子の父親が亡くなるシーンも、シンデレラの父親が旅先で亡くなって、使者が伝えに来るだけとは残酷な、次から次と亡くなることが悲し過ぎる童話だ。

また、継母が夫を亡くして娘をつれてやってくるのだが、その継母もつらいだろうと思ってしまった。新しい旦那は、シンデレラに「おかあさんを片時も忘れられないよ。」と、言って優しく抱きしめるのだ。それを継母は陰から見ているのはつらかろう。意地悪したくなる気持ちは悲しみの裏にある気がした。

そして、シンデレラは忙しく働くことによって、悲しみを忘れる時間を作っているのだとナレーション。分かる気がする。

確かに、働くことは良いことだ。わたしも、5月から友達の紹介で、午後だけ学童保育に行っている。行った瞬間から「先生」と、呼ばれ1年生の子は次々と「歯がぐらぐらやー」とか、「ころんだんや」とか言ってくる。可愛くて孫が10人増えた感じだ。シンデレラにはりりしい王子がくるが、わたしは幼い王子と姫に会えるというしあわせ。午後の3時間ほどは、彼らの元気に必死についていくことになる。

しかし、魔法がとける瞬間があった。「先生、将棋しよう。」というので、相手をしている最中「あれっ?次、ばぁばの番やぞ。」と、言ったら「えーーーっ、先生、ばぁばやって」と、笑われた。自分のことを「先生」と、呼んだことないし。かぼちゃの出現な感じ。

現実にはガラスの靴もないが、映画はひとときの夢を見せてくれる。

 


追悼射会

2015-05-15 | 弓道

13日、水曜日の夜に山中で加賀市の連盟の月例会を兼ねて、殿の追悼射会をしていただいた。

弓の先に黒の喪章を付けて、一手をカウンターの笑顔の殿の前で引く。遺影の写真を笑顔にしてよかった。終始殿が喜んでいる。

久々に弓を引いて、気持ちが晴々した。

みんなの笑顔が何よりで、嬉しかった。また、整列して写真を撮ってもらった。お葬式の写真はいらないが、この集合写真は新しい第一歩のような気がした。殿のための射会ではあるが、わたしにとって大きな一歩だ。月面着陸の言葉みたいだが。

しかし、わたしの顔は短期間にげっそりやつれて老け込んでいる。写真というのは残酷だ。小百合はどこへ。


父の一時帰宅

2015-05-09 | 暮らし

連休を避けて、静かになってから父は家へ帰ってきた。4月の誕生日で90歳になった父にぐい飲みをプレゼントした。小さい時から、あまり褒めてくれない父がことのほか喜んでくれて、命名を頼んだら「芽吹き」とのこと。月並みではあるが、まあいいだろう。

早速、そのぐい飲みでひと口お酒を呑んでくれたが、また3日後に病院へ戻った。母一人では、父の面倒を看るのも大変で、父も身体に不安を感じるらしい。ほんの少し、窓からつつじを鑑賞しただけの帰宅だった。


勢ぞろい

2015-05-07 | 暮らし

娘の家でみんなでバーベキューをするというので、山へ行って筍を探した。

山は、父の植えた木が並んでいる。下草は母が刈っているのだろうか。道は歩きやすい。

今年は裏年のようで、いつもより採れないが、見つけることが出来た。ついでに、うどもゲットして、天ぷらと筍焼き。勢ぞろいは、常に変化する。昨年生まれたnanaが、歩くようになった。みんな揃うと寂しくないが、殿がいないことを実感してしまう。

今朝、初めて夢を見たことを娘に話した。病気のままで旅館の宴会の膳についていた。そして、いつもの口癖の「大丈夫」と言っていたこと。目が覚めて、泣けたこと。

娘には言わなかったが、目が覚めて気付いた。この1年は殿の為に看病して、いろいろな所へ連れて行ったと思ったが、考え違いだったのではないかと思った。殿が、わたしの為に、色々なところへ行ったり、家へ友達を呼ぼうと言ったりしたのではないかと。

 


京都の審査

2015-05-06 | 弓道

今年も全弓連に審査料のみ支払っただけで終わった。3年間受審申し込みをしながら、受けに行くことが出来ず残念なことだが、実は錬士も受かるか分からないような状態なので、仲間の吉報を待つという楽しみのみとなった。

その中で、石川仲間の1次合格の知らせを聞いて、素晴らしいなあと思う。希望が湧く。次とは言わずとも挑戦し続ければ必ず手にすることが出来ると信じられるからだ。若い人の頑張りは素晴らしい。

さて、わたしはと言えば、向こう弦で会が浅いときている。どうしても、手の内がうまくいかない。よく六段が取れたものだと思うが、その時は勢いで回っていたのかもしれない。

どちらにしても、修練の必要がある。その前に、気になるのが殿の着物や袴だった。片貝木綿の着物や、間に合うものはSさんに着てもらうことになった。奥さんと一緒に来てくれて、いろいろ話して「着物を見ると辛いので、生かしてもらえれば何よりやわ。」と、言うとSさんも喜んでくれた。臓器移植みたいな気がする。

しかし、昔の袴のたたみ方では良くないし、しまう時にたとう紙のほうがしわにならないので、呉服屋さんに喪服の洗いが出来たときに、たとう紙を分けていただき整理した。殿の袴はクリーニング屋さんでぐるぐるたたみにたたまれていた。やはり着物は呉服屋さんに相談が一番だ。

着物を整理しながら、来年の京都に思いをはせていた。素晴らしい。来年の予定が立っている。

 


作品の名前

2015-05-04 | 九谷焼

前に作品展に出す時に、作品の名前って大事だよねえと、友達と話していた。

名前があると、観る人に先入観を与えてしまうのではないかと思う。しかし、無題では、作品を整理するとき、あるいは売れたときなど、何を売ったか、何が棚の中にあるかが分からなくなる。

例えば、花ならその花の名前を書けばよいが、同じ花をたくさん描いたら「しあわせのひまわり」とか、「ひまわりの青春」とか、絶対つけないな。「ひまわりその1」「ひまわりの一生」考えたら、センスのないことに気付いた。

さて、90歳になった父に4月の誕生祝に描いたぐい呑みは、まさしく父の誕生日にふさわしい情景だが、やはり題名がない。長い入院で、お酒を呑むことも出来ないが、明日外泊をするので迎えに行き、ほんの一口飲んでもらおう。

さて、父はなんという名前を付けるだろう。実家の山で採れるものを、小さなぐい飲みにぐるりと描いたのだが。

筍の小さな芽などは、この状態で筍を見つけて掘ったら最高の食べごろだろう。

それにしても、大型連休に用がないのは超寂しい。本来なら、明日の弓道の審査を申し込んであるので行きたいぐらいだが、京都は今年も遠かった。

しかし、石川県勢の吉報が舞い込んで来たらよいなあと思う。


連休の予定

2015-05-03 | 暮らし

連休の予定なし。とはいえ、弟家族が帰ってきたので、実家へ顔を出し、ついでに夕食をご馳走になった。

姪っ子と手巻きずしの材料を調達しに行き、普段は父と母だけの小さなテーブルに、最大4人掛けに無理やり6人座って、手巻きの材料や寿司飯は、てんやわんや状態で、海苔は何かの上に乗り、スライスチーズは立ち上がり、誰の好みか大量の甘海老があり、鯛の吸い物は、どれが誰のか分からない。蕗の煮物や、わらびの酢の物が届かない。

筍の刺身は遠過ぎる。楽しすぎる。家族が多いのはいいことだ。母と姪2名と弟夫婦に、混ぜてもらって、わたしは母や父のもの真似を披露する。

ぎゃははは・・と、フリーを呑んでいるのに酔ったようになっていた。こういうのってまるで朝ドラの、のりだよね。朝ドラは石川弁満載や。と、名古屋勢に説明する。おまけに、日曜の夜は「天皇の料理番」が、あって福井弁やぞぉ。と、真似する。

何でもない会話が楽しい。何でもない会話で生きている気がする。


吾唯足知

2015-05-03 | 暮らし

2355の番組で紹介された歌の中で、京都の龍安寺のつくばいの口を中心に、時計回りで「吾唯足知」と、いうのがあった。

殿は、常々その石を欲しがっていた。それを欲しがることは、その言葉に反するのではないかと少し突っ込みたかったが、確かに「吾、ただ足るを知る」は、うまく出来ているなあと思えた。その、意味するところも、ないものを数えず、あるものを喜びなさいというのは、ほんの少し前までそうだなあと、満たされているときは受け入れることができた。

しかし、上記の意味では、今のわたしには喜びを見いだせない。最愛の伴侶を亡くした喪失感は、どんな物も目に入らない。大きな穴からすべてが落ちてしまった気がする。あるものも見えなくて、わたしには何もないという喪失感だ。この顛末に納得のいく答えなどないと思う。

ところが、「弓道」5月号が届いたので4月号を全く見ていないことに気付いて開くと、閑話弓題に「残された物を最大限に生かせ」と、広島県の会長が書かれた文章があって、日本パラリンピアンズ会長の講演の中での言葉が紹介されていた。「失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ。」意味は似ているが違う。

ここで、少し目が覚めた。少しずつ残されたものに目を向け、それを受け入れる力をつけなくては。わたしの周りの物を生き返らせなくては。

まず、腹ごしらえから。吾ただ喰を知る。ちょい違うか。