まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

支え

2014-04-29 | 暮らし

今まで、何も考えずにあれやこれやと、自分の力で何かをしてきたと思っていた。

ところが、自分の力など殆どないということが、しみじみと分かる今日この頃。普通に暮らしているということは、家族みんなの健康があってこそ。また、仕事があるということが、支えにもなる。

92歳の舅が、日々手がかかり、姑は常に大声を上げる毎日。舅も、父も出来ていたことが、だんだん出来なくなっていくことに不安を隠せない。

旦那の両親と実家の両親が、一日でも健康でいることを願う。

そんな中で、娘が二人目を産みに帰ってくる。臨月の身体で、父親のために病院へ何回も駆けつけてくれた。

幸い、旦那の具合も良く、連休には家へ帰れそうだ。度重なる身体の危機を乗り越え、よく頑張った。

祝杯をあげよう。まだ彼は飲めないだろうから、わたしひとりで今のうちに。

タラの芽の天ぷらに塩。酒かビールか。実は密かに酒絶ちをしていたのだ。いつも、食欲があるということは喜ばしいのか鈍感なのか。


筍探し

2014-04-29 | 暮らし

踏み潰すところだった。このくらいが柔らかくて、美味しい。落ち葉に埋もれていて案外地面はふかふかしている。

こちらは少し出過ぎかな。しかし、見つけると掘りたくなる。

竹の旬と書いて筍。一句、10日で竹になるという。先端は旨煮、吸い物、サラダ。中央は田楽、揚げ物、和え物、根元は千切りや薄切りにして・・・・。

欲張っていると、どんどん実家の山ではなく、よその山へ入り込む。

竹と竹が上の方で、さわさわ擦れる音がする。こんな風に道に迷っていくのだ。

怖いよーー、かあちゃん。見ると、小百合の母はもっと奥の崖の所にいた。それも恐ろしい。

毎日、筍ばっか食べているわけにはいかんのだ。そういえば、マーケットで950円だったな。わたしも母も力がないので、まるで化石発掘のように、じわじわと掘り、大きな穴になってしまう。最後に鍬を入れると、割ときれいに掘れる。今年のように、たくさん採れると、よそへあげてもかぶるのである。

今日は、このくらいにしておこう。千切りにしてチャーハンを作ろうか。若竹煮のワカメをもらったし。この季節は楽しい。芽吹きの食べ物が豊富。


焼き筍

2014-04-28 | 料理

弟が連休のため一人で帰省。一晩だけで、明後日は次の赴任先の引っ越しとか。企業戦士はつらいね。

今年は筍が出放題のようで、弟と母が収穫。父は山へ登れなくなったので、筍堀のコツをメモして弟に説明したようだ。「ここに77」と、書いてあるので不思議に思ったら、筍の絵の芽の方向に「クワ(鍬)」を入れる場所を示してあった。角度77かと思って笑えた。

その後、焼いた筍が美味しいからと、七輪で焼いて食べた。蒸し焼きが良いかと、アルミで包んだ。わさび醤油で食べると美味だが、ビールも肉もなくて筍だけでの試食会。肉とビールは家で食べるとする。

掘りたての筍は、えぐみもなく甘みがある。長寿の食べ物とか。たくさん食べても若返らない。長寿ということは年をとっても生きているということだ。改めて意味を噛みしめる。

柔らかいぞーーー

 

 

 


餌を忘れた

2014-04-26 | 暮らし

愛猫の餌をきらしてしまった。かつてないことだ。急いで買いに行った。

わたしは人間の食事担当で、猫と金魚は旦那に任せていたのでうっかりしていた。餌の袋にまだあるかと思っていたが。

室内に生き物がいることは、癒やされると改めておもう。

しかし、愛猫のチョムは、主人がいないとさっさと小屋の寝床へ行ってしまう。呼んでも外への戸に向かって、主のいないことを知っているかのように、背中を丸めて出ていくのだ。猫背だ。

金魚は、娘たちが新築中に同居しているときに持ってきて、家が出来たら置き場がないということで置いて行った。

危ないところだ。猫は餌が欲しいと「にゃー」と、鳴くが、金魚は鳴かないので、忘れるところだった。おっとっと。(おととではある)

 


もう一度 銀二貫

2014-04-26 | 読書

銀二貫の読後感想を書くつもりが、違うところへ流れたので、再び感想。

読んだ後、元気が出るというのがよい。銀二貫をせっかく貯めて天満宮に寄進しようとするが、仇討ちを買ってしまう。そこから始まるのだが、銀二貫が貯まると事件が起きる。潔くそこへ金を出す旦那と、番頭の掛け合い。

そこで、金に執着せず、その金がどれだけ人を救うか、うまく描かれていて、いつの間にか、わたしまで働いていないのに、今、力いっぱい使うときという気力が出てくる。

毎日、仕事のように福井へ通い、治療費の心配もせずにいられるのは、夫婦で長く務めてきたからだ。とはいえ、長く元気に働いてこれたことに感謝しなくてはならない。

お金のことを考えない生活はストレスがない。また、なくなっても何とかなるという気でいなくては、ここに執着した時に苦しみが始まるのではと思う。明日の米が買えれば良いのである。今は米だけでは生きていけないのだけれど。

会社でストレスが溜まるのは、売上が最高目標だからだ。「お客様満足を第一とする」と、掲げているがその裏には売り上げがあってのお客様。こんなにお得、お買い得・・と、日々広告が入る。何も買わない方がお得なのである。買えばお店がお得なのである。分かっているけど、先の小説のように潔い、生きたお金の使い方をしたいものだ。

しかし、これって結果的に投資かなあ。作者の意図は・・その頃、作者は羊羹を作っていたのだ。納得する金の運用の裏を説得力のあるものにするために。脱帽。

 

 

 


銀二貫

2014-04-25 | 読書

心臓の冠動脈に細いところがあるということで、検査しながら膨らませステントという筒を入れるという。再びカテーテル手術だ。先日は、静脈にフィルターをかけた。今では医学の進歩が目覚ましいので、メスを入れずカテーテルで脳の血管手術も行うし、心臓も人工心肺装置がある。しかし、そうとはいえ危険性や体への負担はある。だんだんサイボーグ化していくね。

11時の予定が緊急手術が入り、午後3時になり、終わったのが5時だった。待っている間に「銀二貫」(高田郁)を読んでしまった。久々に時代小説。大坂天満の寒天問屋の話。NHKで木曜に放映している。この小説を書くために、高田郁女史は、たくさんの寒天を炊き、羊羹を作ったらしい。ものすごく非効率な時間をかけて書いた小説を、半日で読んでしまって申し訳ない。でも、とても読みやすく、時折涙する。たまらん・・

旦那が呼ばれる間読んでいたら、旦那は「それは買って読んだ」とのこと。また我が家に2冊になった。一家に2冊のものが我が家に増えるたびに、旦那のおびただしい本棚の本を恨めしく思う。どこにあるのだーーー。そうだ、我が家に2冊は「弓道教本」も、だった。

読んだ後、ホッとする小説や映画がよい。なんとなくホッとして、術後に先生の説明もホッとするものだった。なんとか元気になっていきますように。

先生は説明を終えて「娘さんですか?」と、言われた。危ない、小百合さんですかと言われるかと思った。しかし、旦那はすかさず言った。「わたしが惚れられて・・」誰も聞いていないよ。長生きする・・と、確信した。


2014-04-23 | 料理

春は山菜や筍を採りに山を散歩するのも楽しいのだが、毎日、福井孫の送迎と福井の病院との通いでのんびりする時間がない。

そんなわたしに母は、一人で何本もの筍を採ってきてくれた。父は足も痛いし、退院後の体。腰の弱い母が山から下りるまで気が気ではなかったようだ。母は、「屋根から落ちる人と一緒にせんといて。ちゃんと無理せんようにしとる・・」と、珍しくきつい言葉を吐いていた。母こそは、小百合のように穏やかで優しく、自分の事は後にして、父や子供のためだけに生きているような人だ。

その気持ち大切に筍を料理する。

米のとぎ汁と、ぬかも少し。鷹の爪も入れて茹でる。とにかく、掘りたてをすぐ処理する。

厨房は家族の薬局とか言うが、私の場合は楽しい遊び場だ。

今日の料理で栗原はるみさんが、ほんわかした雰囲気で料理をするのを観るのが好きだ。楽しんで、美味しくて。

出来上がった筍を旦那に一口持っていった。夕方、先生より心臓の冠動脈の話を聞くため4時に家を出るときに自分の弁当を持っていくことにした。

病院で、一緒に食べると少しは食欲が出ないかと。旦那はほんの一口筍を食べた。「これが食べたかった」と、言ったので嬉しかった。病院の食事はかぼちゃや鮭などが出ていた。


覚悟の磨き方

2014-04-23 | 読書

本の帯と、超訳 吉田松陰というところに飛びついた。

「この命をどう使い切るか。ついに志を立てる時が来た。」

鉄矢の三枚おろしというラジオ番組があるが、この本はおろさなくても、すでに刺身になっている。どのネタが好きかというところか。

ちょっと、思いと違う本だったが、ここにあるいくつかの言葉が心に突き刺されば、本の価値はべき乗倍に上がる。どのように、受け止め自分の中で咀嚼するか。また、言葉探しをしている自分がいる。

「小さくても「一歩を踏み出す」という行為さえ続けていれば、「なぜこれが正しいのか」脳が勝手に理由を集めてくれる。」

「人である意味 人は「なんのために生きているか」で決まるのです。・・・心に決めた目標のない人間は、もはや「人間」とは呼びません。」

さて、一時何も手につかない時間があった。あの状態は人間ではないのか。では、何なのだろう。幽霊。幽体離脱。

「大切な人のために今日できること。」というのが、心に止まった。少しの時間も無駄には出来ない。


おやお矢

2014-04-20 | 弓道

5月の審査に京都のホテルを予約してあったが、今年は旦那が行けなくなったのでキャンセルした。審査を受けるかどうかは未定だ。日帰りという手段もある。しかし、稽古不足なので、このままでは格調高い審査を受けるのは無理である。

審査までに弓具店に矢の修理を依頼してあったのが出来上がった。矢羽を短くしてもらったのだが、今あるものと比べたら、な、なんと。同じ長さだった。と、いうことは審査用に使っていたのは、自分の持っている羽より長かったということに今更気づいた。

購入した時は、何も考えず、矢の長さだけ合わせたが、講習会で引き足らずを指摘されて、矢羽の長さが背の高い人のものと同じであることに気付いた。道具の工夫も大切だ。しかし、値の張る旦那に内緒価格なので、矢羽を切るなどもったいない気もしたが。

そもそも、全日本選手権に出た時に伊勢で買ったものだ。矢の検査のため他の選手と並べておいてある私の矢のみすぼらしさに初めて気づいて、帰りに立ち並ぶ弓具店で高価な矢を買ってしまったのだった。ボーナスを当てにして。

この時に、気づかなければならなかったのに未熟者であった。過去形ではない。今もだ。だいたいあれから何年も経った今頃気づくのだからおめでたい。

大会出場ではなく、矢を買ったことが目的のような感じ。

おやおや(矢)・・である。


わらび

2014-04-20 | 料理

今年もわらびが採れ、腰が少し曲がった母が待ち構えているので、大量にはいらないともいえず持ち帰る。

今日は、カーテンを取り付けに来てくれたYちゃんのご主人にも渡すために2袋用意していた。普段食べ慣れない人のお口に合うか。それより、料理がやっかいなので「後で直接説明するわ」と、言って渡した。料理自体は厄介ではないが、すぐに食べられないので時間経過が必要だ。

ついでに、山菜の類は珍味ではあるが、美味しいというものではないことが残念だ。しかし、毎年季節を感じるために食す物のように思う。

早速、我が家でもこの前とは別レシピで食べようか。

まず、頭のところを取る。少し残して飾りにするのもよいが、この部分は崩れやすく、ヌルヌルが苦手な方には取ったほうがよい。

通常、重曹であく抜きをするが、やはり昔ながらの藁灰が一番良い。母が新聞紙に包んでくれてあった。

 

沸騰したたっぷりの湯にわらびを入れ、灰をわらびが見えなくなるほど上にかぶせる。だいたいひとつかみ強。

火はすぐに消す。ここで、ぐらぐらやると余熱でさらに柔らかくなるので、火を止めたら静かに待つ。ふたは開けておいた方が余熱で柔らかくなり過ぎない。

一晩このままにしておくが、5,6時間でよいかも。とはいえ、夜にこの作業をすると翌日になる。

灰汁とはよく言ったもので、まさしく灰汁はすっかりとれる。

翌日、流水で優しく洗い、きれいな水をはったボールにつけて、冷蔵庫に保存すれば3日ほど持つ。その時は、水を毎日かえる。

さて、からしマヨネーズであえてもよし。お浸しにしてかつお節をかけてもよし、酢味噌もよいし。少し硬めなら油揚げと煮てもよい。(この時は仕上げに浸すように)

季節の山菜は元気が出るとか。何かを作っていると元気が出る。

弓は引いて的に中てるだけで、何も生まないが、きっと心を作っているのだろう。それから友達も。

 


ばね指はどこへ

2014-04-19 | 暮らし

右の手首が痛い。一昨日、ぴきっときてから、ひねると痛いのだ。原因が分からないので、そのうち治るだろうと姑に外用薬をもらった。なぜか病院の「鎮痛消炎剤」は、効くような気がする。しかし、年寄りはこのたぐいの張り薬をたくさん持っている。実家の父も、病院へ行くたびにもらっているようだ。

2週間ぶりに弓を引いた。2週間、病院との往復で腑抜け状態だったので、息を吹きかえしたような感じだ。弓引きによくある都合のよい痛みに似ている。かけをつけると痛くないのだ。いわゆる、包丁を持つと痛いが、弓を引いても痛くない。ふっふっ。いきなり3中した。その後はいつも通りの不甲斐なさだった。

 

しかし、自分では大丈夫と思っても体が疲れを警告するのか。急に得体のしれない痛みに襲われ、ふと思い出した。

左右の中指の痛みが消えていることに今頃気づく。会社で仕事をしているとき、一日中パソコンで入力をしていて、左中指、右親指、右中指がばね指になり、整形外科では女性の更年期になりやすく、ストレスも関係があると言われた。中指はなんとか我慢できたが、親指は痛くて仕事にならない。ペンも持てなくなったので日帰り手術をした。残りの中指は、なんとかだましだまし使って過ごしていた。そのことを今思い出して、両方の中指が現在全く症状がないことに気付く。

なんと、現金なことか。「のど元過ぎれば熱さ忘れる。」とは言ったものだ。何でも、気づくのはそのものが使えなくなった時に、有難みが分かり、元に戻るとそんなことがあったことすら忘れている。人もそうだ。冗談を言っている旦那を見ていると、先週の事が悪夢を見ていたとしか思えない。


孫悟空

2014-04-19 | 小さきもの

弟がインドの単身赴任から戻った話を孫のkenが聞いていて「その人の名前、知っとる・・」というので、「ばぁばの弟で、インドにしばらく一人で暮らしとったんや。」というと

「インド!!ばぁば!孫悟空に会えたか聞いといて!!」

完全に興奮していた。

彼は冒険好きだ。お兄ちゃんと冒険ごっこをして、時折長い棒を拾って如意棒にしている。

お兄ちゃんは、猪八戒のような先の割れた棒を担いでいる。


父退院

2014-04-18 | 暮らし

2,3日実家へ顔を出していないので、母が心配で朝顔を出すと、ちょうどでかける支度をしていた。「今、タクシーを呼ぼうと思っとったんや。今日退院するし・・」と、言うので、ちょうど良いタイミング。父の病院へ向かう。

もともと重病でもなく、かといって目が回るのは気持ちの悪いものだ。しかし、土曜に外泊して家の方がよいと思ったのだ。また、うちの旦那の事も心配だったのだろう。「こんな体で、喪服が着られるか」と、いうので「あのね!おとうさんは元気によみがえったんやし!縁起でもない!」父は年をとったら、ますます空気読めない人間になってきた。いたしかたがない。

でも、時折わたしも本気にとってぶつかることがある。後で、大笑いするのだが、真面目で優しい母は、いつも被害者である。

母は、蕗とわらびを茹でたものをくれた。親ならこそである。

蕗は牛肉と炒め煮した。わらびはからしマヨネーズ。

なんか色悪いな。本物よりまずそうではないか。


散りかけの桜

2014-04-17 | 暮らし

河川敷の桜は見事だ。子供たちがいっちょまえにシートを敷いて花見をしていた。

そろそろ散りかけている。

何の映画だっただろう。桜は儚く散り急ぐ。潔く散るのは特攻隊を連想するが実は違う。

桜は、来年また咲くことを知っているから潔く散るのだと。

人の心は弱い。窮地には思いがけない弱さが出てくる。しかし、とんでもなく楽観的なところもある。きっと、ほんの少しの希望があれば今日笑えるのだ。

「苦しまない練習」という本に

過去を思い出してボーッとしないこと。未来をイメージして妄想に耽らないこと。

過去はすでに過ぎ去った幻覚。未来はまだ来ぬ幻覚なのだから。

中略

「今日、今ここ、この瞬間」にこそ、意識を集中して夢中に打ち込んでいられるなら、君には明日の心配など何もない。

 

 


Au milieu de la vie ランチ

2014-04-16 | 料理

Yちゃんと以前から約束していたランチが実現。先日、女子部の研修会の打ち合わせをしながら、研修会に私が行けなくなってしまったので、心配してくれていた。落ち込んでいるときに電話で話しているうち、ちょうど診察日に金沢へ行くので会おうということになった。

ありがたいことに旦那は一般病棟に移ったので、久々に笑顔の予定だ。

自然食品と、たくさんの野菜。ご主人のうんちくを聞きながら、九谷焼のお皿も感動。

Yちゃんとは長い付き合いの弓友だ。なかなか個人的に食事の機会もないが、要所要所で助けられている。ご主人とうちのだんなとの4人で、金沢でぐだぐだに飲んだことや、互いの近況を話し、しっかり食べ、あっという間に時間は過ぎて、デザートがきた。ハーブティもおいしく、幸せ気分。

先週大変な気持ちになったときは、こんなほっこりした気持ちにはずっとなれそうにないと思っていたのに、友達はありがたい。そして、先のことを決めちゃいかんということも言ってくれたのが心に響いた。

泣きながらおにぎりを食べてたんだというと、Yちゃんもおとうさんの時そうだったという。お互いに図太いということが分かった。

最後にサプライズに、またまた涙しそう。追加のデザート。店の名前は読めない。

そのころ、旦那は5、6歩、歩いたらしい。少しずつ良くなっていくのが嬉しい。

元気になったら、ここへ一緒に来て自然食と、たっぷり野菜を。食べることは生きること。

「まこちゃんを通じて、もいっちゃんのお見舞い。」と、いうこと。ありがとうYちゃん!!久々に笑った。