まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

生きる意味

2014-07-31 | 暮らし

歳を重ねるということは、名人になり、人間国宝にもなるが、凡人の自分にとっては、両親や家族を看ながら思うことは、時間は残酷だということだ。できることが出来なくなる、やりたいことが奪われていく。

しかし、考えたら生きているうちに何かを次世代へ繋げたらそのことが価値がある。大それたことではなく、小さなことでも役割を果たしていれば十分な活躍だ。そこに意味を持たせたい。 親から子でも、先輩から後輩でも。芸術でも、技術でも。後輩はそれを越えて行けばいい。つなげる役割は大切だ。繋げたことが意味があると思ったりする。

よく「生きる意味を知りたい」とか、「自分探しの旅に出る」とか言うが、旅に出かけなくても自分を考えることは出来る。しかし、自分が何者かはなかなか答えは出てこない。ついでに、生きる意味などなくても、生きていける。しかし、何かにつまずいたり、先が見えにくくなると考えるのだ。

誰かに認められなくても自分の心に誇りを持つことが、生きていく糧かもしれない。若い頃は希望があったが、年をとると選択肢が狭くなる。そこには、絶望ではなく誇りを持つことで埋めなくてはならない。過去の栄光にすがるのではなく(過去の栄光もないのだし)まだまだ出来ることを精一杯やり遂げなくてはならないのだと思う。

旦那が退職して、とりあえず肩の荷を降ろした。まずはお疲れ様と慰労を兼ね功績を称えよう。身内が称えなくて誰が称えるか。そういえば、わたしは仕事をしてよく自分で褒めている。「何をさせてもすばらしいわ・・」と、ひとりごとを言わなくては最近は誰も褒めてくれないのだ。それはそれで、自分の耳に心地よい。今日も小百合は美しいとか。誰にいうでもなく鏡の前でにっこり笑っていても罪はない。他人が見たら恐怖かもしれないが。

自分の生きがいなどは、他人には関係ないのだから、楽しくおおらかに生きなくては。愚痴は何も生まない。

 


天神講 マーチング

2014-07-28 | 料理

天神講の夜の行事で、小松工業のマーチングをみた。小2年の孫は興奮気味で、時々わたしを振り返り、目をきらきら輝かせる。わたしが、うなづくとにっこり笑って見入っていた。

暑いのにきっちりとした服で、力一杯の演奏は心に響く。オーケストラと違って、きびきびした動きと、リズムは気持ちを高揚させる。久しぶりに見たが、女子が増えたなあと思う。昔は全員男子だった。わたしたちの子供のころは、ブラスバンドと言えば、男子が多く、ほっぺを力いっぱい膨らませるような吹奏楽器は、女子はかっこ悪いと思っていたが、なんのその。とても可愛くいとおしい。

音楽の力は大きい。人を惹きつける。この元気な若者たちを観る人々と、小さな子供たちと時間を共有することは楽しい。

ついでに、やられた。蚊にも共有させてしまった。血まで。ちっ。


千秋楽

2014-07-27 | 暮らし

今日の千秋楽は素晴らしかった。まず、遠藤が勝ち越した。一人で観ていたのに「よしっ!」と、声をだし拍手していた。相撲好きの母もひとりで観ているだろうと電話した。母もよかった。よかったと興奮していた。

その後の、豪栄道の勝負もドキドキした。そして素晴らしい勝利。どちらが勝っても、力と力のぶつかり合いは、観ていてわくわくする。

あわや優勝決定戦は巴戦に持ち込まれるかと思ったが、さすがの白鵬だ。しかし、日馬富士もよくねばった。白鵬が勝ったとき30連勝目ということに、また拍手を送った。

ひとりで興奮し、ひとりで声をあげ、拍手をおくるなどは、おばばではないか。小百合もおばばになったものだ。

名古屋場所は思い出の場所なので思いは深い。名古屋城が映るたびに、みんなで行ったことを思い出す。

 


天神講

2014-07-25 | 暮らし

加賀市の菅生石部神社は、2月に行われる竹割祭りが有名だが、夏は「天神講」といって、夏休みの初めに祭りがある。昔は、屋台も結構並んでいて、怪しい店もあった。ブロマイドの似顔絵がそっくりに描ける不思議な縮尺の定規のようなものを買って、全く描けずに騙された。

中学1年の時、3歳の弟を連れて行き、帰りにおんぶをして帰って、そのまま熱をだして「髄膜炎」になった。夏休みの間入院した。

それでも、天神講は毎年楽しみだった。家から一番近い祭りだったからだ。

今年は、孫をふたり連れて行った。小2のkouと、5歳のkenに財布を持たせ、まずお参りをする。kouはやはりおにいちゃんらしく「二礼二拍手一礼」と言って、誰に習ったのか「じぃじの病気が治るようにと、俺の事と、みんなが元気でいるようにと、お参りしたわ」と、言う。欲張りな気もするが、ほんとに同感である。

蝶の舞をしていた。無形文化財とか。 

子供たちがチャレンジしていたヨーヨー釣りのたらいが、なんと懐かしい。お馴染みのシールが・・


天地祓いの儀

2014-07-24 | 弓道

毎日実家を回り、母を連れて病院通い。ついでに、娘が歯医者へいくため、乳飲み子のお守を昨日おうせつかった。今日は、姑を病院に連れて行く日だ。来る日も来る日も、みんなの病院のために、走り回るので、わたしの中で、「病」という気が充満している気がする。

初めは「平気」という気だったが、ここへきて「嫌気」という気が出て、病院を歩き回ると、「病」という気が身体に憑りつくような気がする。家へ帰って孫の元気をもらい、なんとか日々を過ごしていた。

これではいかん。弓は武道とか、健康のためというが、厄除けもある。神社で破魔矢があるように、わたしの身体についた悪い「気」を祓いに行こうと思った。まるで「天地祓いの儀」だ。

久々に袴の帯を締めて、ねっとりと汗が出るがいざ行かん。道場で弓を引いたら、手が笑う。Y先輩に「縮んでいくぞーー」と指摘され、天地祓いどころか、天地笑いの儀になった。わたしの矢はどこ・・・。しかし、みんなと弓を引いていたら、いつのまに元気になった。やはり何かを祓いましたね。


臨時福祉給付金

2014-07-23 | 暮らし

母が困っていた。父が入院中に、市役所からの申請書が届き、どうしてよいか分からないのである。

母は小学校しか出ていない。すべての書類などは父に任せっきりだ。いきなり臨時福祉給付金をあげるから申請書を書きなさいと言っても、読む気もなくてわたしにくれた。

わたしも該当しないので、このようなものがあるとは知らなかった。

「平成26年4月から消費税が引き上げられたことに伴い、その負担を緩和する為、暫定的・臨時的な措置として、臨時福祉給付金を給付します。」

対象は、「平成26年度分市・県民税が課税されていない方が対象です」と、あるが、それなら夫婦ふたりとも対象かと思ったら、父宛にしかきていない。おまけに、これをもらう人はたぶん私の両親のような高齢者で、年寄りだけで住んでいる場合が多い。世帯主にくるので、うちの義父母は旦那の扶養なので該当しない。

この申請にあたり、免許証・保険証等の写し、預金通帳のみひらき部分の写しが必要とある。両親の家にはFAXはあるが、コピーは出来ない。コンビニへ行くにも足がない。

幸い、娘の私が手続きをする段取りができるが、その手間に対して父が貰える金額は「1万円」だ。たぶん邪魔くさいといって申請しない年寄りもいるかもしれない。厄介な法律になったものだ。この申請書を配る手間。確認するであろう市役所の人の手間。あれこれしているうちに、1万円などふっとんでしまうだろう。

不親切な給付金だ。どうせなら10万円くらいくれれば?

 


プチバーベキュー

2014-07-21 | 料理

加賀温泉駅の前の交差点で信号待ちをしていたら、隣の車が騒がしい。こちらは信号をにらんでいるので、良からぬ若者たちがわめいているのかと思いちら見したら、娘一家の車が窓を全開にして、みんなでわたしを呼んでいたのだ。

驚いて窓を開けると「バーベキューするし・・・!携帯見て!」と、叫んでいた。後で見ると、プチバーベキューをするので、夜おいでとのこと。

お父さんがいなくて寂しいだろうと呼んでくれたのだ。月曜が休みだということを認識していなかった。サンデー毎日だから忘れていたと思ったが、今は毎日がウィークディだ。どこが休みで、どこが自分の時間か。意外と自分の時間がないような気がした。本当は時間はあるが、ほっとする時間がないのかもしれない。

そういう意味では、ひとときの楽しい時間は貴重だ。久々に良い肉を食べた。年寄りばかりで、鶏肉ばかり食べていたので嬉しく、焼き鳥も玉ねぎも、とにかくお客さんはいいものだ。

婿殿がせっせと焼いてくれて、持ち込みの「のどぐろ」の干物も喜んでくれた。「おとうさんが退院したら、またやりましょう」とありがたい。

 


女はなぜしゃべる

2014-07-19 | 暮らし

男性と女性が持つ遺伝子コードの99%以上は全く同じという。ヒトゲノム約3万の遺伝子の中で、男女で異なるものはわずかしかない。

そのわずかの中で、大きく違うのは、女性は言語と聴覚に関わる分野はすぐれている。記憶に関する海馬も少し大きいらしい。他人の顔の表情を読み取るための神経回路も、男性と比べて大きいらしい。男性は、恐怖や攻撃性をコントロールする能力がすぐれている。

そして、女性は一日に20000語話をする。男性は7000語だという。(「女性の脳」著)

これでは、仕事から帰った旦那に、ああだこうだと話をしたくなるのは当然だ。お酒を飲まなくても延々と話せるのも仕方がない。ついでに、女性の方が家庭での力が増すのは仕方がない。20000語を聞かされる方も大変だろう。

その点、何かを書くということはなかなか良いもので、インプットしたらアウトプットは必要だ。

それにしても、父は男なのによくしゃべる。軽い脳梗塞で、歩くリハビリをしながら、少しもつれる口でずっとしゃべっている。

リハビリのためにしゃべるのは良いらしいが、聞く方は大変だ。ろれつが回らないのを判読しなくてはならない。「そういえば、入れ歯が合わんのか、しゃべりにくいって言うとったわ。」と、母が言ったので「もしかして、それって兆候では?」と、思った。

何はともあれ、元気に食事をし、「食べるのが時間がかかる」というので、「他にすることもないんやから、ゆっくり食べればいいがいね。」というと、「人糞製造機や・・」と、言いながら食べているので呆れてしまう。

それにしても、父がよくしゃべるのは何故だろう。年をとると女になるのか。言語野が発達したのか、男性の機能が退化すると、身を守るために女化するのか。研究の余地がある。しかし、無駄な研究かもしれない。


しそジュース

2014-07-18 | 料理

Kちゃんからもらったレシピをみて、実家の母に紫蘇をもらって400g計る。紫蘇と言う字は難しい。字の如く赤紫の葉をちぎって400gは、けっこうな量だ。炭酸で割ったさわやかな大人の味のジュースを思い出し、わくわくする。

茹でて取り出すと、緑色になる。

惜しげもなく蜂蜜をカップ1杯入れる。聞いただけで体に良さそう。

蜂蜜は、片山津の「森のくまさん」という店で買った。ついでに「MANUKA」蜂蜜も買う。昼はちょいと氷を入れて味見する。何か違う。そうだ炭酸が入っていないので、ちょい違うのだ。Kちゃんにお勧めの炭酸まで聞いたのに。今から買いに出るのも面倒なので夜の部は焼酎を入れた。これはよく効いた。このところ熟睡できずに困っていたのに、よく眠れた。まだまだたくさんあるので、次は炭酸を。しかし、炭酸を買うと「ハイボール」が欲しくなるかも。

 


マルコポーロ

2014-07-18 | 暮らし

娘が紅茶をくれた。甘い香りのする紅茶だ。ひとつずつガーゼにくるまれていて、ころっとした可愛いパック。

 

誰かに電話して一緒にティータイムしたい気分だ。姪が日曜に岡崎から旦那さんと一緒に、新婚旅行のフランスのお土産を持ってきてくれたので、お茶のおともに。小百合と午後のティータイムをしたい人歓迎。


ハードな一日

2014-07-17 | 暮らし

kenを保育園へ送っていき、その足で旦那の病院へ行く。今日の新聞を渡しながら経過を聞く。良好のようだが相変わらず点滴をしている。入退院を繰り返していると、こちらも慣れてくる。

廊下で初回と2回目にお世話になった看護師さんに声をかけられ再々の入院の労いの言葉をかけられた。真夜中に大事に至らない間に来たことを告げると「賢明な判断です」と、言われ話を聞いてもらえて嬉しかった。

旦那を見舞った後、実家の方が気になり10時に向かうと、家の前に白い車が止まっている。救急車ではないか!!急いで車から降りて隊員に、どこの病院へ搬送するか尋ねると、旦那の入院先と同じ市民病院だというので、救急車について行く。既に両親は車の中だったので様子が分からない。到着し点滴を受けている父を見ながら、母から事の次第を聞くと、朝動けなくなったとか。脳神経外科へ入院。軽い脳梗塞。

手続きと入院の支度のため母を連れて実家へ戻り、ふたりでご飯をかけこんで再度病院へ。父は点滴で生気を取り戻したようで、やかましくしゃべり、こちらの方が疲れて「少し静かに寝ていてくれん」と、注意するほどだ。困った患者だ。脳梗塞の影響で言語がおかしくなるかと思ったが、相変わらずだ。しかし、機関銃のようではない。少し衰え、水漏れのする水鉄砲のような会話だ。しかし、大事に至らず午後の予定を遂行することにした。

午後の予定の乳がん検診に向かう。市民会館がいっぱいなので、東谷口地区会館へ行ってほしいと言われていたので、1時半に到着。56番だった。乳がんのマンモグラフィは痛いのでいやだが仕方がない。2時半頃終了し、近くに住んでいるKちゃんの家へ寄る。

予定の一番の楽しみは友達に会うこと。救急車を見たときは、わたしの頭の中で赤いランプが点滅した。あぁ、今日もすべての予定は白紙かなあと。

Kちゃんの美味しいコーヒーと、手作りの紫蘇ジュースがとても美味しく、帰りにレシピをもらって帰った。もっと話していたかったが、孫のお迎え。

娘の仕事が遅くなるというので、夕食を食べさせた後3人で風呂に入る。ペットボトルで作った水鉄砲で湯の掛け合い。風呂の中で汗をかいた。

やっと、静かな時間を迎えたのは9時半過ぎだった。おぉ。パワフル。

 


王女のベッドルーム

2014-07-15 | 暮らし

小屋の中の一角の道場にツバメの糞害が及ばぬように、カーテンを増やしたら姫のベッドのようになった。

旦那の入院騒ぎで稽古していないので、本当に姫の開かずのベッドだ。(中にベッドがあるわけではない)

それでも、時折隙間をぬって舞い込むときがある。迷い込んだツバメは目標を持って飛んでいるのではないのか。

それとも、分かっちゃいるけど制御不能なのか。それは、私の稽古する矢と同じだ。的を狙っているはずなのにどこへ行くのか。

しかし、ツバメはシベリアからちゃんと目標を持って、毎年ここへ来るのだから不思議だ。

わたしも、大きい目標に向けて飛ばなくては。しかし、目標はなんだろう。希望を目標にすると大きな落胆となるといけない。

小さな目標では、シベリヤまで飛べない。ツバメは偉大だ。

何はともあれ、開かずのカーテンにならないように。

 

 


飛んだ災難

2014-07-15 | 暮らし

ツバメが飛び始めた。巣の中に5羽いたように思うが、やたら飛び交っている。

爺さんの作品がなぜか小屋の中にあって、そこはツバメの第一休憩所になっている。そして、勇敢なツバメからシャッターにぶち当たりながら、果敢に飛ぼうとする。

そして、ついに低空飛行の1羽が、今年も愛猫の上空を横切ったものだから、バサッととらえれた。こらっ!!と、追いかけたが、猫は速い。あぁ、飛んだばっかりに災難だ。

臆病にも最後に残ったツバメは無事だ。この前「暴力から逃れるための15章」という本のさわりの部分だけ読んだ。その中で、恐怖とは危害から身を守ってくれる特別な能力であるという。なので、臆病で飛ばなかったツバメは助かり、果敢に飛び出したツバメはやられるのは、そういうことか。

ちなみに、「現代人は直感を頼みに身を守るすべを忘れている。」という。暴力の問題を警察や司法制度に任せきりにして、守ってもらえると思っているが、その筋が介入する頃には手遅れになっている。わたしが、気づいて猫を追いかけたようなものだ。形だけはツバメの味方をしているようにみえるが、何の役にも立たなかった。

直感を鍛えよう。危ないところへは近づかないように、危険人物を察知するように。とんだ災難にならないように。

 

 


クーラーが壊れた

2014-07-10 | 暮らし

旦那の退院が決まった。うちにいる92歳の爺さんに退院の話をしたら「どこが悪いか?どこに入院しているのか?」と、先日、話したのにすっかり忘れている。毎日、食事の時間にいないことも気にならないらしい。まだ、会社に行っていると思っているのかもしれない。

そんなことより、寝室のクーラーが効かなくなった。一昨日からエラーメッセージが出ていた。再び自宅療養の日に暑い寝室では、まいってしまう。元気な私でもうんざりだ。ただでさえ、だんだん暑くなるので身体が持ちにくい。

実は、我が家のクーラーは次々と不調になっている。我が家のかかりつけの電気屋さんは、いつも飛んで来てくれる医者のような電気屋さんだが、今回はあちこちの家からの呼び出しで順番待ちだった。昨夜は暑くて、のた打ち回っていた。クーラーのない生活は耐えられない。

13年経つと寿命ですとのこと。替えの部品がありませんとのこと。結局、リビング、寝室、本の部屋(娘の部屋だった)この夏、3台も購入するはめになり、ついでに、姑ももう一台ほしいと言い出した。空調が直っても財布は火の車だ。暑い。ついでに、入院費を支払うので、やけくそだ。糞まで焼いては、とても品の良い小百合の発言とは思えない。おまけに、優しい電気屋さんに「勉強しないと量販店で買っちゃうよ」と、脅しをかけた。やくざだ。

とにかく、明日持ってきてくれるというので、土曜の退院までに取り付けらるので良かった。ほっとして気づいた。もう一つ焼くものがあったのだ。旦那の世話だ。旦那の「世話を焼く」、孫に「手を焼く」という。いろいろ焼くことが多いものだ。

退院おめでとうと言うところ、暑い話で一人で勝手に盛り上がってしまった。どうせ汗が出るならと、今日は道場で汗を流してきた。「ここへ来ると元気がでるわー」というと「家族以外の人と話をせんといかんよ。」と、年上のお姉さまに言われた。すごく納得した。特に弓道はよい。若いあんちゃんと姉ちゃんが、たんといるので元気も出よう。


加賀山中月例250回

2014-07-09 | 弓道

今日は、加賀山中月例会で、250回目だった。夜8時集合。選手権大会も兼ねての射会。優勝チームはビールをゲット。県体では是非ともこの力を。

毎月第2週目の水曜日。250を12か月で割ると20年。この20年で出席率を言うと、わたしたち温泉卵夫婦は、たぶん上位になると思う。加賀市の住人(合併前からの)で山中に一番近いということもあるが、もともと山中のお薬師で弓を始めたわたしたちだ。山中への気持ちは深い。雪でも嵐でも行った。大雪で道場の前で立ち往生したこともあった。

思えば、薬師の3人立ちの道場から、大聖寺高校の道場での間借り生活から、ついに室内道場を造ることに尽力した先輩と旦那達である。一生の大半を弓引きに没頭していたとは。実家の父に言わすと、「銭にもならん・・」とのこと。昔の人は趣味と実益を兼ねてとかいう。なので、両親は畑とかをするが、わたしたちは何も耕さないどころか、的を壊すだけの所業。(この頃はわたしたちは的を大切にしている?)

しかし、この時間に弓を引かなかったら、金儲けもせず、ただTVを観ているか、ぼおっとしているだけかもしれない。

さて、この会は高桑先生がご存命の時に、毎月、月例会をしましょうと、合併前からの交流は続き、合併後は互いに助け合い、本当に良い関係が続いている。若い人たちにこれをつなげて、300回、400回と行きますように。400回まで、弓が引けるかな・・・