まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ハロウィン

2013-10-31 | 暮らし

今日はハロウィンだ。とはいえ、浄土真宗の我が家には何の関係もないが、買い物へいくと、やたらハロウィングッズが目につく。

たまたま、熱を出して保育園を休んだkenの面倒をみる事になったので、楽しいことをしようと、カボチャでランタンを作ることにした。

今年は、実家で2本植えたカボチャがたくさんあるので、惜しげもなく使えるとはいえ、一番小さなカボチャを選んだ。

頭の部分を切り、種を切り抜き、千枚通しで目と口を大まかに穴をあけて、最後に包丁で整えた。

しかし、ケチな了見で小さなものにした為、蓋をすると、ろうそくの火が消えてしまうのだ。それで、後ろに千枚通しで、小さな穴を横一列に開けたら、なかなか後姿もロマンチックなランタンとなった。

電気を消したら、子供も大人も喜んだ。なぜか、パンプキンパイや、パンプキンプリンが、ハロウィン用に店頭に出ている。日本の冬至かい?カボチャを食べる習慣ではないと思うが。

実際は、西ヨーロッパの習慣で、盆と秋祭りと大晦日がいっしょに来たようなものらしい。

孫に「ハロウィンには、子供が、お菓子をくれないと暴れるぞーって、言うんやね。」と、言うと「ばあば、違うよ。お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞやよ。」で、あるらしい。

クリスマスのように、いつの間にかじわじわと、日本に定着していくのだろうか。何だかよく分からないが、ランタン造りは面白かった。

 


引くこと

2013-10-28 | 九谷焼

童子の茶碗の色を塗り始めたが、しょっぱなから色を間違えた。九谷焼の絵の具は、緑は茶のような色だし、黄色灰色に見えるし、とにかく絵の具を溶いたガラス版に書いてあるラベルに頼るしかない。

塗りすすむごとに不安は増していく。スケッチブックに塗った色の通りになるとは限らない。

とにかく緑を塗ったあと、並べたら5客はまるで5人並んだ弓引き、昇段審査のような気がした。

先生の工房の窓からは秋の木々が見える。

弓を引いていて、なかなか満足のいく矢が出ないのと同様、絵付けの線一本も、満足に引けないのである。なんと引くことは難しいか。そう言えば、高い買い物をした時も、なかなか値段を引いてもらえない。簡単に引くのは、亭主の駄洒落くらいだ。


弓道三病

2013-10-28 | 弓道

昔から弓道の三病といわれる癖がある。早気と弛みと(不好き)稽古嫌いの三つをいう。

恐ろしいことに、選挙以来道場へも行かず、弓も引かず、早気は治るはずもなく、家政婦の様によく働きと、言い訳を並べることが稽古嫌いと同じである。と、いう訳で弓を引きに出かけると、道場には真摯に稽古を積んでいる仲間がいるので、仲間はいいなあと改めて思うのである。

武道は敵との闘いではなく、自己研さんである。敵と戦っているうちはまだまだダメらしい。無敵であるということは、敵をつくらないこと。また、老いと闘うのもダメらしい。無敵とは何か。闘わないということ。自分とも闘わないこと。どうすればいいのかと考えている暇に1本でも弓を引きなさいということだ。弓はひとりで引いていると敵はいないが、試合に出ると自分の中で勝手に敵をつくってしまう。

弓を構え、いわゆる執弓の姿勢に入ると、仏が降りてくるような、厳かなきもちになるように。「佛」という字は、まさしく人が弓を持ち、矢を二本携えているのを著わしている。

わたしも、弓を執ると「普通のおばさん」ではなくなる姿に変身しているつもりだけれど、まだまだ「変なおばさん」だ。

 


九谷焼 工房

2013-10-22 | 九谷焼

娘たちが新築の家へ引っ越し、部屋が空いたので、早速小屋にあった座卓を運び、九谷焼の絵付けをする場所を作った。自分の部屋ができるということは嬉しいものだ。ここは、我が家の工房と呼ぼう。

まだまだ筆もうまく運べないが、とにかく静かな時間を過ごすことができる。さて、いよいよ描き始めたら、筆が太すぎる。呉須用の水をペットボルトに入れたら、間違えて飲みそうになったり、なんだかまだ落ち着かない。

komeさんに聞いて、まず筆を寺井の千圃堂というところまで買いに行った。いろいろ欲しいものが並んでいたが、まだまだ未熟者なので手が出ない。

さて、小品だが取りかかるとするか。ああっ、いかん。茶碗の童子に弓を引かせて、自分自身が弓を引いていないことに気付いた。


ナイトウェディング

2013-10-16 | 暮らし

10月12日、名古屋のザ・ナンザンハウスで、姪の結婚式が行われた。

12時に出発して宿泊するサーウィンストンホテルに荷物を置き、豪華な部屋で一休み。

5時に両家の親族紹介が、ナンザンハウスの控室で行われた。花嫁の父である弟はインドへ単身赴任中で、花婿さんのお父さんもロンドンに赴任中とかで、会うのは2回目とか。まあ、本人が納得しているのだから、親が親密に会う必要もなかろうと言いながら、世の中が忙しいことを改めて実感する。

バージンロードを歩く姪と弟を見守り、思わず目頭が熱くなった。弟の結婚式も名古屋で行われ、身内だけの結婚式だったことを思い出して、日々の過ぎることの速さを思う。人前結婚というのも、始めてみるのである。もう、神前も教会もいらないのか。

さて、壁がいきなり開いて、厨房が見えるではないか。驚くわたしに、娘が金沢もこういうところがあるよ、友達の結婚式がそうだったとのこと。ホテルの結婚式しか知らないので、わくわくした。

デザートもガーデンにしつらえられたバイキングコーナーで、好きなものを選ぶ。わたしは着物を着ているくせに、食欲はあるのだが、実は、1か月前から顎関節症で口が開かない。食べるのが非常に不便で、旦那曰く「しやべるのも不便にならないのか」と、残念そうである。

さて、可愛らしい姪と素敵なお婿さんとの結婚式は滞りなく終了し、両親への手紙でまたまた泣かされた。娘は「わたしの時より泣いとるやろ。」と、言うので「当たり前やわ。あなたの時は、やれやれよかったよかった・・っていう気持ちが大きかったからね。」である。


昆虫館

2013-10-08 | 小さきもの

孫がの運動会の代休で金曜日が休みとなったので、昆虫館へ連れて行った。

白山市というので、一体どこなのだろうと思っていたら、鶴来の弓道場の近くではないか。合併で、鳥越村も松任も鶴来も白山市となったら、さっぱり見当がつかなくなった。

さて、かの雅子妃殿下の頭に蝶がとまったというところで、小百合にも止まるかどうかわくわくして入ったが、蝶は蜜に群がるだけであった。それにしても、美しい。ゆっくりと回ると、結構遊べるものだ。何回も来ている孫も、何回来ても、わくわくと喜んで帰るようだ。蝶の標本の中の青い蝶や、生きているごきぶりや、秋の虫の合唱はなかなかのものだ。

人面カメムシが笑えた。顔を入れて写真が撮れるようになっていて、主人が顔を出したら、カメムシと同じに見えてしまった。もし、今出会ったら結婚しなかっただろうと思うが、お互い様と言われそうなので黙っていた。

昆虫館で夫婦の関係を哲学してもいかん。そこは、笑って流していくしかない。

 


激戦を終えて

2013-10-08 | 暮らし

市長選と市議会議員選が終わった。

町内から出ている市議会議員候補の応援のために、主人もわたしも、選挙事務所に日参し、出来る限りのことはすべてやり尽くしたように思う。後は、候補者と若い選対委員の力がものを言う。

そして、昨日の夜、トップ当選の報告を受け、久々に町内の人々がひとつになって喜び合った。市長選と一緒だったので、なんとも入り乱れ、いろいろな圧力があったり、大変だった。ともあれ、終了し夜遅くまで、公民館は婚礼をしているような賑わいだった。

やっと、一息つき、丁度時を同じくして、娘たち家族は新居へ引っ越したので、我が家はもとの年寄ばかりの4人家族となった。こちらのほうも、8人家族は毎日激戦だった。ごはんの支度はもとより、茶碗を洗っても食洗機での乾燥はおいつかず、卵は毎日1パック、牛乳も毎日と、冷蔵庫は一杯になるので、買い物は毎日行かなくてはならなかった。

今日は、朝から余裕の一日が始まったのに、夕方は再び、子供たちを迎えに行って、新居と自分の家を行ったり来たりと、かえって大変な夕餉の時間となった。

お金は稼げないが、仕事だけはあるという貧乏暇なしの状態だ。ありがたい・・

 


稲の穂が

2013-10-04 | 暮らし

先日の「乾土」について書いた後、散歩の途中で稲の穂がでていることに気付いた。

 

実は、長い間田んぼのある風景真っ只中に住んでいたのに、気づかなかった。うちの田んぼは近所の人が作ってくれていて、毎年米を貰うだけで、田んぼについての苦労も知識もないのである。

その上、今年は無農薬で作ってくれることをお願いした。なんという有難いこと。切り株からの新しい芽の上に、新しい穂をみると、大したものだと思う。

木も切った後、新芽が生き生き出てくる。人間も切られた後、生き生きするんだろうか。辛いところである。しかしながら、術後は生き生きと生きていることに、感謝を深めることは確かである。


水始涸(水始めて涸れる)

2013-10-02 | 暮らし

10月1日から衣替えというのに、連日28度と気温があがる。10月3日頃を「水始めて涸れる」という。田の水はすっかり抜かれて、稲はすべて刈り採られている。

暑いとはいえ風は秋風、田はすっかり稲刈りが終わり、一面田植えをしたような緑色になっている。これは刈り株から稲が再び芽を出している。これを「穭」(ひつじ)と呼ぶ。語源は「乾土(干土)」(ひつち)。土が乾いた田んぼから出てくるからとのこと。「稲孫」とも書くらしい。植物の生命力は素晴らしい。

わたしも、刈り取られた髪はすっかり生えて、前にも増して、天然パーマというおまけつきだ。これは、恐ろしいバージョンアップに他ならない。亭主も怖れる天然パー子。