まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

パキロビッドパック

2024-03-17 | 身体
そそっかしいと言えば、高価な薬をぐいと飲んだらのどにひっかかった。
一瞬コロナは治って、誤嚥性肺炎とやらで死ぬのではないかと思った。

昨日、そこまで書いて終わった。
今日そのブログの続きが書けるということは死ななかったのである。

昨日の続き。
飲み込んだ薬が食道のどこかで横になっているのではないかと思う。
ぬるま湯を飲んではみたが、つっかえた感じが抜けない。
仕方がないので、娘が持ってきてくれた最中を食べることにした。
その餡の重みとお茶で流そうかと、しかし、それも逆効果だったらどうするか?
台所のパイプが詰まった時、上から排水を溶かすドロドロ液を流すと余計に詰まるという。「混ぜるな危険」と、書いてあるが時を間違えたら、「流すな危険」なのである。いや、わたしの喉は台所の排水管とは違う。
初めから粒が大きいとは思っていた。絶対日本人が作ったのではないと思う。華奢な日本人の喉には不似合いな大きさだ。
絶対牛のような外人が作ったに違いない。
あるいは、類稀なる華奢なわたしの喉には無理な大きさだということかも。
娘にLINEしたら「たぶん外国じゃね」「割って飲めばいいよ」
貴重な意見だった。ちなみに、後で粒を測ってみた。

縦20mm×横18mmの枠に並べた。ノギスがないので正確ではないが、たぶん一粒18mm×6mm×4mm(厚み)それを、3粒だ。



商売では不安がらせて物を売る場合がある。
お肌チェックなどして、化粧品を売る。
「奥様のお肌はデリケートですから乾燥に弱いので、しわができますよ」
「夏は紫外線で、シミがいっぱいできますよ」
医者は、すでに不安で来ている患者ばかりだから、前置きはいらない。
高齢だから重篤になるといわれたら、万が一と考え、早く治してほしいと思うので言われたままだ。
でも、癌になって医者や看護婦に命を救われた身の上だ。
ありがたい「お医者様」と思ってしまう。
何の知識もなく、体力もない上に、弱った体で判断を下すのはあなたですと言われたら、断る人は稀だろう。
その医者は、風邪薬は気休めですよという。では、この高価な薬は気休めではないのか?

たぶん、わたしはこうやってPCに向かって、あーだ、こーだと言えるほど元気になってきたのである。
だいたい薬を飲みたくなくなってきたら回復した証拠だ。
これは飲み切ってくださいとのことだから、何らかの効果を期待しがんばるしかない。

そういえば、殿も最後は1日5千円の薬を飲んでいた。
もう余命数日という時だった。これって、延命の薬?と思った。

これから先、延命の薬を勧められたら、しわ伸ばしのオプション付きの薬を処方してもらいたいものだ。







コロナがやってきた

2024-03-14 | 身体
心配した通りコロナだった。怪しくて検査キットで調べたら、瞬く間に赤い線が2本現れた。陽性反応だ。
新幹線は止まるは、コロナにはなるは、踏んだり蹴ったり。
単なる風邪だと思ってはいけない。
インフルエンザやコロナが渦巻いている。
コロナが5類になったということは、前より移る可能性があるということだ。
迂闊だった。
婆様に移ったら大変。
前に、インフルエンザになったとき、婆様に移ってしまったので、今回もはらはらする。
昨日の夜と、今日の昼は一緒に食事をしたので心配だ。
年寄りは肺炎になる恐れがあるし。
病院へ行くと、高齢なので重篤にならないようにと、高い薬を頂いた。
うちには94歳の婆様がいるので、私自身は高齢という意識がなかったが。

パキロビッドパック600、ウィルスの増殖を抑えるという。
5日分10万円である。日本はすばらしい、健康保険のおかげでこのような薬も1万円あればもらえる。漢方と解熱剤を貰って1万円支払った。
服用中セイヨウオトギリソウ含有食品を取らないでくださいと。
それはハーブで、リラックス効果のあるという抗うつ剤などに使われているらしい。
高熱、高齢、高額
3高である。




鼻ぐず

2024-03-14 | 身体
藤枝の夜に、寒い寒いと言って夜景を写している場合ではなかったのだ。
仕事に行ったら、寒くて室内でもジャンパーを着ていた。
最近はジャンパーとは言わないのか?アウターとかブルゾンとか?
スタッフジャンパーっていうよね。
ま、どちらにしろ体がだるく横になりたい状態だった。
帰って体温を測ったら37.2℃で微熱だが、薬を飲んで早く寝た。
ついでに土曜の飲み会は、ドタキャンはまずいかなと思ったのでキャンセルした。2,3日で元気になるとは思うが、無理をしてはいけない年頃である。
金沢を出歩くと、またぶり返しそうだ。それに咳がでる。
せっかく早く寝たのに、夜中の2時にサイレンが鳴り、3時まで鳴りっぱなしだった。山中方面の火事だった。お気の毒だ。微熱とはいえぬくぬくと布団に潜り込んでいられるのは幸せである。

3月16日は、新幹線開通の日で、正しくは「新幹線延伸開業」で、加賀温泉駅前は駐車できないと聞いた。
停めるところを探して準備万端だったが、情けない。
一緒に藤枝へ行った仲間にLINEしたら、同様風邪を引いて、明日病院へ行きますって。やはり寒いと免疫力落ちるよね~と、同病相憐れむであった。
ぐず・・・

定期検診

2023-10-24 | 身体
わたしの休みの火曜日は、義母のかかりつけ医へ行く日と決めてある。
「はい。血圧144 少し高めやけど大丈夫」
「血糖値 大丈夫」血圧と糖尿の薬を飲んでいるのでっ大丈夫と思う。
先生が心臓に聴診器を当てて「ばっちり!」と、耳の悪い義母に指でOKをつくる。
心臓はわたしより強いような気がする。
しかし、体重がだんだん減ってきたので、骨粗しょう症の心配をして薬をすすめられた。
「いつも家で測ると、もっとある・・」と、抵抗していたが、看護師に
「ここの体重計で毎回はかっとるんやし」と、笑われていた。
あとで、義母にカルシウムの薬の飲み方を教えて、わたしも一緒に聞いていて、帰ってから大丈夫か確認したら、
「先生は、年寄りやのにあきらめんと丁寧に見てくれて、大げさや‥先生のお腹のほうが心配やったわ。白衣のお腹のボタンがちぎれそうやった」
軍配は婆さんに上がったようだ。



10年経ちましたから終わりにしましょう

2022-09-12 | 身体
10年は長い。
いや、歳を取ると10年はあっという間だ。
保育園だった孫は中学生になり、小学生だったお兄ちゃんは高校生になった。
そして、わたしはより上品な婆さんになった。
当たり前だが、いろんなことがあった。
そして、恋人に別れを告げる如く言った。
「10年経ちましたから、もう終わりにできませんか?」

今日、毎年恒例の癌検診。執刀医から代々替わって4人目の先生になった。
10時にCT検査して10時15分には待合室へ。
11時の診察予約が、11時50分。ようやく呼ばれ看護師から
「お待たせしました」と、言われた時には、つい
「お待ちしました」と、言いそうになった。
2時間座りっぱなしはきつい、これでは違う病気になりそうだ。

女医さんだった。婦人科は女性の方がいいかもしれない。
そして、異常なしの診断を下された時に、
「来年の検診は・・」と、言われて
「先生、10年経ちましたからもう終わりに出来ませんか?」

結局、大丈夫でしょうということで、ピリオドを打った。
言い出さなかったら、来年もくることになったのだろうか?
何はともあれ区切りをつけることにしてよかった。
最後に、二度と来ないつもりで、殿と通った先進医学センターの写真を撮った。
あの頃、藁をもつかむ思いで、1回20万、30万の治療を受けたことは、殿にとって希望を最後まで持ってもらったという点では良かったと思うが、今更だが、怪しかったのだ。

金沢大学病院の敷地内に建っているので、てっきり金沢大学が先進医療を行っているかのように思えるが、違っていたのだ。
もう初診を取らないとネットに書いてあった。
院長の名前も記載されていない。
高級ホテルのような受付だった。
診察室も患者一人に一部屋。
NHKで放映されて、すっかりその気になったのだが、ある意味最後に希望を持たせてもらえて、ゆっくり時間を過ごす場所として安心もあった。
今となってはそう言うしかないのだが。

いずれにしろ、もう終わりにしましょう。
わたしたちの関係。。。



しびれるね

2022-02-15 | 身体
弓道協会の新年総会があり決算を終えて新しい年度となる。
一昨年からコロナの影響で活動が難しく、今年は会費の設定を会員の負担のないようみんなで話し合って決めた。
日頃稽古して試合とか審査を受ける正会員と、稽古を休んでいる準会員と、その中でも全弓連への登録をする人としない人に分けた。
脱会する人をくい止めるためにも価格の改訂はしなくてはいけない。
そのせいか、この仕事を何十年もやってきて、初めて脱会者ゼロとなった。

弓の稽古をしばらく休んでいる弓道仲間の同級生が会費を支払いに来てくれたので、しばしコーヒーを飲みながら話をした。
お互いに癌を患って、抗がん剤治療をしたので、その話になった。
指先が痺れるというので、実はわたしも痺れが取れ切っていなくて、寒くなると特に手や腕にも及ぶ。これは、抗がん剤のせいだよね。と、言いつつ証明できない。
医者に言っても治るわけではないし、経験したものでないと分からないことがある。日頃、誰に言っても分からないと思いうから黙っていたが、二人で話が盛り上がり、抗がん剤の是非に話が及んだ。
及んだところで発表の場もないし、最近はIPS細胞の研究も進んできたので、癌なんか風邪くらいの病気になりそうな気配だ。
治療中、指先の痺れがひどくて、料理をしていても、食材をつまんでいる感触がなくて、ひどいときには揚げ物をしていて油の熱さも分からないくらいだった。

「しびれるねぇ。もっと面白いことに痺れるならいいんだけど」
と、話しつつ「もしかして、これって後遺症じゃなくて、老化かも・・」
同級生と話していると年を取っていないような感覚になるが、高齢者ということに痺れの原因があるのではと気づいた。
何しろ、高齢者と区切られた年になった経験は初めてだから。












検診にひっかかる

2021-08-20 | 身体
大雨、コロナ、地震、ニュースは日々暗いものを流し、アフガニスタンの情勢を深刻に語る。
殺人とか怖いニュースが最初に流れ、医療崩壊を叫び、記録的豪雨、台風と、危機を感じさせる。
生きていくうえで危機を感じることは大事だ。

ところが、身の上に起こらないと、コロナや災害も、他人事のように思い、お気の毒だなあと思いながらも、身の回りに起きない間は楽観視する。

今年も健康診断し、がん検診もした。
またまたマンモグラフィーで、しこたま胸を潰されて「アタタタ・・」という感じで、受けた乳がん検診の結果が届き、要精研と書いてあって、病院の紹介が載っていた。
がーん。他人事のように思っていた乳がんが身近にクローズアップされ、弓道の審査迄間近と思っていたのに、すっと色あせて遠くへ飛んでいく。
今迄の努力は何だったのかと思って空しくなる。
パソコンのどよ~んに引き続き、ずど~んという沈み方だ。
しかし、早く検査して治療すれば早期発見で、助かるだろう。
近くの医療センターは外科しかないので、乳腺専門の科があるところを選んだ。石川県中央病院だ。県庁のそばで行きやすくきれいだということで、娘もそこがいいと言ってくれた。

さて、またまたマンモをする。今度は横だけでなく、上からも挟む。
「これって痛いですよね~」というと、「なかなか開発されませんよね。」と、女性の技師が言う。
マンモでの再検率は10人にひとりという。
怪しいのはすべて取り直し。早期発見には漏れのないようにということではある。次にエコーで見るのだが、その検査を終えて10時20分。
そこから11時過ぎまで待たされた。なぜか3人いた専門医の掲示に対し、進んでいくのはふたりの先生だけだ。8時半に来た時は、1番の先生だったのにその先生は、何か他の用事か休憩か急患か、とにかくその先生の診察室はもう扉が開くことはなかった。

娘から「どうや?」と、ラインがきた。朝一で行くといったので、もう終わった頃と思ったのだろう。
「待たされている・・順番は遅々として進まない・・チチだけに・・」と、返信した。

ようやく11時40分に、3番の診察室の画面にわたしの受付番号が光った。
そして、「異常なしです。今後も検診は続けてください」と、30秒ほどで終わった。
朝食を食べる気力がなかったのに、急にお腹がペコペコであることに気づいた。

ニュースは危機を煽るところから始まり、最後は料理やスポーツの話しでホッとして終わる。

わたしも、さっきまですべてが色あせていたのに、急に食べ物がどーーんと頭に広がった。


こぶの原因

2020-11-16 | 身体
頭をぶつけてこぶが出来た。頭頂部よりやや後ろの真ん中。
うつむいたままの状態から、早めに頭をあげたらごみ収集のかごの入り口の上部にぶつけたのだ。
触ってみると、ナマコみたいにぶよぶよしている。

その時、自分のそそっかしさを反省しなくてはならないのに、一瞬めまいがして、「あ、いた~・・」となって、根本原因というところへ痛みのやり場がいったのだ。
土曜の朝はごみの日で、ごみ収集場の掃除当番だった。
仕事へ行く前、8時過ぎに清掃車が持っていくのを待って、いざ箒とチリ取りと火ばさみを持っていくと、透き通ったビニル袋が置き去りにされていた。
加賀市は黄色の指定のごみ袋である。仕事があるのでとりあえず掃除だけして、後で黄色の袋に入れようと思い仕事へ出かけた。

前にも同じようなことがあり、有料のごみ袋に入れ直して出しておいた。
ルール違反している人は、誰かが処分してくれるのでいつまでもルール違反するのかなあと、友達に話していたら、紙を貼っておいたらどうかという。
それはいいかも、夜は熊が出ると怖いので翌日の朝、「指定のごみ袋に入れてください」と、書いてガムテープでごみ袋に貼って、仕事に行こうとした。
その時、ごみのかごの扉を開けて貼り終わってそのまま頭を上げたのだった。
があぁ~ん。ゴミを置いて行った誰かに対して腹が立った。

黄色の袋に入れて奥に放り込んでおけばよかった。
もしかして、町内の人ではなく通りすがりの人かもしれないし、無頓着な人は張り紙をしても平気だろうし、もしかして、判断能力を無くした年寄りかもしれない。
ぷにょぷにょしたこぶを触りながら、どうしたら良かったのかと考えたが、やはり誰のせいでもない、コブを作ったのは自分なのである。

怪我の原因は動作の原因なのか、その行為をしたことまで遡るのか。
製造会社にいたわたしは、あの「なぜなぜ・・」の、シートを思い出した。

体のこと

2020-10-17 | 身体
どちらかと言えば小食である。がっつり食べるということはない。
それなのに、脂肪はがっつりとつくのは運動不足だからか。言いたくないが年齢のせいなのか。
毎朝、少しのごはんと卵で始まる一日。
血圧が低いのは昔からだから仕方ないが、普段の生活には何の支障もない。
けれど、山へ行くとなるとお腹の調子、貧血、めまいとかが心配になり、まるで試合の朝のように緊張する。
なので、天気の悪い日は行かないことにした。

左足が外反母趾なので、若干心配がある。弓を引いているとき、足の裏を床にぴたっとつけると、左親指は浮いている感じがする。人差し指の方に曲がってくっついているので、地面につけようとしても思うようにいかない。
だからどうだというのでもないが、何となく中途半端な左親指が気にかかる。出来の悪い部分は気になるものだが、それなら自分自身全体を気にかけなくてはいけないのでは??



眠れない

2020-08-12 | 身体
わたしはおやすみ3秒のタイプだ。
旅行で枕が変わると時として眠れないこともあるが、家で眠れないことは殆どない。
心配事も忘れてしまう年頃になったせいか。

さて、プレドニゾロン錠という、いわゆるステロイドで、合成副腎皮質ホルモン剤は、やはり強烈で、医師の指示に従って正しく服用しなくてはならない。
最初の3日は朝8粒、昼4粒。1日目から眠れない。
身体を横たえているものの、12時・・1時…エアコンは快適温度だ。2時・・・2時40分・・・ようやく明け方に眠りだしたが、今度は目覚ましに起こされる。
眠れないとはいえ、どこかのタイミングで眠くなる。翌日の仕事が辛かった。
過日の会の原稿の校正を頼まれたが、何行か読んでいくと気が遠くなる。
コーヒーを飲んで、またやり直し。

先生が「入院の選択肢」を、言われたのは、こういうことも含まれるかもしれない。仕事や生活への影響。
あるいは、量と時間を間違って飲みそうなタイプにみえたのかもしれない。
どちらにしても、そうこうしているちに、初めの大量服用3日間は終わった。
今日も終わったので、後5日間。
9日間が過ぎて、市内の感染者クラスターが収まっていれば道場へ行かなくては。
今度は筋力低下だ。



入院という選択肢もありますよ

2020-08-10 | 身体
8月6日は暑かった。ちなみに、この日石川県の気温は37.5度あった。
前の日から婆さんと約束していたので墓掃除に行った。
婆さんは、朝早いと熊が出るからと9時に行くという。熊より熱中症の方が確率は高いのだが。
わたしは、帽子と日焼け止め、山用のタオルを濡らして巻ていったが、直ぐに乾いてしまった。
途中、車にあるスポードリンクを飲んだ。
婆さんはとなりの墓の草もむしりだしたので途中にするわけにもいかず、1時間半経って、ようやく腰をあげたので、片付け始めた。
家へ帰って、ぐったりしたが、とにかく昼食をぼおっとしながら作る。
婆さんは昼ごはんを食べてすぐ、暑いのに公民館まで歩いて、敬老会の体操へ行った。恐るべし90歳。

午後、休んでいたら耳が塞がった感じがして、聞こえにくい。平成30年に突発性難聴になっているので、この症状には覚えがある。
土曜に耳鼻科へ行き検査を受けたら、やはり突発性難聴との診断。
ステロイド薬を処方された。
先生は「入院という選択肢もありますよ・・・」と、言われた。
「そんなに悪いですか?」と、言うと「いや・・ステロイドを服用したら安静に」とのこと。
「熱中症とは関係ありますか?」と、訊くと「直接関係はないけれど、無理をしてはいけません。」「墓掃除をしただけで、大したことはしていませんが・・・。」
「その、大したことをしていないということが無理をしているのかもしれませんよ。」
うーーむ。このくらいで、影響するとは情けない。

大量の薬を3日続けて、徐々に減らして、9日間続ける。
同時にビタミン剤、血管を拡張する薬、胃の薬を飲む。

とにかく、発症してすぐに治療すると治るのだが、手遅れになると難聴になってしまうらしい。発症後1週間が勝負とのこと。危機一髪だった。お盆休みで病院は1週間休みに入る。

この暑さにビールを飲みたいと思うが、薬もアルコールも肝臓での代謝が競合されるのでダメに決まっている。
しかし、ビールを飲むと安静気分になれる気がする。
危ない。そのためにも入院の選択肢が!





抗がん剤の後遺症

2019-12-10 | 身体
大腸がんを患った同級生のKさんが、わたしたちの弓道協会に入ってくれた。
抗がん剤の後遺症で、指先がしびれているという。
わたしに「しびれは治った?」と、尋ねた。彼はがん治療後2年経った。
わたしは、もう7年も経ったので、指先のしびれは卒業したつもりでいた。
左手の指先がいつまでもしびれていることは、別の理由だと思っていた。
下手な弓を引くと、力が入って左手のひら全体が翌朝にしびれいているので、そのせいだと思っていた。
でも、指先は熱いものに触っても感じないので、もしかして、あの時からしびれたままなのか。

慣れると、そのことが苦にならなくなる。それに、不自由なことでもないので、あまり気にしていなかった。
抗がん剤治療は、3週間に1回、それを6回繰り返す。
Kさんに、「体験した者でないと分からんよねー。」と、言われたとき、遠い記憶になっていることに気づいた。
そういえば、回を重ねるたびに歩けなくなっている高齢の方がいた。
その方は歩行器に頼らなくてはならなかった。たぶん個人差があるのだと思う。

しびれがとれないかと、以前脳神経外科に通ったことがあった。何か月か薬を飲んだが改善されず、弓を引くからか、抗がん剤のせいもあるのかを、先生に打ち明けたら、関係ないとそっけなく言われ、その後もう通うのを止めた。
どちらも関係ないとすれば、年齢のせいにされそうだったからだ。たぶん治らないのだろうと思う。

時々、肩をぐるぐる回しておしまいにする。そのうち、自分もおしまいになるので、この程度なら生きていけそうだし、普段の生活には支障がない。
けれど、山へ行くとストックの手に力が入るせいか、がんがんにしびれてくる。
やはり、力の入れ過ぎなのか。だんだん原因が分かってきた。下手な弓と、腕で登ろうとする登山にあるのかもしれない。




かぜねつ

2019-11-07 | 身体
舌の先にかぜねつが出来た。しゃべると口の中のどこかに触るようで痛い。

わたしたちは、口内炎を「かぜねつが出来た」と、言う。どうも地域的なものらしい。都会の人はそうは言わないという。
風邪で熱が出た場合は、「風邪をひいて熱がでた」と、言う。「かぜねつが出た」とは言わない。
さて、舌の先に出来た口内炎は治りにくいらしい。
歯の治療のついでに先生に訴えたら、歯の裏のざらざらを研磨してくれて、塗り薬を処方してくれた。
その前に、貼るタイプのものを買って貼った。貼った後しばらくはいいのだが、しばらくするとまた痛くなる。説明の中に「5日間使用しても改善が見られない場合は・・・」とある。

医者は完治には7日から10日間かかると言われたので、何もしなくても5日くらいすると症状は和らぐようだ。しかし、その間、痛い、沁みる、チョコレートなどは刺激物なので、甘いと思って間違って食べたら泣きそうになる。

もし、殿が生きていたら「しばらく黙っとれ」と、言うだろう。「痛いのを我慢してまでしゃべりたいか」とも言うだろう。しゃべりたい訳ではない。黙っていられないだけだ。と、理屈に合わない反論をするだろう。痛いと言いながら。

足の親指

2019-09-22 | 身体

わたしの足の指は父にそっくりだ。小指の爪がほとんどないし、親指が巻き爪なのである。ふたりで並んで同じことに笑ってしまい、同時にがっかりした。美しくない足である。

巻き爪は、地面に足の裏がきちんとついていないとなるらしい。左足の親指などは外反母趾なので、親指が傾いていて地面に接触していない。なので、巻き爪は右よりもひどい。

弓道で足踏みをすると、左の親指が浮く。押手がいまいちなのはこのせいでは。

調子が悪いと、身体の不具合を前面に出す。調子がいいと身体の不具合に気づかない。要するにこういうこともお調子者というのかもしれない。

そこへきて、今朝、なぜか起き掛けに右ひざが「バキッ!!」と、なって、それきり右ひざが痛い。階段を下りるのが難儀である。ずっと前に膝を痛めたことがあるが、このところ、山も行けるのですっかり忘れていた。

八ヶ岳から1か月経っているし、重いものを持った覚えもない。なぜか分からない。身体が重いのか?体重は軽くはないが、ずっと同じである。

日ごろの健康がありがたいと分かるのは、不具合が生じたときである。

今日も稽古の帰りに、武道館の3階から下りるのに困った。弓道は高齢者もずっとできることが良いのに、加賀市の場合は3階に上れなくて辞める方が多い。

何とかして、3階に上り続けられるよう頑張りたい。

婆様にロキソプロフェンという貼り薬をもらった。かかりつけの病院でもらってくるのだ。これが、医療費を脅かす原因のひとつであるという。ありがたくいただく。


大丈夫

2019-07-04 | 身体

鞍掛山に登る前に、麓の簡易トイレを借りた。以前、今井道子さんの「空中トイレ」を、読んでから、このことについて話してもいいのだという気がするようになった。いわゆる、びろうな話ですみませんという話。

どうして今頃お腹が痛くなったのかと思いながらも、すっきりして登らないと大変だ。

簡易トイレは木の小屋の中にあって、外には閂(かんぬき)がかかっていた。これを抜いて外に置いておくと、誰かが間違ってはめてしまっては出られなくなると思って、かんぬきを中に入れた。内鍵が固い。なかなか閉まらないということは、下手すると開かなくなるかもしれないということ。

その中に工事などで使う用の簡易トイレがある。中に入るとしばらくは小さな灯りが点いていたのだが、消えてしまって真っ暗だ。やばい、鍵を開けることは出来るのか。幸い、灯りが再び点いて締りの悪い鍵を開けることが出来た。ここに閉じ込められたら、スマホを持って入っていないし大変なことになるだろう。今井道子さんがトイレの鍵が壊れて閉じ込められた時、よじ登って上から脱出したと書いていたが、わたしにはそんな力はなく、おまけに簡易トイレの上は脱出できる作りになっていない。いっそ開けっ放しでしたら安全かもしれないが。

とにかく無事出ることが出来ほっとした。これで万全の登山が出来る。山では体調がいまいちで大汗をかいたが無事下山して温泉へ行くことにした。 

里山があって、ハイキングした後、別所、山中、山代、片山津とよりどりみどりの温泉に囲まれている幸せ。安全な下山の後、温泉に浸かって山登りが完結する。

そして、風呂上がりの牛乳は、なんとも美味しい。腰に手をおいて飲んだかは定かではないが気持ちも、身体もさっぱりして帰宅。

家へ帰るとお腹が痛くなった。牛乳が良くなかったのか。

夕食後、道場へ行こうとすると、また急に激しい痛みが。ここで初めて牛乳が悪かったせいではないことに気付いた。「アジスロマイシン」という抗生剤の副作用に下痢症状があった。

問診表には薬で湿疹がでたことがあると書いたが、薬は特定できていないし、アレルギー体質ではないと書いていたし、自分がこんなにデリケートだとは思っていなかった。

結局、稽古を休んで3日目の抗生剤を飲むのを止めて寝ることにした。こんな時は、ひとりで悶々としていると辛い。母が時々お腹が痛いと言って電話をしてきたりする気持ちが分かる。治らなくても誰かに痛いと訴えるだけで安心して我慢が出来る。

翌朝、医者に電話して、3日間服用するよう言われた薬を飲みきれなかったことを言うと、受付の女性が先生に訊いてくれて「飲まないで様子をみてください。大丈夫ですよ」と、この大丈夫という言葉は癒される。よかったよかった。と、言うわけで悲劇は「大丈夫」という声で終止符を打った。

歯茎が痛かっただけで、こんなにつらい思いをするとはつくづく弱いものだと思う。