まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

後ろ手でちょうちょ結びが出来ない

2024-07-16 | 弓道
部活に道着と袴が届いた。
生徒に袴のつけ方を教えるが、なんと後ろ手でちょうちょ結びが出来ないという。
そういえば、私の娘たちはエプロンをして台所に立っていない。
その子供たちだ。結べないのも無理はない。
エプロンのひもを後ろ手で結んだ時に、ちょうちょが縦結びになっているのを母に注意されたのは、昭和な私たちの時代。
キャッキャ言いながら袴をつけたが、何故か女子の帯は真っ赤な伊達締めだった。なんじゃらほい。男子が言った。
「女子の赤いのおかしくないですか?」真っ黒に真っ赤目立つよね。
おまけに帯ではなくマジックテープの伊達締めだ。
またまた帯を締められない女子が誕生する。
3年間女子がいなかったので、弓具屋さんに任せていたら・・。
他の学校もそうなのかな。
まあ、最近は道着の色も自由だというのだから、チラ見する赤もいいんだろうね。
胸当ても被るので、ゴムを後ろ手で締めれない。
いろいろ便利なものは、人間の機能を損なう。
男子たちが、袴の前をかっこよく結ぶために、先輩にひもの掛け合わせ方を習っていた。みんな一生懸命で可愛い。
それなりに着付けられると、急に弓道人らしくなる。
的前で弓を引く姿が一段とかっこいい。
そうこうしているうちにもう夏休みだ。




七夕射会

2024-07-08 | 弓道
七夕より数日早い7月4日に、ゆうゆうクラブの主催で、七夕射会が行われ、加賀市からは2チーム(6人)出場した。
この暑いのに、ゆうゆうクラブ(60歳以上)のお年寄りは元気だ。
そして、弟分のようにしていたO君もついに出場できる年齢になった。
しかし、一番若いので大会の競技進行係に任命されていた。
前々会長のKさんと話していて
「この大会は、帰るときにはみんなにこにこして帰るんですよ」と言われた。
初めて出場したわたしも、帰りはにこにこだった。
始めのビンゴ的では、この頃稽古で上へ抜けるというMさんと、左下に抜ける私とまともに中るTさんの3人で組んだら、これが功を奏して、7本中ってすべてが無駄なく並んで、縦に2列。一番下の横1列がビンゴで追加の30点貰えて、全チームの2位になった。
枠内に中ると1矢2点×7本+1ビンゴ10点×3ビンゴということで、44点。
どのチームもなかなか思うように中らず、中っても同じ番号の所だったりする。1回戦は笑えた。ばらつきのある方が高得点になるのだから。


さて2回戦。七夕の的は短冊に中ると10点。笹と竹に中ると-5点。
黄色は3点である。
何本か中ったものの、笹や竹に中りかろうじて+7点。
自分たちでは、誰がどこに中てたか分からない。
採点者は射終えたチームが順番に採点表に書き込んでいくのである。
ここで、短冊をガンガン中てたチームが浮上。
我らは沈んだ。
沈みながらも、もぐもぐタイムに、お互いが持ち寄ったパイナップルやサクランボ、チョコレートを食べて気合を入れる。


最後の5つ星風的ですって。これが悪魔の的。
黄色を狙うと必ず黒いところへ行きそうな。
黄色10点。白3点。黒-5点。


布袋のギターみたいな的だね。
わたしたちは、もう失うものはないとばかり真ん中の黄色を狙ってガンガン引いていたら。後で採点を見たら黒に8本中っていたらしい。
-5点×8本でー40点だ。白と黄色もあったようで合計は無残な結果となった。
合計点をちらみしたが、覚えていない。

ちなみに優勝チーム鶴来で、46点、25点、4点 合計75点
準優勝は兼六Aで、28点、13点、32点 合計73点。
最後の的は減点が多い中、32点も取るなんてすごい。
合点がいかんとはこのこと。
とにかく汗びっしょりになったが、ただただ面白かった。
大きい的で殆ど外れることもなく、たとえ外れても減点をまぬがれたと言い訳し、楽しい終わり方でKさんの言われる、最後はみんなにこにこ帰りますであった。




努力は必ず報われるの?

2024-06-26 | 弓道
オリンピックが近づき、選手たちは出場を喜び、必ず「努力は報われます!」という。
でも、レベルの高い選手同士戦うとなると、報われる人は一握りで、残りの選手は目標に届かなかったら報われなかった・・となるのか。
全力を出し切ったので、悔いはないと言いつつ悔しさは残るだろう。
悔しさが残るということは、悔いという言葉が心の奥に潜むかもしれない。
果てしなき目標に立ち向かう姿は素晴らしい。

さて、我々の趣味程度の弓道でさえも、努力してひとつ階段を上りたいと思う。しかし、努力しすぎて膝や肩に痛みを感じる時、報われない・・と、心折れる。
どこも痛くないときは、努力が足りなかったのだとしょげる。
日々の稽古で、波があり、のびのび引けて中りが出たかと思うと、次には、この前のあれは何だったのかといぶかる。
かつて、範士の先生の講習の中で、日々同じようにみえるけれど、らせん階段を上っているのだとおっしゃられ心強く思ったものだ。
ところが、年齢を重ねると、らせん階段の手すりにすがり、膝の痛みに悩まされ、それでも知らん顔して引かねばならない状況となる。
分かったような顔をして生徒に教えながら、自分も密かに教えたことを実践し、そのことが間違いないと分かりつつ、身体が若者たちのように素直ではなくなってきたことに気づいたりする。

努力は必ず報われますと言ってみたくて、努力を続けることが喜びなのかもしれない。

ちょっと膝に違和感が。コンドロイチンを飲むという努力も必要なのか。


伝達のない伝達講習会

2024-06-16 | 弓道
過日、伝達講習会が小松の道場であり参加した。
6月なので、絽や紗の着物は早いかと単衣の稽古着のような着物を着た。
昨年、10月の「着物騒動」の時に偽紋で縫い付けた着物だ。
例の偽紋の着物だが、さして不都合もなく終えることが出来て良かった。
Nさんにこっそり、背中の紋と胸の紋が違うことをいうと、
「いいですね。裏紋っていうのもありますしね」と、言われた。
なるほど、物知りなNさんには、いつも学ぶことがある。

さて、講習会は中央からはあえて伝達することがないという。
それなら、「伝達」という冠はおかしいねと思う。
当然ながら、毎年受講するともらえる修了証はない。
伝達していないからだとか。
それでも、先輩先生や高段者の先生からの講習は気づきをもたらせてくれる。
お互いの研修会のようで楽しかった。人数も少なかったので弓もしっかり引くことが出来て良かった。

中りのないのはいかがなものかと、中央の上の方からため息が聞こえてきそうだが、2020年3月に自分で書いていてすっかり忘れていたことに、コメントを頂いて、それを読み直していて、もう一度気持ちを整えた。
阿波研造先生の言葉「すべて中れば曲芸にすぎません。外れるから武道である」のだと。正射をして中るのである。
「弓を引くのに快と不快を分けてはなりません。悪い射に腹を立ててはなりません。良い射に喜んではなりません。中てようとしてはなりません。離そうとしてはなりません」

そういえば、調子の悪い時ほど、真摯に的に向かって自身を見つめなおそうとしている。良い時は、天才かもって思ったとたん奈落に落ちる。
「人を殺す剣や弓は、人を生かす訓練にかわり、武道が宗教と絡む所以である」と、再度書き記したい。

わたしの過去からの伝達である。



正座ができないところから、チョンボまで

2024-06-05 | 弓道
さあ!今年は新入部員が8人も入ったし「がんばりましょうね」
新しい弽を買って、坐してはめることを教えたが、着け終わらないうちに
「あ~、もうだめや~」と、足を崩す、その声をきっかけに、ふたり、3人。
足を崩す。正座が出来ないのだ。そうなると跪座も出来ないわけだ。
素直で可愛らしい子供たちで、楽しそうにやってくる。
チームも組めないほど少ない部員数だが、教えるにはちょうどいいかもと思う。
初心者には手取足取りが必要で、2年生は二人だけだし。

さて、的前に立って足踏みをすると、初めに教えたようにしないのである。
射位に進んでの足踏みは、左足を真横に向け、右足が真っすぐで、先に出した左足に右足を揃えて・・というところで、右足が左足を出した瞬間に、足を寄せずに足踏みの位置にくるりと開いしまう生徒が何人かいて、つい
「チョンボしないで。、習った通りの足踏みをしましょう」と、言うと、みんなが目を丸くして、一瞬静まった。
「チョンボって何ですか?」と、言うので
「えっ!知らん?間違いってこと。ルール違反という感じかな。」
もしかして、昭和の言葉で死語なんかい?と、不安になった。
そして、彼らは「チョンボ、チョンボ」と、口々に言いながら楽しそうに足踏みをしていた。
余計なことを教えてしまったのかなあ。
不適切な言葉だったのだろうか?
麻雀用語であると言っても余計ややこしいだろうな。
 

BBQ

2024-06-05 | 弓道
草刈に没頭していて気づいたら13時過ぎて、14時から弓道協会のBBQだったのだ。
Mさんに遅れる旨を電話で伝え、大急ぎで帰宅しシャワーを浴びてから、土山ブドウ園へでかけた。
すでに、いい感じで肉が焼けていて、申し訳ないことだった。
各自飲み物は持ち寄りで、場所代一人800円で、持ち込み無料ということだ。


煙が向かってくるが何のその。
フリーのビールなのに酔った気分で話が弾む。
このウインナーが旨いのなんの。塩味が効いていてビールがすすむのである。
熱々、プチッ、うまっ!!



ここは、ブドウ園だが、BBQ小屋があって、桜の季節は桜のトンネル、菜の花満開、夏はヒマワリの迷路ができ、季節ごとに楽しめるのだ。



今度は、夏に有志でヒマワリBBQをしよう!と、なんとも楽しい計画だが、たぶん夏は北信越大会のお手伝いで忙しいらしいぞとのこと。
何はともあれ、老若男女ともに食するのは楽しいものだ。
帰りはアッシーとしてお仕事を致しました。


市民スポーツ大会

2024-06-01 | 弓道
朝から庭いじりをして、ついでにnanaの朝顔の種を今年も植えた。
小学1年の時の朝顔の種を数粒もらって増やした。
とはいえ、前庭には植えられないので、狭い日当たりの悪い場所に隣の家に向かって懸命に咲く。ついでに、オーガスタも処分した。
夕ご飯を終えて、休む間もなく道着と袴に着替えてすぐ山中に向かう。
20時開始。
市民スポーツ大会は、市民体育大会として日曜に行われていたが、6月初めは河川愛護や町内の草刈とかに重なって土曜の夜にすることになって久しい。
ついでに言うなら、日本体育協会が、日本スポーツ協会と名を変えてから、すべて替えられた。県民体育大会は県民スポーツ大会、県体協は県スポ協という。市の体育課も、スポーツ課となったし、日本体育大学は関係ないと思うが、もし変わって略したら、日スポ大かい?体育という呼び名が昭和だからか?

ここのところ稽古での中りは悪い。
角見だ、肘だ、弽溝にはまっていないのか大三でカチッと音がする。などと、悪い時はあれこれ考える。しかし、その時こそ辛抱!!
とはいえ、良い方向へもっていこうとあがきながら深みにはまるのである。
最後には、稽古で使っている矢の重心が合わないのかな。
下ばかり行くし、いや頬付けがあまいのか。と、身体のせいか、弓具のせいかと考える。どちらも大事なのではあるが、たいてい身体の方が悪いことが多い。しかし、その微妙な違いが自分では深みにはまると分からなくなる。

とにかく、のびのびと引くに限る。胸弦をつけて大きく引くことに心がけるが、中らない。暗いので矢がどこへ行っているのか分からない。
山中での夜の月例会の時も的に中ればどこにあるかがぼんやり分かるのだが、 黒っぽい安土に外れると、上なのか下なのか。
この頃、下に外れていたので下なのだろうと思って引いていて皆それした。
矢をあげにいくと、何と的の上のふちに綺麗に4本、それも的に沿って弧を描いて遠慮がちに刺さっている。
感触は悪くないとでた。これが全部下だと気落ちする。
2回目、気を取り直して引く。
何の作為もなく、策を弄したところで良くならないことは筆致だ
1本目、ガチッとたたいた音。どちらにしても、大きく外れていない。
2本目、やっと中る。若い時と変わらない中て気の射になる。
3本目は早くてやばいが中る。4本目は迷いなく離した。
しかし、皆中の拍手はない。1本目がたたきっぽいからだ。
矢をあげにいくと、皆中だった。
皆中の後の皆それは嫌だけど、皆それの後の皆中はほっとする。
でも、1回戦の皆それは痛い。結果、12射6中で半矢がやっと。
射は会心の出来には程遠い。
会心という言葉の意味が、まさしく弓道の会と通じる気がした。

1位は高校生だった。
納射をしたことがないというので、廊下で教えると姿勢も良いし、飲み込みも良いし、最後に綺麗な大きな離れの中りで締めた。
緊張が伝わり会心の出来だ。




県庁へ行きました

2024-05-29 | 弓道
生涯スポーツ功労賞をいただきに県庁へ行った。
玄関ロビーには大野の里のお祝いののぼりがあって、改めて嬉しい気持ちになる。
知事も津幡町役場でパブリックビューイングで優勝の瞬間を迎えたと、後のご挨拶の中でおっしゃっていた。


19階の展望階から、山を眺めた。
医王山が手前に大きく聳え、遠くに立山連峰。
金沢港も見える。高いところから眺めるのはいいものだ。



13人の受賞者のうち、弓道から3人受賞、集合写真の後で3人で記念写真を撮った。

申請から、この表彰式までに1年近くかかった。
まず、市のスポーツ課が申請の書類をそのままにしてあって、期日が過ぎた7月28日にそれを受けてスポーツ協会から、取り急ぎ受けてもらえないかと問い合わせの電話があった。
本来は、市のスポーツ課からスポーツ協会へ話が来て、そこから各協会へ下ろして、協会から推薦者を出すというのが筋である。
年齢の条件もあって異を唱える人はいないだろうが、他協会へ問い合わせる時間がないので、常任理事であるわたしに言えば話が早いので、そういう成り行きの受賞となった。
しかし、受賞確定が知らされたのは、12月7日だった。
夏から冬まで何の音沙汰もなく、いきなり12月22日の表彰式に出られますか?とのこと。申請が通ったとかの連絡がもっと早く知らされるのかと思っていた。そして、12月22日の前日、電話で「大雪のため明日の表彰式は延期です」となった。
その後、改めて2月19日と決まった。
しかし、年が明けて地震が起きたので「限りなく中止に近い延期」と、知らされた。
その後、何の連絡もなく、県弓道連盟で、Mちゃんと花束を頂いたのが先になった。表彰されていないので、正式発表はまだない。
令和5年度のことなので、郵便で表彰状を送ってもらってもいいよねと思っていた。知事も災害のことで忙しいのはよくわかるので。
年度も変わったので、「もうないのなら中止の連絡があってもいいと思うけど」と、スポ協の方に聞いたら、問い合わせてくれて、「5月の末になるようだって言っていた」とのこと。
改めてお知らせが来ると思うのでお待ちくださいって。
5月になっても音沙汰がない。
何回も聞けないし、天皇陛下がまたお見えになれば、それどころではないだろう。下々の私たちでさえ予定は色々あるのだ。
知事となれば、年度も変わったことだし、もう中止としても仕方ないだろう。
ところが、5月20日になって、仕事中電話があった。
「5月29日に表彰式が決まりました。出欠の返事をください」とのこと。
わたしはシフトを組んでいて、その日は出勤だ。
「急ですね」と、言うと、「やっと知事の時間が取れたので」と言いうのかと思ったら、「メールが来ていたのに気づかず、すみません・・」
急いで、休みを交代してもらうお願いをして替わってもらった。
交替してもらう人には、急で申し訳なかった。
しかし、どんなに忙しい課なのだ。申請忘れ、伝え忘れ。
詳細の書類をメールしますというので、家へ帰ってから見ると
「5月17日までに、出欠の返事を下さい」とのこと。
知らされた日は20日だから、県からの問い合わせで知ったのだろう。
メールがあるからいいものの、功労賞を頂く方は年配の方もいる。
郵便でお知らせしたら、戻るのに時間がかかるので、お知らせは2週間以上はいるだろう。
これって、民間の会社だったら、もう取引しないわ。

反対に、県の方は大変だったと思う。
少なくとも、表彰状は2回は書き換えたと思う。
本日の日付が賞状に入っていた。
何はともあれ、皆々様のお陰で、無事頂きました。





いないいない

2024-05-26 | 弓道
木曜は大会のため金沢へ。
土曜は仕事。日曜は会議のため8時40分出発し金沢へ。
しあさっては、授賞式のため県庁へ。
今日の帰りは4時過ぎていて、車で大の里の取り組みを聞きながら、優勝の瞬間じわっと泣けた。
こりゃ、御父上も泣けて当然だわ。石川の星だわ。
そんなことを思い、いつも相撲を観ていた殿がいたらこの優勝を喜んでいただろうと思った。
そして、殿がいたら、相変わらず家内はいないと言うだろうな。

この前、昔のブログをたまたま見たら、娘がコメントしていた。
「いないいないばあ(婆)」って。
もう、家内と呼んでくれる人がいなくなったので、呼ぶときはこっちかい。

庭のバラが咲き乱れたので、花を摘んで風呂に入れた。
王女の気分だ。名前を変えよう。バーバラ。
婆バラ!




良否の結果が翌日に出る

2024-05-24 | 弓道
最近、顕著に稽古の善し悪しが翌日身体に出ることが分かった。
朝起きたら、両手首がしびれていたら、前日の稽古で手首に力が入っていたと分かる。
押手の中指がばね指のようになっている時は、中指で弓を握り過ぎていたことが分かる。
水曜に16射したら、なんと2中しかせず、外れた矢に中てたり、的枠をたたいたりして、おかしい・・変だ・・これはあんまりだ・・中らないにもほどがある・・となって、それ以上引くのを止めた。
すると、翌日、異常に首から肩にかけてパンパンになっていた。
よほど、肩と首に力を入れていたようだ。
ひとり稽古をして深みにはまると、積み上げたものが一挙に崩れていく気がする。
いや、もともと何も積みあがってはいないのかもしれない。
さて、パンパンになった日、「ゆーりんピック2024弓道交流大会」である。
9ボーダーのわたしは、完全なる仲間入りなので、加賀市の仲間と一緒に出場した。驚くべきことに、若いと思っていた後輩が今年から仲間入りした。
60歳から出られるのである。
わたしが大前で中立は後輩のI君落ちは大先輩のK先生。
昨日、中らなかったので、ひたすら大きく引く努力だけをした。
結果、5中で女子3位を頂いた。試合の前の調子の悪さからは考えられないが、ここが弓道の怖さである。
その後の協議の結果、行けない方がいて、お鉢が回ってきて、I君もわたしも、鳥取米子のねんりんピックに出場が決まった。
メンバーにTさんもいて、石川国体のメンバーが5人中3人も入っていたのでこれもちょい笑えた。一体何十年前のことだ。
しかし、何十年前だからこそお年寄りの大会にいるのである。
石川国体は1991年であった。月日は矢よりも速く飛ぶ。
先輩に、「化けたらいい結果が期待できそうだ」と言われたけど、そう簡単に化けられるものではない。化けの皮は剥がれることはあっても。
いや、化けの皮が剥がれるためには、一旦化けなくてはならないのだった。
なんのこっちゃ。


文藝を読むー弓に関する文?

2024-05-22 | 弓道
「文藝」という雑誌に、深田久弥が「弓」という題名で短編小説を書いてあるのを見つけた。さて、どんな話しかと思ったら、馬飼いの乙女と、若人の話だった。弓は狩りとしての話だった。
旧漢字が読みにくく、わたしの読解力がないせいか、読後感はいまいちだった。思っていた弓に関するものではなかったが、気になっていたので読めて良かった。

しかし、もうひとつ気になったのが、表紙の「長谷川如是閑と折口信夫の対談」というのがあり、「長谷川如是閑」に反応したのである。
「古典」に関してのやりとりだった。
生き生きと対談している感じがあって、名前しか知らない人たちが、そこで生きているような感じがした。

長谷川如是閑は、明治8年生まれの評論家である。
弓道人なら持っている「弓道教本第一巻」に名文が載っている。
折口信夫(おりぐちしのぶ)は、民俗学者で国語学者。



昭和28年初版発行の弓道教本は、表紙の色が変わっても基本的に内容は殆ど変わっていない。
なので、長谷川如是閑の文章は、これだけの改訂、改版と変遷を経ても変わらない。
「日本の弓の尊崇性」に、「礼の美」という著書の中で、弓の美しさを称賛している。教本の中では「礼讃している」と、ある。
的確な文章でほれぼれする。
けれど、若い人には「その人、誰??」という感じだろう。
また、弓を女性的というところで、どうなんかなと思う人もいるかもしれない。

さて、弓や矢の種類にカーボンや、アルミとかの弓具が出てきた現在に、このほれぼれする文章を理解してもらうにはどうしたらいいのか。
今どきの高校生に、竹弓の美しさを述べても本物を触っていないので、改めて見せても、そういうのがあるんだ‥という感じだ。
わたし達は、入部してすぐ弓矢の各部の名称を覚えてテストまでされた。
先生より先輩の言うことの方が大事だったので、授業そっちのけで覚えた。
そういう私も、今は悲しいかな、覚えたはずの節の名前を口にしなくなったので、とっさに出てこなくなった。


色的で遊ぼう

2024-05-11 | 弓道
土曜の夜は、みなさん家族との団らんの夜かもしれない。
稽古に来たのは6人で、各自持ち的みたいになっていた。
静かに稽古をしていて、結構矢数を引いたので、「久々にあそぼー」と、Oさんに色的をやろうかと言うと、「いいですね」
と、なって、みんなで順番のじゃんけん。
自分で色を決めて、そこに中たると2点。真ん中の白は3点。
黒はマイナス点。
一時期、稽古の終わりにやっていて、点数を足していたけど、弓道教室や審査の稽古をしなくてはならないので、邪道のようなことは控えていた。
でも、小さい的もやってみよう。楽しもう。
結果。黄色を選んだわたしの矢は見事黄色に的中。
狙って引いているものの、離れでどこへ行くか分からないので、まぐれではあるね。
Oさんも水色に的中。
平和で楽しいひと時。
世界のあちこちで戦争があり、災害があり、こんな風に遊んでいられることは、なんとしあわせなひと時であることか。



帰りの検証

2024-05-08 | 弓道
さて、そそくさと帰り支度をして、タクシーで京都駅まで行く。
運転手から、どちらから?と、聞かれて、加賀市からというと、自分は越前海岸ということで、話は電車が前より不便になったともらすと、昔は福井から京都まで9時間かかって、トンネルでは窓を閉めなくては真っ黒になりましたよ~と、昭和のど真ん中ではないね。
どうも、戦時中にお生まれになった気がする。

さて、娘たちにお土産でも買って、ゆっくり帰ろうかと思ったが、すぐにサンダーバードがあるので乗ることにした。
よくみると、今度は敦賀での乗り換え時間は8分しかない。
またまたエレベーターを利用しようと思ったが、アナウンスで
「エレベーターは、小さなお子様お連れの方、ご高齢の方・・ご優先で・・」とのことで、少し控えめに乗れたら乗りましょうと思ったが、ご高齢ではないと自分では思っていることに気づいた。


関西から石川県の電車は余裕があるように思えた。
ぎりぎりに切符を買っても、新幹線も特急も、弓の置ける端っこの席は空いていたからだ。
敦賀の乗り換えで、行と同様、扉が開くと前にエレベーターがあって、すっと乗れたので、今回は乗り換え4分と時短更新。
エレベーターに乗らずに、速足で歩かずにいたらどれだけかかるのかは分からないが、緊張感のある駅だ。

帰ってからニュースで、京都駅に不審なリュックが置かれていて、駅構内が閉鎖され、86,000人に影響が出たとのこと。
もたもたしていたら、危ないところだった。
さっさと帰るに越したことはない。

ちなみに、連休中の関西から北陸のサンダーバード、しらさぎの利用は減少したということだ。能登の地震の影響と「北陸応援割」の期間外となったことによるとはいうものの、東京からの客は多いというのだから、やはり乗り換えの不安ってあるかもと思う。
金額が高くなり、到着時間があまり変わらないことも要因の一つと思う。


昇段審査 京都

2024-05-06 | 弓道
5月5日。
聞法会館、朝食バイキング付きで10,300円。
お手頃のせいか、家族連れでいっぱいだ。
翌年の予約をしたいという女性客とフロントがもめていた。
事情があって予約は出来ないらしい。
わたしも前は殿と翌年の予約をして帰っていたが、今は自分も家族も状況が変わるので、その気にならなくなった。

ホテルにいるのも落ち着かないので、タクシーで8時半に出発。
「この時間はすいてるから助かる」と、運転手は言う。
バスは弓を持って入れないと友達から言われた。
確かに、他の人の迷惑になるので使わない。
しかし、みやこメッセに到着してがっかり。
「武道センターの使用はできません」と、貼り紙が日程表の横にあった。
ここで、完全に気持ちが萎えた。
ゆっくり弓を引きながら、出番待ちすれば、澄ましもできるかと。
変に時間が空くくらいなら、日帰りでも良かったのだ。
みやこメッセの前の、蔦屋書店でコーヒーを飲み、少し散歩してこいのぼりを撮っていたら「おかあさん、撮りましょうか?」と、50歳くらいの女性から言われ、つい返事して撮ってもらったが、おかあさんかぁ、おばあさんでなくてよかったと思った。




しばらく、審査の様子を見てから出番を待ち、早めに第三控に入った。
午後一番なので、3階の方がエアコンも効いていてよかった。
観覧席通路ではない控の場所は、関係者以外立ち入り禁止のはずだが、静かに待っていると、つかつかとわたしの前に私服の50過ぎくらいの少し変わった男の人が来て、「姉ちゃん!!がんばって」と、言われた。
5人の立ちは男の人ばかりだから、ねえちゃんは私だけだが。
明らかにおかしいが、わたしはついはずみでうなづいてしまった。
後ろの方が「お知合いですか?」と、聞いたので
「いえいえ、全く知りません。びっくりしました」
「姉ちゃんって、言ってましたね」
「はぁ‥笑えます」朝はお母さんと言われたな。と、声をかけられやすい隙があるのか?武道で隙があったら命とりだなあ。

とりあえず会の5秒は伸びることが出来、弓もいい具合にくるりと返ったが、矢は11時の所に外れた。乙矢は、やや会が足らなかったが的中したが・・。
まだまだ駄目だなあと思うし、七段など及ばないとは思うのだが、目標への気持ちは絶やしてはいけないと思っている。



控え室で同じテーブルの方が、長崎から来られたそうで、高校の部活の顧問になってから弓道を始められたとか。素晴らしい!!
もう、後期高齢者です・・と、笑っておられたが、この頃は先生も忙しく、経験者でない先生が、弓を始めるなどは考えにくい。
わたしは、高校から要請されて部活に顔を出しているけれどと、話しながら「捲土重来で!!」と別れた。
いい言葉だよね!!
そのためには、もっと力をつけて帰ってこなくてはならない。
同じことの繰り返しでは、つまらない京都一人旅でしかない。

加賀温泉から新幹線

2024-05-04 | 弓道
加賀温泉から新幹線に乗る。
どこか知らない街の駅みたいだ。
待合室は新幹線の改札を出たところにある。
連休中なので、駐車場の心配もあって早めに着いたが、売店もないし寂しい。



初めて京都へ行くわけではないのに、乗り換えが心配で前泊し、のんびり新幹線の旅でもと出かけた。
切符は1枚にまとまっていて楽である。
敦賀での乗り換え時間は12分なので、たぶん余裕だ。


弓を建てて置けるように、座席指定は隅っこに。


しかし、京都へ行くのに新幹線を利用するのは必要なのだろうかと思う。
後輩は、新幹線に乗らずハピラインとJR新快速で行ったそうだ。
湖西線山科駅で乗り換えて混雑を避けてとのこと。
わたしは、とにかく新幹線体験せねばと乗ったが、落ち着かない。
いつもなら、乗ってから文庫本を読んでゆったりと行けるのだが、少し読んでいると30分で敦賀に到着だ。
弓があるので早めにデッキに出る。出たらすぐにエレベーターがあって助かった。2階で降りて改札を通り、床に行き先が書いてあるのと、係員の誘導のお陰でスムーズにエスカレーターに乗り1階まで降りる。
おかげで、着席までに5分。サンダーバードで小一時間で京都到着。
どうしても、行かなくてはならないから京都へ向かうが、車で行く方がいいかもしれない。
これでは、電車で関西から石川県へ来る観光客は減るだろう。
仕事をしていても、来館者が関西からが多かったのに、最近はぐっと減ったような気がする。
京都へ早めに到着し、西本願寺まで歩いて25分かかった。





ザックは重いわ、暑いわ。ホテルに荷物を預けて昼ご飯を豪勢にと思って四条の方へ向かおうとしたが、暑い。夏やん。
後で知ったが、この日、加賀市が全国一番暑かったらしい。33℃って。
京都も暑かった。日傘で歩く人が多く、わたしは歩くのに危険を感じて、地下鉄にもぐった。
しっかり冷やした魚を、あぶって、冷やして、かつおのたたきみたいな気分だ。と、言ってもたたきになったことはないが。

みやこメッセに向かって、武道センターで稽古をする手もあったかもと思いつつ、暑さに負けて気力もなく。
明日、早めに行って稽古しよッと、楽な決断をして、この後、だらだらひとり旅。