まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

シュラフ買いました

2020-06-29 | 山歩き
今年の白山は寝具を貸してもらえない。それで、シュラフを買わなくてはいけなくなった。

山の先輩に聞くと、最近の山道具はすべて進化していて、テントもシュラフも軽くてコンパクトにまとまる。
シュラフ、ダウン、レインウェア。

フリース、アイゼン、コンロ、ランタン


この頃は100均で結構面白いものがあって、ペットボトルの蓋にはめて、
ストローでワンタッチで飲んでいたが、少し水漏れがするので、ついに水筒を買った。ワンタッチで口を起こしてふたを開けなくても飲めるのである。


しかし、天気が気になる。気持ちはちゃくちゃくと白山に登っているのだが・・・。


我が家での弓道大会

2020-06-28 | 弓道
娘宅に譲ったプレハブの中を処分すべく整理した。ごみとして殆ど美化センターへ捨てに行ったが、最後に爺さんが作った木彫りが残った。
婆さんは「全部捨てればいい・・」と、言ったが、どれも爺さんの手が残っている。

殿と沖縄へ新婚旅行へ行ったときに、弓引きの木彫りを買った。
爺さんは木彫りが趣味だったので、わたしたちの弓引きの木彫りを真似して彫った。
「すごーーい。」と、みんなが称賛したら更にバージョンアップを試みていたようだ。そのせいか4体ある。おまけに、3体は足元に犬がいる。
本物はどうだったのだろう。実は、本家本元がない。捨ててしまったのか。
爺さんは、納得がいくまで作ったのだろうか。
いつも木彫りをしているとご機嫌だった。どんどん増えるので、婆さんはひとつの作品にもっと時間をかけるようにと言っていた。
彫りあがると木の調達が大変だからだ。また、木屑を捨てるのも大変だった。
しかし、わたしたちから見ると爺さんの作品は、爺さんに似ていて愛嬌があり、形が出来ていくことがすごいと思った。

さて、今日はその4体で我が家の道場で大会撮影。
久しく弓道大会は開催されていないので、やりましょう。

まずは道場内で巻き藁稽古。


本来は3人立であるが、今日は個人戦ということで。
おや、2立目の選手が失をしました。



気を取り直して、2射目といきます。4立目の選手は犬を連れていません。
射が独特です。



誰を応援してよいか分かりません。
みんな弓が木にくっついていますのは気のせいでしょうか。



的側から特撮です。危険です。こちらに飛んできそうです。
白熱の闘いに誰が優勝してもおかしくありません。
試合は延々と続くのでありました。


休憩中も素引きを怠りません。疲れをしらない選手たちです。
犬を連れているので、「マタギ」かもしれません。
狩猟民族はタフです。
本日、この大会は無観客でした。
この選手たちにエールを。
爺さんと殿に天国までエールを!!





張り合い

2020-06-26 | 山歩き
張り合うというと、意地の張り合いとか、ライバルと競い合うようなイメージだが、もう一つの意味の張り合いについて思った。
試合でなくても一緒に稽古しながら他の人と研鑽し合うことを、張り合いが出てきたという。
6年生だった3人の男子がコロナで弓道教室を中断され、6月に再開して道場は緊張もあるけれど、みんなも張り合いが出てきた感じがする。
コロナ騒ぎの間に中学生になった3人は、それぞれに頑張っている。

さて、ひとり稽古をしていて、もうひとつの張り合いが少し分かってきた。
弓を引く時に、縦と横に大きく伸び合う。
その時に、身体が左右対称に張り合う感じがすると妻手が軽く飛ぶ。
しかし、それは毎日引いていないと筋力が衰える年代に、毎回その張り合った後のぱっかーーんと切れるような離れは簡単にはできない。
張り合い以上に緩みが簡単に訪れるからだ。
それを、求めて毎回ずさっと地面に潜る矢にも希望をもたせて、何回も挑戦。
そうやって無為のように時間が過ぎていくのにやめられない。

先日、久々に部活が始まったkouが、「トスが悪くていい球が返せない・・」と、言った。
みんなコロナ休みでガタガタや・・とも言った。
そうやね。休んだら積み上げてきたものがみんな崩れると思うよ。
一回や二回でいい球が出るはずないから。
ばぁばは、試合で1本中てるのに100本以上外しているよ。
「なるほど」
簡単に中るんなら稽古しないさ。
「おー」という返事であった。
この孫との会話も、わたしの暮しの張り合いである。


旧漢字 『知と愛』

2020-06-24 | 読書
前回に引き続き『知と愛』の話しであるが、話の内容はともかく旧漢字を飛ばさずに読むことは辛かったが、読み終わるころには何とか読めるようになった。
何といっても日本語であると、簡単に読めると思っていたが日頃使わない字はなかなか前に進ませてくれない。
1ページ目から幇間的という言葉に出会って躓いた。
幇間的(ほうかんてき)いわゆる「たいこもち」であるが、日頃使わないので困った。
人の名で「亀太郎」が、出てきた時も、亀の旧漢字「龜」は画数が多くて黒くなっていて読めなかった。
これを拡大して書いてみると写生するより大変そうな字なのである。
そして、最後は芸術のように見える。もともと象形文字から出来たので見ていると字がのこのこ動きそうだ。
龜 かめ  鹽 しお 畫 えがく  晝 ひる
えがくと、ひるが似ている。
図画は、圖畫とかいてあり。「畫家(がか)と晝飯(ひるめし)を食う・・」と、なると、ふりがなが一切ないと読みづらい。

「縣廳」が、「県庁」と分かるまでに時間がかかったし、臺(だい)なしというのも、墓に似ていて老眼鏡や、拡大鏡を駆使しなくてはならない。大膽、體育・・・なるべくIMEパッドで済ませたが、熟語となると漢和辞典が登場してくる。久々に漢和辞典を見て思ったのは、すごい旧漢字全部載っている!!
当たり前かもしれないが、助かったと思った。
今の生活の中では、当用漢字で、もうひと時代遡ろうとすると大変なのである。さすがに10才先輩は、すらすらとあたりをつけて読んでいく。
日本語はどんどんカタカナになってついていけなくなり、旧漢字の良さも消えていく。
戀などは命がけでしたのではないかという字だ。
闘うなどは「鬭」字を見ただけで戦意を喪失しそうだ。
天稟(てんぴん)て何?生まれつきの才能のことをいうらしい。
蝨ってなに?虱だと・・。見るからに気持ち悪い気がする。

そんなこんなで、読むのに時間がかかったが、その中でいい言葉を発掘。
恩師が登場し、「自疆不息」(じきょうやまず)というのがあった。
自分からすすんで励み怠らない。コロナ禍のとき、1本でも引いて怠らないよう。
弓にまつわる漢字が入っているので何としても色紙に書いておきたい。
「疆」(きょう)は、強い、境目という意味があるらしい。
一田一田・・田んぼの境目を表す。弓を持って田んぼを守っていたのかは勝手な想像だが。

この本を読み終わったら、他の本がすらすら読めるという嬉しさが戻った。





古書『知と愛』

2020-06-24 | 読書
古書は読みづらい。しかし、がっぷり四つになって読むとそれなりの満足感がある。
但し、本は我慢して読むものではないと思っているので、日頃はこの本を読もうとは思わないのだが、本の整理をしていて勉強の意味で読んだ。
深田久弥の「知と愛」である。
深田久弥はヒマラヤ研究の本や、「日本百名山」の著書として有名だが、その前に何冊かの小説が出版されている。
正直言って読みづらい。なぜなら、漢字がことごとく旧漢字なのである。
日ごろ使わないので、対照表を見ながら読み進める。
どこの古書店にもないだろう貴重な本だ。昔の本は著作権者が奥付に押印した印紙を貼り発行部数の証拠としていた。


『知と愛』は丹頂書房と、河出書房がある。


河出書房のほうは、表紙をめくると見返しに著者の手書きの題名が印刷されている。これは貴重なものと思う。こちらは『續 知と愛』と、なっているが、出版は昭和18年で、昭和21年の方には続がついていない。順番で行くと当然『知と愛』が、先に出版されているはずだ。なので手元にあるのは好評で、戦後印刷されたと思える。
戦後の辛い時代に出したというのは、それなりに売れていたのだろうが、紙質が悪くて印刷も不鮮明で旧漢字を解読するのは目眩がしそうなので、角川文庫のきれいなものを読むことにした。これは昭和26年出版である。





内容は主人公大杉伴三が小説家として出てくるところから始まる。
山の本でお馴染みなので雰囲気は全く違う。小説であるから当然だが。
帰省する場面は大聖寺が舞台だと確証した。深田久弥の生家は大聖寺なのでそう思うが、金沢に住まいしていたこともあり、どちらも城下町で、鷹匠町は金沢にもあったというので少し迷ったが、町の名士の胸像の落成式で「てんぽなもんや」というところで、これは大聖寺弁・・・。
話しの内容はともかく旧漢字を飛ばさずに読むことは辛かったが、読み終わるころには何とか読めるようになったが、残念なことに字面を追うことに一生懸命で、話の内容が飛んでしまった。


四十九日

2020-06-21 | 暮らし
父が亡くなって葬儀終了となって、そのあと友達や従妹たちがお参りに来てくれたり遠くから書留で香典を送って頂いたりとありがたいことだった。
49日ということで弟も来て葬儀屋との後処理の話しや、お墓の話などをした。
祭壇が撤去される前に鶴来の従妹兄弟が来てくれた。
足を骨折して動けなかったのだそうで足首の包帯が痛々しい。
コロナの折、49日に親戚が集まれなかったが、従兄が「仏説阿弥陀経」を、あげてくれて母はたいそう喜んでいた。
葬儀の花が枯れそうになると友達や従妹たちが持ってきてくれたので49日の間途切れずに祭壇を飾ることが出来たことが、母にとって何より嬉しかったようだ。
父の世話ができない代わりに、祭壇の花の水を替えたり生けなおしたりする仕事があることが、慰めになるようだ。
花は亡くなった人のためでもあるが、遺族の心を慰めるものでもある。
葬儀屋が祭壇を撤去しに来て、すべての清算が終わった。
少し寂しくなった座敷に母とふたりで久々に長い間話をした。
とりとめもない話をしているわたしたちを、父が床の間からにこやかに笑って見ているようだった。


弁当を持って

2020-06-18 | 料理
昨年の今頃、その日の新聞記事の上に弁当を載せて撮った。
令和になって良いニュースの上に今日があるのはいいなと思ったが、
今年は5月は週一の出勤で、新聞記事に弁当を載せる気にならない残念な日々。

採れたばかりのキュウリ。採れたばかりの赤玉ねぎのマリネ。


さて、お昼を職場の人たちと食べるのは楽しい。 
ニュースを話題にするが、短期間の間にわたしたちは、クラスター、パンデミック、オーバーシュートと、次々と言葉を覚えさせられた。
ロックダウン、ソーシャルディスタンス、東京アラート・・と、うちの婆さんは、わけわからん・・と、怒っていた。

さて、長年使っていた弁当箱が、古びてしまったので、ステイホーム期間、100均で弁当箱を買った。
あちこち弁当箱を捜し歩くのをやめて、ダメになったらまた買えばいいと思ったからだった。
それが意外にいい。ちゃんとゴムパッキンもついていて、ホームセンターで1000円以上するが、代用できるのが100円とは。

この日はレーズン入りのパンを入れた。
スープを持っていく。


ご飯を敷き詰めて鮭と枝豆入り卵を載せる。


すき焼き風、インゲン添え。春菊のおひたし。
味噌汁はインスタント。最中みたいな。


今日はご飯に目玉焼き。


食べることは元気のもと。

毎日の弁当と本日の新聞ニュースは朝の時間とセットだ。

本日は安部さんが「しっかと、ケーザイをまーしていくことを、だーぜんてーとして・・・・・でかけていたーくことを・・」と、述べていた。
その頃、法相夫妻は逮捕されていたんだね。
コロナでいろんなことが霧の中。


Another Hakusan

2020-06-16 | 白山
職場の山の先輩から、You Tubeで「もう一つの白山」を、観るように勧められた。
甚之助谷の地滑りを食い止めるための工事をしたドキュメントで、45分ほどである。
初めて登った時、甚之助小屋から眺める景色に感動していたが、何回か登るうちに、小屋の横の地滑りがだんだんひどくなっていくような気がした。
友達と大丈夫なのかなあと話したことがある。
先輩は年々ひどくなっていくとも言っていた。
その時にはもう既に工事が始まっていたのだった。
白山は水が豊富であることは、こういう地滑りが起きるということで、そのために砂防が出来て、砂防を造るための道が登山道となった。
山に登るとき、登山道を当たり前のように登っているけれど、みんな多くの人の努力の上にある。
今年の白山はコロナの為に、毛布の貸し出しはできないのでシュラフがいる。
宿泊人数の制限がある。
マスク着用、消毒アルコール必要。こんな登山になるとは。
それでも楽しみだ。

梅雨の景色

2020-06-14 | 
14日の日曜は洪水警報が出るほどの大雨が降った。
何日か前に二匹のカタツムリがキノコを食べているのを母とみていた。
あのカタツムリはどこへ行ったのだろう。


父が逝ってから、母もわたしも病院へ行くという時間がぽっかりと空いて、庭のカタツムリを見る余裕が出来た。
母は同じ話を何回もする。3回は我慢するが、4回5回となると疲れてくる。
「さっきから同じことを言っているよ」と、言ってはいけないというが、そういう人たちは本当に心が広く辛抱強いと思う。
何回も同じ話を聞かされそうになると、庭の花にカメラを向ける。


「きれいやね」と、言ったとたん話は花の話しに代わる。

お供えのお菓子を買ったら、店の人が「父の日のお菓子」と、いうパンフレットをくれた。私の周りの「父」と、名の付く人はいなくなった。
舅、父、夫。
そして母と名の付く者たちだけがしっかり残っている。
わたしを含めてみんなお婆さんである。
女は強い。いつからこんなに強くなったのだろう。
強くて怖い。
けれど、人の悲しみが自分の悲しみと重なって気持ちが分かるようになってきた。
幸せな時は何も分からなかった。
それでも、悲しみはみんな違う。思い出がみんな違うように。
でも言えることは、本当に周りのみんなに助けられたなあと思う。
家族や友達や先輩たち。職場の仲間たち。
泣いたり笑ったりしてここまで来たなあと思う。
感謝、感謝。







弓道ビデオ審査?!

2020-06-14 | 弓道
注文してあったアイゼンが届いた。
ずっとステイホームで、弓道の審査も試合もお預けになっている間、友達と白山の予定に熱中していた。
いつもより少し早い時期に登るので、もしかして雪渓を歩くかもしれないからということで友達に勧められた。安全策はとらなくてはならない。


その頃、弓道の「ビデオ審査」についての会議の出欠がメールで来ていて驚いた。
あいにく、日曜は勤務のシフトが入っているので欠席の返事を出しながら、不安があった。これからどうなるのだろうと。
道場で仲間と稽古中、いい射が出ると「切り取ってビデオにして審査してもらいたいね」と、笑って言う時がある。本番ではなかなか発揮できないがいつもの道場では中りがあったりする。しかし、それは笑い話でしかなかった。
全国レベルの先生や選手のビデオを観ても、その場で同じ空気の中で見たのとは大違いだ。寒い中、蒸し暑い中、風、雨、そこにいるから分かる息遣い。
各自の持っているオーラ。細かい欠点を隠してしまう堂々とした態度や力強さ。的までの矢飛びと瞬間の音。

過日、愛媛県のリモート弓道大会のニュースを観た。これは各道場で弓を引き、中央で的中を報告されたのを集計するというもの。コロナの時だからこその苦肉の策だ。
中高生の弓道部の子供たちの為に、是非ともその苦肉の策を講じなくてはならないのだろうと思う。選抜野球の球児たちが甲子園の土を踏めるだけでも喜びの声があがったように、是非とも初段は取って卒業したいという気持ちはあるだろう。

アイゼンを登山靴に装着してみる。さて、それだけで雪渓を歩くことは万全だと言い切れるだろうか。
TVの百名山の映像を観ただけで山に登った雰囲気にひたれるだろうか。
分かったような気持になって本質を見誤ることはないだろうか。
的中争いのような分かり易い結果ではない。それぞれが真剣に弓を引く中で、映像は欠点を顕著に映し出す。審査眼が問われるだろう。


八重 ドクダミ

2020-06-12 | 
ドクダミの花は白くて、可愛いと思う。近所に八重のドクダミが群生していたので、1本分けてもらって鉢に植えた。
本当に八重が咲くか心配だった。
花芽が白く尖って出てきたと思ったら、緑の葉が広がるばかりに見える。
すでに、茎には葉があるのに、まだ葉が増えるのだろうかという感じ。

その葉のような一部分が白くなってきた。定点カメラを置いてみたい。
どうも納得がいかないのである。葉が白くなるのか、新しく白いのが出てきているのか。
花弁に見える部分は総苞片と呼ばれる葉の一種で、花は中心の黄色い部分ということらしい。






総苞片が八重になっているという。見れば見るほど美しい。
1本だけもらったのに、すごい増え方だ。鉢から降ろしたら増えるだろうから、このままで様子を見ようと思う。












手塚山公園

2020-06-05 | 暮らし
殿の先輩がお茶をしよーと、誘ってくれて、その後で「手塚山公園」へも連れて行ってくれた。
T先輩は殿よりひとつ上の弓道部の先輩で、物知りで勉強家である。
そして、3人の息子を立派に育て上げた豪快母ちゃんである。
4月に開園したのだが、コロナ騒ぎでひっそり開園である。
「手塚山公園」は、片山津の柴山潟の前にある。
加賀市で一番低い山という(標高14.71m)「手塚山」を公園として整備した。

ここには、「首洗池」がある。
篠原古戦場と言われ、木曽義仲の軍に追われた平家軍が、ここで決戦し、敗走する中で一騎踏みとどまって戦った斎藤別当実盛の話は小さい時からよく聞かされた。
「実盛は73歳という老齢の身を悟られないよう白髪を黒く染め、名乗りもあげずに戦い、奮戦むなしく手塚太郎光盛に討ち取られました。」
「手塚太郎光盛とその仲間、樋口次郎兼光は、高貴な衣装を身に着けた黒髪の武将を不思議に思い、近くの池でその首を洗ってみました。すると黒髪はたちまち白髪となりました。それはまぎれもなく平家の武将斎藤別当実盛の姿でした。」


「驚いた光盛と兼光は、その首をすぐに木曽義仲に差し出しました。義仲は、幼い頃、斎藤実盛に命を助けられた事を思い出し、さめざめと涙を流しました。」


「義仲は、実盛の亡骸を近くの松林に手厚く葬りました。かつての恩にすがることなく、その名を秘して武士らしく立派な最期を遂げた実盛は、現在もなお多くの人々から畏敬の念で慕われています。」



山の上には展望デッキや、物見櫓が出来ていた。


実盛塚はここから1.4kmのところにあるらしいが、行ったことはない。
また、実盛が髪を染めるのに用いた鏡を安置したと伝えられる鏡の池もあるらしい。
西方向に6kmの加賀市深田町というところだそうだ。
加賀市にいて知らない場所がまだまだある。
県をまたいで遠くへ行かなくても、興味深いところは探せばありそうだ。
この小さな街の歴史に触れてみる。





弓道場 開館

2020-06-02 | 弓道
4月13日から休館になったので、約1か月半我慢していた弓道場。
6月1日より道場を使えることになり、今日は理事会があるので集合。
道着と袴を着るのも1か月半ぶりだ。帯がきつい。コロナ太りだ。

まず、カラカラに干せている安土に水をやり、的をつけるのだが、この当たり前の風景がやたら懐かしい。
おまけに、突然休館したので、まだ肌寒かった4月半ばのまま道場の時間が止まっているように、ストーブが4つ並んでいた。
それを拭いて片付けるところから始まる。
今日は26度あったので、一度に夏気分。

久々にみんなと引くと、中らないのに気持ちいい。
あぁ快感・・・あぁ開館。


さて、稽古の後、理事会が始まるが、今後の予定・・・・中止・・・中止・・・・のお知らせばかりとなる。
9月の十万石まつりも中止となったので、弓道大会も中止である。
弓道教室も見合わせることになった。指導で密接な距離になったり、手を触ってしまったりすることがあるので、やはりしばらくは難しいということになった。
今日は7人だけしか集まらなかったが、マスクと距離感を取って今後を話し合った。
いつもの風景が嬉しい。
少しずつ良いほうへ近づきますように。