まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

脱走もの

2010-12-29 | 映画

スティーブ・マックイーンの映画「大脱走」、「パピヨン」と、脱走の映画はわくわくする。

モーガン・フリーマンとティム・ロビンスの「ショーシャンクの空に」も、心地よい。結果が暗いのはよくない。脱走は、映画の中では成功しなくてはならない。

「脱走ものにはまるー」と、言うと、夫は「そんなジャンルはない」と、言い放つ。

実は先日から、試験が続いて、その結果が明らかにならず、脱走したい気分だった。

弓道の検定試験と同時期に、会社の昇格試験があった。弓道のほうは、○橋先生の温情で全員合格の方向へ講習会を開いてくれていたので、最後に汗をかいたものの大丈夫。

「先生すみません。最後にしめられなくて。約一名不合格って言われるかと思った」と、いうと、「ひとり、どうしようかなあという人がいましたって、言おうかと思たわ」と。とほほ

会社のほうは、23日発表というのに、なかなか知らされず、昨日いきなり「明日、辞令がでるから行きなさい」ということ。23日から今日までの間、暗澹たる気持ちだった。よく出来たという感触もなく、かといって全然書けなかったというわけでもないので、一体どのくらいが合格点なのかわからない。合否が分からないというのは、行方不明になった猫の安否が分からないときと似ている。諦めきれないのだ。時折、もしや・・・と、思う。リアルな不合格の夢を見たので、諦めようとするのだが、腑に落ちない。そんなとき、脱走気分になる。

まあ、何にしろ結果が分かり、よい正月が迎えられるというもの。

 

 


納射会

2010-12-28 | 弓道

26日に納射会と昇段祝賀会を同時に行った。

本来ならここに一緒にいるはずの県連会長のことを思い出してしまう。

それでも、今年の昇段の方たちのために、○下さんは、紅白の幕を道場に張りめぐらせてくれてあった。この道場で、教士、四段、参段ふたり、二段と、今年は、5名の昇段昇格者がいたことは、すばらしいと思う。

わたしも久々に、納射会の二回目の立ちに、4射皆中できたので、よい納めとなった。優勝決定戦の競射では、四段合格の○未ちゃんに、花を持たせたのは言うまでもない。

ついでに、準優勝で賞品のワインもいただいたので、夜はしみじみ今年の反省と、来年の抱負を語りながら、夫婦で飲み干してしまった。

本当に、反省をしているのか疑わしいが。


どんぐり拾い

2010-12-22 | 小さきもの

どんぐりの何が楽しいのだろう。かわいい帽子のような姿がいいのか。

どんぐりみたいな子供達。実家の山には遊ぶところがたくさんある。

今度はバーベキュー小屋で、焼き芋をしたい。

爺さん手作りのバーベキュー小屋の名前は「拓庵」と、言う。


指導員検定

2010-12-20 | 弓道

すでに先輩方は、上級指導者の資格を持っている。

誰かに強要されたわけではないけれど、遅ればせながら講習会へ出た。初めての講習の日は、猛暑の中で着物を着て汗を流し、その後、5回の講習を終え、半年間の総仕上げを迎えた。

称号をもっていたら、指導ができるという時代は終わり、全国体育協会での決め事を弓道もということになった。スポーツ指導員の資格がないと、国体の監督になれないとか、学校で教えられないとかというような制約が出来てきた。

通信教育と、各種のレポートと、学科試験と、論文と実技。とはいえ、出題する先生方は、丁寧に教えてくださり、頭が下がる。ここが出ますよーとまで言ってくれているのにね。と、高校の先生の○野さん。「生徒の気持ちが分かります」

受講のためにお金と時間を使い、合格の際に手続きと登録料を支払い、4年ごとに更新料を支払いということを聞いたら、なんだか、大きな力に巻き込まれていくような気がした。

それにしても、最後の実技は汗だくになった。冷や汗だらけ。4人一つ的をしたが、乙矢のときに進んでいったら的まで足りなくて、顔の向きを変えたらビニールカーテンが目の前にあった。県武に始めて冬場のビニールが張られた訳だが、これが災いし、誤魔化しがきかなくなった。だいたい、アバウトにやっていることが悪いのだが、歩数を数えていたにも関わらず、小足になったせいか(緊張すると足が前へ出ないかんじ)完全に足らなかった。

穴がない。ぎゃーと、思って見ると、的が分からなくなった。持ち的の続きなので、的は4つかけたままだった。前から数えて、もう一歩出直した。ここからが、悲劇の始まりだった。枝雀の落語じゃないが、頭に血が上り、心臓がどっくどっく状態。なんと、小心者なのだ。

自身の動作に自信がなくなってくる。これでは、次の目標には程遠い・・と、実感した。

湯せん卵状態は、まだまだ続く。


キウイ採り

2010-12-18 | 小さきもの

わたしの両親がひ孫たちのために、キウイの棚の下のほうを残しておいてくれた。

ひっぱったり、ねじったりしているうちに、だんだんうまく採れるようになり、

「上手に採れるね。ベテランになったね」と、言うと、後でパパに「○○ベテランになって、いっぱい取ったよー。」と、報告していた。

その後、爺さん登場。

しいたけを栽培しているところへ連れて行ってくれた。子供たちは指示通りに、小さいものを残して採り、その後、しいたけの木に刺激を与えると大きくなるのだと言って、棒でたたかせていた。子供たちは大喜びだ。

本来は、こんな刺激では、たいした効果もないのだろうけれど、子供達は楽しくてしかたがない。

北陸の曇天の空の下でも、明るくたくましいひととき。


蟹食いツア-

2010-12-17 | 暮らし

夫が自社の蟹を食べに行く日帰りツアーへ行くことになった。

ブレザーを着たので、カジュアルな姿で行けばよいのにというと、挨拶もあるのでという。半分仕事がらみかと思うが、半分仕事という仕事は不可解だ。わたしは、日々8時半から夕方の6時半まで会社に拘束されている。時々ゴルフという仕事も理解しがたいが、若い頃から頑張っていたので、よいであろう。

さて、このツアーの帰りは、尼御前で降りるので、迎えに来て欲しいという。しかし、到着予定5時半頃というので、わたしが迎えに行くのは早くても、6時半過ぎになる。

そこで、お迎え隊として白羽の矢が立ったのが、実家の父である。尼御前から家が近いので、迎えにきてもらおうかと言いつつ、過去の辛い事件(事件簿 爺の高速道路失踪事件)が頭によぎった。尼御前というだけでトラウマになっているのではないか。夫の会社でのお客様対応事例の、稀な例に付け加えられた珍事である。あれから何年も経って齢84歳となった父に迎えを頼もうという娘夫婦に呆れはしないか。

恐る恐る電話すると、母が出た。わたしは、恐る恐るの気持ちだが、母は図々しくと思っているかもしれない。母はふたつ返事だったが、夕方とはいえ暗いので、大丈夫かと心配したら、「わたしがついていくから」とのことだ。しかし、あの事件の時も母がそばにいて、注進しても、耳を貸さなかったのだ。心配はつのる。

とりあえず、実家までつれてきてもらい、わたしが会社の帰りに夫を実家へ迎えに行くという算段になった。暗い北陸の夕方だ。急いで仕事を終えて行くと夫はすでに両親と夕餉を取っていた。もちろん酒つきで。迎えに来てもらい、夕食まで食べているとは、なんということ。

しかし、父にしたら、婿殿に頼られて非常に喜んでいる様子。そして、あのトラウマを克服した様子。

母の鯖の煮付けは最高に旨かった。生きのよい鯖が手に入ったとか。

 


梅酒比べ

2010-12-06 | 暮らし

今年の6月に漬けた梅酒から、梅を取り除いて、ちょいと味をみた。

ホワイトリカーと氷砂糖+蜂蜜、ブランデーと氷砂糖+蜂蜜の2種類作って比べたら、どちらも美味。蜂蜜と氷砂糖の分量のせいか、ブランデーとリカーの違いのせいか、ブランデーのほうが、透き通っている。

取り出した梅は、焼酎のほうがまるまるで、ブランデーのほうは、しわしわだ。何故だろう。

友達に言ったら、ブランデーは、ブランデーだけで飲むべきだ、梅酒にするなどもったいないという。「梅酒用のブランデーだよ。紙パックの」というと、安堵していた。

 


定位置

2010-12-01 | 仕事

パーティションで区切られている個室のような中で、PC画面がふたつ、注文を受けて、電話を受けて、工場と話をつけて、営業と話をして・・・という忙しさの中。

月曜の朝は、危ないのである。

日付入りの回転ゴム印を入力後の注文書に押して、FAXで返信するのだが、このゴム印を、しっかりコーヒーカップにどぼん!と入れた。

原因はもちろん、そそっかしさにあるが、もうひとつは、定位置がずれていたことだ。

回転ゴム印は、右手を伸ばした程好いところにある。コーヒーカップは、机の右端の角に近いところにある。これが、接近しすぎていた。

ティシュでぬぐったが、半日つきが悪かった。そして、わたしのつきは一日中悪かった。