まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

努力は報われた

2024-06-27 | 
草は雨が降った後、見事に伸びている。
隣の塀の陰に植えたアジサイがやっと花をつけた。
2021年に手帳に「ガーデンプロジェクト」を立ち上げた。
草刈が大変で、自分の励みに手帳を作ったというだけのことだ。
審査合格プロジェクトを立ち上げても、同様に効果は出ていないだろう。

荒れ地にアジサイが見事に花をつけた。
過去のノートを見ると、努力の跡が。
2021年6月に挿し木をする。
花の咲いていない茎を1~2時間水に浸けた後、鹿沼土に挿し鉢ごと水に浸けること1~3日。
日陰において毎日水をやる。
7月23日、日陰の涼しいところで培養土を入れた大鉢に植え替え。
この時、4本。
8~9月、日陰でひたすら水やり。
大鉢で育てて、ようやく根がついて葉が出たのが2本。
10月に地植えした。
古い矢で植えた場所に印をした。見失うほど小さい。
良い土と油粕を撒いてみるが、大きくならない。
2022年 なんとか枯れずに10㎝くらいに伸びたが心もとない。
2023年4月アジサイに小さな芽がついていた。15㎝ほど。
けれど咲かず。茎は伸びてきている。園芸用の土を入れる。
6月、弱々しい。発育不足な自分を見ているようだ。
草刈に行くたびにアジサイを気に掛ける。
9月、少し大きくなってきた。苦土石灰と油粕。
2024年 6月2日 アジサイ、小さな花をつける。弱々しい。
ペットボトルに水を入れて持っていく。3年目にして!!



6月25日 草刈に行ってびっくり。
花が20以上。ついに努力は報われた。




草刈の疲れが吹っ飛ぶ。
登山で花に会うと嬉しいのと同じ気分だ。
しかし、この密かなプロジェクト。荒れた土地をどうしようというのだ。

ヒオウギはほったらかしだが、毎年同じ所で咲いている。
はるか向こうの塀の所にアジサイがぽつねんと。



また挿し木する元気はない。3年もかかるのだから。
それなのに、全く上達のみられない弓道を何十年続けているとは。
体力と才能がないのではと今更ながら思うのだが今後の成長は見込めないし、枯れないように手入れをしなくては。
肥料の代わりに栄養を。新しい弓具を買ってみるという選択肢もあるかも。
人間に成長がみられない場合、すがるは弓具。
しかし、そう簡単に変われないと思うけれど変化は楽しめるだろう。

牡丹だったはず・・と。

2024-05-16 | 
雨が上がると、また草が伸びて・・と、繰り返すけれど、花も綺麗に咲いて楽しみな時期だ。
芍薬のつぼみが膨らんできて、あれ?と、思ったのは、この家を建てたY先輩に頂いたのは牡丹ではなかったか?
朝ドラではないが「はて?」
わたしの胸のあたりまで伸びて、大きな花を咲かせていた。
絵を描いた覚えがある。
一度枯れてしまって、再び芽を出したのだが、義母は芍薬という。
それで、調べたら、牡丹は芍薬に変わるのだと分かった。

「一般的にボタンの繁殖には草本植物で成長が早いシャクヤクを台木にして接ぎ木苗を作ります。春にボタンの株元からシャクヤクのひこばえが伸びてくることはよくありますが、見つけ次第かき取ってください。放っておくと生育旺盛なシャクヤクにボタンが負けて、シャクヤクの苗になってしまいます。」

結局、我が家の牡丹は一度枯れて、芍薬が芽を出して伸びてきたのだった。




と、言うわけで、芍薬を見た後、隅っこに咲いていたオオツルボという花にも気づいた。
そして、車庫の中のツバメにもごあいさつ。
また、車庫を乗っ取られた。家の近所で、ツバメが出入りするのは我が家だけになったと婆様の言。
みなさん、戸を閉めてしまって、入らないようにしているとのこと。
確かに、フン害はやっかいだけれど、車庫の中でツバメたちが飛び回るのは心地よい。シュッと飛んでいく姿は清々しい。
わたしも、シュッと目指したところへ飛べればいいのに。
このところ、目指すところが分からない・・・。






朝顔の成長

2023-07-27 | 
子どもが生まれると、誰もが人に我が子や我が孫の写真を見せたくなる。
そして、そんな小さな孫が成長して、おばばの手を離れると、自分の手で撒いた種の成長が楽しみになる。
6月に撒いた朝顔がいよいよ伸びはじめた。
もともと、nanaの夏休みの朝顔の種10粒ほどだったものが、毎年増えた。
6月の末に紐に絡まり始めた。


ひとつだけこぼれて早く咲いた。


今朝の朝顔。
隣の家の方に向いているので、たぶん向こうの方が綺麗かも。


お隣の駐車場に顔を出す。すみませんねぇ、うちの子が・・・。



朝晩の水やりが楽しみだ。


草刈り

2023-07-08 | 
雨の合間に草刈りをした。
炎天下より、雨に濡れたほうが暑くなくて良いと思って。
草刈りばかりでは、何の楽しみもないので、花の種を少し撒いたが、殆ど育たない。水はけは悪いし、土壌も細かい砂利なども混じっているし。
元々宅地にしようと思っていたところなので当然と言えば当然なのだが。



バッテリー切れで、途中でやめたが、コスモスの葉が伸びているのに気づいた。昨年は、2~3本しかなかったので、結構増えて秋が待ち遠しい。
また、ヒオウギもしっかり根付いた。
ただ、雨の合間だけに、あちこち水たまりができていて、草刈り機で根元を刈ると、ビシャッと水が跳ねてズボンは水浸し。



水はけの悪い土地なので、花が根腐れをおこしてしまうのかもしれない。
一昨年、紫陽花は何本か植えたのに殆どダメになってしまった。
油カスと土を足したので、かろうじて生きている感じ。





クリンソウ

2023-05-25 | 
塔の上部にある九輪からこの花の名前がついたそうで、何重にも花がついている。
さて、この時の「つく」は、どの字を使うのだろう。
分からない時はひら仮名だが、日本語は難しい。
厚切ジェイソンが「Why Japanese people?」と、日本語を斬るが、日本人でもwhy?と思うことがある。
先日、友達に「少し遅れます」とLINEしたら「承認」と、返事が来た。
「了解」と来ると思ったので?と思ったが、指摘しにくく、まあ、却下されずに済んでよかった(笑)
世の中の猟奇的なニュースが次々に起きる、憂いながらも、時はさらさらと容赦なく流れていく。
山でも、日常でも花に会うとほっとするが、美しい花を写してもアップする前に日が過ぎて時期遅れになってしまう。

何日も楽しませてくれるクリンソウ。


順々に花が終わって、七重になった。


シャクナゲ

2023-04-10 | 
最近、忙しくて山へ登る暇がない。
そろそろ富士写ケ岳にも石楠花が咲くだろうと思う。
職場の庭にシャクナゲが満開になった。
セイヨウシャクナゲというのだそうだ。ピンクの蕾に白い花。
よく言われる高嶺の花というのは、シャクナゲの事らしい。





富士写ケ岳に咲くのはホンシャクナゲで、蕾は紅く開く花はピンク色だ。
そうなると、もっとピンク色の花を見に行きたいと思う。

ちなみに、白山に咲くのはハクサンシャクナゲ。
これは、見に行くのは大変だ。どんな風に咲いているのか。
春の山は、お花畑になるのだろう。

わたしは、袴の左脇に襷のお花を咲かせて、意気消沈だ。
もっと、きれいに畳みたいものだ。


花はめぐる

2022-06-02 | 
5月に撮り溜めた庭の花をアップする間もなく、日が過ぎてしまった。
気づいたら6月になって、飛ぶように日が過ぎて、それでも花は毎年同じところに咲いてくれる。







ようやく休みが取れて空地の草も刈った。
登山なら喜ばれる花たちも、ここでは雑草として刈り取られる。







無情にも刈り取ってしまいました。




オーガスタ

2021-12-30 | 
オーガスタが伸びてきて、それぞれの葉が重そうに広がるので、そっと縛っておいた。




クリスマスに玄関のオーガスタに電飾をつけるときにそっと紐を外すと、なんと新しい葉がくるくる巻きになっていた。



植木鉢の大きさの関係で、いつも3枚から4枚の葉にしぼっていたが、今回もうひとつ誕生した葉を見守ることにした。
生命力があるのを観ると嬉しくなる。





サボテン整列

2021-10-10 | 
婆さんのサボテンが増えて外にたくさん出してある中で、新しく芽が出たのが可愛いいので分けてもらった。
窓辺に並べたら、たいそう喜んでくれたが、大きく育つのが怖い。
前からあるサボテンは、小さくて手の上にのせるくらいだったのに大きくなり鉢が倒れるので植え替えた。
しかし、また鉢を替えなくてはならないほどになった。
子供の成長と植物の成長は早い。
成長と老化はどちらが早いのか。考えたくない。



しかし、今日は10月10日というのに暑い。
窓から入る風が、まるで浜茶屋にいるような温風。
あ、、、、今日は結婚記念日だった。
結婚記念日って、二人そろっていての記念日だよね。
サボテン眺めていてもなあと思いつつ、今日も元気でいることを感謝しよう。
殿が言っていたことを思い出した。
「唯足るを知る」ないことを数えない。
植物も笑う気がする。
これらに口がないことがありがたい。
うるさいだろうなあ、しゃべったら。
たぶんサボテンたちは声を揃えて言うだろう。
「しゃべりやまないねぇ、女は・・」








ひまわり肥料

2021-08-23 | 
弟が畑に土地改良のためにミニひまわりを植えた。
それが見ごろになったので、momoとnanaと一緒に見に行った。
この後、種が取れる前にひまわりをトラクターで混ぜこんでしまうらしい。
緑肥というのだそうだ。
後作のリン酸の吸収を促進するらしい。



今迄、ひまわりが咲いているのを見たのは、自分の背丈より高いものばかりだったので、小さなひまわりを見て自分がガリバーになったような気がした。
可愛くて、何本かもらって帰る。



開きかけのひまわりは、未来を感じさせる姿だ。
この花びらが開くと、とんでもない世界が待っている。


そうだ!!フィボナッチ数列だ。
この規則正しく並んでいるのを見ると、人間が一番いい加減で弱いのではないかと思うのだ。いい加減で弱いのはわたしのことか。
植物は人間がいなくても成長するが、人間は植物や動物がいないと生きていけない。
経済という旗を振って、自然をぶち壊してしまって、足元を見ると自分の
生きる範囲を狭めているような気がする。


暑い暑いと言って、寝室難民だったわたしも、少し涼しくなってもとの寝室で寝ることが出来るようになった。そんなことは贅沢な話だと思った。
大雨で家が流されたり、コロナのことや、世界が大きく揺れている中で、不安も多いけれど、ささやかな幸せに巡り合えることの感謝。


サボテン

2021-06-01 | 
ウッドデッキに置いてあったサボテンが咲いた。
実家の外の鉢がたくさん増えて綺麗な花を咲かせていたので、鉢を持って行って分けた貰ったのだが、なかなか咲かないので外に放置してあったのだ。
花の間はしばし家の中の窓辺へ。

それにつけても、ついに尾身さんが「何のためにやるか明らかでない」と、政府に説明を求めた。
オリンピック後の恐怖がみえる。

登山中、花に出会うとホッとする。
そんな風に、日常に植物は欠かせないのだと思う。
わたしたちも生物なのである。
目に見えないウィルスに悩まされ続けている中で生きていかなくてはならない。

庭を綺麗にしている家の前を通ると、その家の人の笑顔が見える気がする。





植え替え

2021-05-30 | 
とある知人が、毎日の日記をブログにアップする人の気が知れないと言っていたので、返事のしようがなかった。
幸いというか、残念ながらというか、少数の友達しかこのブログの存在を知らないと思うので、そういう人に出会うとヒヤリとする。
文や写真を発信する人はそれはそれで、考えを共感したりする楽しみがある。

壁に向かって話す代わりにつぶやいているので、発散するひとつのツールである。家族がいないと、休日には誰とも話さないということが起こるのである。まして、今は弓道の稽古も行事もない。

耳の遠い姑とは、食事中少し話すが、殆ど聞いてうなずく役割だ。
こちらの事を伝えようとすると、喉が張り裂けるほど大声を出さなくてはならないので、いつの間にかそうなってしまった。
殿が生きていたときは食事中テレビをつけなかったが、今はテレビをつけたままだ。
毎日のコロナの感染者の真っ黄色の画面を見て、姑は自分の感想を述べ、私はそれにジェスチャーで答える。
結構鋭い意見の時があるので、その時も反論せず笑っている。

さて、我が家に生き物がいるといいなと思うが、今から犬や猫を飼うのは少し躊躇する。愛猫が亡くなってからは飼っていない。

生き物というには少し違うが、母の日に娘からもらった寄せ植えの鉢を、別々の鉢に植え替えた。
寄せ植えはポットに入っていたので、あちこちに分けてみた。


小さめの鉢が足りなくて、ジャスミンを少し大きな鉢に昇格させた。


しかし、ピサの斜塔のようになってしまったサボテンをどうしようか。
太陽の方にむかったままだったのだ。
ノーマークだった。



毎晩声をかけているオーガスタは顔より大きな葉になっている。
それはそれで成長が楽しみである。
新築祝いにいただいた小さなコンシンネも、20年の間に何回か植え替えて、ひ弱ではあるが、わたしの鼻の高さまで伸びてきた。
家の中に植物があると元気が出る気がする。
それに、大声で話さなくて済むので観葉植物はいい。




庭の実

2020-10-13 | 

たわわに銀杏の木にぎんなんが生っている。
7,8月にジューンドロップといって、自分の実を落とすのだが、今年はたくさん落ちた。そのせいか実が生る枝が片寄った。



キカラスウリは、朱色の実をつけた。タデもピンクの花を咲かせた。
蓼食う虫も好き好きのタデ。




梅雨の景色

2020-06-14 | 
14日の日曜は洪水警報が出るほどの大雨が降った。
何日か前に二匹のカタツムリがキノコを食べているのを母とみていた。
あのカタツムリはどこへ行ったのだろう。


父が逝ってから、母もわたしも病院へ行くという時間がぽっかりと空いて、庭のカタツムリを見る余裕が出来た。
母は同じ話を何回もする。3回は我慢するが、4回5回となると疲れてくる。
「さっきから同じことを言っているよ」と、言ってはいけないというが、そういう人たちは本当に心が広く辛抱強いと思う。
何回も同じ話を聞かされそうになると、庭の花にカメラを向ける。


「きれいやね」と、言ったとたん話は花の話しに代わる。

お供えのお菓子を買ったら、店の人が「父の日のお菓子」と、いうパンフレットをくれた。私の周りの「父」と、名の付く人はいなくなった。
舅、父、夫。
そして母と名の付く者たちだけがしっかり残っている。
わたしを含めてみんなお婆さんである。
女は強い。いつからこんなに強くなったのだろう。
強くて怖い。
けれど、人の悲しみが自分の悲しみと重なって気持ちが分かるようになってきた。
幸せな時は何も分からなかった。
それでも、悲しみはみんな違う。思い出がみんな違うように。
でも言えることは、本当に周りのみんなに助けられたなあと思う。
家族や友達や先輩たち。職場の仲間たち。
泣いたり笑ったりしてここまで来たなあと思う。
感謝、感謝。







八重 ドクダミ

2020-06-12 | 
ドクダミの花は白くて、可愛いと思う。近所に八重のドクダミが群生していたので、1本分けてもらって鉢に植えた。
本当に八重が咲くか心配だった。
花芽が白く尖って出てきたと思ったら、緑の葉が広がるばかりに見える。
すでに、茎には葉があるのに、まだ葉が増えるのだろうかという感じ。

その葉のような一部分が白くなってきた。定点カメラを置いてみたい。
どうも納得がいかないのである。葉が白くなるのか、新しく白いのが出てきているのか。
花弁に見える部分は総苞片と呼ばれる葉の一種で、花は中心の黄色い部分ということらしい。






総苞片が八重になっているという。見れば見るほど美しい。
1本だけもらったのに、すごい増え方だ。鉢から降ろしたら増えるだろうから、このままで様子を見ようと思う。