まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

大きな玉ねぎの下で

2022-09-28 | 暮らし
日本武道館と言えば、「大きな玉ねぎの下で」(爆風スランプ)の歌を思い出す。1985年、この歌は彼らが武道館でコンサートを開く時に、座席が一杯にならなかったらどうしようと思って作った歌らしい。
玉ねぎは武道館の屋根の擬宝珠である。
「ペンフレンドのふたりの恋は」と始まる昭和な世界。
結果は満員だったそうだ。

安部さんの国葬は滞りなく終了した。
約束したはずのペンフレンドがみえなくて「君のための席が冷たい」という歌詞のように、欠席者の席もあったであろう。

九段下の日本武道館には、もう何十年も前に「全日本女子弓道大会」が、行われた時、みんなでお上りさんになって出かけた。
仮設の弓道場が何立も設置され、そこで弓を引くのであるが、観客席から見下ろすので大会の経過がよくみえて興奮した。
2本引いたのか、4本引いたのか覚えていないが、皆中して予選通過したことを覚えている。あの時、石川県から何人か予選通過したように思う。
その後は、残念な結果だったが全国大会で皆中を出せたことに満足だった。
私たちはどの方向に矢を向けていたのだろう。
もしや、あの祭壇の方向ではないのか。

教会でも神社でもお寺でもなく、武道やコンサートをする場所が祭壇になった。国葬の是非はあっても、大切な人を亡くした家族の悲しみは慮らなくてはならないと思う。

ほんの少し前に従妹が亡くなった。
菅さんの追悼の辞を聞いていたら、Iちゃんのお別れを思いだしてしまって切なかった。
「あれからも朝は来て、日は暮れていきます。…季節は歩みを進めます。
あなたという人がいないのに時は過ぎる。・・・」

大きな玉ねぎの下で、悲喜こもごもの人生が過ぎていく。


イチジクケーキ

2022-09-26 | 暮らし
コロナ禍でビデオ審査だったのが、ようやく対面で審査できるようになり、久々に審査員席に座って、こちらの方も少し緊張した。
高校生の緊張感が伝わる。立ち姿だけで様子のいい生徒がいる。
そういう子は、射も期待できるなあと思う。
何が出来ているか、出来ていないかチェックシートを作ったらどうかという審査員もいたが、それならAIが審査すればいいと思う。
しかしながら、これは全体の雰囲気、立ち姿の美しさ、離れの瞬間の勢いの良さ。刹那の神がかりな切れ。私たちが審査眼を養う勉強でもあると思うのだ。

今回、筈が弦に入らなくて、なかなか立ち上がれない生徒がいた。
全体の間が乱れた。残念だが、マイナス点になっていく。
自分だけのことならよいが、他の人を巻き込むミスはいけない。
いろんなことがあるが、無事厳正なる審査は午前で終わった。

T先生と時間があるので木場潟の屋根付きの休憩所でお弁当を食べた。
天気はいいし、良い風が吹いて久々に外でくつろいだ感がする。
そして、帰りに目ざとく見つけたケーキ屋さんに寄る。


外のテントの下にはソファがあり、そこで話が盛り上がった。
やはり、秘境の加賀市と違って、小松はいいねって。
パティスリーロリアン コティ
美味しそうなケーキがずらり。お客さんが列をついて来ている。
わたしたちは、アイスコーヒーと「イチジクケーキ」を食べた。
ちなみに、ケーキは680円。
小麦粉もバターも値上げしているんだから仕方ないねって。
ぜいたくな昼下がり。





ハナ トゥル セツ

2022-09-23 | 暮らし
亜熱帯になるかと思った夏が、台風14号が通ったとたん、どこかへ去ったように気温は10度も下がった。
秋の気配を感じると寂しくなる。
ちょうど「キム・サブ2」も、終わったのでロス状態だ。
白衣のキム・サブがかっこいいのである。
また、周りを固める俳優たちもかっこいいのである。
重症患者ばかり運ばれて来る。
ストレッチャーから診察台に患者を移すとき、みんなで「ハナ トゥル セツ」と、掛け声をかけるところがドラマの中で何回もある。
日本語で言うところの「いち にの さん」

さて、ハングルの漢数詞は「イル イ サム サ・・・」
昔、会社に韓国のイケメン研修生が3人来て、庶務のわたしは身の回りの世話をしたとき、ハングル文字と数の数え方、少しの単語を覚えたが、今は2階へ何を取りに来たっけ?状態だから新しい単語などなかなか覚えられないが、「キム・サブ2」を観ながら、少し引き出しが開いた。
韓国も日本と同様「いち に さん」の他に「ひとつ ふたつ みっつ・・」みたいに数えるのが「ハナ トゥル セツ ネ・・・」だ。
さて、なぜ「イル イ サム」ではダメなのか?
たぶん、イ のところで力が合わなくなる?
日本語も、いち にの と、2は、「にの」と、弾みをつける。
なんとなく、最後の「セツ」で、全員の力が合致する感じがいい。

秋風が吹き、実家から貰った栗をむいて栗ご飯と、渋皮のまま唐揚げにした。
数を数えよう。
「ハナ トゥル セツ ネ タソ ヨソ イルゴップ ヨドル」
覚えているじゃん。
孫に「今更それが何になるん?」と、言われた。
泣ける。「鼻 ずる 切 ね(せつない)」


塩をふるとビールに合うよ。



 





犯罪だっ!

2022-09-19 | 暮らし
駐車場に、たばこの吸い殻をそこで全部放り出した者がいる。
よその駐車場をゴミ箱と間違えている?
いや、間違えてはいないだろう。
掃除して捨てたが、非常に腹立たしい。
これは廃棄物処理法違反、軽犯罪法違反。
犯人よ!あなたの車内以外は全部ごみ捨て場かっ!
自分の出したごみもちゃんと捨てられないようでは、車の運転も止めてもらいたいものだ。




成長を楽しむ

2022-09-13 | 暮らし
人間の成長も楽しみだけど、植物の成長も楽しいものだ。
我が家は吹き抜けで日当たりが良いせいか、玄関の植物が伸びに伸びている。
あまりに伸びるので、2階に持っていき、伸び放題にするとどうなるか知りたくなった。



階段の横のオーガスタがぐんぐん伸びて、前からある葉のふちが枯れてきたので取リ除いて4枚になった。
オーガスタは明るい日陰が良く、玄関は最適なようだ。

人間も死ぬまで脳は成長できるというが、年を重ねると、その説は正しいとは思えない。二つ以上のことを言われると、一つ忘れる。
シルバー川柳にやけに同調してしまう。
植物の成長をおおらかに見ていよう。
植物は口答えしないし、大声も出さない。
身の回りにいる年寄りは元気で、耳が遠くて自分の話しばかりして、相手の話は聞いていない。
その状況は、まるで動物の放し飼いのようである。
しかし、家へ帰ると奥さんの前では無口のようである。
平和な家庭を築く努力は大事である。







10年経ちましたから終わりにしましょう

2022-09-12 | 身体
10年は長い。
いや、歳を取ると10年はあっという間だ。
保育園だった孫は中学生になり、小学生だったお兄ちゃんは高校生になった。
そして、わたしはより上品な婆さんになった。
当たり前だが、いろんなことがあった。
そして、恋人に別れを告げる如く言った。
「10年経ちましたから、もう終わりにできませんか?」

今日、毎年恒例の癌検診。執刀医から代々替わって4人目の先生になった。
10時にCT検査して10時15分には待合室へ。
11時の診察予約が、11時50分。ようやく呼ばれ看護師から
「お待たせしました」と、言われた時には、つい
「お待ちしました」と、言いそうになった。
2時間座りっぱなしはきつい、これでは違う病気になりそうだ。

女医さんだった。婦人科は女性の方がいいかもしれない。
そして、異常なしの診断を下された時に、
「来年の検診は・・」と、言われて
「先生、10年経ちましたからもう終わりに出来ませんか?」

結局、大丈夫でしょうということで、ピリオドを打った。
言い出さなかったら、来年もくることになったのだろうか?
何はともあれ区切りをつけることにしてよかった。
最後に、二度と来ないつもりで、殿と通った先進医学センターの写真を撮った。
あの頃、藁をもつかむ思いで、1回20万、30万の治療を受けたことは、殿にとって希望を最後まで持ってもらったという点では良かったと思うが、今更だが、怪しかったのだ。

金沢大学病院の敷地内に建っているので、てっきり金沢大学が先進医療を行っているかのように思えるが、違っていたのだ。
もう初診を取らないとネットに書いてあった。
院長の名前も記載されていない。
高級ホテルのような受付だった。
診察室も患者一人に一部屋。
NHKで放映されて、すっかりその気になったのだが、ある意味最後に希望を持たせてもらえて、ゆっくり時間を過ごす場所として安心もあった。
今となってはそう言うしかないのだが。

いずれにしろ、もう終わりにしましょう。
わたしたちの関係。。。



小銭入れ

2022-09-05 | 暮らし

周りの田んぼは稲刈りが始まった。
だんだん米を作る人が減ってきたという。
農機具は高いし、天候不順に悩まされるし、JAの買取価格が安いという。
農家の人は大変だ。
今日はやたら蒸し暑いので、買い物に出る気もなく、庭で少し南天を剪定したら汗が異常に出たのでやめた。

涼しい部屋で遊ぶことにした。
財布の小銭が貯まりパンパンになるのが嫌で、たっぷり入る小銭入れを作ることにした。小銭は貯めずにすぐに使わないと。

前に刺繍の練習をしたデニムの切れ端があったので、そのまま使うことにした。

今日はアメリカンホックをうまく付けることができた。
トンカチでえいやっ!っと。


ポケットは3つある。


後ろはバタフライの入れ墨みたいだな。ま、いっか。







術の使い手

2022-09-05 | 弓道
先日から気になっている甲野先生の本に『神技の系譜』がある。
弓道の神技も載っていて興味深い。
武術を体現するだけでなく、多くの著書で昔の秀でた武道家のことを研究し、今もなお日々研鑽に励んでおられる姿に感服する。
何十年も弓を引いていながら、手先をこねくり回しているようでは、お祭りで当たり矢を競っているようなものだ。
武道というからにはそれなりに深く学ばなくてはならないのに、同じところを行ったり来たりしているだけのようなもので、恥ずかしい限りだ。


松野女之助 弓術・手裏剣術
小山宇八郎 弓術・無往心剣術
昔の武士はいろいろな武術をしていて、その威力は本当だろうかと思ってしまうのだが、三十三間堂の通し矢のことや、那須与一の話を聴くにつけ、今とは大きく違うのは命がけの闘いをしていたのだということだ。
命はかけないけど、人生をかけている人はいる。
同じかけても、人生の腰掛みたいな稽古だが、それとて大きく人生を間違えないために良いかと思う。
学ぶことは多く、出来ることは少ない。