goo blog サービス終了のお知らせ 

まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

引っ越しました!!!

2025-04-22 | 弓道
gooブログ終了とのことで、ブログ仲間の友人のアドバイスを頂き、引っ越しました。
はてなブログで、同じ「まこの時間」と、検索すると訪問数が少ないので出てこないらしく、自分でも検索できず、とにかくお気に入りに貼り付けて、自分自身で「読者になる」ボタンを押して、う~~む。と、腕組み状態。
どなたか見つけたら訪問してみてください。

下記住所

訪問されましたら、引越しそばをご馳走します。






大変だ!それでもツバメはやってくる

2025-04-14 | 暮らし
ショックだ。ブログの頭に「goo blog サービス終了のお知らせ」と、出ている。11月で終了って。

前から疑問は持っていた。
こんなに長い間ブログを書いていて、溜まっていくデータってどうなるんだろうとか、最近はブログも流行らないし、実際訪問者も少ないし。
それでも、仲良しの人たちがのぞきに来てくれていて励みになっていた。
また、文章を書くということの面白さもあるし、何より殿との思い出が詰まっている。
そう、2007年から始めたので遡ることが出来、殿との会話が載っているのである。

今年も4月初めにやってきたツバメたちを見ると、ひたすら巣を作って(昨年のを利用しているが)せっせと雛を育てて、ヒュンとスマートに、我が物顔に車庫を出入りする姿を見ていると、なんだか自分たちがあくせくと義務のように、ちまちまと思い出を残したりしていることが、阿保らしいことのようにも思えたりする。
物を持てば持つほど執着する。
貯めれば貯めるほど執着感は大きくなる。
データが膨大になれば、思い出が多くなれば失うことのショックは大きいだろう。
お金の方は貯まりすぎていないので、日々の暮らしが出来ればよいくらいで執着度は低い。ないと困るが、ありすぎて困ることはない。

ツバメと少し語らうか。宮沢賢治の気持ちになれたらいいのだ。
少しのご飯と、無事な暮らし以外に何を望もう。
そもそも、殿が一番わたしのブログを楽しみにしていたので、もういいかなあという気持ちもある。
入院中、タブレットで眺めていたのだ。
ガラケイの頃、タブレットを持っている人は少なかった。
今は、スマホがあるので、時の流れを感じる。
小さき孫も大学生になってしまったのだから。





コロナ時代

2025-04-12 | 弓道
弓道部の見学に来た新1年生。
3人来たのだが、3人ともマスクをしていた。
最近、インフルエンザも流行っていないようだが、マスクをしているということは・・。
ふと、思った。この子たちは、物心ついたときにコロナ時代だったのでは?と。コロナ時代なんて言葉はないけれど。
「コロナの時、何年生だった?」と、訊くと「5年生でした・・」と。
物心ついたときコロナだったのだ。
小学生では、手洗い、マスク、うがい、学校では大変な集団生活の厳しいルールを余儀なくされたに違いない。
先生方も大変だったに違いない。
何年も人間をやっている私たちにとって、その期間は年齢分の3年だが、彼らにとっては、11分の3,いや物心ついた年を6歳としたら、人生の半分はコロナだということになる。
おかしな計算かもしれないが、その影響は大きい。
おまけに、石川県は昨年の地震。
子供たちにとっては大変なストレスがあったに違いない。
これから、そのストレスを和らげるべく時代がくるとは思えない。
その子たちが、弓道を選んでくれたら、その中で楽しくして行けたらと思うが、調子が悪い時って、弓道もストレスだったりする?
矢が的まで飛ばない生徒を見ていると、何とかしてあげたいと思うしね。




花の命は短くて

2025-04-09 | 暮らし
春の景色は美しく、希望に満ち溢れている。
桜も毎年咲くのに、咲くたびに美しいと思う。



家の前から見る桜も、毎年同じ景色を見ているはずなのに、今年の桜は初めの最後なのである。
流れる年月と共に、見るほうの感性や重ねる年で見方が違ってくる。

また、何と言っても恒例の弓道仲間との花見。
そして、恒例の花見も高齢になってきた。
いつもの公民館で、飲み物持ち寄り、オードブルのみ用意。
宴は楽しく、あっという間に時間が過ぎて、花見の時間は短くて。
ライトアップした川べりの桜。



中から外を撮ったら、自分たちも写ってしまった。


いつもの仲間とのひとときは格別である。

中用秘肝弓要集 ふたたび

2025-04-08 | 弓道
1年かけて再版にこぎつけた「中用秘肝弓要集」が、作者の愛媛県の先生から届けられた。なんと幸せなことだろう。
これもすべて、このブログを見つけてくださったこまくまさんのお陰である。
早速、開くと「令和試訳」と、あり、次に「許可なく複写転載を禁ず」と、ある。
うひゃ~これは秘伝の書である。しかし、秘伝の書は秘伝を正しく受け継ぐ者にこそ秘伝の書であって、中途半端者には、「豚に真珠」「馬の耳に念仏」である。
豚にならないよう、馬にならないよう学ばなくてはならない。
すでに、過去の弓道誌に載っていたので、内容は大きく違わないのだが、改めて真摯に向き合うことの大切さを思う。
しかし、残念ながら「あれ、あれ・・それ・これ・・・」の、年代にさしかかってきた。これを、「こそあど年代」と呼ぼう。

弓道教本にはない言葉。下手筋の指導者に学ぶ弟子は育たないとの強い言葉。
全くもって耳が痛いのであるが、確かに常に学ぶ指導者にならなければいけないが、それ以上に具現できなくてはならない。
読み進むにつれ、稽古の不足を反省させられる。
しかし、今となっては若者のように矢数をかけると危険なのである。
膝が痛い、肩が痛い、目が見えない。(矢どころがみえない)

それでも、続けなくてはならない。ここまできたら業のようなものである。
足抜けができない世界に入ってしまった。
嫌ならやめればいいのだが、辞めてどうする?
続けても何も残らないが、辞めても腑抜けになるだけではなかろうか?

高校生をみていると、何の懸念もなく、大きく良い離れをしている。
若さが大きな武器なのである。
年寄りの武器は何だろう。
分かったような顔をして指導し、中らない弓を引くのは最悪だ。






いぶし銀の左腕

2025-04-08 | 身体
12月にインフルエンザの予防接種をした。
筋肉注射は痛いので、1回しかしなかった。
注射針の如きと思っていたので、そのうち治るだろうと思っていた。
ところが、今でも腕が痛い。4カ月も経ったというのに改善されない。
回復力の遅さは年齢によるのだとは思うけれど。

痛みに気づいたのは、服を着る時だった。
普段、袖を通す時に、どちらの腕から入れようかと考えて服を着たりしない。
どうも、右から腕を通すらしい。自分のことであるのに、通すらしいというのは、意識したことがなくて、右を通してから、左を後ろに少し引いたときに痛みを感じて初めて気づいたからである。
あたた・・という具合の痛みで、注射をした周辺が痛かった。
なので、服を着るたびに、左から腕を通そうと意識するようになった。

さて、わたしの左腕は、弓引きとして「黄金の左腕」と言うにはおこまがしい。最近は中りも少なく、輝かしい成績を残してもいないが、まだ可能性はあるかもしれない魅力的な左腕として「いぶし銀の左腕」と呼ぼう。
その左腕の回復のために、整形外科へ行くほどの痛みでもない。
調べると、そういう副作用はあるようで、肉離れ的な感じでもあるようだ。
あの細い針でやられてしまうとは、なんと華奢な腕ではないか。
コロナの時は、予防接種で身体全体一発撃沈状態になったし、予防接種はこりごりだと思った。
インフルエンザも受けたくなかったが、婆様のかかりつけ医で、年寄りに移すと致命傷なのでと一緒に受けたが、こちらが致命傷になった感じだ。

市から、帯状疱疹の予防接種が無料で受けられるお知らせが来た。
わたしが、小さい時、水疱瘡にかかったかどうか分からない。
かかっていなければ、さほど心配はないのだけれど。
自分では覚えがないが、母に聞こうにも、母はわたしをかろうじて誰か判別できるくらいの痴ほうになっているし。
と、いうわけで「いぶし銀の左腕」を、守るためには受けないでおこう。
友達に、お尻にしてもらったら?と、勧められたが、それはどうか。
お尻は、いぶし銀でも、黄金でもないけれど。


我が家の椿

2025-04-03 | 
我が家に椿が4種類あることを今年初めて知った。
恐ろしい話である。会社に勤めている間に、婆様がせっせと植えたらしい。
いつも庭の草むしりもし、剪定もしているのに、一斉に咲いているところに出くわしていない。



家を建ててから25年。
その間、殿と婆様に庭を任せていたが、殿が亡くなり、婆様も足腰弱ってきて、隅から隅までかまうようになって久しいのに。
毎日、気ぜわしく暮らし、気付いたら花が散っていて、あらあらと思っている間に、草が生えだす。

2枚ずつ撮ってみた。
きっと、それぞれに名前があるに違いない。















ヒヤシンスや水仙も咲いている。




わたしの植えたチューリップが、いよいよ顔を出してきた。






黄砂に吹かれて

2025-03-30 | 暮らし
先日、黄砂がやってきた。
TVでの予報に、黄色と赤のもやもやが日本全土を襲う図が示されて、赤いところに突入したら「赤砂」になるんかい。ってな気持ちだった。
花粉症の友達は難儀していた。黄砂と花粉の二重苦。
外出は控えましょうって言われると、ついつい素直なわたしはおうち時間に専念するチャンネルになって、前から気になっていた外にある椅子を玄関に置く作業に入った。
前に、玄関で立ち話になって、年寄りとはいえ男性であることから家にあがってもらうのもどうかと思ったことや、先輩の家の玄関に椅子があって、ちょっと座って待っとってと言われたら楽だったこと、ちょっと腰かけて靴ひもを結ぶことができること。
高齢モードの玄関の必要性を感じたのである。
ほったらかしにしてあった椅子を、金たわしでこすった。


ペンキ塗り作業は、ウッドデッキで行った。
ウッドデッキもいよいよペンキを塗る必要があるので、そこで作業する。


さて、着なくなったTシャツを座布団にした。
腕がレースのスケスケで、今更スケスケの腕を人に見せるのも似合わないの
で、裏に白い布を充てて縫う。


さて、三日後、玄関で自然乾燥を待っていた椅子に座布団を。
毛糸の座布団も可愛いかなと。
ようこそ。。。お越しくださいませ。


少々お待ちください。お雛様は4月まで飾ります。




ざわつく音楽会

2025-03-29 | TV
久しぶりに土曜に休みがとれた。
昼食後のんびりTVをつけると「高嶋ちさ子のざわつく音楽会」を、やっていて、柳沢慎吾がトランペットを吹いていて、その一生懸命さに涙が出た。
最近は、涙腺が緩くなったようで、先日もNHKのど自慢で車椅子の女性が「十五の春」を歌ったのを見て泣けた。
素晴らしいプロの演奏もさることことながら、お馴染みの芸能人が挑戦するのを観ていると、親心のような気持になってしまう。
また、その地域の高校生吹奏楽部の演奏も心をうつ。
一生懸命楽器を奏でて、その音を届けるというのは感動ものだ。
高橋克典のチェロ、中山秀征のクラリネット、柳沢慎吾のトランペット、高橋茂雄(サバンナ)のサックス。彼のサックスは落ち着いていて、楽器って人柄がでるのかなあと思えた。
上石原良純のトロンボーンは4年越しの頑張りとのこと。
続けるとそれなりに成果が出来てくるらしい。

同じ「ひく」という言葉でも、弾くと引くでは大違いで、わたしが弓を引いても誰にも感動してもらえない。
かといって、音楽的才能もないので、今更楽器もできない。
長くやっていて、的に中るかと言えばこれまた難しい。
弓道の成果とは、万人に出るとは限らないようだ。
何が楽しくて、禅問答みたいな弓を引き続けるのか。
でも、辞めても何も出来ないしね。
今夜も弓を引くか・・。せめて自己満足できればいいけれど。
試合になると、心がざわついてくる。
「ざわつく弓道大会」では、誰も拍手をしてもらえない。
久しく、皆中もしていないので、拍手ってねえ。憧れるよね。



春立ちぬ

2025-03-25 | 
少し前にフキノトウが採れて、天ぷらにした。
その後すでに花開いて、いわゆる「とう」が立った状態になる。
薹が立つって、花の茎が伸びてくることで、蕗の薹ってそのまま薹の字を充てるということは、まさしく薹がたちやすい。
人間も、若くてかわいい時期を過ぎると、とうが立ったと言われるが、婆さんになると、立つ薹もなく萎れるだけなのかと、ここで鳥肌が立つ。
美しい話をしなくては。
春立ちぬといえば立春で、立春と言えば「春は名のみの風の寒さや~♪」


職場の裏庭にヒメリュウキンカ。



キクザキイチゲ。



今から、野山にたくさんの花が咲くだろう。
花は毎年綺麗に咲くけれど、人はそうはいかない。
しかし、もう一花咲かそうと思う。なので筋トレを始めよう。
ひと花咲かせるには体力がいる。
花を咲かせると言えば、姥桜って年を重ねても美しく色気があることで、そう呼ばれたら嬉しいことなのだけど。姥という字がいい印象ではないので勘違いされやすい。やっぱ、姥ってねえ。もっと素敵な言葉がないかなあ。
誉め言葉と言われてもねえ。
「いやいや、あなた姥桜じゃないです」って、言われそうだ。
散ってしまった桜かいな。
つまらないことを考えていないで、今日も道場へ行って筋トレですよ~。
矢を散らしてはいけませんよ~~。