まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

白山とコーヒー

2019-01-30 | 暮らし

中央公園から白山を追いかけているうちに、イヴェールボスケに着いた。知らない間に着いたわけではない。意図的ではある。

宮地から見る白山もすごくいい。

別山まで見える。左へ目を移すと、大笠山と笈ケ岳も見える。

ここまで来たら、コーヒーを飲んでいこう。この喫茶店からも白山が見える。ここは話をしてはいけないので、ひとりで来る人も多い。恋人や友達と来て話が出来ないのは辛いね。始めてきたときは、どこに喫茶店があるのか分からなかった。大きな胡桃の樹が何本もある。

白山にちなんで、ケーキは「和栗のモンブラン」を食べた。美味しい、中からクリームが出てくる。栗の味の衣を着ているような姿。幸せ~

のんびりしている場合ではない。kenを学童まで迎えに行かなくてはならない。白山を見ていて喫茶店で沈殿していてはいかん。4時過ぎるとほんのりピンクに染まるのだが。

kenを迎えに行って、なぜか車の中で山の遭難の話になって、彼は車の中で実況中継を始めた。「まさこさんは、夜帰ってきませんでしたが、朝になって帰ってきました。髪の毛が曲がっていて、本人は寝ぐせだと言い張っていますが、本当は山の中でくしゃくしゃになりました。」何で即興でそんな話ができるのか。「??」思わず髪の毛を撫でてみた。なんのこっちゃ・・。よく分からないけど、久しぶりにガハハハッと笑えた。

帰るとお兄ちゃんがいて、わたしとkenを上から見比べ、「ばぁば、また背が低くなった?」「低くならんよ。ふたりが大きくなったんやわ」ほんとに会うたびに大きくなっていく。そして、会うたびに「低くなった?」と、言われる。完全に見下ろされた。成長していくのは楽しみだ。わたしの場合は成長し損なったのか。


白山おっかけ

2019-01-30 | 山歩き

母が風邪気味で、父の見舞いと入院費の支払いに行った。あまりに天気が良いので、山へは午後から行くのは良くないので、中央公園を歩いた。久しぶりの天気のせいか、駐車場には車が結構止まっていた。

ひとりで歩いていると、弓道をしていたMさん夫婦にばったり会って久しぶりに話をした。夫婦で定年後に弓を始めて、今はゆっくり過ごしている。もう82才になられたそうだ。桜の木の下で夫婦での写真を撮らせてもらった。

「なかなか夫婦で写真撮らないでしょう。」と、言うと「とらん、とらん」と、笑っていた。「まさこさんも大変やったね」と、言われた。「年賀状に白山に登ったって書いてあって、良かったわ~と言うとったんや」とのこと。このお二人こそ「いい夫婦」だと思う。「お元気で」と、別れた後、ひとりで散歩がてら白山を撮り歩いた。

わたしもMさん夫婦のように、殿と一緒に年をとりたかったなぁと少し思った。

 

 


生産者の未来 みんなの未来

2019-01-28 | 暮らし

加賀市は「消滅可能性都市」と、言われている。そこに、次々と大型のドラッグストアが進出してきている。今や、スーパーに負けない生鮮食品が並んでいる。寿司、刺身、肉、野菜。これでは、町のスーパーも大変だ。

消費者は、1円でも安い所へ流れて行く。ドラッグストアだけでなく、量販店にも野菜や果物はある。電気製品もあるし、園芸、種物もあるので、小売店はやっていけないかもしれない。

競争が激しいと、働く方達もストレスがあるのではないかと勝手に心配している。

しかし、しわよせは小売店やスーパーだけではなく、野菜などを作っている生産者だと聞いた。値切られるからである。農業の未来のためにも、よいものを提供できるよう、価格だけの競争をしなくてもいいようにならないのかと思う。それを加速させるのは消費税増税とか、年金を70歳までとかいう政治も関わっているのではないかと思う。

生涯現役といえば聞こえはいいが、長く働いて年金お預けというのもつらい。

父の年金のお知らせを見たら、介護保険を年間8万円払っていた。入院中は健康保険を使うので、介護保険は使えない。介護保険を支払いながら、ついには介護保険を使わないで終わる矛盾。

誰もが幸せになる世の中を目指すのは難しい。足ることを感謝しながら、多少の矛盾を呑んでいかなくてはいけないのだろうか。


小野坂17

2019-01-27 | 暮らし

雪が降ったので実家が気になって、様子を見がてら母に焼き立てのパンを持って行った。小屋の方を見ると、別世界を見るような気がした。足跡のついていない雪景色は神聖な気がする。

「むかーし、むかし、あるところに、元気な中学生の女の子がおったそうな。雪が降っても、雨が降っても3.5kmの通学路を頑張って通ったそうな。」日本昔話になりそうな暗い世界だ。まだ3時なのに暗い。

明治、大正、昭和と生きた祖父母を凄いと思ったが、わたしも昭和、平成、なんとか・・と、元号が3回変わるのだ。明治の婆ちゃんは強かった。昭和の婆ちゃんはどうかな。

家の奥は行き止まりだ。この行き止まりの所から学校まで3.5kmを、小学生の時はトンネルまで歩いて、そこからバスに乗った。しかし、バスに乗る距離よりも歩く距離の方が長い。バスも1時間に1本なので、帰りはたいてい歩いて帰った。

大聖寺から小野坂隧道までは、ずっと坂を登る。中学、高校の時は自転車通学で、トンネルまではこぎ切ろうと頑張って立こぎをする。自転車から降りずにトンネルまで行けたら「勝ち」。一体誰に勝とうとしていたのか。そのせいか足が太くなった。今、山に登れるのは、その時鍛えたせいかも。

乃木坂46とか、ひのきじゃない、えのきでもない、神楽坂は違う。「けやき坂」だったね。欅って読めなかった。もちろん書けない。どうして、AKBとかもそうだけど、46人とか48人とか大変だと思う。みんな女の子たちは頑張っているね。わたしも、小野坂を頑張って登っていたのは、13才から18才。ひとりだけど「小野坂17」(セブンティーンが一番いい感じ)だったのだ。雪の中で、そんな「むかし むかし・・」の、お話を思い出していた。


雪遊び

2019-01-26 | 暮らし

冬にはそれなりに雪が降らないと寂しい。たくさんはいらないけれど、少し降ると景色もきれいで外で遊びたくなる。今朝、窓を開けると雪が積もっていた。10㎝ほどだろうか。あぁ、北陸の雪の朝。

外へ出たくなった。「雪やこんこ」の歌では「犬は喜び・・」と、言うが、遊びたくなるのである。まだ雪かきをしなくても良いくらいの積雪だが、少しでも除けなくては、一挙に積もると車が出せない。

はーい!遊ぶ人整列。車の中のスコップも並べ――。

 雪山登山の代わりにママさんダンプでテクテクと往復すること30分。

地面をガリガリするのは黄色の除雪機のエプロンのようなスコップ。雪を地面から引きはがすのだが、相当の力がないと、押し続けられない。

これで今年の雪に勝つ!!「勝つ」と、言えば、さて、早めに家に入って全豪テニスの大坂なおみさんを応援しなきゃあ。


ツルネ 最終回

2019-01-22 | 弓道

弓道のアニメ番組「ツルネ」が、最終回を迎えて優勝をすることで終わった。マサさんも湊君もカッコいい。しかし、現実に中るシーンはもっとカッコいいのである。

そして、それは瞬間のシーンとして終わってしまう。テニスやサッカーとか他のスポーツと違って、何回も巻き戻してその感動を繰り返すことはできない。

その場の空気とその時の瞬間は味わえないのである。皆中をして心の中でガッツポーズをしても、観客席の拍手を道場の中に置き去りにして、とっとと退場するのである。

昨年の、福井国体で的前審判をしたとき、近的決勝で男女共チームの全員が皆中したときに鳥肌が立った。

落ちが最後の1本を入れた瞬間、叫びのような「しゃ!!!」と拍手。これをドラマにしたら、あまりに出来過ぎで面白くないだろうが、実際全部中ったのだから、事実は小説より・・である。

それにしても、テニスとかの点数の取り方が分からない。0をラブといったり、15,30の次は45かと思ったら40と言うし。その点、弓道は分かりやすい。〇か×なので、的前審判など寝ていても良さそうなものだが、これがまた見にくい。安土と的の境目が分かりづらい。何と言っても「霞的」と、言うように、外側が黒くなっているので、安土の土の色の黒っぽいのと羽根の黒っぽいのは同化するのである。わたしはこの日の為に眼鏡を新調した。幸い福井国体の敦賀の会場の安土は明るい土で見易かった。それでも、的枠に叩くと分かりにくいのである。おまけに、確信を持つための中たりの音が応援の声でかき消される。

「しゃーー!!!」と、力の限りの声が、的前審判の後頭部に叩きつけられるのだ。本人は「よっしゃ!」と、言っているのだろうが、「いゃっしゃ!!!」と、男の大声かつダミ声というものは小百合のか細い身体を叩き潰すほどである。的に入って紙を破った音か、単に的枠に叩いたのか聞こえない。わたしは血圧が低く、心臓も悪くないので持ちこたえたが、そうでない人には大変な声の暴力である。しかし、それを訴える時間はない。矢は次々と飛んでくるのである。いつの間にか、声に反応して〇を出している感がするが、それは殆ど正しい。そして、観客も矢が的に着く前は息を飲んで静かにしている。その後、外れれば静かなのだ。当然ながら中たるから叫ぶ。

バウンドして中っても外れだし、よく見ていなくてはならない。それでも、矢は単調に飛んでくるので、スケートの判定をするような華麗な動きもないので、集中力がだんだんと失われていく。主審は「あたり」と、言ったり「まる」と、言ったり疲れが言葉に反映するのが分かる。

しかし、近的はまだいい。遠的は大変だ。〇と×ではなく点数なので、空が暗くなると、途端に矢所が分かりにくくなる。明るければ明るいで、矢が突き刺さった影が出来て分かりにくい。わたしを遠的の審判に採用しなかったことは賢明である。

話は元に戻るが、なぜ「ツルネ」が、日曜の真夜中に放映されたのか。週の始めの真夜中などは、誰も観ないだろう。それでも、みんな録画して観ていたようなので、それはそれで良いのかもしれないが、弓道を月9のドラマに入れて欲しいものだ。


送信履歴がない!

2019-01-21 | 暮らし

1週間ほど前から、ケータイの送信BOXに送信履歴が残らないという事態になった。

ここ数日の間に、我が家の通信機器が次々と不具合を起こす。ひとつ解決したと思ったら、今度はケータイである。送信履歴がないと困る。相手が何に対して返事をくれたのか分からなくなる。ひとりだけが相手なら何とかなるが、不特定多数となると、わたしは何て答えたっけ?とか、具体的な日時や数を間違っていなかっただろうなとか確認したいが、履歴がない。

夕方に、ドコモに電話した。最近は自動音声でつないでいくので、人間の声を聞くまでがなかなかである。1を押すのか、2を押すのかと迷ってはいられないのである。やっとつながったら、操作をしなくてはならないので、固定電話にむこうからかけてもらって、順番にケータイの操作を言われる通りにするのであるが、ついにドコモの優しいお姉さんも「故障の係につなぎます」と、なった。それで故障係につながって、ケータイを替える話になったので、久々の日曜に休みがとれたので、「ドコモショップへ出向きます」と言って切った。一刻も早く問題を解消したいのである。

ショップへ行くと、今度はイケメンではないが優しいお兄さんが、ケータイの状況を聞いてくれて預かってくれた。昨日から、3回同じ話をしなくてはならなかった。しかし、仕方がない。自分で何かしでかしたに違いない。ケータイが急に壊れたのかもしれない。どちらにしろ、自分で解決できないもどかしさ。

見たら、優しいお兄さんも電話しながら、わたしのケータイを操作している。昨日のわたしと同じではないか。何回かメールしたりして設定をいろいろ試してみたが分からない。

故障でケータイの交換と思っていたが、ついに原因が分かった。

電源が切れたときに、初期設定するとき、年号が2017年になっていたということだ。ということは、わたしのメールはみんな過去の履歴となったのだそうだ。と、言うことは、電源を入れた際に年号を触った?意識がない。怖い。

しかし、不思議なのはPCにテストメールを送った履歴は、ちゃんと普通の日付なのである。送信の日付だけが昔になるというのは何故だろう。深く考えないでおこう。直ったのだから。しかし、深くではなく、わたしの不覚なのだろう。何だか、ひとりで騒いでいる感がする。あぁ・・小百合は少し目まいがする。


長い一日

2019-01-20 | 暮らし

小さい頃、一日が長く感じた。それは、目新しい事や、面白いことが次々に起こったりするから長く感じるのかもしれない。

今日は、そんな一日だった。午前中は母と父の見舞いに行く。父は「体中、虫に食われてボロボロや・・」と、言って笑った。この頃、会話が出来て冗談も言う。春に花見に行こうか・・と、言うと弱々しく笑った。

午後は、ケータイの送信トレイに送信済みの履歴が残らなくなったので、ドコモショップへ行った。

さて、その後、正月前後に稽古不足だったせいか、いまいちピンとこないので、弓道場へ行くと、先輩と会員の人が来ていてラッキーだった。会員の方もいて4人であーのこーのと互いを見合って4時過ぎに終わり次の予定。

頼んであった九谷焼の靴が出来たのだ。以前作った登山靴が好評で、米工房にどうしたら効率よく手作り量産が出来るかを年末から考えていたものが形になった。

お客さんの登山靴の画像をもらって九谷焼の工房で作ったもの。靴底がリアルだ。米さんが作成した。ここで妥当な価格をつけるところが難しい。この後、大原美術館や、大塚美術館の話をし、草間彌生の地中美術館の話をしていたら、外は真っ暗になった。長い一日を終えて、夕餉の支度にかかる。

「家政婦は見た」を、観終わって、今日は長い一日だったと思う。


インターネットにつながらない

2019-01-18 | 暮らし

昨夜、パソコンの不具合を考えている最中、突然インターネットにつながらなくなった。持っているタブレットを見ると、wifiにつながっていないことが確認され、タブレットでつながっているインターネットに、「インターネットにつながらない!」と叫ぶ。最近は入力より叫んだ方が早い。タブレットはキーボードではないので、入力に時間がかかる。すると、ちゃんと対応策が出てきた。「ルーターやすべての機器の電源をオフにする」と、書いてある通りにしたがだめだった。手動で無線ランを線でつないでみたが、それもだめだった。メールも出来ないし不安であるが、風呂に入って寝た。大事なメールがあったらやばいのであるが、こういう時は寝るしかない。

今日の朝、一縷の望みで立ち上げたがだめだった。パソコンのせいではなさそうだ。タブレットの扇のマークのWifiが表示されていないからだ。こういうときは、人に頼るのが一番。すぐにNTTの無料相談に電話したら、30代の若いイケメンの兄さん(勝手にそうだと思っていた)が、丁寧に対応してくれた。

結論は、昨夜してみたことと同じことをしたのである。何が違うかと言えば、電源を落とした後、30秒以上は待ってくれという。何と言っても、あわてんぼのわたしは待てなかったのである。電源を落としてから一呼吸もせずに電源を入れたのだと思う。その間に、復旧作業を自分でするらしい。賢いわー。

このイケメン兄さん(電話だけでの判断だが)は、大人の対応で素晴らしかった。わたしも落ち着いていわれる通りひとつずつ答えて、指示通りにしたら動いたのでひたすら感謝の気持ちを訴えた。相手は無料相談なので、今度ご馳走しますとか、缶ビールをお土産に持たすとかしなくて良いだけ助かった。

当たり前につながって、当たり前に仕事ができると思っているから、不具合があるとうろたえるなあ。メールを覗いたら、案の定、講習会の欠席お願いが入っていて、ホテル宿泊の変更の電話や関係者に変更の通達をしなくてはならなかった。女性は家族のことや自分の身体の事などで変更があることが多い。子供の事、親の事も、だんなに任せて出かけてくるという事は殆どない。何と言っても弓道は趣味なので、それは家族や仕事や自分の健康が整ったうえでの出席なのだ。無理だけはしないようにとみんなに伝えたい。

それにしても、今年はパソコン受難の幕開けである。

 

 

 


大人の対応

2019-01-15 | 暮らし

パソコンの調子が悪いので、外付けのIOデータのハードディスクを買った。今のうちにデータや写真を移しておこうと思った。パソコンは前から、CDやSDカードを読めなくなっていて、SDカードは外付けの物を先輩から貰ったので、デジカメの写真は取り出せるが、CDのデータは読めない。そんな状態なので、デスクトップには仕事する分だけ置くくらいにして整理しようと思った。

バッテリーもおかしく、以前に量販店へ持っていくと、バッテリーを替えるのはお金がかかるので、取り外して使ったらよいと聞いて、取り外したり、はめてみたりして、だましだまし使っている。

加賀の協会の2月の総会資料や、講習会の資料のやり取りなどしているので、2月まではなんとしても、だましだまし使いたい。

パソコンを替えるには、お金だけでなくエネルギーがいる。ぶっちゃけ面倒だ。

それでも、新しいのを見ていると、店員から「どのようなものを?」と、言われたので、今の状況を言うと「いつ購入されました?」「2012年です」「えーー、もしかしてxp?」まさかと言いたかったが「セブンです」と、答える。「エクセルとかワードは使いますぅ?」使わないと仕事にならないがと思ったが、きっと具体的に容量や処理能力を言えばよかったのだろうが、まだ買おうと思っていないので何も言わなかったら、「こちらは、のんびりやさんだけどどうかなあ」と、子どもに話すように言うので「普通で・・」と、いうと、「お客さんの普通っていろいろありますからね」と、いうので「動きの遅いのは嫌です」と、言う。なんとなく買う気がなくなってきた。

わたしくらいの年齢の女性がひとりでパソコンを買うことは珍しいのか?それとも、ぼやーっとしたおばさんが、興味本位にパソコンを買おうとしていると思ったのか、よくわからないが、もう少し大人の対応をしてほしかった。本当の所、パソコンのことは詳しくは分からない。やりたいことだけやっている程度なので、何とも言えないが、何となくいい気がしないまま帰った。

帰ってUSB3.0対応のハードディスクにデータを送ると、アッという間に移っていくのですごいと思った。しばらくは大丈夫だ。もう少しこのパソコンで働こう。すっきり、さわやか。山の写真も避難したし、孫の発表会の動画も避難したし。考えたら、まあ、その程度だけど。

 

 


雪の富士写ケ岳

2019-01-12 | 山歩き

体調良し。天気は曇り。予定通り、登山口に8時半集合。高年齢の元気な山おじさん達と5人で登り始める。我谷の橋を渡るとすぐ、カモシカの死骸に会う。うわーー。どうして死んだのだろうと話ながら登る。

女性の登山者がいて途中まで一緒に行くが、若くて元気で、先導して雪の中果敢に登って行ってしまった。

10時に中間点を通過。この看板は新しい。暑くなって途中で1枚脱いで歩いていたが、尾根にかかるころ風が吹いてきてまた寒くなってきた。

頂上に着いたのは11時40分で3時間かかった。富士写我ケ岳の看板は雪に埋もれていた。手が冷たい。自慢の手袋だったが、極寒には対応しきれないのかも。

靴下に貼る用のカイロを手袋に入れた。足はレッグウォーマーとスパッツのお陰で温かい。おにぎりを、カイロに包んで持ってきたので温かかったが、食べているうちにあっという間に冷たくなってきた。

熱いお茶とカップ味噌汁は欠かせない。

曇りの空だったのに白山が見えた。雪のおかげで、高い位置から眺めることが出来た。樹氷も見ることができて、寒いが美しい。頂上は風が少しあり、毛糸の帽子もすかすかする。すっかり冷えた。

なぜか太ももがけいれんした。寒さのせいか水分不足か。先輩に顆粒の薬をもらって飲んだらすぐに治った。あれは何だったのだろう。

 登り3時間。下り2時間30分。の予定通りの山行きだった。

下りは楽しく、危なそうな所は腰を下ろしてひきずっても汚れないのでいい。

橋の上はところどころ氷が張ったままで、特に登山口の看板のあるところは、朝からの氷が解けないままで滑りそうだった。

無事駐車場について、そのまま別所温泉へ行く。身体が相当冷えていたので、湯船に身体を沈めても、しばらく寒い感じがした。しかし、山の後の温泉は最高である。温泉の洗い場で鏡をみたら日焼けして頬が少し赤らんでいた。美容の面で雪はこわい。

本日も、お陰様で無事下りることができて感謝。


平成最後の初射会

2019-01-08 | 弓道

今年も加賀市内の高校生を招いての初射会。ここ数年、弓道部員が増えて、参加が40名を超えて、各自の持ち寄りが間に合わないという嬉しい悲鳴の中、わたしは例年豚汁係だ。金沢での新年会を終えて遅くに帰り、真夜中に白菜やねぎを切ること1時間以上かかった。朝はごぼうと肉を炒めて行けば、余裕となるつもりだった。

白菜1株、九条ネギ10本、太ネギ5本、人参4本、大根、えのき、しめじ・・・・下ごしらえというのは大変である。細ネギは切っても切っても溜まらない。里芋は下茹でして、結局寝たのは1時過ぎていた。豚肉は1kg。

朝食後、すべての材料と、カセットコンロ等を玄関に用意して、荷物がたくさんになった。何回も玄関と車を往復して、いざ!

道場に着いて、会長が体調が悪く欠席と聞き、挨拶の段取りをして、矢渡の介添と、一つ的をすることになって、位取りをした後、カセットコンロに鍋を載せる段になって、がーーん。ごぼうと肉を炒めた鍋をIHに残したままであることに気付いた。やれやれ準備が出来たと思って、着物に着替えて2階へ上がった後、そのまま玄関に向かったのだった。娘に電話をして持って来てもらった。持つべきものは、近くに住む娘である。

無事に始まったが、一つ的は3人とも残念な結果で、今年の運も先行き怪しいよという感じで、こうなったら割烹着の調理のおばちゃんに専念するしかないと思った。

色的での初射会は、的に囚われながらも狙いをしっかりつけることで、いつもとは違った気持ちで引くことが出来る。的中本数が多ければ点数も高いが、逆転もあって面白い。

高校生の女子が「何か手伝います」と、可愛らしい。いつも通りぜんさいの餅を焼いてもらう。今回はみんながたくさん持ち寄ったので、ぜんざい、豚汁は少し余った。

昨年は1列に並んで大渋滞だったので、今年は真ん中にテーブルを設けて混まずに良かった。まるで、ホテルのバイキングではないか。サラダあり、たこ焼きあり、熱いウインナー・・・・鶏唐揚げ、ちらし寿司・・・

 午後の部はお年玉付き風船。白扇。

今年も自身の向上の弓道ではなく、奉仕の弓道に専念しようという方針が固まった一日であった。

 

 

 

 

 


楽しい新年会

2019-01-05 | 弓道

金沢駅に降りるとすっかり暗くなって鼓門はライトアップされていた。

 広報部の新年会があった。弓道をしていなかったら出会わなかったであろう、石川県の津々浦々の仲間たちと、若い仲間たちとの新年会である。

まず驚きは、幹事のOさんと、若いSさんが12月に結婚したとのこと。「愛があれば年の差なんて」である。その後、まわりのみんなにそれぞれの馴れ初めを訊いてみた。初めて聞く話が楽しい。人生いろいろ。何はともあれ、今は一緒に酒を飲み交わしていることが可笑しい。

若い人たちに、恥ずかしながらも自分の手の内の甘さを嘆き、県連の明日を語り、話がどんどん盛り上がる。皆が善意でやっていることが多いので、力を合わせて頑張りましょうと言うことを、話し合った。わたしは、酔うとむくち(六つの口)になるので、若い人に嫌われないように努めなくてはならない。殿はいつも「しゃべりすぎるな」と、言っていたっけ。

金沢駅の「あんと」で買った辻占を幹事に渡して、みんなの今年を占う楽しそうな顔をみて嬉しかった。

しかし、明日は初射会で豚汁係という使命があるので、早々に帰るつもりが、9時の電車は逃してしまった。なぜ、楽しい時間は早く過ぎるのか。

夜はひたすら野菜を刻んで、寝たのは1時過ぎになった。

次回はとことん飲みたいなあと思ったが、果たして次回に混ぜてもらえるのだろうか。

 

 


木製三輪車

2019-01-05 | 暮らし

車庫の2階にあった木製の三輪車を捨てるかどうするか迷った挙句、また玄関の飾りにした。これは、2009年の瑠辺蘂でのねんりんピックの視察に行って、ちょうど9月生まれのkenの誕生日にと宅急便で送ったのだった。1万5千円した。

後で分かったのだが、この三輪車はまたがって前進する分にはいいが、止まって後ろ気味に座ると、ウイリーしたみたいになって、後ろに倒れるのだ。重心が後ろにきてしまう。結局、危なくて飾り用になってしまった。本当は玩具ではなく、インテリア用だったのか?今では分からないが、手作りなので温かい感じがする。

瑠辺蘂と言えば、ねんりんピックの視察に行った仲間を思い出し、過去のブログを読み直した。あれから10年も経ってしまった。亡くなった会長の言葉がよみがえった。人の記憶は曖昧で、何年も前のことを昨日の事のように思い出すと言うけれど、それは間違った記憶かも知れないし、相当抜け落ちているかもしれない。読み直して、自分でへえーと思ったり、そうだったと思い出したりする。記憶は、脳のどこかに仕舞い込まれて、引き出しから出すように思い出すというのはおもしろい。でも、間違って書いたら、後でその記憶は間違ったまますり替えられるという。

書くという事はいいなあと思うが、それもこれも自分がいなくなったらどうでもいいことのように思う。生きている間、脳に楽しい思い出がいっぱいあると、その後の人生にお金以上の価値が出る気がする。良い思い出は、これからの希望も作れる。

逆に子供が親に捨てられたり、いじめられたりしたら、その後の人生はどんなにつらいだろう。愛情いっぱいに育った子は、天真爛漫に育っていく気がする。辛いことがあっても、乗り越える力にもなる気がする。そして笑顔は笑顔を呼ぶ。

木製の三輪車は、あの日のことを思い出させてくれて、いろいろな事を考えさせてくれるので、やはり大切に取っておこう。

 

 

 

 

 


従兄妹会

2019-01-04 | 暮らし

昨年末に、何十年ぶりに集まったわたしたちは、数いる従兄妹の中でも一番一緒に遊んでいた仲間が寄ったのだった。

二次会は、殿とカラオケに行った店にボトルがあるので、姉さん気取りでみんなを連れて行った。ママはタメなので気易くて楽しい。弓道仲間でも行くので、そこにいるなおちゃんが「弓道の方ですか?」と、訊くので、「今日は従兄妹会。誰と誰が兄弟でしょう?」と、兄弟当てっこになった。5人の中で一番年上がわたしで、一番年下がわたしの弟で9歳違う。若いI子ちゃんと弟が兄弟で、わたしと浜ちゃんが兄弟で、山ちゃんは一人っ子という予想となった。その後も、わたしのもと上司が来ていて、同じような組み合わせの答えだった。まるで、子どものように当てっこが外れたことを笑った。上司は結婚式でもないのに、わたしの仕事ぶりをみんなにほめちぎって去って行った。たぶん、後が怖かったのだろう。

山ちゃんと、弟は英語の歌を次々と歌っていた。ケンタッキーへしばらく行っていた弟が、英語で寝言を言うようになったと聞いた。気持ちよさそうに歌っていた。

わたしはセカオワの「サザンカ」を歌いだしたら、どこから声が出ているのか、どこかにボタンがあるのではないかと言われた。話し声と歌声が違うからか?小百合なのだから仕方がない。

従兄という関係は特別の関係で、兄弟に似た感覚かも知れない。わたしが結婚したのは弟が6年生の時だったので、物心ついた弟と話すのはずいぶん後になってからのように思う。それも、弟は岡崎へ就職したので、数えるほどしか会っていない気がする。従弟たちと同じくらい会う機会がない。もちろん、兄弟げんかはしたことがない。弟に言わせると「姉ちゃん、こえー」らしいが。おまけに、「姉ちゃんがよくしゃべるもんで、オレが無口になった・・」と、みんなに饒舌に名古屋弁で説明していた。

浜ちゃんは伯父にすごく似て来たし、山ちゃんはかつらをかぶせたら、伯母に瓜二つだろう。I子ちゃんはクリっとした目が伯父に似ている。わたしと弟は誰に似ているのだろう。自分では分からない。みんな、いいおっちゃんと、おばちゃんになったのである。