まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

山中町弓道大会にて

2011-04-25 | 弓道

前日の雨の中を、テントを張っての準備は大変なことだったと思います。

まず、震災に遭われて亡くなられたの方々に黙祷をささげました。

開会式での山中の会長さんのご挨拶。「震災を受けて、すべてが変わってしまう状況の中で、変わらなければならないものと、変えてはいけないものがある。その中で、変えてはならないものは、弓道の倫理性です。」また、県連会長より「震災で助かった方が、助かったのは偶然と言われる。わたしたちは、生きていることが当たり前と思っているが、視点をかえると、生かされていることが偶然と思える」とのご挨拶。どちらも、旨に響くお話しでした。

さて、そこでの成績をさておいて、皆中堂さんが道場の入り口で例年通り、お店を開いておりました。ついつい、買ってしまいました。ぱらぱらと見ていたら、「失中の美」という言葉に引っ張られました。的中の美は当然ですが、はずれに美はないと思っていましたから。

とっかかりは、難しいですが、面白そうです。まだ、読みかけです。

 


太平洋の奇跡

2011-04-23 | 映画

父は、竹野内豊を、「たけの うちとよ」と、言う。彼が主演の「太平洋の奇蹟」は、実在した大場栄大尉の、リーダーシップの素晴らしさ。そして、謙虚さが、かっこよかった。

今、震災で求められているのは、大場大尉のようなリーダーなのだろうと思う。各地で、自衛隊や警察の方々、消防の方々が、大場大尉のように戦っているに違いない。

そして、まさしくたくさんの奇蹟を生んでいる。しかし、まだ戦っている最中だということがつらい。

それにつけても、政治家の聞くに堪えないやりとり。芸能人の禁句をTVでは、ブーとか、○○で表現するように、あの人たちの言葉も、流さないでほしい。つい見てしまう人の時間の無駄になる。

菅さんの初動がどうのこうのと、突っ込まれて、答弁をはじめると、議長に「簡潔に」と、促されるなど悲しい。ここで、石原さんなら、質問に対して、ずばっと斬りかえすだろうなあと思う。それが、良いか悪いかは別として、みんなで前を向いていかなくてはならないときに、ああ言った、こう言った、ああしなかった、こうしなかったと、言い合っている場合かと残念に思う。

そんなことについて、書くことも時間の無駄だけれど。

福島で牛を捨て、農業も捨てた方に、補償金を、という番組で、その渦中にある農家のおじさんが、「大丈夫な圏外の農家が風評被害で辛い思いをしていることが、同じ農家として耐えられない」と、自分のほうが何もかも失っているのに、他の農家のことを訴えていることに、感動した。自分の立場を超えて、他の人のことを思いやる人のなんと尊いことかと思う。

なんとしても、早く解決することを、ひたすら祈るしかない。

災害は恐ろしい、けれど、自然は何事もなかったように、山はそびえ花は咲く。平成の太平洋の奇蹟がおこりますように。 


日本海マラソン

2011-04-21 | 暮らし

この歳になると、探し物が多くなる。今朝も、だんなは、携帯をどこに置き忘れたか探していた。

入院中も、メガネをしたまま眠ってしまい、看護師さんに「何をお探しで?」と、尋ねられて「めがねを」と、言ったら「はめてますよ」と、言われたらしい。

で、今日は「日本海マラソン」に、給水所の当番で、弓道から4人手伝いにでかけるので、だんなに言い聞かせた。「2時頃までいないので、探さないで」と。

今年は、水はペットボトルではなく、上水を使うことになり、スポーツドリンクもなしだ。日本全国から、2000人の人が集まり、9時スタート。今年も風のように、クロちゃんが走っていった。

今や、弓道よりランナーとしてのほうが力が入っているようだ。始めてフルマラソンに出たときは、制限時間を気にするほどで、1時半にテントをかたずけたあと、ゴールの陸上競技場へ行って出迎えた。しかし、年々早くなっている。今回は、12時半にわたしたちの給水所を通過したので、すごーい。腕をあげたなあ。いや、足をあげたのか。

そうそう、途中「Higedebu」さんが、走っていった。思わず、彼の本名を叫んでしまった。振り向いた彼は、まさしく・・。すごい。わたしに、山中ブログを紹介したのは彼だ。

また、ランナーの方から大声でわたしの名前を呼ぶ人がいた。10キロコースにチャレンジしていた、○きょうさんが手を上げながら通過した。すごい、定年過ぎても10キロを男子顔負けで走っている。わたしも大声で声援する。

後で、ネットでみんなの記録を見たら、やはりクロちゃんも○きょうさんもよい記録だった。


レベルとものさし

2011-04-18 | 弓道

よい中たりがでると、そこを基準にしてしまう。

試合などで、ボロボロ抜いたときは、こんな筈ではなかったと思う。どうして、人は自身のよい状態を基本のモノサシにしてしまうのだろう。

だめな自分も、自分だし、平均的な状態を基本のモノサシにすればよいが、それでは進歩がないと思うからか、高いところにモノサシの基本を置く。なので、落胆は大きい。頑張れば頑張るほど、変な力がどこかに加わる。試合のときこそ、淡々と、飄々とあるがままに弓を引けばよいのである。

日常生活でも、買い物に行ったときに、財布にあるはずのお金がない。こんな筈ではなかった・・と、思うが、そんなときはカードがある。試合のときも、奥の手があるとよいのだが、あろうはずもない。イチローのように、必ずバッターボックスで、いつものルーチンで、気持ちを持っていければよい。しかし、弓道は、動作そのものが ルーチンのようだ。的が変わるわけでも、馬に乗っている訳でもない。こんなことを長くやっているのは、まともな人間からすると理解できないと思う。

そのことに、やっと気づいた今日この頃、すこしまともな人間に近づいたのかもしれない。

 


努力は報われる?

2011-04-14 | 弓道

この歳になると、一生懸命努力すれば報われるとは、信じていない。

年齢を重ねるにつれ、努力は無駄だと思えるような試練にあう。今回の予選会も、1年に2回、試合の日だけ弓を引く中○君がいちばん多く中てた。わたしは、日々精進が足りないと努力し続けているつもりだったが、どうも方向が違うので、遠ざかっているのではないかと思える。

ここっていうときに、力が入って崩してしまうが、一体どこに力が入り、どんな影響になるかが自分では分からない。

10本引いて、外れた矢を抜いた。中たった矢5本は、すべて眼だった。生まれて始めてである。しかし、誰も見ていない。それにしても、試合の翌日の稽古は、なぜか良い結果が出る。「あとの祭り」とはこのこと。

ひとり稽古はいかんと思い道場へ出かけた。木○先輩が、先週の試合を見ていてくれて、力が入ったときに、上押しが強くかかり、弓を握りこんでいると言ってくれた。

だんなもさじを投げたわたしを、先輩はすばらしい。しかし、金沢に忘れたかけを取りに行ってくれただんなに感謝しなくてはならない。勤め先が加賀市と金沢にあるということを、尊敬し、かつ、感謝した。このときだけは。


地震とたい焼き

2011-04-12 | 暮らし

孫にたい焼きを食べさせたくて、たい焼き屋へ行った。高校時代部活帰りに寄ったたい焼き屋は、今もおばさんは健在である。おばさんは、おばあさんになったが精力的に焼いている。その時の高校生が、おばあさんになったのだから、長い歴史だ。

4歳のkouは、わたしと一緒に店に入り、大判焼きのひっくり返すところを見て、おおいにはしゃぐ。たい焼きと、大判焼きを白い袋に入れて、さめないように新聞紙にくるんでもらう。昔ながらの包装形態と、昔ながらのやさしい味。

主人と車で待っていた2歳の孫は、たい焼きを包んだ新聞紙の上から触って、「あったかーい」と、喜んでいた。と、kouが、「じぃじ、地震のこと書いてあるね」と、包まれた新聞紙を見て言う。

そこには、被災地の地図が載っている。「死亡って書いてあるね。にぃいちいちって?」「にひゃくじゅういちっていうんや。死亡って読めるんか?」「うん。わかるよ。こっちは、ごぉ、よん、に」と、無邪気に読む。「五百って、百がいつつあるんや」と、答えながら気持ちは複雑。

後で娘に話したら、教えていないが漢字は雰囲気で読んでしまうのだそうだ。毎日流れているニュースを見ているのか。

こんな小さな子供にも浸透している未曾有の災害に心痛みながらも、たい焼きを食べている。

 

震災の 記事で包んだ たいやきは 甘くてやさし もうしわけなく


勤労者全国大会出場権獲得

2011-04-09 | 弓道

勤労者全国大会石川県の予選会が、土曜の午後2時から行われた。

午前中、姑を病院へ連れて行き、その後自分も病院へ行き、娘と赤ちゃんをほったらかして金沢へ向かう。しかし、金沢まで運転して行くのが億劫なので、だんなを脅かして(朝から婆さんを医者へ連れて行ったとか、寝不足だとか、事故にあうかもとか)運転手つきで行った。

もちろん、彼は試合の間、風呂へ行く。応援しても同じだと思っているし、こちらも応援の力を信じていない。その他のスポーツと違って、声を出しての応援は禁止だし、何よりそれに応えられる力量ではない。

しかし、到着するとすぐ問題が。「大○さん出るんですか?申し込みしてありませんよ」え゛っ!

しかし、覚えがある。○内さんのメールアドレスに、部員のIDナンバを苦労して調べて、送信した。わたしの名誉のために後で送信履歴を調べたら、3/27 送信履歴あり。その後、いろいろなメールがあったので、開封されていないことに気づかなかった。

無理やり入れてもらって「申し込まなくて、優勝したりして」と、冗談を言って笑っていた。この時点で、次におきる問題に気づかなかった。

優勝だけでなく、二位まで選抜でいけるのである。わたしがあまりに振るわなかったので、帰り支度をしようとしていた。ところが、3チーム同中で、2位決定戦が行われることになった。

念願の全国大会行き。20年ほど前に広島へ行って以来、全くふるわず、今回も娘の出産にかこつけて、気力低迷。わたしは、8射3中だったが、亜○ちゃんと、中○君ふたりでそれぞれ頑張り、チーム13中。競射1回目、3人とも中り、○川さんチームが抜けて、2チーム残った。

わたしは、これを勝ち抜いたら行けると思った瞬間、力が入ってきた。後で聞いたら、ふたりは、単に2位、3位を決めるだけかと思っていたとのこと。なので、びびっていたのはわたしだけだったのだ。かくして、ふたりの力で射詰めを勝ち抜いて、出場権を獲得した。

出場の手続きの書類をもらい、説明を受けてがやがやと帰った。県武に大切なかけを忘れてしまったことに後で気づいた。があああん。

 


大会中止

2011-04-08 | 弓道

加賀市との姉妹都市、新潟県新発田市の弓道大会中止のお知らせが届いた。過日の加賀の大会へは、避難者のお世話をしなくてはならないので、こられなかった。大会開催場所が避難所になっているということで、当然それどころではない。

交流を始めて、今年で20年目となる。その節目にこのような災害が日本を襲うとは。今こそ、日本中が家族のように助け合わなくてはならないのだと思う。

東京でも花見は自粛、やぶさめも中止となったとのこと。

昨日の夜も、宮城はまた大きな地震がおきたと、TVで遅くまで報道が続いていた。

いつも通りに催し物ができるということは、元気の基となるのだけれど、自粛も大切なこととも思えるし、何が本当によいのかわからない。

みんな、良かれと思っているのだけれど。

わたしたちは、被災者のためにも、元気でいなければならないと思う。