まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

自家製コロッケ

2011-07-27 | 事件簿

食べるコロッケではない。

ものまね師のコロッケが、実家で誕生した。自称「自家製コロッケ」。もちろん、父である。

わたしと娘が、父の妹のところへお花を習いに行きだした。娘は、初めて見たSおばさんが、自分の祖父とそっくりだと言う。

わたしは、昔から知っているから、似ていると思わなかったが、たまたま母が作ったかつらをかぶってみたら、似ている。しかも、声色を真似し始めたら、もうたまらない。そっくり。

「もしもし、○○でございます。」「あらぁー、おっほっほ・・」きゃー、あはは・・、もっとやって・・母と、わたしと、娘で笑い転げた。

夫に報告したら、「お前達みんな危ない集団だ」と、言われた。

後日、叔母の家へお花を習いに行ったとき、髪の毛がかつらに思えて仕方なかった。

 


朝に紅顔、夕べに白骨

2011-07-26 | 暮らし

よく耳にする蓮如上人の御文である。白山麓の林西寺の住職さんの話を聞きながら、涙がすうっと流れた。母は、横ですすり泣いていた。

人のおろかで哀れなさま、皆が骨になってしまうこと。それでも、浄土で待っていてくれると思うと、死んでいくことも怖くないのではないかということ。息をしていることは、生かされているということ。

土曜に母方の伯父が亡くなったので、主人の運転で、日曜に鶴来まで通夜に出かけた。

母の一番上の兄で、86歳だった。母は、8人兄弟の4番目。母方の葬儀には、従兄弟であっても話したことがない人もいるし、誰が誰の子供かも分からない。それでも、小さいとき遊んだ同年代の従姉妹たちとは、すぐに見分けがつく。しかし、祖母がなくなって以来9年ぶりなので、みんな年をとった。

小さいとき大日川で魚を獲って遊んでくれた、従兄弟は爺さんになり、一緒に泊まった従姉妹は、婆さんになった。両親や、伯父、叔母たちも、すっかり年をとった。 

弔のときしか出会わない従姉妹達と、声をかけあい、「また会おうね」とは、言えないのだ。また、会うときはこういうときしかないのだから。


骨休め

2011-07-20 | 暮らし

仲良し4人組で、山中温泉「花紫」へ行った。

仕事のこと、家庭のことを忘れて、と言いつつ、御題は殆どそれで盛り上がる。後は、亭主がくしゃみしそうな話とか。

みんなで、こつこつ貯めたお金は海外旅行へ行けそうなほど貯まったのだが、時間がない。みんなが、定年になったら今度は、体がいうことをきかないのでは?と、心配しつつ、おしゃべりは続く。贅沢な食事と、温泉。

外は暑いが、川沿いのこの旅館は、客室の冷房を切っても涼しい。

全部撮ろうと思っていたのに、話ははずむは、笑い転げるわで、若い頃からの友達なので、精神的に、若くなる。

和紙で区切られた周りのお客様の姿が見えなくなった。

最後に、可愛いお土産を買った。なんと、製造元は「山海堂」のお菓子だった。我らが同窓会の会長。


伝達講習会

2011-07-18 | 弓道

暑苦しい着物を再び着た。

この暑苦しい集団に、自分も加わっている怖さ。主人にいたっては、薬の副作用のために相当体力がないうえに、介添えや持ち的と機会を与えてもらって、嬉しい反面、昼の休憩では完全にばてていた。無事に終えることができてよかった。

今回は、大きく違うというところはないが、とにかく基本を充実させるように。とのこと。

しかし、大きく違うことがあることが不思議だ。正しいものを伝えれば、そんなに大きくは変わらないのだろうが、誰かがどこかで、少しずつずれていって、伝えている。伝言ゲームのようなものであってはいけないのだが。

大きく違うといえば、過去の伝達で、矢渡しのとき、第1介添えと第2介添えが、矢の受け渡しをするときに、同時に礼(ゆう)をしなくなったときは、ショックだった。

今は当たり前に伝えているが、出会って同時に挨拶するのが美しいと今でも思う。

それと、今回、幕と房の質問が出たが、これは、正しいものを正しく伝承するという上では、正式の姿で稽古をするべきだと思った。まして、県内では格式高い講習会と銘打つならなおさら。会場がわが道場だったので、わたしも気づかず反省だった。

前日には、熱中症対策のお茶の準備にばかり気がいっていた。


弱り目にたたり目な弓

2011-07-14 | 弓道

だいぶ前に買った「春風」という弦が、劣化していたのか、すぐに切れた。

弦にも、消費期限とか製造年月日を明記してもらいたいものだ。自分でも、いつ買ったか分からず、不吉な予感はしていた。

とにかく、新しい藤と、新しい弦で、山中で選手権と銘打って県体前の合同練習。あれこれと調子が悪いのに、会長、副会長不在のために、矢渡しをするこにとなった。理事長がいるではないかと言うと、「暑くて肌入れができない。」という。仕方なく引き受けたものの、仕事が終わり、夕食を早々に済ませて、着物を着る段階で、汗が目に入ってくる。

時間がないので、2階での着替えにエアコンが間に合わず、扇風機だけで、すでに袖が腕に張り付く。

山中へ行くまで、車の中のエアコンを最大にして到着。いくら、夏の着物とはいえ、暑い。着物の下着に襟をつけ、袖は襦袢の袖のみを縫いつけて、重ね着しなくてもよいように工夫してはいるが。Tシャツでも暑いのに。

到着すると、会員の誰もが同情し、肌脱ぎをすれば、とか、胸当てだけで引けばとか、ふとどきで、無責任な意見を言う。

案の定、弓を引き始めたら、襦袢の袖が腕に張り付く。たすきをきつめにかけているが、容赦なく汗にすいついてくる。もうこうなると、弓返りの手の内の、中たりのとどうでも良くなる。矢は、2本とも上にそれた。

帰ってから、袴と着物を脱いで椅子にかけて、即シャワー。

着物は暑そうにぐったりしている。


九谷焼き美術館

2011-07-12 | 暮らし

大聖寺にある九谷焼き美術館へ、そこに勤めている○桑さんに用事があって尋ねていった。

1階の展示は入場料がいるが、2階のラウンジへは自由に出入りできる。水が流れている景観は涼しい。

○桑さんは、範士八段の故○桑先生の息子さんで、主人の先輩である。もう70才になるとか。

夫婦して、九谷焼の茶碗でコーヒーを飲みながら、久々にいろいろな話をした。で、驚いたことに、「ひりと娘に2日前子供が生まれて、この年で初めておじいちゃんになってね。」と、言われた。

諦めていたけれど、42歳で初めて子供ができたとのこと。身近な明るいニュースは嬉しい。

暑い毎日の、日曜の午前。素敵な外出となった。


満身創痍の弓

2011-07-12 | 弓道

矢摺り籐がちぎれた。手の内が悪いので、人一倍この藤の劣化が激しいかもしれない。

矢が離れるときに、弓に摺れて行くのだ。手の内が悪いので、弓返りもしない。物の本には、弓返りができないと参段の認許は難しいとあった。ううっ。相撲のように角番がないことが救いだ。

新しい藤を買ってきて、一晩水につけて、巻き直した。膨らんだ分、矢は前にそれていくのを懸念して、「前に外れるかもしれない」と言うと、主人は、「そんな、緻密な弓を引いていたか?」と、言う。確かにそうではあるが、アバウトな分、アバウトに前にそれる気がする。

ついでに、弦を新しくした。しかし、しっくりいかない。矢は案の定前にそれ、下に落ち。ついに、弦が切れた。満身創痍である。見事に中たりもない。汗だくになって、何の快感もない弓を引いていると、何のためにこんなことをしているのかと疑いたくなる。

風呂上りに、ビールを飲んだ。うまいっ!

あ、このために汗だくになっていたのね。


同窓会

2011-07-11 | 暮らし

高校の同窓会をするので、打ち合わせ会にくるようにと友達から連絡があった。

同窓会の役員というのは、いろいろ大変だが、同窓会を催す中でいちばん楽しいかもしれない。大人のイベントは大人の遊びのようなもので、「あそぼー」というような誘いで、仲の良い仲間を引き入れれば、たいがい役員を拒まない。

面倒な宛名書きや、消息調べも、みんなで思い出話をしながらで、結局、役員がいちばん仲良くなる。もちろん、何もせずに同窓会に出席するだけのほうが、楽ではあるが。

困ったことに、一回目の会合は仕事の都合で行けなかったら、いつの間にか事務局になっていた。ここが、同級生の残酷さだ。一般社会では、欠席者に役割を当てないものだ。

結局、先生方への案内と進行を任された。いや、押し付けられたのだ。小さいときから無口で友達も少ないわたしは、友達に仕事をもらうと断れなくなる。そんな、小心なわたしは、みんなと一緒に仕事ができて、久々の友達に会えたことが嬉しかった。

しかし、30ン年も経っている。何人の人が集まってくれるか。先生が覚えていてくれるだろうか。来てくれないのでは、心配はつのる。


熱中BBQ

2011-07-04 | 暮らし

みんなでバーベキューをしようということで、朝から準備にかかったが、すでに暑い。

七夕の竹を切りに行き、短冊に糸を通して、みんながきたら願い事を書けるようにと用意したが、それどころではない。

まずは、肉、肉、とんちゃん、やきそば。昼に集合し、午後から焼き始めたので、暑くて、外にいられない。若者たちはたくましい。

孫は、おにぎりを食べながら、居眠りを始めたので、そのまま昼寝をさせた。次回は、5月頃にしようと反省した。梅雨は明けていないので、空はくもりだったが、ひたすら蒸し暑い。最近、体力減退気味の主人は、茶の間のクーラーにあたり、避難していた。


110番通報

2011-07-04 | 暮らし

実家の母が間違えて110番通報をしたそうだ。警察の人に「泥棒ですか?」と、尋ねられ、間違ったことに気づいた。

実は、父の兄が遊びに来ていて、熱中症で倒れたらしい。慌てて救急車を呼ぶところ、110してしまった。父の兄、すなわちわたしの叔父は、91歳で車を運転し、かくしゃくとしている。実家は、畑に囲まれた山なので、野菜を取りにきたり、よもやま話をしに来るのだが、この日は暑かった。車に乗って帰ろうとして、ふらふらっと倒れたらしい。

母は「父ちゃんが屋根から落ちたときは、119番できたのに、あれから年をとったし、間違えたわ」という。救急車に乗せられた叔父が、「誰が電話したんや。救急車なんか、かさだかな」と、やや怒り気味に言うと、救急隊員に「どうして、これに乗ったか覚えてますか?」と、問われて「しらん・・」

叔父は、息子も娘も大阪で所帯を持っている。叔母は入院しているので、一人暮らしだ。しかし、ごはんを焚いて、自分の用をしているのですごい。すごいが、やはり91歳だ。

何かと、弟であるわたしの父に頼ってくる。病院で検査した後、肺のくもりが気にかかるので、また後日検査に来るように言われた。

後日、検査に後見人としてついていった父は、自分は膝が悪いので杖が必要なのに、兄は健脚で、すたすた歩くので、どちらが付き添いかわからん・・と、ぼやいていた。

わたしは、父が人のために動けることを喜びながら、複雑な気持ちだ。