まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

御願神事

2014-02-13 | 暮らし

2月10日、菅生石部神社の御願神事は奇祭として有名である。地元の人は「ごんがん」という。「今年もごんがん、見に行くか」と旦那が言う。

小学生のころ、授業の一環として、みんなで観に行くので、勉強しないで出かけるのは嬉しかった。今年も、小学生が嬉しそうに観ていた。彼らは特別に神社の能舞台の上から観ることが出来る。先生によっては掛け声をうながす先生がいて「わしょい。わしょい」と、可愛らしい声がする時がある。

写真コンテストがあるらしく、立派なカメラを持った人が、良い場所を取ろうと必死だった。わたしは、始まる前に撮ってポケットにしまい、始めから終わりまでしっかり観戦し、大蛇が川へ放り込まれるまで見届けた。

山門の横に竹で組まれた三角のやぐらに藁がかけられている。これに火がつけられると、山門の前で待機している若者が、どっと押し寄せるのだ。

ずっと前の話だが、同じ職場だったOさんが、火のついた藁の下をくぐったら塊が落ちてきて、大やけどをして入院した。わたしたちは見舞いに行って、異口同音に「なんで川に飛び込まなかったか」と言って本人を笑いものにして、今思えばむごい見舞客だと思う。そんなことを思い出すので、火の下をくぐるのをはらはらして観ていた。藁が崩れて火の塊は容赦なく落ちてくる。

竹を割るところが見どころなので、火の下くぐりは観客の目からはスルーされる。

竹は外で割るが、神社の中にも石があり、若者たちは代わる代わる、そこへ来て、たたきつけて割る。ぼおっとしていると、破片が飛んでくるので注意しなければならない。その片隅に大蛇が出番を待っている。皆に引き回され、胴体が二つにちぎられて、川に放り込まれる運命を知ってか知らずか。

最後に、大聖寺川までぞろぞろと観客が移動し、川に飛び込む若者を心待ちにする。もっとけしかけて声援を送れば、たくさんの若者が飛び込むかもしれないが、加賀市の観客はおとなしい。そう思いながら、小百合も大声ははしたないと静かに見守っていた。

かくして、川に飛び込み。泳いで大蛇に触れた2名の勇敢な若者に拍手を送り無事祭りは終わった。

すっかり冷えたので八番ラーメンへ直行した。


あぁ聞き違い

2014-02-13 | 暮らし

実家の町の航空写真が新聞に載った。父は、3ヘクタールある自分の土地に鉛筆で囲いをしていた。8人兄弟の次男だった父は、貧乏だったので少しでも役に立とうと、戦争の頃に祖父母や長男と荒れ地を開拓したので、この土地を手に入れたとのこと。

思い入れは強いのは当然で、新聞社のチラシに「航空写真を無料で差し上げます。FAXかメールでお申込みください。」のお知らせに、実家を尋ねたわたしに待ってましたとばかりにFAXを依頼した。

今では年賀状の字もやっと書くのである。年々衰えていくのが分かる。年を取るということは、出来ることが出来なくなっていくことなのだと思う。抵抗せず、静かに受け入れていくのが良いような気もする。

FAXを送りながら、お茶を飲んで話していると、「FAXが、しくじりましたって言うとるぞ!」「・・?」それは「、FAXが終了しました」という案内のアナウンスだった。耳も遠くなったのだった。


赤紙

2014-02-09 | 暮らし

ごちそうさんを5歳の孫と観てから、保育園へ出かける。主人公のめい子の幼馴染が戦争へ行く場面で孫は「ばぁば。赤紙ってなんや?」と、聞くので「国が戦争へ行ってくださいって言って、お知らせがくるんや。それが赤い紙やから赤紙っていうんや。」と、「ふうん」と、分かったような分からないような感じだった。

ある日、うちでご飯を食べていたら孫がぽつりと言った。「ばぁば。じぃじは、いつ赤紙がくるんや?」

今は、日本は戦争はしていないし、じぃじに赤紙は来ないよ。というと「よかった・・」という。

もし戦争があったら、じぃじの前に、おとうさんに赤紙がくるよ。と、思ったが言わなかった。この子たちのおとうさんも、孫たちも戦争へ行くような世の中にはならないと信じながらも、この頃のニュースが気になる。

特定秘密保護法や、航空自衛隊の基本ドクトリン「専守防衛」から「積極的平和主義」に転換したことなど、不安なことだ。

石垣りんの詩が新聞に載っていた。「戦争の記憶が遠ざかるとき、戦争がまた わたしたちに近づく そうでなければ良い」本当に、そうでなければ良いと思う。本当の赤紙はごめんだ。


雪道

2014-02-09 | 暮らし

立春になった途端、雪にみまわれた。

土曜の朝、松任のOさんと、15日の女子研修会の打ち合わせで、両方の中間ということで、小松の道場で落ち合うことにした。

雪の朝は美しいが、連日路上が凍っているので早めに家を出ることにした。9時40分に出発。余裕で待ち合わせの10時30分に着くだろうとのんびり出かけた。

向かう途中、事故車の横にパトカーが止まっていた。エンジンルームのふたが潰れて酷い事故のようす。しばらくいくと、今度は民家のブロック塀に激突して、対向車も道のわき止まっていて、通行不可となっていた。

2件の事故を見て、緊張して雪の中を走った。翌日の新聞で、小松で死亡事故があったということ。わたしの見た事故ではなかったが、この日はあちこちで雪道による事故が多発していたということだ。痛ましいことだ。他人ごとではない、ハンドルを握ったら緊張し気をつけていても、対向車が向かってくることもある。雪道は怖い。

 

 


屋根から落ちた

2014-02-05 | 事件簿

2009年、実家の父が屋根から落ちたことは大事件だった。連絡を聞いた時は、これで寝たきり老人になるのだと、ぼんやりと思った。

救急車で運ばれた時のことを、最近母が語った。いわゆるむし返したのである。

近くで草むしりをしていた母は、鈍い音がしたので慌てて駆け寄ると、頭からコールタールで真っ黒になった父を見て、目が見えなくなるといけないと、とっさに目の周りだけタオルで拭いて、救急車を呼んだそうだ。正しい処置であった。

病院へ運ばれた父は、目だけがぎょろぎょろして、顔は真っ黒だった。父の姪が看護士をしているのだが、後日「真っ黒な顔の人が、救急車で運ばれて来たらしい」と、院内で評判だったと語っている。

担当の医師が、父の顔を見ては、吹き出しそうになり「どうやって取るかなぁ。」と、言いながら笑いをこらえて、後ろを向いていたらしい。同室の人は後に、見舞いに行った私に「おかしくて・・」と、語った。幸い背骨に3か所のひびで済んだが、もちろん本人は痛いし、動けないし辛かったに違いないが、無情にも周りのみんなは笑いに包まれていた。

辛い思いをしてもなお、他人を笑わせる父は偉大だ。しかし、その頃、病室をひとつはさんで、同居している姑に続いての父の入院で、看護士はわたしに「大変ですね。」と、笑った。

人を笑わせるのは良いが、身内を笑いものにしてはいけない。恥ずかしいのである。しかし、自分でもおかしく笑うしかしゃあないのである。


立春

2014-02-05 | 暮らし

ここのところ、北陸には似合わないほど良い天気だったが、節分、立春と春の暦になった途端雪が降ってきた。

さて、昨日の節分で、恒例の恵方巻き。今や買い物に行くと、恵方巻きを食べないものは人に非ずというくらい、太巻きが山と積まれている。

それでは、どこにもない安くて超豪華なものを作ろうと腕まくり。

まずしそを敷いて、マグロのたたきに少しわさびと醤油をたらして載せる。

干ししいたけを煮たものと、かにかま。

スモークサーモンと、卵巻、キュウリ。意外と乗せることが出来るが、果たして巻けるのか。

巻けた・・が、変形してしまった。

二重巻もしてみた。調子に乗って巻いたが、我が家は年寄ばかりだ。ひとり1本は無理だった。

 


竹の写真

2014-02-04 | 暮らし

「ばぁばあ!来てきて!!」と、孫がトイレから大声で呼ぶので、また大きなうんこが流れなくて呼んでいるのかと思って「どうしたぁ?」と、トイレへ行くと、便座に座ったまま「ばぁば。いつからあったん?あれいいわ。」と、壁のパネルを大人のように褒めるのだ。「いいやろ・・。ばぁばのお友達の撮ってくれた写真やよ。」「窓みたいやねぇ。」と、小学1年の批評家は言う。

確かに、トイレの中がギャラリーのようだ。友達にはトイレに飾ったと言うのは失礼かなと思って黙っているが、実はここに絵を欲しかったので嬉しい。


爺さんの告白

2014-02-01 | 事件簿

実家へ遊びに行ったら、母が草餅を焼いてくれて、皆で食べながら話をしていたが、父が「水が違うところへ入って、ひどくむせて大変やった。」という話をしたので「しゃべりながら餅を食べると、のどにつまるよ。」と、注意したら「そういえば・・」と、話し出した。

小学校3年生の頃、桜祭りで「お神明さん」で、父親にするめをもらったら、いつも食べなれないのでうますぎて、半分噛んで飲んだらのどに詰まって、半分はのどの奥へ、半分は口の中に残り、つらいのつらくないのって大変やった・・。と、いうこと。

次に話は、屋根から落ちた話につながるのだ。

「わしもいろんなことがあった・・」と、苦労話にいくのかと思ったら、たいがい失敗話となるので、そんな父の娘として生まれたわたしは失敗の結晶だったのかと思える。