まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

新車購入

2012-08-29 | 暮らし

かねてより、うちの婆さんがJAへ連れて行って欲しい。耕運機がほしい。と、せがんでいたので、だんなと3人で買いに行った。

しかし、婆さんは耳が遠いので、操作方法や、その他疑問点はすべて私が聞いて、試乗ならぬ試運転までした。だんなはその間、そんなことは聞かなくても分かっているというような顔をして、遠いところで他人のふりをして座っていた。

かくして、届いた耕運機は、婆さんがエンジンを何度かけてもかけられない。そのうち肩の付け根が痛いという。

わたしが、日ごろより鍛えぬいた肩で、エンジンをかけると、結局、畑一枚耕すという結果になった。

要するに、こういうことなのだ。はめられたことに気づいた。しかし、これがまた面白い。耕運機は軽いし、さほどの労力もいらないのに、婆さんが鍬で耕すと何日もかかるところを、10分足らずで耕すのだから、ひどく有難がられた。

しかし、このところのこの暑さ。午後は動かずにいた。

雨は降らないし、暑いし、畑仕事はただいま中断と婆さんは言っている。

翌日から、わたしは、会社で涼しいところで仕事をしながら、冷や汗をかいている。


今更、ドラゴンヘッド、リアル、黄金のラフ・・

2012-08-20 | 読書

古い家の解体プロジェクトを解散した。電化製品はすべて処分した。ガラクタは美化センターへ通いつめた。

工務店が隣なので、見積もってもらった。中身が殆どないので、前回見積より大幅安で終了宣言。

残るは、おびただしい量の本の撤去だ。文庫本の殆どはだんなのもの。向田邦子や田邊聖子や詩集はわたしだ。島崎藤村や石垣りんは捨てがたい。娘たちが買いためた「リアル」「ドラゴンヘッド」「黄金のラフ」など、何巻もそろっているというのは、面白かった証拠だろう。捨てる前に、読んでみたら、やばいことになった。はまってしまったのだ。わたしは「ドラゴンヘッド」に、だんなは「黄金のラフ」に。

寝る前の読書は「弓と禅」とか分かったような顔をして枕元に置いてあったが、優先順位が変わってしまった。人は易きに流れるものだ。これは悪書ではないかと思えるほど強烈だ。「スラムダンク」や「バカボンド」は、娘たちとわたしが過去に楽しんでいて、だんなは漫画を読む暇などないと、硬い本ばかり読んでいた。しかし、ここへきて「黄金のラフ」で、笑い寝している。

しかし、問題がひとつ。ドラゴンヘッド全10巻なのに、娘は9巻を2冊買ってあって、肝心の10巻目がない。わたしの遺伝子を確かに受け継いでいる性格だ。

こんな強烈な話の結末が判らないのは困るので、書店やネットで調べたが、10巻だけの購入はできない。全10巻なら買えるが今更買う気にはなれない。9巻まであるのだから。正確に言えば10冊ある。

誰か、10巻目を読ませてください。熱中症になりそうだ。

 


大当たり

2012-08-16 | 弓道

県体が終わり、日頃の練習のままの悪しき癖が、そのまま出て力のなさを実感しながらも、精一杯やり終了しほっとした。

さて、県体は中たりが少なく残念だったが、お盆に娘たちが寄るので、奮発し、刺身やうなぎも魚屋で焼いてもらって、あれこれと買っていたら予算オーバーになった。

2万円で抑えるつもりが、あれもこれもと買いすぎた。反省をしながらも、レジのあとに抽選があるので、何も考えず、何がもらえるかも知らず、どうせティッシュくらいしかもらえないだろうと思いながら、ガラポンを回すと、赤い玉がころん。

いきなり、係の人が興奮し「ガンガラガン」と鐘をならされた。何がもらえるのだ!!「今、お買い上げいただいた価格がそのまま戻ります。」

ひょーー。ここで、買いすぎた反省はふっとんだ。「本日の最高額です」「でしょう」とも言えず、同金額の買い物ができるカードをもらった。

姪っ子たちが、CMでやっていて、本当に当たる人がいるんだろうかと疑っていたらしい。50人にひとりの割合での当たりらしい。

さて、今年は、ラジオで「お盆にはきゅうりの馬に乗って、ご先祖様に早く来てください。と、盆の後に、なすの牛でゆっくり帰ってくださいという意味かあります」と、聞いて、さっそく孫たちに見せると、やたら喜んで、きゅうりとなすを取り合っていた。

さて、大当たりついでに、つまらないものにも当たり、全額返金2万4千円は、CT検査代金に消えた。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。 

 

 


やごろ

2012-08-09 | 弓道

やごろ。漢字を入れたら文字化けしてしまった。

やごろとは、離れがでる瞬間。伸び合った末に自然に離れるところ。

とにかく、びくに悩まされ続け、もう県体までカウントダウンとなってきた。まだ1ヶ月あるよと言われて、改造講座を施しては見たが、所詮自分自身で、考えあぐねている状態。

起きた現象には必ず原因がある。原因を探ってから、対策を講じなくてはならない。審査の頃に、しっかり頬付けをつけて、会ももっと持ちたいと考えていた。その考えは、全く外見的な方法で、そのあたりから離れがでなくなったことに気づいてはいたが、重症になって初めて真剣に考えた。

頬付けをつけるときに、妻手の手首に力が入ってきた。また、肩のところへ寄せていくときに、肘で頬付けの位置まで引いていくのではなく、手首で合わそうとしているので、離れがでにくい右手と肩の構成の三角がつぶれた感じになっていた。

おまけに、恐怖心がつのって、離れないのではないかと考えるあまり、思い切って引ききることができない。

ひとりで、1本引いては本を読み、1本引いては考え、じっくり引いていくうちに、何も考えずにふっと引いたものが、すっと弦が抜けていった。これだっ!と、思っても、次にはどれだっけ・・というかんじ。壁にぶつからないと、なかなか勉強しないものだ。

小さいときからそうだった。切羽詰らないと動かない。楽しいものに流される。

浦上栄先生の著。「ちょうど、コップに水を入れた状態で、一滴ずつ水を加えていって、満杯になったところでこぼれるのが、やごろ。」なので、わたしの場合は、表面張力で満たされたコップに、最後の一滴を入れずに、止まってしまって、無理やりコップを揺さぶって放していることが判った。

判ったからといって、出来るものではない。口で弓を引くのは得意なのだけど。