まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

見舞い客

2014-05-28 | 暮らし

今、我が家には赤ちゃんを見に来てくれる人と、旦那を見舞いに来てくれる人で賑わしいが、いかんせん夕方は保育園帰りの子供が二人で、おもちゃ箱をひっくり返したような、いや、実際ひっくり返しているのだ。おまけに、いらないものを処分しようと、引き出しをひっくり返していたら先輩が夫婦でやってきた。完全に足の踏み場がない。

座敷から赤ちゃんをつれてきていて、床に薄い敷物を引いた上に赤ん坊も転がっている始末。どないなってまんねん。こういう状態を「ちゃがちゃがになっとる」と、この辺では言う。あるいは「むたむたやけど・・」という。

 とはいえ、旦那の先輩のありがたいこと。今日は、大きなスイカを持ってきてくれて、ゆうに6キロはある。さすがのデカ頭の旦那の帽子も無理。

こんな大きなスイカは見たことがない。あまり食欲がないとはいえ、旦那の美味しいという言葉が嬉しい。

 


張り合い

2014-05-27 | 暮らし

久々に火曜の夜、道場へ行く。体育協会からもらったお金を会計さんに預け、黒板の予定をチェックする。今週末は「市民体育大会」と、日曜は協会の仲間とバーベキュー。

どちらも出席と黒板に書き、市民体育大会は旦那は見学にいくという。バーベキューもちょこっと顔を出すので、黒板に名前を書いたら、先輩がすごく喜んでくれた。「来れるん!ほんとか!よかったぁ」と。ありがたい。

今まで、いろいろな行事をみると、人は何でこんなにイベント好きなのか、そういえば会社にも陰で「イベントボーイ」と称される人がいた。何かに属すると必ず行事ごとがある。やたら重なると面倒に思ったことがあったが、今ではそれに顔を出すことができる事を嬉しく思う。身勝手なものだがしょうがない。予定を入れると張り合いがでるというもの。

弓は反っている方に抵抗するように弓を押し、弦を掛ける。人もいろんな抵抗があるほど張り合いが出るのではないかと思う。しかし、あまり力を掛け過ぎると折れてしまう。ちょうどよい張り具合を自分で探し、時折緩めなくては、張りっぱなしでは弦は切れる。わたしの場合は、油断すると緩みっぱなしになるので、今の張り具合がいいのかも。

 


お昼寝

2014-05-27 | 小さきもの

来週で1か月になるnanaと、3歳5か月になるmomoのお昼寝。土、日は保育園が休みなので1日中我が家は託児所状態となる。療養所も兼ねているし、年寄りもいて、3歳のmomoは、年寄り爺ちゃんを「杖爺ちゃん」と呼んでいたが、にわかに杖爺ちゃんが二人になってしまった。

家で一番元気なのは耕運機も回す婆さんだ。家の廊下を走るのも婆さんだ。にぎやかでパワフルなので、家にいるだけで、こちらの方がくたくたになる。夜中のこの時間だけが自分の時間のような毎日。

それでも、可愛い足なんか見ていると、みんな忘れて大人たちの顔は笑っている。

 


あんぱん

2014-05-27 | 料理

再び、パンを焼く。

娘とmomoと三人であんぱんにチャレンジ。三才のmomoはアンパンマンが好きなので大喜び。

美味しかったが、若干餡が上に広がった。底を閉じるとき少し引っ張って薄目に閉じないと底の方が分厚くなることが分かった。そして、パンも膨らみやすくしないと餡が行き場を失いはじけそうだ。しっかりしたあんパンとなった。

 


殿のご所望

2014-05-26 | 料理

殿は日に日に養生癖がついたようで、本当に辛いのか、少しは気分が良いのか分からない。体調を問えば「どこもどーーもない」といいつつ、何か活動的な提案をすると「心拍数があがる・・辛い・・」と、弱音をはく。どうも、わたしが意見を述べると心拍数が上がるのではないか。

TVばかり観てソファに座っているのを時折ちらみすると、目をつぶっている。寝ているわけではない。考え事をしているのだと時々言い訳する。まぁ、小百合と目が合えば心拍数はあがるわね。ふつう。

しかし、この前まで「一日中TVを観ていてもいいから、早く退院させてください神様・・」状態だったのに、なんと冷たい。食欲もないというので、欲しいものは?と、聞くと「果物がいい。すいかが食べたい」というので、「夏に食べるものは、体が冷えてよくない。体が冷えると免疫力が落ちるよ・・」と、言わなきゃいいのに、丁寧にひとこと申し添える。

しかし、鬼嫁ではない。ちゃんと買ってきたからねっ。食べられるものならなんでも食べてほしい。これがまた一口食べたら美味しかった。口いっぱいに広がるスイカのじゅわじゅわ感。

「お前の方が切りが方大きいのでは・・」「気のせい、気のせい」


パンを焼く

2014-05-25 | 料理

産後の娘も順調に動けるようになって、少し時間がとれたのでふたりでパンを焼いた。と言っても、発酵までパン焼き機なので、成形をしただけだが。

焼くと3倍になる。陶器は焼くと若干小さくなるが、パンの場合膨れるので楽しい。

どんな料理も、出来立ては美味しい。パンも焼き立ては美味しいので、出来上がり時間がおやつタイムだと、夕食が食べられなくなるので、一つ味見のはずが・・・・。2個・・3個。


一喜一憂

2014-05-24 | 暮らし

「一射一憂」  1本射るごとに首をかしげ、考える。中たりはずれをやかましく言う。そんなとき、旦那はいつも「一喜一憂するな」という。

「一食一言う」 この頃は、旦那の食欲がないようで、あまりやかましく言わない方がよいと思いつつも、ついついもう食べないのかと、いちいち尋ねてしまう。また、食事をみて、ため息をつくのを見ると、こちらもため息がでて、一喜一憂する。

テレビを観ているか、本を読んでいるかしている旦那をみて、元気な時と殆ど変らないと娘が言う。そうなのだ。マメな方ではなく、取り立てて趣味もなく、釣りをするとか、日曜大工をするとか、庭いじりをするとかする旦那ではないので、今更驚くような変貌もない。しかし、神棚の水を替えるとき、ほんの少し背伸びをしたときに、やはり小百合は寸足らずだと気づく。小屋から米を持ってくるときも、引きずってくるしかないので、お嬢様だった育ちを思う。

そういえば、父は働く私に「おまえは人より小さいので、力仕事は人の半分にしておかなくては、体を壊すぞ」と、言っていた。

なので、力仕事を半分、その埋め合わせのように、口で仕事をする傾向がある。気をつけなくてはならないのは、後輩に口で弓を引くと言われないように、時折道場へ行き弓を引くようにしている。

常に、小さなことで一喜一憂しないように、かといって、日々は大切に過ごしたいと思う。大切に過ごすとは気持ちよく、笑顔でということか。

 


本屋へ出かける

2014-05-22 | 暮らし

旦那は、一日一回のお出かけが出来るようになった。先日は散髪屋へ行った。彼が散髪している間ガソリンを入れて、買い物をして迎えに行く。

昨日は久々に本屋へ行った。買いだめしてあった本は入院中に殆ど読んだようで新しい本を見て回りながら、二人して似たような本を手に取っていた。吉永小百合と高倉健がこのようなチョイスをしたら、週刊誌は騒ぎ立てるだろうが、幸い記者も見当たらず、何より小百合と健ではないのだから心配はいらない。

旦那は柳田邦男の「僕は9歳のときから死と向き合っていた」を、私は佐藤健の「ポスピスという希望」
お互い、ふっと笑って肩をすくめた。



買い物に出かけたり、保育園の送り迎えをしたり、実家の両親のケアをしたりしていると、ベビーシッターと、ホームヘルパーと、看護婦と、家政婦の小百合は忙しいのである。しかし、稼ぎはゼロだ。

新生児と養生中の旦那と、92歳の爺さんと、耳の遠い元気な婆さんと、我が家は年齢差92歳、平均年齢56歳。
ちょい高齢化だな。


会議

2014-05-18 | 弓道
某弓道の会議に出た。在職中に部長を後輩に譲ってからしばらく出ていなかったのと、前回は三人展の最中で欠席したので、さぞかし久々の小百合の登場に会場が湧くかと思ったが、県の要職の面々が目立って誰にも気づかれずひっそりとしていた。

別に目立とうとしていたわけではないが、純粋に全国遠的選手権大会を石川でするのは、持ち回りなのか、するのはいつの予定なのか聞いた。本心は「しなくてはならないのか?」ということを言いたかったのだが、わたしが評議員会に出ていない間に、みんなで審議し結論を出したであろう議件に水を差してはならないと思ったので、「いつする予定なのか?」と、聞いたら、会長より「良い質問・・・」と言われて、丁寧な回答のお蔭で終了時間を延長させただけの質問のようになり恐縮した。また黙っていられなかったとは、病気であろうか。人前でセリフを言わなくてはならない女優病だ。

それにしても、この会議までに、事務局や常任理事の方々は、同じ会議を3回開催しなくてはならないのは大変ご苦労なことと思う。理事会と評議員会を一緒にしてはならないのか?不思議だ。もっと緩くしてはなぜだめなのか。要職の方たちはさぞお疲れの事と思う。
つくづく要職にはつきたくないと思うが、誰もその役をしてくれとは言わないので安心ではある。他人の心配をしていないで、帰りの高速でスピードを出さないように気をつけなくては。一人運転をすると、追い越しでカーチェイスをしたくなるのだ。

ご安全に。

遠藤びいき

2014-05-17 | 暮らし

今や石川県人のみならず遠藤ファンは多い。

我が家は孫にまで伝播した。ちょうど保育園から帰り我が家へ集合する時間帯に遠藤の取り組みだ。
少し前まではシルエットで分かった頭が、いよいよ髷になったが、今や5歳児は完全に認識できる。3歳児はどうか。

先日の横綱に勝った時は大喜びだった。「今日の取り組みは1番強い横綱なんや」と、教えると「がんばれーー」と、二人で叫んでいる。3歳児は単におつきあいのようだが。

「今日の相手は何番目に強いんや?」と、聞く。「大関だから2番目やね」
お絵かきをやめて取り組みに期待する。大人顔負けやん。





3連勝のあと負けました。悔しがるken。新生児の存在を忘れる一瞬だ。


その日のまえに  重松清

2014-05-16 | 暮らし
電車で金沢へ行く楽しみは本を読んで行けること。病院では待ち時間が苦にならない。堂々と読書時間を満喫できるというもの。
家にいると、主婦にはなにかしら用が出来るし、じっと何時間も本を読むのは罪悪感を感じるので、案外病院の待ち時間はいいものだ。

しかし、今回は選択した本を間違えた。旦那の本棚から「その日のまえに」(重松清著)を、かばんに入れて行ったはいいが、重松清は読ませる上に泣けるツボが多すぎる。

おまけに、大切な人との別れの話がいくつも出てきて、それがうまくつながっていくのだ。電車の中で涙が出てくる。横に座ったおばさんたちがとりとめのない話をしているのも気にならず。

待合室でも泣けてくる。重松清は、大切な人を亡くした経験があるのか、癌患者を知っているのか。心情がリアルだ。そこはプロの小説家だ。どんどんのめり込んでいって気づいたらティッシュでやたら鼻をかんでいた。

おまけに、先日同級生のEちゃんの訃報が新聞に載っていたのと同日に、弓道のNちゃんが若いのに亡くなったことを知らされ驚いた。そして、その人たちと周りの人たちの悲しみは計り知れないが、わたしたちの日常は変わらず続く。いつか、その日は誰にでも来ることを、重松氏は本当にせつせつと書いていくので、じわじわと涙が湧いてくるのを止められない。

次は違った感じの本を持っていこう。




月いち検診 (危ない個人タクシー)

2014-05-14 | 暮らし
金大医病院へ定期検診。保育園へ方向違いにふたりを送っていくため朝は忙しい。いとこ同士の3歳と5歳の登園は楽しい様子。3歳のmomoはkenの保育園の名前を聞いてはどんなところか興味津々だが、こちらは電車に乗れるかはらはらもの。
ぎりぎりに電車に飛び乗りなんとか予約時間に間に合うが、今日の採血の順番待ちは100人待ちだった。

10時半の予約が、診てもらえたのが12時20分。家にいる赤ちゃんの沐浴タイムに間に合いたいためタクシーで金沢駅に向かう。

病院から金沢駅といえば、タクシーの運転手は時間を気にしてくれて、信号待ちで時刻表を見ながら走ってくれた。そこまでは良かった。

そこで、タクシーの前にバスがいたせいかバスの話になり某バス会社の悪口と、周遊バスについての対応の会社の頭の悪さの話をとくとくと語った。もともとバスの運転手だったようす。「はぁ・・・」と、適当に相槌をうったものの、その会社のお蔭で暮らしているとは言えず、旦那はその頭の悪い経営者とは言えず。貴重なご意見ありがとうとも言えず。

どちらにしろ、客商売は気をつけなくては、客が望んでいないのに悪口をいうのは危ない。出来れば次回はこのタクシーには乗りたくないと思うだけだ。

出来れば無口な運転手がいい。黙っている間というのは癒される。これは、わたし自身も肝に銘じておかなければ、沈黙をおしゃべりで埋めたくなるタイプだから。

しかし、自分が世話になった会社の悪口を言わなくてはならないのはさびしいことだ。そこで精一杯がんばったら、後でそこにいたことを誇りに思える。そして、良い仲間に会えたことを今でも嬉しく思う。あたしゃしあわせだわ。

父元気

2014-05-11 | 暮らし
父がひ孫の顔を見に来てくれた。車の運転ができるようになったが、さすがに靴の脱ぎはきが難しいようだ。框に座った後、立ち上がるときに手を貸そうとすると「甘えると後がつらいから」と、自力で立ち上がる。

昨年はみんなで「八十八」に泊まったことが、今思うと奇跡のような瞬間だったように思う。1年でうちの92才の爺さんも弱っていて旅館泊まりは困難と思えるし、実家の父も歩くのはやっとだ。

選択定年で旅行券がもらえるのを、いずれは夫婦で海外旅行をと思っていたが、娘や孫や両親に喜んでもらえて良かったと思う。旦那も具合が悪くなるとは思ってもいなかったし。両親は「いい会社やねえ」と、言ってくれた。両親の1年1年弱っていく姿を見ると、規定とはいえ素敵な機会を与えてもらえて会社のお蔭と改めて感謝の気持ちがわく。

ひ孫を囲んで我が家は足の踏み場もない様子になった。
父は口だけは相変わらずで「わしも、もう90や。苦渋の選択や・・」とか、赤ん坊の名を聞いて「はぁ。さいさい子か・・。」とか何か受けようとしていたが、なんとなく滑っていた。

あまりに滑っていたので「帰りに足元に気を付けて」と、優しい言葉をかけたが本人はなにも気づかずご機嫌で帰っていった。


野の花

2014-05-11 | 暮らし

3歳の新米お姉ちゃんを連れて田んぼの向こうまで散歩に出かけた。田植えが済んで湖畔はすっかり田んぼに替わっていた。

「ママとななちゃんにお花を摘んでいきたい・・」と、やはり女の子。家の横の都忘れもくわえて、親子で生けていた。野の花といえども、なかなか可愛いのである。

大輪の花であろうと、野の花であろうと、どちらも必死で咲いている。それで思い出した。

先日、病院で「週刊文春」を読んでいて、中村うさぎの「さすらいの女王」に書いてあったことを改めて読み直した。結構強烈な生き方の彼女が、命を賭けてい書いている気がした。

「生きていればしばしば、我々は己の無力感に打ちのめされる。・・略・・・しかし、どんなにささやかな人生であろうと、本人にとって、それはたった一度きりの人生ではないか。そのかけがえのない人生が無意味であるはずがない。たとえ無力でちっぽけでも、当人が必死に生きている限り、そこには必ず「生きる価値」が生ずるのだ。

・・・略・・・・どんなに些細な悩みでも人生でも、当人にとっては深刻な苦しみであり、大切な人生なのだ。それを理解せずして大雑把な人生論を得々と語るな。己の人生の大切さを理解できない人間に、他人の人生を大事にすることができようか?無力だからこそ互いに支え合い、他人の人生が自分の人生と同じくらいかけがえのないものだということを理解して、我々は初めて己の価値を知る。生きることがこんなにも尊いものなのだということを知るのだ。」

はあぁ。3回も死にかけたという彼女の言葉は重みがあると思う。「わかるよ。分かる、分かる。」と、簡単に言う人には分からないのである。ちょっと前までのわたしは、本当に分からなかったのである。だからといって、分からないことは悪くない。なぜなら、いつか嫌でも分かってしまう日が来るからだ。


元気畑

2014-05-10 | 暮らし

保育園の前の畑に、園児たちが苗を植えるのを手伝ってほしいということで、経験の乏しいものでも、猫の手よりよいかと出かけた。

5人の祖父母が園長先生と場所をつくる。子供たちが、水をやる場面ははらはらものだ。大洪水になりそうなのだ。しかし、みんな真剣である。

「元気畑」という名がついているが、誰が元気になるかと言えば、手伝っている爺婆ではないか。帰るときは、みんな若返っていた様子。