まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

春の花

2024-03-31 | 山歩き
わたしのコロナが婆様に移り、病院へ連れていき、下痢が止まらなくて、毎食おかゆと消化の良い食べものを工夫し、仕事へ行く時は安否確認し、そうしているうちに4月になってしまった。
ようやく、普通に少しずつ食べれるようになり、ほっとした。
登山する時間もないので、トレッキング用の靴を履いて、30分ほど山すそを歩いてみると花が咲いていた。
また、栄谷の「かたくりの群生地」へ行ってみると、ようやく花が開いていた。
すれ違った女性が「だれかこの道きれいにすればいいのに・・」と、つぶやいていた。
杭を打ち、ロープを張って、十分整備されていて、歩くところは杉の枯れ葉や、広葉樹の落ち葉があって当然の山道である。
登山をしながら、「誰か草を刈ればいいのに・・」というような意外な発言である。
この山のぬかるみや落ち葉は当然なのに、どこかの公園と間違えているのだろうかと思った。
ヒールの靴を履いてくるところではないのに。
ここは低いけれど山道なのだ。
湿原で失言を吐いていた人に出会ってしまった。
「♪ 寛容になりましょう。」
~~~フテホドの最終回を思い出した。
山本耕史がなぜか布袋のギターを弾いていた。
そうそう、寛容が肝要。花は美しい。









不思議の中り

2024-03-30 | 弓道
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
と、故野村克也監督がおっしゃっていた。
もともとは、長崎県の平戸藩主であった松浦静山(1760~1841)の言葉だそうだ。
さて、中りも同様で、まぐれ中りがある。
外れは、原因は明らかだ。
最近、中っても先輩に、「それで中るのはいかん!!」と、指摘される。
離れ際に、緩んでいるのだそうだ。他人事のようだが、自分では最後まで必死に引いているつもりなのである。
なので、この刹那のところが、悔しいというか微妙というか。
おまけに、殆ど稽古日は休まないのに、コロナのために10日間道場へ行かなかった。
たぶん筋力が落ちて、まともに引けないのではないか。
久々に上る階段。武道館の3階にある弓道場に到着すると、息切れしてしんどかった。
力が入らないので、かえって良かったのか皆中した。
あれっ?骨で引くってこういう感じなのか?
それとも、まぐれなのか?欲がなくて、中てようという小賢しさがないからか。


不思議の中りだったようで、稽古を続けると外れだした。
また、次の日、始めの6射5中した。
だが、やはり最後のところで緩んでいるようだ。
手首に力を入れないことは大事だが、全部抜くことでもない。
妻手がそのまま飛んでいくといいのだが。

先日、「ヒューマニエンス選」で、運動を司る小脳は、失敗を忘れることで上達するのだという。
忘れるから、上達するって・・。
積極的に忘れなければ、高度な技を身に着けることが出来ないのだそうだ。
運動学習は、失敗をしてエラーが出たら、その動きを捨てるのだそうだ。
弓は、毎回その動きを捨てているのか。
固執したり、そうしないように努力したりしていないか。
失敗したら嫌だと思うことが、失敗を導くような、そんな訳の分からないことを考えていないで、弓を引くべき。
「忘却は記憶の強化」というのも気にいった。
この頃は、忘却を許す毎日だ。
都合の良いように理解し自分を許す、この甘さが、生き抜く力となる。
完璧だと、小さなしくじりに心折れるのだ。
きっと、わたしは長生きするタイプだ。





花束贈呈

2024-03-27 | 弓道
正月の地震のために、県の祝賀会も、県庁の表彰式もなくなった。
それでも、会議の前に花束を頂くことが出来て、なんとありがたいことか。
おまけに、たくさんの方々が贈呈される中で、Yちゃん直々に手渡されて、感慨深いものがあった。
夫の余命を知らされて、半泣きで真っ先に電話したのはYちゃんにだった。
そのことが頭によぎって、じわっときた。
夫婦ともどもよく知っていて、お世話になった。
乗り越えられたのは、皆様のお陰様だ。
そして、ひそかにこのブログを覗いてくださる友達の皆様。

そして、なんと八重の百合が素晴らしい。
一週間経って、開いた花が豪華でびっくり。
「花粉がないんだよ」というので、よく見ると、確かに百合独特のおしべの花粉がない。
初めてみた!!
お陰様で、50年も弓を引き続けて、さほどうまくもならず、日頃の的中は奥ゆかしい。

ところで、県知事の表彰は地震で延期というのだが、会長とMちゃんと3人で、本当に表彰されたのか、表彰状も発表もないまま今期はもう終わってしまう。
別に、県庁へ出向かなくても、地震の対応も大変なので、それどころではないのなら、郵送してくれてもいいのにねと話していた。
新幹線開通の日は、加賀市へいらしていたので、地震だけではなく大忙しではありますね。
森元総理も見えていたので、そりゃあ大変ですわね。
何はともあれ、花の美しさに心癒される。






剪定

2024-03-19 | 暮らし
すっかり元気になると、動かないことが罪悪のように思える。
つらい時はTVを観ながら半眠りになっていたのに、本が読めるようになると、これは殆ど回復の兆し。
そして、庭を眺めたら、金木犀の頭のてっぺんが気になりだした。
まるで、オバケのQ太郎みたいな毛が3本みたいな。なんと古い例えか。


脚立を持ってきたが、どう考えても上の方は無理だ。
仕方なく、下の方の余分な枝を切っていたら、近所のM氏が通りかかり
「上の方が気になるけど、無理やね」と、話していたら
高枝ばさみを持ってきてくださった。
「貸してあげるし、ゆっくりどうぞ」
身体ごと借りたい心境だったが、そうもいかない。
柿を採るときしか使わないものと思っていたが、よく考えたら枝を切るものだった。
上を向いて、両手を伸ばしているとだるくなる。
とりあえず長いものだけは切り取れた。


久々の外の空気はいいものだ。
40代くらいの女性が「浄化槽の点検に来ました」と、言って裏へ回ろうとしたので、「あ、ちょっとお待ちを。大丈夫やろか。コロナになったので危険かもしれんよ」と、その方へ移りはしないか、なんと危険な職業か心配になった。
その方は明るく言った。「だいじょぶです。2回なりました、アハハ」であった。逞しい。
コロナは人を強くする?




パキロビッドパック

2024-03-17 | 身体
そそっかしいと言えば、高価な薬をぐいと飲んだらのどにひっかかった。
一瞬コロナは治って、誤嚥性肺炎とやらで死ぬのではないかと思った。

昨日、そこまで書いて終わった。
今日そのブログの続きが書けるということは死ななかったのである。

昨日の続き。
飲み込んだ薬が食道のどこかで横になっているのではないかと思う。
ぬるま湯を飲んではみたが、つっかえた感じが抜けない。
仕方がないので、娘が持ってきてくれた最中を食べることにした。
その餡の重みとお茶で流そうかと、しかし、それも逆効果だったらどうするか?
台所のパイプが詰まった時、上から排水を溶かすドロドロ液を流すと余計に詰まるという。「混ぜるな危険」と、書いてあるが時を間違えたら、「流すな危険」なのである。いや、わたしの喉は台所の排水管とは違う。
初めから粒が大きいとは思っていた。絶対日本人が作ったのではないと思う。華奢な日本人の喉には不似合いな大きさだ。
絶対牛のような外人が作ったに違いない。
あるいは、類稀なる華奢なわたしの喉には無理な大きさだということかも。
娘にLINEしたら「たぶん外国じゃね」「割って飲めばいいよ」
貴重な意見だった。ちなみに、後で粒を測ってみた。

縦20mm×横18mmの枠に並べた。ノギスがないので正確ではないが、たぶん一粒18mm×6mm×4mm(厚み)それを、3粒だ。



商売では不安がらせて物を売る場合がある。
お肌チェックなどして、化粧品を売る。
「奥様のお肌はデリケートですから乾燥に弱いので、しわができますよ」
「夏は紫外線で、シミがいっぱいできますよ」
医者は、すでに不安で来ている患者ばかりだから、前置きはいらない。
高齢だから重篤になるといわれたら、万が一と考え、早く治してほしいと思うので言われたままだ。
でも、癌になって医者や看護婦に命を救われた身の上だ。
ありがたい「お医者様」と思ってしまう。
何の知識もなく、体力もない上に、弱った体で判断を下すのはあなたですと言われたら、断る人は稀だろう。
その医者は、風邪薬は気休めですよという。では、この高価な薬は気休めではないのか?

たぶん、わたしはこうやってPCに向かって、あーだ、こーだと言えるほど元気になってきたのである。
だいたい薬を飲みたくなくなってきたら回復した証拠だ。
これは飲み切ってくださいとのことだから、何らかの効果を期待しがんばるしかない。

そういえば、殿も最後は1日5千円の薬を飲んでいた。
もう余命数日という時だった。これって、延命の薬?と思った。

これから先、延命の薬を勧められたら、しわ伸ばしのオプション付きの薬を処方してもらいたいものだ。







新幹線開通

2024-03-16 | 暮らし
昨日は加賀温泉からイベントの賑やかの声が風に乗って聞こえて来た。
加賀温泉の上空にブルーインパルスが飛んで、娘もたまたま外出中に観たらしく画像を送ってくれた。


我が家のウッドデッキからは少し曇っていて、通過の後の煙だけだったが、外の空気を吸う良い機会だった。


さて、新聞に新しい時刻表が挟まっていて、今までと比べると字が大きくなったのではなく、しらさぎ、ダイナスター、サンダーバードがこの時刻表から消えた事を改めて悲しく思った。
わたしの行動範囲は、唯一弓を持っての名古屋、京都行くらいで、その際、乗り換えなくてはならないのが残念だ。
敦賀でしらさぎとサンダーバードに乗り換平均所要時間8分とのこと。
そして、格段に速く到着するというわけではない。
速歩の稽古をしておこう。まだ、若い人と同じくらいの速さで歩ける自信はある。しかし、そそっかしいので行く先を間違えなければの話である。


そそっかしいと言えば、高価な薬をぐいと飲んだらのどにひっかかった。
一瞬コロナは治って、誤嚥性肺炎とやらで死ぬのではないかと思った。
新幹線の開通どころではない。わたしの喉の開通が心配だ。

コロナがやってきた

2024-03-14 | 身体
心配した通りコロナだった。怪しくて検査キットで調べたら、瞬く間に赤い線が2本現れた。陽性反応だ。
新幹線は止まるは、コロナにはなるは、踏んだり蹴ったり。
単なる風邪だと思ってはいけない。
インフルエンザやコロナが渦巻いている。
コロナが5類になったということは、前より移る可能性があるということだ。
迂闊だった。
婆様に移ったら大変。
前に、インフルエンザになったとき、婆様に移ってしまったので、今回もはらはらする。
昨日の夜と、今日の昼は一緒に食事をしたので心配だ。
年寄りは肺炎になる恐れがあるし。
病院へ行くと、高齢なので重篤にならないようにと、高い薬を頂いた。
うちには94歳の婆様がいるので、私自身は高齢という意識がなかったが。

パキロビッドパック600、ウィルスの増殖を抑えるという。
5日分10万円である。日本はすばらしい、健康保険のおかげでこのような薬も1万円あればもらえる。漢方と解熱剤を貰って1万円支払った。
服用中セイヨウオトギリソウ含有食品を取らないでくださいと。
それはハーブで、リラックス効果のあるという抗うつ剤などに使われているらしい。
高熱、高齢、高額
3高である。




鼻ぐず

2024-03-14 | 身体
藤枝の夜に、寒い寒いと言って夜景を写している場合ではなかったのだ。
仕事に行ったら、寒くて室内でもジャンパーを着ていた。
最近はジャンパーとは言わないのか?アウターとかブルゾンとか?
スタッフジャンパーっていうよね。
ま、どちらにしろ体がだるく横になりたい状態だった。
帰って体温を測ったら37.2℃で微熱だが、薬を飲んで早く寝た。
ついでに土曜の飲み会は、ドタキャンはまずいかなと思ったのでキャンセルした。2,3日で元気になるとは思うが、無理をしてはいけない年頃である。
金沢を出歩くと、またぶり返しそうだ。それに咳がでる。
せっかく早く寝たのに、夜中の2時にサイレンが鳴り、3時まで鳴りっぱなしだった。山中方面の火事だった。お気の毒だ。微熱とはいえぬくぬくと布団に潜り込んでいられるのは幸せである。

3月16日は、新幹線開通の日で、正しくは「新幹線延伸開業」で、加賀温泉駅前は駐車できないと聞いた。
停めるところを探して準備万端だったが、情けない。
一緒に藤枝へ行った仲間にLINEしたら、同様風邪を引いて、明日病院へ行きますって。やはり寒いと免疫力落ちるよね~と、同病相憐れむであった。
ぐず・・・

新幹線止まる

2024-03-12 | 旅行
弓を持っている時は、指定を取るときに、号車の前か後ろを指定しなくてはならない。出来れば、一番後ろがいいと思う。荷物で押さえておけば弓は倒れずにいてくれる。
乗り換えが少ないことを優先する。
また、帰りの時間は翌日月曜の仕事に差し支えないようなるべく早めに着きたい。

日頃、生徒に弓は重い軽いではなく、強い弱いと言ってほしいなあと言うが、今こそ軽重を考える時。2mの弓を持ち歩くのはストレスである。
ちなみに量ってみたら、防水と矢筒含めて1.5㎏あった。
砂糖の袋1個半を常に片手に持っていなくてはならいということだ。

さて、一緒に行ったNさんと、乗り換え2回の電車を選択した。
藤枝~掛川、掛川~こだまで名古屋、名古屋(17:48)~しらさぎで加賀温泉20:23着。金額もよろしく、名古屋で少し待たなくてはならないが、そこでお弁当を買って食べようかと楽しい時間を想像していた。

話し込んでいて、止まっていることに気づくのが遅れた。
止まっているよね。新幹線も何かの通過待ちするんかい?ちゃう。
こだまが動かなくなったのだ。「三河安城」あたりだ。
アナウンスが入り、東海道新幹線に飛来物があって原因を突き止めるために止まっているとのこと。
動かないこと55分。これでは名古屋で乗り換えは間に合わない。
名古屋では、しらさぎは2時間に1本。
米原まで行くと、1時間に1本なので、どれかに乗れるかもしれない。
わたしたちは、即座に予定変更して、名古屋でひかりに乗り換え米原へ行くことにした。
米原で飛び降りて、何故かみんな走り出している。
「5番ホームにしらさぎが・・」改札で駅員が拡声器で促している。
弓を落としそうになりながら、切符を通すと、パタンと行き先を封じられた。
「清算してください」と、言われ、返金なら加賀温泉に帰ってからでもいいのにと思いつつ窓口へ行くと、ひかりに乗り換えたので、追加料金を支払えとのこと。無賃乗車でもしたかのような冷たい対応だった。
あれっ?これって、わたしたちが悪いわけではないのにと思う。
乗車できなかったしらさぎの返金ではなく、高い運賃のひかりに乗ったからだった。
もたもたしていると「今到着するしらさぎに乗れません!!」て、相棒が叫ぶと「大丈夫です、まだ時間があります!!」
指定席が空きますからそこに乗ってください。
そんなやり取りの後、飛び乗ってドアのところに弓を立てかけることが出来て、一番良い場所の指定に座った。
デッキに高齢の女性を連れた夫婦が立っていたので、たぶん新幹線遅延組と思い、「どこでも座って良いそうですよ。指定の方が見えたら替わりましょう」というと喜んでおられた。
ところが、本当の指定の方がみえるたびに、ずれなくてはならない。
その間、車掌は一度も現れない。
高齢の方は東京から鯖江へ帰るようだった。
「座れないままになるところを、ありがとうございました」と降りて行った。
私たちは、そこでまた座席をずれることになって、先ほどの高齢の家族のいたところへずれた。

そこまで来て、わたしは「おや?」と、気づいた。
ポケットの指定乗車券を見ると、今乗っているところ3号車のC・・
まさしく、乗るべきしらさぎに乗っていたのだ。
てっきり乗り遅れて、次の電車に乗ったと思っていた。
それも、飛び込んだ号車もぴったりで、鯖江のご家族の方に座席を譲っていたような状態だったのだ。その場所までずれてきて、指定を取った自分の場所に到達したのだ。
要するに、ひかりが、しらさぎを追い越したのだった。
分かったことは、特急、急行は2時間以上遅れなければ返金なし。
乗れなかった電車も、乗車前でないと返金なし。学んだ。

全くの「珍道中」だ。いや、女同士なので「漫遊記」かもしれない。




女子大会 結果

2024-03-10 | 弓道
大会は2射して、束ったら予選通過である。
石川県から14人参加し通過は2名。
最終的にS先生5位入賞。
さすがの実力だが、先生なら優勝も夢ではないはずだ。
しかし、腕に覚えのある方ばかりが揃う称号の部。ここを突破するのは、よほど強い心持ちか平常心のなせる技。

わたしは、頭ひとつ違うのではないかという背の高いに選手に前後挟まれて、おまけにお二人とも立射と言われ「大丈夫ですか?」と、問われ、小さいわたしは「大丈夫です。勝手にすわって、勝手に立てばいいですから」と、答えると、回りの方から笑われてしまった。
実際、3人の真ん中の小さいのがひとりで、立ったり座ったりしていても、前から見えないのではないかと思えて、いっそ3人一緒に立射にしてもいいくらいだと思えた。けれど、流れも良く落ち着いて引くことができた。

甲矢は的中し、ことのほか大きな音がした。乙矢は残念にも左上にそれてしまった。
たった2本引くために、遠出をしたが、富山の方や福井の顔見知りの方々と会うことが出来るのも楽しみのひとつだ。

帰りの時間が気になり、弓を持っているので、乗り換えを少なくするために、ちょうどよい電車に乗りたくて帰ることにした。
しかし、その後が大変だった。    
 
新幹線止まる に、続く。

全日本女子弓道大会(中日本の部) 藤枝

2024-03-09 | 弓道
石川の震災があった後、大会開催の静岡県からのお知らせで、中止せずに「復興支援大会」として開催しますとのこと。
例年愛知県のガイシスポーツプラザであるのだが、改修工事とかで、4年のコロナ中止の時を経て、藤枝市の静岡県武道館で行われた。

出発から寒く、米原では横殴りに雪が降っていた。静岡の天気は晴れというが風が冷たかった。

加賀温泉駅前は相変わらず日々の変貌を遂げている。
もう、新幹線開通までに一週間だ。
狭い駐車場、ゴーカート場みたいに、走路がくねくね作られているが、どのように変わるのか。
新幹線開通には、あまり期待感がない。
わたしの行動範囲の、名古屋、京都へ行くことが難儀になるからだ。




前日の代表者会議で、石川県として、状況報告と開催に感謝の言葉を述べた。
皆さんが、頷きながら聞いて下さっているのに心打たれた。

夜は小松の方たちと居酒屋へ。
藤枝の駅はイルミネーションが美しい。
しかし、人はそんなに見えなくて静かだ。そして、やたら寒い風が吹く。
明日はどんな風が吹くのか自分の中に。





ひなまつり

2024-03-03 | 暮らし
今年は、頂いた和紙人形を飾った。
娘たちにも好評で、すごい豪華な衣装や!!と言われた。
作り手のこだわりが溢れている。
人形はどれだけ眺めても飽きない。
和紙の重なり、それを選んだ時の気持ち、手をかけて仕上がったものはわが子のような気持になるものだ。
そして、それを飾る時間は、楽しい遊び時間になる。
こうかな、こうかなと考えているうちに愛着がわいていく。
ひな祭りは女の子の行事と言ったら、今の世の中では不適切な言葉となるのだろうか。
生きにくい世の中になったものだ。
男女の差別はいかんというけれど、男女の区別はあるよね。
駄目なものはダメと言えない裏金グループの方がよっぽど不適切である。

美しいものを美しいと言い、大切なものを大切と言う。
子供の成長を祝う。季節を祝う。今日の無事を祝う。
それはいいことだと思う。
雛人形はそんな気持ちを持たせてくれる。







2024-03-02 | 映画
ちょっと前に、こっそり映画を観に行った。
別に誰にこっそりというわけではないが、あえて人に言わなかったのは、観た後、後悔したからだった。
殿が生前、北野たけしの本などでたけし好きになって、映画「座頭市」「アウトレイジ」を観に付き合わされた。
その時も、感動しなかったが、任侠映画好きの殿は満足だったようだ。
残虐なシーンは、やはりきつい。
それなのに、豪華俳優がずらっと出る「首」の予告を観たら、殿が降臨してきた気がした。「観に行くぞ~」と、たぶん生きていたら行くに違いないと思ったからだ。

うたい文句は「北野武が構想30年をかけて本能寺の変を、描く」である。
明智光秀が西島秀俊。織田信長が加瀬亮。曾呂利新左衛門がキム兄。
服部半蔵が桐谷健太。黒田官兵衛が浅野忠信。羽柴秀長が大森南朋。
千利休が岸部一徳。荒木村重は遠藤憲一・・・他
もうここまできたら我慢できない。
凄すぎるキャスト。予告の各自のセリフが良すぎる。
しかし、いざ始まるとやたら首が飛ぶ。狂気だ。おまけに明智と荒木はただならぬ関係。
羽柴秀吉に対しではなく、羽柴秀吉を演じた北野武に思わず心の中で叫んだ。
「たけし!!ご乱心!!」
それは、それで北野武らしい終わり方ではあるのだ。

さて、問題はそこではない。
その映画をすっかり忘れていたが、買い物をしていて反応したのだ。
おにぎりのコーナーで、わたしの目が点になった。こういうのトラウマって言うのかも。ぱっと見が「首」。
おにぎりやさんごめんなさい。
「具」がたくさんのおにぎりなんですよね。
「たっぷり具」のたっぷりの字が目立たない。


追記
従弟に画像を見せたら、「映画の土産にこんな寿司売ってんだ」と、一瞬思ったそうだ。わたしの上手をいく。
そして、「具」の字を逆さにしても「首」にはならない。
首の字は、髪の毛と目を描いた形から出来ている。
逆さにしても「具」にはならない。
貨幣を手で捧げる形で、具える(そなえる)ところからくる。
首をあげると、褒美をもらえて捧げもったかもしれない。
ぐにもつかない話であった。このぐは「愚」である。



妻手 勝手

2024-03-01 | 弓道
持つべきものは友。
「ネットに出ていたよ」とのこと。

「コトバンク」によると、妻手「つまて」
直角をだすための木工用の道具を古く中国では矩(く)といい,帯状の薄い金属板を直角に曲げた形に作ってあり,これに目盛をつけたものであり,かねざし,曲り尺ともいい,矩尺,鉄尺などとも書いた。長短2本の枝から成り,1尺2寸ないし1尺6寸程度の長さの長枝(ちようし)(長手(ながて))とその半分程度の長さの短枝(妻手(つまで))とから成る。と、言うことだ。

つまり、短い方が妻手なので、弓で引くところの曲がっている方を、妻手といい。呼び名は、馬手と同じにしたのだろうか。

AmebaブログのKenさんが、分かりやすく説明している。(抜粋)
妻手の他に、勝手の説明。
勝手は「箙から矢を刈る右手を刈手(かって)と呼びます。貞丈雑記巻之十一一〔武蕊之部〉 蔵王町刈田郡は「かりたぐん」とは言わず「かった」と呼び刈田岳は「かっただけ」です。
この刈手を勝手と表記するようになったのは,武士にとって勝利は重要で勝ち虫や勝栗のように縁起を担いだものと考えます。

その他、大変蘊蓄のあることが載っているので、興味のある方はそちらへ訪問ください。

妻手と勝手の謎解きが出来たので、箙なるものを探した。
載っているのは、なんと「福武 古語辞典」だ。
何とも、殆ど使った様子のない辞典である。娘が置いて行ったものと思う。
当然のことながら、昔の装束や、武具、馬具が載っている。
この箙には、ちゃんと弦巻がぶら下がっている。


余談だけれど、昔は戦闘で弓返りをさせないようにしていた。
回っていたら、次の矢を番える間にやられてしまう。だからと言って、時々向こう弦になるのをよしとするわけではないが、弓が返らないと昇段審査に受からないとすると、弓道の目的は何だろうと思ってしまう。
手の内が出来ていないという証が弓返りなのだけど、そこを習うのも教えるのも難しい。
だから、長く続けられるのかもしれない。
不器用な人ほど、長く続けられるのだと言われたことがある。
不細工と言われたら嫌だけど、不器用はそう悪くない。