まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

獅子柚子(鬼柚子)

2019-12-31 | 暮らし
頂き物の鬼柚子を飾った。
 
鬼柚子は獅子柚子とも言うそうで。
 
今年は「山と渓谷」の10号に掲載されて、それが年間のオブザイヤーの「遠藤甲太賞」も頂けて新年号に載り、娘たちや友達にみせびらかしてしまった。
ほんの少しの良いことがあると、また元気が出る。
でも、良いことはほんの少しでいいような気がする。
普通に日々を過ごせたらそれが一番。
 
友達が宝くじを買った。7億円当たったらどうするかという話で盛り上がった。
それは良くないよ。すぐにみんなに分けたほうがいいよ。
元気で新年を迎えることが出来るということだけで感謝、感謝。
 
 

大晦日

2019-12-31 | 暮らし
今年、やり残したことは数あるが、まず香箱カニを食べることから始める。何はともあれ食べることが大事だ。
しかし、年々収穫量が減るからなのか、どこかへ流れているのか、無造作にカニが積みあがることはなく、1杯800円以上する。昔は3杯で1000円とか言う時があったのだが。香箱の殻の中にある赤子とカニ味噌が絶品なのであるが、食べ始めると無口になる。
 
座敷の障子がなぜか少し破れていて、張り替える時間がないので、従妹から頂いた和紙を切り抜いて貼った。和紙には金の模様があってきれいだ。
図柄は弓友から頂いた筆入れのバラを真似て作った。
これで良しとしよう。
 
玄関に花を飾る時も、竹筒に紅白の和紙。
 
 
鏡餅や神棚の榊を飾ると、少しずつ正月の神様がやってくるような気がする。
 
 
 

風姿花伝

2019-12-29 | 弓道
スポーツジャパンの雑誌に「世阿弥『風姿花伝』第一年来稽古条々に見る年齢に応じた稽古、対処、指導法」と、言うのをつらつらと読んで、50代ではもう能を演じないほうがいいと書いてあるのを見て、自分の下手な弓を思い浮かべてがっくりした。

人生を7段階に分けて稽古の基本方針を説く.。
7歳は、素質を伸ばし基本を中心に自由にやらせる。
12,3歳 少年期の魅力を一時的な花と明言し、基礎的訓練を重視する。
17,8歳(危機) 声変わりなどで少年期の魅力を失われるこの時期を生涯の危機とし、能から離れないようにし、無理な稽古はしない。
24,5歳(初心)青年期を芸道修行の境とし、一時的な魅力に迷うことなく、未熟であることを自覚し、よりいっそう稽古に励むこと。
34,5歳(絶頂)最も充実した絶頂期であり、本物の芸を極め、世間からの評価を得るべき時期。
44,5歳 老年の初期とみて、わが身を知り、無理をしない演じ方を選ぶ時期。
50有余 やらないこと以外に方法はない。もう演じないほうがいい。

さて、当時の44,5歳は現代だと60代であろうか、ここからは能は下がる一方だと説いている。
まさしく、弓もそのような気がする。年を取ると今までのようにはいかなくなり、外見も魅力的ではなくなる。なるべくいい役は後継者に譲り、自分は控えめにしなさいという。
確かに、もう指導の方に回って、静かに引いていたいが、指導をするには現役でいなくてはならない。
やはり、世阿弥は、「生涯ずっと稽古を」と、いうつもりでいたのではないかとも書いている。
いつまでも、その年の演じ方があるように思う。
これでいいということはない。
部分的なところをつまんで、自分勝手に解釈してはいけない。しょげてもいけない。元気である間は頑張りなさいということで、病気の時は休みなさいという時だ。
身体は古ぼけても、いつも、新しい朝が来る。



大変だっ!

2019-12-28 | 暮らし

わたしの手が千切れたのではない。
婆さんの畑の作品である。
収穫してきた野菜の中で、ひときわ存在をアピール。
婆さんが大声で私を呼ぶので、小屋で転んだのかと思ったら、この大根を見せたかったのだった。
「ばあちゃんの足みたいやわ・・」と、本人は言う。
嫁は自分の手のようだと思った。この嫁と姑は、こんな手と足を持つのだとしたら怖い。
どちらにしても、料理しにくい物である。それでも、久々に笑えた。
よい正月が迎えられるのか、相変わらずへんてこな毎日となるのか、乞ご期待である。

師走

2019-12-26 | 暮らし
師が走る師走だが、師でなくても走りたくなる。
まるでパラパラ漫画をめくるように毎日が過ぎる。
この忙しい時に、スマホやパソコンに入る迷惑メールを消す時間も惜しい。
困るのは、わたしのアドレスと同じアドレスで入ってくる迷惑メールだ。
前にも入ってきた。思わず迷惑メールに分類したら、弓道の仕事のメーリングリストにメールしたら、自分のメールが入ってこなくなった。
自身のメールが確認ができないので不都合だった。送信済みのトレイを確認すればよいのかもしれないが、通常の状態を邪魔されるのは困る。
一体どんなからくりでそういうことが出来るのか。
最近は、友達になりすまして入ってくるメールがあるそうだ。

さて、お正月の生花を飾るために、竹を切りに行った。
竹は長く伸びていて、上でひっかかって倒れない。横へほいっと押し出すと、横に生えているようになる。これを、竹藪から引き出すには息が切れる。
その後、まっすぐ切ることはできたが、斜めにするのは、わたしの力では無理だった。のこぎりを使う技量が足らないのか、のこぎりが悪いのか分からない。



仕方がないので休憩。
仕事も人生も休憩が必要な気がする。走りすぎると心臓に悪いのではないか。
わたしの繊細な心臓に、ソバージュみたいな毛が生えていると思っている友達がいたが、それは大きな間違いだ。繊細という細くて柔らかい針が刺さっていて、そろそろ破れるのではないかと思う。




柿も上の方は鳥のえさとなる。
烏ではない鳥が来ていた。下でカメラを構えたら電線に逃げた。
わたしもこの気ぜわしいところから逃げたいものだ。全部放り出して豪華客船にでも乗って旅に出たいが、ひとりで乗ってもつまらないだろうなあ。
やはり、この現実の中にいることがいちばん向いているのかもしれない。
母がよく言う「貧乏暇なし。あたわりもんや・・」と。
しかし、この景色の中にいることは、大きな「あたわりもん」かもしれない。







柿プリン

2019-12-24 | 料理
実家の富有柿は12月に採れる。それが美味しいのでプリンにした。

柿を繰り抜いて器にしクリームを載せたが、ハーブがない。水菜を飾ったが、ちょっと違う気がする。

さて、なぜ牛乳だけで固まるのか。熟した柿のペクチンが、牛乳のカルシウムと結びつくことによって、いわゆるプリンプリンになるわけだ。
砂糖も入れないし、ちょっと甘みが足りないと思ったらクリームを載せれば、至福のおやつが・・・。
クリスマスから、正月にかけてが一番つまらない時期。
美味しいもので盛り上がろう。



切れたネックレス

2019-12-20 | 暮らし
通夜から帰って喪服を脱ぐ前に真珠のネックレスを外そうとしたら、糸が切れて、あたり一面にバラバラと散った。
母からもらったものなので、長い間に糸が弱ってしまったのだろう。
ウォークインクローゼットの中で、かき集めて殆ど回収したつもりだった。
翌日の葬儀には偽物のネックレスをして行った。

同級生のSさんの友達がみんな来ていた。急逝の悲しさで、家族は別れがたく、わたしたちももらい泣きした。花を入れながら、奥さんであるTちゃんがビールを綿棒に含めて飲ませてあげていて、わたしにも「飲ませてあげて・・」と、小さな缶ビールを渡されて涙が止まらなくなった。Tちゃんのお姉さんが「また一緒に飲みたかったよね」と。ほんとにそうだよね。

見送った後、ネックレスを修理に出そうと店に持って行くと、糸をワイヤーに替えてつなぎますとのこと。数を数えてくれて、2粒ほど足りないという。普通は52~56粒なのだそうだ。
「2粒少なくても大丈夫ですが」、とのことだったけど、絶対にあるはずだから「もう一度探して持ってきます」ということで、帰ってからクローゼットの衣装ケースなどを全部取り出して、結局大掃除になった。
そうだった。Sさんは、几帳面な人だった。
「ちゃんと掃除して探しなさい」と、亡くなっても意見してくれているような気がした。
案の定、遠いすみっこに埃にまみれて、2粒ころがっていた。
直したネックレスをするたびに思い出すだろうなあ。あの時つなぎ直したと。
きちんと最後の思い出を残して何処までも几帳面な人だ。



年賀状

2019-12-19 | 暮らし

年に一度、懐かしい方や無沙汰を詫びながらひとことを添えて出す賀状。

会社人生は終わっても、なかなか自分から止められなくて続いていたり、一緒に仕事をしていて本当に仲良くなって続いている友達。長い間に多くの人との交流があって流れていく。同級生に手書きで一生懸命書いていた昔、今はパソコンで表も裏もプリントしてしまうが、必ず一言を添えようと思いながら一年を振り返る。

喪中のはがきが届くと、どなたが亡くなったか分からない文面の時は慌てる。失礼がなかったか、知らないまま過ごしてしまった詫びを入れると、実家のほうの兄弟とか、最近は喪中の範囲が広がっている気がする。それは、その人その人の心持なので、決まりはないと思う。

さて、辛いのは賀状を書き終えた後に届く訃報である。

「今年もいろいろお世話になりました。来年もよろしくね。」文面はありきたりだが、本当にその通りの友達の旦那さんが突然亡くなった。旦那さんも同級生だ。

突然の知らせに驚いた。仕事が終わってから友達と一緒に悔やみに行った。

Sさんには、弓道部でもないのに、毎年大会の前に射礼の張り紙をお願いしに行った。そのうち、「五段しか書いてないけど、なんたらいうのつかんのか?」と、指摘するようになった。「介添で、まだ称号がついてないんや」そんな会話を思い出した。

几帳面な人で、8年前の同窓会で一緒に事務局をしたが、殆ど彼に任せきりで、わたしは役員会に顔を出しては、美味しいお酒を飲んでいた。なので当日の司会を任されたときは断れなかったが、その原稿が細部にまでわたってすごいのである。間の取り方も時間も書いてあり、盛り上がらなかった時のセリフも書いてある。その後、役員の打ち上げで、役員全部に名前入りのファイルを渡してくれて、その表紙の裏に各自のメッセージが入っていた。それもさりげなくである。

会計のKちゃんが「メッセージ入っとるの見た?」と、言ってくれて、そこには、司会をほめてくれて「自分の目に狂いはなかった。頼んでよかった」と、ほめてくれていて嬉しかった。実は、細部のセリフは殆ど無視して、適当に流したところがあったのに。

改めて、出せなくなった年賀状を抜いて、残されたTちゃんに、なんの慰めのことばも見つからないまま、ただ泣くしかない。日薬という言葉はあるけれど、それは2年でも3年でも後に、自分がそうだなあと感じたときに思うことで、今の衝撃はどんなことばも太刀打ちできないことを知っている。自分があの時そうだったように。
あの時ただ、友達が来てくれたことが嬉しかった。
顔を見て一緒に泣くだけしか出来ないのだ。
それでも、残された人のそばにいてあげたい。

春になって桜の花を見ただけでも泣けてくる。それを何年も乗り越えながら、少しずつ癒えるのを待つしかないよねえ。と、それも今言う言葉ではない気がする。
最愛の人を亡くした時は、ただひたすらご冥福をお祈りするしかなくて、それを受け入れるしかなくて悲しい。


いだてん 最終回

2019-12-15 | 暮らし
宮藤勘九郎は裏切らない。
最後にすべての出来事が、ジャーンとつながる。

そして、ラストに金栗四三の本物の映像が感動を呼ぶ。
1912年のストックホルムオリンピックに日本が初めて出場して、途中熱中症とコース間違いで棄権となった金栗四三が、棄権の意思が運営側に届いていなかったため「消えた日本人」として行方不明扱いとなっていたので、ストックホルムからゴールを要請してきた。1967年ストックホルム大会55周年を記念する式典に招待されたのである。
そして、54年8ケ月6日5時間32分20秒3という記録で、ゴールした。
76歳の金栗四三の本物の映像が出て、またまた泣けた。
「実に長い道のりでした。走っている間に妻をめとり、6人の子と10人の孫が生まれました」(金栗四三)

マラソンに一生を捧げた金栗と、オリンピックを日本で開催させることに尽力した田畑政治。後半は特に田畑の「~じゃんねぇ」が、耳に残って、日常で使ってしまいっそうだった。
久しぶりに大河ドラマを通して観た。好みの問題だろうが、クドカンも好きだし、落語も好きだし、阿部サダヲも面白いし、最後にはブルーインパルスも成功したし、東洋の魔女も登場したし、裏話も満載で楽しかった。戦争が絡んできたところは泣けたし、本当に多くの人が関わったオリンピックを毎週観ることが出来ておもしろかった。
夫も、北野たけしや落語が好きなので、生きていたらきっと一緒に観ていただろうと思う。

何はともあれ、来年のオリンピックが成功しますように。

報恩講

2019-12-14 | 暮らし

12月になると報恩講がある。母がひとりなので心許ないので手伝いに行ったが、仏壇は母がきれいにしていて、花やろうそくも用意してあった。叔母がお菓子を用意してくれて、当日に住職をお迎えしてお茶を出し、少しご挨拶するだけで終わった。「いつも、おじいさんが、あの椅子に座っておられましたね。具合はどうですか?」1年に一度のご挨拶で、年々移り変わる様子をよくご存じだった。

さて、我が家も舅がいつも仏壇をきれいにしていて、その後は夫が引き継ぎ、婆さん・・と、年寄りが仏壇の世話をするものだと思っていたが、ついに姑が90歳になったので放棄した。耕運機で畑を耕し、かくしゃくとしているので年を忘れていたが、ついに90歳の誕生日を迎え決心したらしい。

さて、仏壇の中から全部出して、ひとつひとつ拭いて元へ戻すとき、あらら・・どうだったっけ?と、考えなくてはならなかった。出すときに、上段、中段と、きちんと並べれば良かったのに、わたしらしく考えなしに広げたのがいけない。

たぶんこうだろうと並べたが、今やネットで調べられる。
本願寺派西。・・だいたいよろしい。
湿気のせいか意外と汚れがあったりする。仏壇と神棚は男の仕事と言われ、実は姑も殆ど触ったことがなく、ふたりで、後は住職に直してもらおうという結果になった。住職は同級生で、わたしが嫁に来てからずっとの付き合いである。

檀家は町内に40件ほどあり、係の人が案内をする。我が家は午後一番で、すぐに終わり「いつもおじいちゃんのいるときは、必ず休ませてもらっとったねえ」と、言いながら次のお宅へ。
そういえば、必ずコーヒーを出して、いきなり袈裟を脱いでトイレへ行ったりしていたなあと思い出した。今ではお坊さんも忙しいのである。お茶菓子は「お菓子代」として包んで、お布施と一緒に出すという塩梅だ。
楽といえば楽なんだろうけれど、それでも年に一度の報恩講は大切な行事である。もうひとつは、仏間の掃除をこの日までに終わらせるという意味で、なかなか掃除に腰のあがらない私にとっては大切な行事なのである。座敷の窓も大急ぎで拭き上げたし、これで晦日が迎えられる。


日本山岳会年次晩餐会

2019-12-13 | 山歩き

日本山岳会のメンバーである職場のOさんは、年次晩餐会へ毎年出席している。

今年は12月7日に行われ、その時のようすを動画で見せてもらった。

天皇陛下がご臨席のようす。新宿京王プラザ。約500名出席の会であり、天皇陛下は皇太子の時に日本山岳会の会員になられ、会員番号は10001番。

趣味の登山ということで、私的行事に参加された。「すごいねえ、天皇陛下と一堂に会して・・一緒にその時を過ごして、同じものを食べて・・・」

天皇陛下と晩餐を共にするなど考えられないのである。よほどの功績を残して、園遊会に呼ばれでもしない限りは。ましてや、即位の儀の後の華々しい晩餐会をみるにつけ、一国民が同じテーブルで食事するなど恐れ多い。そのことを実現された陛下は素晴らしい。「日本山岳会に入会して、天皇陛下と晩餐会を共にしよう」と、いう動機はだめである。

この山岳会に入会するには、日本山岳会のそれなりの方の推薦が必要らしいそうだ。先輩は誰でもなれるといわれるが、敷居が高い。登山というのは、雪山、岩登り、沢登りを平気でやれる人のことをいう。わたしたちのは、ハイキングである。大人の遠足。

それにしても、天皇陛下は国民と寄り添うという意味で、過去にはなかった私的行事への参加をされた。皇太子時代にも参加されていたそうだが、天皇陛下になられたら難しいのではと思っていただけに会は盛り上がったようす。

当然のことながら、ちゃんと年会費をいただいている。

全く関係ないが、その晩餐会の日12月7日は、加賀市の雅子さまは誕生日だったので、娘夫婦や孫たちと片山津の居酒屋で一堂に会していた。


遠き山に日は落ちて

2019-12-12 | 暮らし
ドボルザークの新世界の曲である「遠き山に日は落ちて♪」を聴くと、よけいに秋が深まった気がする。
秋も深まると食べ物が美味しい。夏と違って、温かいものを食べることができるのは幸せだ。
おまけにボージョレヌーボーを戴いて、ついでにケーキを買ってきて、健康であることに感謝しながら食べた。
クレープの層になったケーキは、ワインに合うのだと知った。



瞬く間に師走になって、相変わらず忙しい。しかし、忙しいこともありがたいのかもしれない。のんびり一日を過ごしたいと思いながら、じっとしていることが出来なくなっている。こういうのを貧乏性というのかもしれない。






抗がん剤の後遺症

2019-12-10 | 身体
大腸がんを患った同級生のKさんが、わたしたちの弓道協会に入ってくれた。
抗がん剤の後遺症で、指先がしびれているという。
わたしに「しびれは治った?」と、尋ねた。彼はがん治療後2年経った。
わたしは、もう7年も経ったので、指先のしびれは卒業したつもりでいた。
左手の指先がいつまでもしびれていることは、別の理由だと思っていた。
下手な弓を引くと、力が入って左手のひら全体が翌朝にしびれいているので、そのせいだと思っていた。
でも、指先は熱いものに触っても感じないので、もしかして、あの時からしびれたままなのか。

慣れると、そのことが苦にならなくなる。それに、不自由なことでもないので、あまり気にしていなかった。
抗がん剤治療は、3週間に1回、それを6回繰り返す。
Kさんに、「体験した者でないと分からんよねー。」と、言われたとき、遠い記憶になっていることに気づいた。
そういえば、回を重ねるたびに歩けなくなっている高齢の方がいた。
その方は歩行器に頼らなくてはならなかった。たぶん個人差があるのだと思う。

しびれがとれないかと、以前脳神経外科に通ったことがあった。何か月か薬を飲んだが改善されず、弓を引くからか、抗がん剤のせいもあるのかを、先生に打ち明けたら、関係ないとそっけなく言われ、その後もう通うのを止めた。
どちらも関係ないとすれば、年齢のせいにされそうだったからだ。たぶん治らないのだろうと思う。

時々、肩をぐるぐる回しておしまいにする。そのうち、自分もおしまいになるので、この程度なら生きていけそうだし、普段の生活には支障がない。
けれど、山へ行くとストックの手に力が入るせいか、がんがんにしびれてくる。
やはり、力の入れ過ぎなのか。だんだん原因が分かってきた。下手な弓と、腕で登ろうとする登山にあるのかもしれない。




メソークソスマス

2019-12-09 | 暮らし

毎年誕生日の頃に、インドのバルウさんからクリスマスと誕生カードが届く。

もう30年ほど続いているのだが、わたしの英語力もあがらないし、彼の日本語もあまり変わらない。それでも、毎年カードをやりとりしている。
「おたんじょうびです。あらかじめおめでとうございます。」と、いうのとカタカナで「メソークソシマス」と、なっていて、うーん惜しい。
日本語は難しいと思う。カタカナ、漢字、ひらがな。
前に仕事で、日系2世のブラジルの人と仕事をしたことがあった。カタカナの「リと、ソと、ンは難しい。」曽根さんが、「んねさん」になったり、「りねさん」になったりした。
リタという子がいた。ソタとなった。なかなか違いが分からず難儀していた。
わたしたちが、アラビア語やヘブライ語などが読めないように、外国人にとっては、日本語は難解ではなかろうか。
それでも元気でおめでとうを言い合えるのはいいね。





白雪姫とシンデレラ

2019-12-06 | 暮らし
孫娘が泊りに来るというので、100均で買った「白雪姫」の、DVDを一緒に観た。
安いので話がどの程度なのか、画像はどうかと思ったが、100均でもじゅうぶん楽しめた。100均もあなどれない。

しかし、nanaは白雪姫の継母が魔法を使うところが「こわ~い」と、言っていたが。

シンデレラも、白雪姫も継母にいじめられ、家事の一切を押し付けられる。
特に、ぼろぼろの服を着て掃除をしている場面がある。
娘にしみじみと言った。「じつは、おかあさんは料理は好きやけど、掃除はあまり好きじゃないんや。何でか分かった気がする。いじめられてするのが掃除やん。小学校の時なんて罰そうじ‥なんて言葉があったしね」
「おい!?」と、娘は絶句。
そうか、わたしはシンデレラでも、白雪姫でもない。単なるずぼらである。
寒くなってきたねえ。汚れ死ぬことはない・・・・。
美味しいもの食べよー。