まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

新春祝賀会

2010-01-31 | 弓道
1/30土曜日、金沢都ホテルにて、平成21年度に昇段、昇格、全国大会入賞の方々の祝賀会があった。
今回はかつてない、7段昇段の先生方が4人もいたこと。
また、森嘉朗さんがみえたことも、かつてない出来事のひとつだ。
祝賀される方々を真ん中に推し進め、森氏は末席に立たれ「故 森秋子さん」の、六段昇段と錬士昇格の花束と記念品を、石川県弓道連盟より贈呈された。
森秋子さんは、森嘉郎氏のおかあさんである。
根上町で70才過ぎてから弓道をされていた。
今年の正月に亡くなられたので、息子である森さんが代わりに祝賀会へいらしたわけだ。
ご苦労なされたおかあさんが、亡くなる前の10年は、本当に楽しく弓道をされていたとのお話。
いつも、射場へ弓と杖を持って入られ、杖を下に置いて弓を引いていた姿を思い出す。
年をとっても出来るとはいえ、なかなかの気力だと思う。
いつも、その姿に頭が下がった。
何回かお話をしたが、大変謙虚な方だった。
私たちは選挙で風に煽られてどこへでも飛んでいってしまうが、おかあさんは旦那様の町長選から亡くなるまで選挙から切れなかったのだ。

年を重ねて弓を引いておられる先生方は、やはり射に味わいがある。
亡くなられた、北山会長も90才過ぎてもなお的に中てると、その1本1本が命がけのように思えたし、感動の1射だった。

今回、金屏風の前に並んだ先生方に祝福の乾杯と、せっかく後に続く道を拓いたくださったのだから、続かなくてはならないという気持ちも湧いてきた。

目標という山を、アイガー北壁登頂のように自身に厳しく、険しい登り方で早く到達される方もいれば、わたしのように緩やかな方を、花を愛でながら休憩しながら、ちょいと食事などもしながら登るようなのんびりもいる。
けれど、そろそろ時間が迫ってきましたよという感がする。
休んでいる場合ではないと張り切ると、膝が痛くて登れないというような目に遭うのだ。
生涯スポーツというように、これは行ける所まで行かなくてはと新たな決心に変わった。

トレーニングルーム 完成

2010-01-29 | 暮らし


嫁に行った娘の部屋が空いたので、みんなして物置にしてしまった。
ミシンを放り込む、旅行鞄を放り込む。
豚小屋のようになってしまった。
主人に言わすと
「まあ、豚が住んでいると思えばいい」という。
豚(とん)でもない話だ。
忙しさにかまけ、片付けの度に、この部屋へ入れていたことを反省した。

しかし、足の踏み場がない。
布ぞうりも製作休止だし、広げた布は仕舞い込む。
主人と団結して、before afterを、実施することにした。
やや、強制ではあるが。

半日掛けて片付き、小屋にしまいこんであったダンベルを再び登場させ、トレーニングルームにした。
でも、トレーナーもいない、生半可なトレーニングは、身体に危険かもしれないと思い留まり、読書ルームにすることにした。
学生時代からそうだが、参考書を手に入れると勉強した気になる。
トレーニングルームができたら、それだけで運動した気になるというのは危険だ。



読書の合間に、眠気覚ましの足ふみや、ダンベルということで、落ち着いた。
もちろん、ルームにゴム弓は欠かせない。
鏡もあるので、鏡を見ながらゴム弓を引いて離したら、頬にゴムがばちっと当たった。
未来を暗示する出来事だった。


ネックウォーマー

2010-01-24 | 暮らし
嫁に行った娘がミシンにはまっている。
次から次と製作し、弁当袋、子供の下着、トレーナー、わたしの普段着・・と、バージョンアップしてきた。
妖怪「1反木綿」に憑りつかれているみたいねというと、否定しなかった。
次には、もっと綺麗に仕上がるロックミシンも欲しい様子。

わたしの誕生日に手作りのネックウォーマーを贈ってくれた。
これはマフラーと違って家事をしていても邪魔にならないし、温かい。
内側は毛の生地で、ちゃんとタグまでついている。
大変重宝で、主人に自慢したら
「なんで、わしにも、もらえんのやろ」と、言う。
間髪を入れずに
「おとうさん、首ないやろ」と、言う一撃に主人はうなだれた。
いつも、首が短い、肩にネクタイしている・・と、言っているので、自覚している様子。
しかし、娘にはおとうさんのネックウォーマーを作らないように言っておかなくてはならない。
なぜなら、作ったら、もっと悲惨な目に遭いそうだからだ。
首がない上に、頭がでかい。
すっぽり被るタイプは、首に来るまでに伸びきってしまう。
そして、肩掛けになってしまう。

残念だが、主人には誕生日に貰えるかもと、言っておこう。
そのうち、きっと忘れるだろう。
主人の誕生日は、3月末なのでだんだん温かくなるし、ウォーマーの必要がなくなるからだ。
この妻の愛情のこもった配慮に主人は気付いていない。



火中の栗なんぞ拾わニャァぞ

2010-01-24 | 暮らし



先日、猿にだまされて火中の栗を拾うのは猫だという話しをしたが、基本的に猫は他人のために火中の栗なんぞ拾わないと思う。
特に、我が家の愛猫はだまされても、そんなことはしない。

床暖房がきいているので、どこにでも無防備に寝る。
誰の命令も聞かない。
人のために、犠牲になろうなどとは到底思わない。
ご飯が欲しいときは、黙って皿の前に座っている。
ニャアとも言わずに皿の前にいるのは、
必ず誰かが気づいて、エサを入れてくれるからだ。
けれど、他の部屋にいるときは、にゃあぁ(えさぁ)と、呼びに来る。
にゃゃゃゃゃゃ・・と、いう時は遊んで欲しくて、階段をだだだ・・と駆け上がる。



追いかけていくと、階段の踊り場で待ち伏せしていて、あがっていくわたしの肩をポンとたたいて、ここまでおいでというふうに、2階の手すりまで駆け上がる。
うちの婆さんは、絶対に人間の言葉を分かっていると言ってきかない。
わたしも、多少は分かっていると思うが、婆さんほど強烈に思い込んではいないが、鳴き方で分かることがある。
こういうのを、周りから見ると五十歩百歩というのだろう。

最近、この愛猫チョムは、止血異常と思われる。
ずっと、血が出ていて止まらないのだ。
何回か医者に診てもらっても、原因も治療法もいまひとつ。
岐阜の大学病院へ行って血管の検査をしなくては分からないとのこと。
前に、尿道の手術をして15万円かかったので、やはり、躊躇する。
もうしばらく様子をみよう。前にも、血が出ていたけど止ったし・・と、思いながらも3ヶ月以上経ってしまった。
我が家のみんなが困っているのに、当の本人(正確には本猫)は、食欲もあるし、自由にしている。
何とかして、治らないものかと家族一丸となって、雑巾片手に祈っているのだが。

称号者講習会 余談

2010-01-16 | 弓道
昼は円陣をかいて食事。
室内の道場とはいえ、外は雪なので寒い。

ちょうど、石井先生の前に食後のお菓子を置きに行き挨拶すると先生は突然
「留辺蘂視察に行ったの?ブログしてるでしょう。」
と、尋ねられた。
「は・・い。」
「北見の会長○井さんお勧めの店へ行って、美味しかったというのを読んで、北海道の仲間が喜んでくれたそうですよ」
とのこと。
「ありがとうございます。」
それ以上深い話はしなかったけれど、このブログに尋ねてくれた方が、話してくれたとすると嬉しい。

石井先生は、解剖学的に理論的に指導の中で話をされる。
今日は、手伝いなので廊下で門前の小僧よろしく聞いていたが、全く分からない。
当然である。みんな講習会費を払っているのだ。
廊下で立ち見で聞きかじってもダメだ。
「大円筋と小円筋の働きと小円筋で弓を引くこと」
「矢のりは矢に気持ちを乗せること」

結局、確実に分かったことは
豚汁を作っても弓はうまくならないと言うことだ。

称号者講習会

2010-01-16 | 弓道
豚汁を作るために、朝からごぼうを切ったり、ジャガイモをむいたりしていた。
今日は、ごみの日なので、途中に車でごみを出しに行ったら、雪の中で動きがとれなくなった。
バックしようとして、雪に突っ込んでしまったのだ。
スコップとぼろ布を取りに帰り、近所の兄さんに押してもらい脱出。
しかし、講習会の開始時間には行けない。
手伝いの人に材料を切っていくので、遅れる旨を伝える。
鍋ふたつ。材料の袋。カセットのガス。発砲スチロールの器。
とにかく、持ち物の多いこと。
ようやく道場に運び込んだ。
なぜ加賀の弓道場は三階なのだと、こんなとき思う。

石川県の称号者すなわち先生方が集まり、千葉の石井先生の講習を受ける。
今回は欠席し、お手伝いに回ったが、顔なじみの皆さんが、昼の豚汁を喜んでくれて
「ありがとう」と、言われるのは嬉しいものだ。
みやちゃんが、何で今日は引かないのかと言うので
「わたしが、弓を引いても誰も喜ばないけど、豚汁を作れば喜んでもらえる。」
と、いうとそばにいた○田さんは、
「それなら、わたしは明日、シチュー作ろうか・・」
と、言っていた。
大鍋ふたつは31名で、完食。
40名分ほど作ったつもりだが、具が少なく思えた。
朝車を雪に突っ込んでいなければ、もっと材料を刻めたと思うと、少々残念だ。

約一畳程の給湯室で、コンロをふたつ使って、警報装置がならないか心配していた。
途中で、RYOさんが
「これ、楽しみにしてきたんや」と、嬉しい言葉。
それと、審判控え室に先生の弓があることを心配してくれた。
湯気が流れて湿気で弓が傷むかもと。
気付いてよかった。先生に断って弓を移動させる。
こういう心遣いも大切だが、そのことに気付かず鍋ばかり気にしていたことが恥ずかしい。

くろさんは、「また日本海マラソン走るわ」と、言っていた。
ここで、県下一円の皆様と初顔合わせは、また嬉しい。
今年も、皆様昇段昇格されますように。

お天気は?

2010-01-15 | 暮らし
広島の営業マンいーさんより電話。
い「雪どう?」
ま「30センチ位積もりましたけど、今は落ち着いてます」
い「かちかちかねー」
ま「少し陽が照って、びちょびちょ」
い「空は?」
ま「どんより」
い「下はびちょびちょ。上はどんより。北陸の冬は、くらいけーね」
ま「ほんとに、人格形成に影響しますよ。」
い「あなたは、影響受けとらんじゃろ」
ま「そうですね。混血ですから」
い「なんの混血ねー」
  ぎゃはは。
やっぱ影響受けとらんわ。
しかし、雪は積もった。

たった独りの引き揚げ隊

2010-01-15 | 読書
本を読むと、これは映画になるとどうだろうと考える。
是非、映画で観たいと思えるものが出てくる。

「たった独りの引き揚げ隊」を、読み終えてドキュメンタリー映画を観た感じがした。
きっと、そのうち映画になる気がする。
10歳の少年が満州1000キロを、たったひとりで日本へ帰る話だ。
父は日本人。母はロシア人で、祖父はコサックだった。
コサックとは、コサックダンスしか知らなかったが、もともとは近衛兵で騎兵隊だった。
その祖父の影響を受けたことが、彼の命を救ったのだと思える。
久々に、一挙読みした。

余談だが、「沈まぬ太陽」(全5巻)も、何年も前に読んで、
それを読んだ友達と、恩地君は渡瀬恒彦がいいよねーと、言い合っていたが、
渡辺謙が恩地君をすることになった。
そうだよね。あれから、何年も経ったから、渡瀬さんは定年の年じゃん。
しかし、今この時期にこの映画か・・と、思ってしまう。
日本航空・・。

「蒼穹の昴」(全4巻)も、浅田次郎の本を読んだとき、
面白くて、眠れないほどだったが、壮大過ぎてドラマ化は難しいと思っていた。
ところが、BSで始まった。
田中裕子が西太后をしている。

困る。
坂の上・・が終わり、坂本竜馬が始まり、蒼穹・・と、きたら
TV漬けだ。
作るほうは、みんなの興味をそそるものを作るので、
わたしのようなミーハーを落とすのは簡単だ。

しかし、「アルジャーノンに花束を」は、小説で感動の涙だったのに、映画は、ここまでダサイかという仕上がりで残念だった。
いつも、良いとは限らない。



初射会

2010-01-11 | 弓道
日曜は、初射会があった。
お正月の練習不足のせいではなく、もともとの力のなさがでた。
色的で点数制で競うので、番狂わせもある。
しかし、中たりがなくては番狂わせもない。
皆の一品持ち寄りで、昼ごはんを食べた後に、余興で風船や白扇、金的を射る。
娘は、初めて袴をはいてデビュー。
風船を割り、お年玉をゲット。
わたしは、色的はだめだったが、白扇を2本ゲット。

ぜんざいの用意をしてきた人、お重にきんぴらやぜんまいをぎっしり持ってきてくれた人、フルーツ、漬物、チーズケーキ・・・みんななかなかの腕前。
わたしは、腕に自信がないので、大きな鍋を持っていき、婆さんの畑の収穫で、具沢山豚汁の用意をした。
23名が、お代わりもしてくれて、完食。

弓の腕は認めてもらえなかったが、豚汁つくりの腕は買われて、土曜に加賀市で行われる講習会で、披露せよとの命を受けた。
2日間の講習があるが、日曜は結納返しと結婚式の試食会があるので欠席にしたのに、土曜に顔を出すことになった。

来られる皆様。乞うご期待。
そのかわり、食した方は私たち夫婦にご指導ご鞭撻を。
しかし、40人分ほど、うまく出来るかなあ・・。

紅白 小林幸子の衣裳

2010-01-10 | 暮らし
今更ですが、今年の(違った昨年の)紅白歌合戦は、娘や孫たちと観た。
近年は殆ど観ていなかったが、皆が集うとやはり楽しい。

盛り上がったのは、小林幸子の衣裳だ。
舞台装置と言った方がよいかも。
春に結婚する娘が
「この衣裳、○さんの会社で作った布が使われている」と、
いきなり言ったので、どれどれ前の赤いふわっとした布か・・。
ほんの少し前に垂れているな・・これだけなのかもと、みんなで言い合う。
ところが、みるみるうちに例によって膨れあがり、赤い布は一面に広がった。
我が家では全員が「おおっ!」と、歓声をあげた。
そして、全員小林幸子が何を歌っていたのか、全然分かっていない。

小林幸子の衣裳に使われたのは世界一薄い布であるらしい。
加賀市は昔から織物がさかんだったが、殆ど中国や他の大手メーカーにとられ、今では少なくなってしまった。
彼のところは、唯一0A機器や家電に使われる特殊の繊維に目をつけた製造工場であるとのこと。

ご覧になれなかった方は、youtube.comで、どうぞ。
この小林幸子の衣裳用布は50mお買い上げ。
但し、他に需要はないらしい。
天の羽衣のような布だ。
うーん、身にまとってみたい。
少し残ってないかな。何にするんだっ!!

社長訓示

2010-01-09 | 仕事
新年の社長のご挨拶。
直接聞けると伝わり方が違うと思うが、役員の代読で伝えられた。

今年も厳しい年になるであろう、敢て火中の栗を拾うように。
リスクを犯してでも前へ進め。傍観者や批判者になるな。

代読ではあったが緊張感はある。日頃の仕事からも伝わるからだ。
で、火中の栗を拾うというのはよい意味ではない。
実際は、他人の利益のために敢て危険を冒して火傷すると言う意味。
しかし、火傷をしてでも栗を拾って来い。が、本位なのである。
で、考えた。バーベキュー用のトングと、顔に火傷をしないために溶接用のマスク。
これでいこう。
わたしの方針は決まった。
営業の一端を担っているのだという意識を持ち、トングは人の手、いわゆる人脈。
マスクは、不愉快な場面でも、面倒な要求でも、最高の笑顔と言うマスク。
これをもって今年の仕事の取り組みをする。
注文を逃すな。で、ある。

しかし、トングが人の手であれば、火中の栗を拾わせることになる。
やはり、自分の手は火の中には入れたくないものだ。
うーん。名案と思ったのに今年も浅知恵で始まってしまった。

坂の上の雲 その3

2010-01-08 | 読書
書店についに並んだ「坂の上の雲」は、全8巻だった。

家にある本は1980年9月 8刷 字が細かいので7巻で収まっている。
実は、読みづらい。
文章も、流し読みする内容ではない。
しかし、面白い。しっかり読んでいくと、本当に広がっていく。

秋山好古が、フランス留学していたとき、
老教官が
「アキヤマ、君の国には名将がいるか」と、聞くくだりがある。

「あるゆる分野を通じてもっとも得がたい才能というのは、司令官の才能だ」
という。これだけは教育によってつくれない。

老教官はー騎兵は無用の長物という。
古来、その特性どおりにつかわれた例は、中世以後、四人の天才だけだ。
 モンゴルのジンギスカン
 プロシャのフレデリック大王
 フランスのナポレオン一世
 プロシャの参謀総長モルトケ
それに対し、好古は
 源義経の鵯越と屋島における戦法
 織田信長の桶狭間合戦を語る。

このくだりが面白かった。TVにはない。

要は最高司令官が天才であるかないかではなく、一兵卒の中から将軍を掘り起こす才能ほど天賦のものはないと。
国家は一定の教育課程を経たものを将軍にするが、戦争の役には立たない。

教育と経験と才能と目指すものが確定しているかどうかだろうか。

頭の中に、ちらちらと会社の偉い人がくるくる回って過ぎていった。


山小屋 拓庵

2010-01-05 | 暮らし
三日の日は実家へ行った。
弟家族が来ているので孫を連れて行くと、父の作った名づけて「拓庵」(開拓の拓である)という山小屋で、火を囲んでいた。
ちなみに、短歌を作るときは「拓山」(たくざん)という。

ちょうど焼き芋が出来たところで、小屋に到着した。
食すると最高に旨い。
孫は「おいしいねぇ」と、喜び、ぎんなんを勧められると
「実は、ぎんなんはたくさん食べると鼻血がでるんや・・」と、言う。
実は・・などと、誰に習ったのか。
帰りの車では、しきりに
「愛ちゃんはかわいいねぇ。kouは愛ちゃん大好き」といっていた。
3才にして初恋か。
チャイルドシートに埋もれて、頬を紅潮させていた。
家では爺婆ばかりなので、小学生くらいの女の子は魅力なのだ。
まあ、深い意味はない。
焼き芋を黙ってくれるし、粘土遊びも一緒にしてくれる。
何より、うちのばあばたちのように騒がしくない。
静かに上品に遊んでくれる。
そういえば、わたしも、昔はこの家で皇室の妃殿下のように静かに遊んでいたのだ。
嫁に来てから、少し変わってしまった。

弟は45才にして大叔父という位置づけに、少々戸惑っていたようす。

なにはともあれ、山小屋のひとときは楽しかった。
火を囲むというのは良いものだ。


おめでとうっ。

2010-01-04 | 暮らし
あけましておめでとうございます。
今年は門松を作りました。
わたしの発案で、大晦日に旦那と竹を切りに実家まで行き、南天をゲットして、ホームセンターで、菰270円、シュロ縄230円。
花屋で銀の柳を買って締めて1200円の制作費。

製作するにあたり最後に南天を飾るときに、切り取って忘れてきたことを思い出しました。
最近忘れっぽいのが難点(南天)です。さぶい。

今年も、何の欲もなく、無事を願って過ごします。
目標は例年通りなので、あえて申し述べません。