まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

秋の草刈

2023-09-22 | 暮らし
夏の間、全く草を刈る気になれなかった。
36℃とか39℃とか異常な中でも、草は平気で伸びていた。


雨が降り雲で覆われた休みの朝、今行かなくては!!
しかし、どんどん暑くなり日中30℃以上にはなったような気がする。
汗が止めどもなく流れる。
ほんの少しでも花が咲けばいいと思って撒いたコスモスが伸びてきた。
バッテリーが切れて出直して再び刈ったが、またバッテリーが持たなくて、弟から借りて続いて刈るが、汗だくだ。
途中、車に避難してアクエリアスをごくごく飲んで、再度挑戦。


挿し木して3年越しのアジサイが少し伸びていた。
土が悪いせいか花も咲かない。油粕を撒いてみた。
庭と違ってやせた土地なので難しいかもしれない。
ただ草を刈るだけでは張り合いがないので、何か少しでも咲けばいいなと思うが、そう簡単にはいかないだろう。
雨が降ると、水たまりがたくさんでき水はけが悪い。






以前よりバッテリーが早く減る気がするので弟に相談したら、刃先がとれてしまっていっるので、その分切れ味が悪くなっているのではないかと。



とりあえず全面完了。


収穫祭

2023-09-18 | 暮らし
町内の祭りが行われた。
昨年、3年ぶりの行われたが、獅子は町の角、角で舞っていた。

今年は本格的に青年団の若者が早朝から町内170件ほど、各戸の玄関先で獅子を舞う。

夜の神社の境内は大賑わいだった。
収穫祭のはずだが、暑いので夏まつりのようだ。


ビンゴ大会。


夜、8時ころ全戸を回り終えた獅子が戻り、神社で最後の舞を披露する。





子供たちは順番に頭をガブガブしてもらっていた。


昔は踊りもたっていたのだが、今は婦人会も青年団も少なくなって、お囃子をする人もいなくなったので誰も踊り手はいない。
隣町も祭りなので、青年団がお互いの祭りに顔を出して激しく踊っていたのは大昔のこと‥という感じがする。
うちの婆さんは、浴衣姿が粋で踊りもうまかったので、家で習って一緒に踊ったのは、何十年前のこと。
三味線を抱えてお囃子にきてくれていたN氏は弓道を習いに来ていた。
同じひくでも、引くと弾くは大違い。
「楽器は弾くとみんなが喜ぶからいいですね」
熱心に弓を引いていたN氏は殿より一足先に他界した。
今頃、あの世でも踊りの輪がたっているのだろうか。
あの世も暑いのだろうか?
この世は、暑すぎてこの世とは思えない。



和倉温泉 祝勝会の巻

2023-09-12 | 弓道
能登島のあちこちに百日紅の花が満開だった。
道場でも、百日紅と斑入りのススキが生けられていてきれいだった。
さて、道場を後にして、能登島大橋を渡り、和倉温泉へ。
ビジネスホテル5400円。
道具を置いて、いざ和倉温泉の総湯へGO。
ホテルで割引券を買う。450円。
裏の駐車場からの入り口。
汗をかいたせいか、洗っても洗ってもしょっぱい湯が。
あ、海の温泉だから塩が混ざっているのだった。


正面からの総湯。



一旦、ホテルへ洗濯物を置いて、今度は3人でテクテクと総湯近くまで歩いた。外は、30℃以上はありそうな、もわっとした夕暮れ。
『白木屋』という居酒屋で、祝勝会だ。
後1本をチームで入れる難しさを語り、昔のことを語り、己の力なさを語り。
久々の生ビール。猛暑はビールのためにある。
その後は、部屋でまたまたワイン少々。10時解散。


6時起床。裏を散歩。
ホテルの裏は海だ。海といっても入り江なので波静か。
和倉の地名は「湯の湧く浦(入り江)」から来たらしい。


われらが泊まったホテルが見える。α1ホテル。



みんなで、能登名物「竹内のみそまんじゅう」を、買ってのんびり帰る。
楽しい時をありがとう。


能登島武道館(立野)弓道大会

2023-09-11 | 弓道
石川県内の弓道場でも、行ったことのないところが多くある。
特に、能登のほうは遠いので無理をしないというだけの理由で出かけなかったが、長く弓を引いていると、だんだん声を掛け合う仲間が増えてくる。
特に、今年は県体で能登島のS子先生とお話ししていて、今年85歳になりました・・能登島も遊びにいらしてください。の言葉につい返事した。
行きます!!と。
昔、七尾での県体の時、能登島の民宿に泊まった時の、S子先生の旦那様のO先生からの舟盛のお刺身の差し入れが忘れられない。
試合前に、石崎奉灯祭りにも行った。みんなはぐれそうで、わたしは殿と手をつないでいた覚えがある。
しかし、能登島の弓道場へは行ったことがない。

さて、今回「第27回能登島武道館(立野)弓道場開設記念」に、行くことになった。Y先輩とTさんが行くというので、3人でチームが組める。
申し込んだ後で知ったのだが、男女別で団体の賞があるので、わたしが加わっても、男子の団体としては二人の成績の合計なので残念。
だが、能登旅行を兼ねる気分で、その日は和倉に泊まることにした。

朝、6時出発。途中コンビニに立ち寄り、里山街道をひた走り8時40分に到着。思ったより早く到着できた。
矢渡が始まる。
道場に車椅子のOさんが入場。
続いて第一介添が弓と矢を捧げて入場。
この時点で、胸が熱くなった。
車椅子を所定の場所にきちっと固定し、肌脱ぎ動作・・すべてを習いのごとく行う。たくさん稽古されたに違いない。
感動の矢渡だった。

控え場所が広くて、進行状況と動線が分かりやすく、きれいな道場だ。
わたしたちのチームは、わたしの成績は反映されないが、ふたりとも皆中を出し、YさんとTさんの合計で、2位タイで競射になった。
その競射に加われないのが残念だったが、準優勝出来てよかった。
もし、わたしの的中を加えても、1位タイで競射になり、果たして、競射でわたしが中てることが出来なければ、やはり結果は2位だと、変な予想をして納得していた。
後で、賞状と賞品をいただいた中に、わたしの分もあり恐縮。
賞品は3人分用意されていたのだった。




その後、個人戦でTさんが3位に入賞。
今夜は、和倉で当初の予定通り祝勝会を開くことになった。
大会前から祝勝会の予定があったのである。
控えの場所も、玄関も、とにかく暑かった。
34℃になっていて、一日中エアコンなしの日はなかったので、結構こたえた。
なので、最後まで進行したり、審判、記録とスタッフの方々はさぞかしお疲れのことだろう。
矢渡をされたOさんも、大会終了後も賞状の筆耕をされていた。
帰りは、玄関まで見送っていただき、S子先生が
「今では大橋があるからいいでしょう。昔は、弓を持って舟に乗ってい行きましたよ。」と、仰っしゃって故人であるO先生と、殿の回忌を数え、いつの間にか時の経っていたことにお互い驚きながら、元気でいられることに感謝して帰る。


能登島大橋を渡り、いざ和倉温泉へ。わくわく




小説の書き出し

2023-09-07 | 山歩き
泣けた。「汝、星のごとく」凪良ゆう
現代の問題を、ふたりの高校生から始まる物語で書き切ったと言える。
わたしは、文庫本は買うが、ハードカバーは買わない。
図書館で予約して読むことが多いのに、これは読みたくて衝動買いした。



きっかけは、ラジオから流れてきた「有名な小説の書き出し・・・」ということで話していたことから、書き出しで買わずにはいられなくなったのだ。

川端康成の「雪国」は「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。」
太宰治「走れメロス」は「メロスは激怒した。」
そうそう、そういえば、
わたしの少ない蔵書、書き出しで買ってしまうのは多い。
吉本ばなな「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」
なぜ言い切らないか、だと思う・・という、この辺が若かったわたしも憧れたのである。「キッチン」
小川洋子「彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、ルートと呼んだ。」これも泣けた小説で「博士の愛した数式」である。
さて、殿の蔵書、司馬遼太郎「坂の上の雲」は、「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。」こういうのは、衝動買いしない。
そこが、殿と私の違いだ。あとで、しみじみ読んで面白かったが。

ある夕ご飯の席のことだった。
「ばあちゃん、この2,3日ご飯ばっかりでおかずがないね」
俺がそう言うと、ばあちゃんはアハハハハハ・・と笑いながら、
「明日は、ご飯もないよ」と答えた。

即買いした「佐賀のがばいばぁちゃん」島田洋七

長々と引っ張りまして、それで今回の書き出しは?
「月に一度、わたしの夫は恋人に会いに行く。」
ひえ~、何だ何だ?
そして、驚く展開と、やられた~と思う収束。
さすがである。これが映画になったら絶対見に行く。
映画になるのか?




稲刈り

2023-09-05 | 暮らし
家の前の側溝の水が止まった。
これは農業用水であり、家庭排水はここへは流さないので、孫達がじゃぶじゃぶ入ってよく遊んだきれいな水である。
それが止まると稲刈りが始まる。


まさしく今だ。
台風も大雨もなく、ありがたいことだ。
人は、衣食住が満たされれば幸せなのだと思うが、どうもそうではないらしい。
収穫の喜びと、耕す希望がある農家の人と違って、何かを書いたり、描いたり、本を読んだりするのは、道楽者のすることだと母は言っていた。
昭和の初めに生まれ、小さいころから、たくさんの兄弟がいて、しばしも休まず働いてきた両親にとってはそうなのだ。

無駄なことが人の生き甲斐になっている。
世の中全体が、もったいないとか、SDGsとか企業が取り組んでいるが、役所からは、毎年変わらずたくさんのパンフレットやポスターが毎月のように配られ、催しをすることが仕事で、その結果、誰にも読まれない山と積まれた紙が古紙として出される。
どれだけの木を伐採したのだろう。しかし、経済は回らなくてはならないのでそのためにまたまた県民文化祭とかのパンフレットの上に、冊子まで送られてくる。
本当に、大切なものを守ることには目を背けている。


うちのまわりの田んぼも、休耕田が増えてきた。
知り合いの人も高齢で、「田んぼ辞めたわ」と、言っていた。


道楽者のすることという働き者の年寄りは、体を動かさないでお金儲けすることは罪悪のように言ったりする。
わたしなど、スポーツでさえ、前にも横にも後ろにも動かず楽しんでいるとは。
そうこうしているうちに、外の田んぼはすっかり刈り入れが終わってしまった。