木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

事件はすぐ隣にある

2019年06月05日 | Weblog

登戸無差別殺人の遠因は祖父母の世代から始まっている。
加害者の実父母の情報はマスコミには出てこないが、おそらく彼の父親も家族から疎外された存在ではなかったか。
人は無自覚に親になる。伯父夫妻が80代ということは兄弟が大勢いるなかで、実父は両親に愛されない子供だったのでは?
5,6人も子供がいると親と相性の良くない子もいる。理性ではわかっていても平等に愛することは普通の人間にはむつかしい。
最初に女の子が生まれ、年子でまた女の子が生まれたりすると下の子は割を食う場合がある。そうすると彼・彼女は自己主張強く親の気を引こうとする。当然だ。
顔が可愛かったり、頭が良かったりすると両親の愛がそちらに注がれる。継子いじめは童話の定番ではないか。
この世に生まれるということは何という理不尽なことであるか。
近所の床屋さんが愛されない邪魔者の加害者の様子を目撃している。
家全体が貧しいなら我慢もできるが、従妹たちはカリタス小学校に通っているのに加害者は公立校。祖父母もそれを気にする風でもなかったようだ。
このような不遇の子供時代を送った例は珍しくない。だから許されない事件ではあるが、時代の過酷さが彼に追い打ちをかけた。そのことを私達は考えるべきだ。
私自身は年の離れた末っ子に生まれ、おとなしい手のかからない子だったこともあり先回りしていろいろ用意してもらった。恵まれた境遇だった。だがそのことを自覚したのはごく最近、晩年になってからだ。それだからというわけではないが、母の最晩年の世話は私がした。介護というほどの大げさなものではないが。

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