6月になり我が家の周辺ではカッコウの鳴き声がしきりである。托卵の季節?が始まった。だが令和の始まりは恐ろしい事件と馬鹿馬鹿しい政治が同居し「暗澹たる時代」の始まりを予感させた。
人は誰にも自分が愛されない、必要とされない存在であることを否応なく自覚させられた時その人間存在を呪うことになる。
両親からも親族からも社会からも手を差し伸べられる体験を持たなかったような犯人の人生が想像される。よく51才まで生き永らえたと私には思える。
これ以上ない不幸な人生。彼だけではないだろう。彼はここまでの事件を引き起こして人々に我が身の不幸を突きつけたが、ここまで自己主張することなく死んでいった者はこの世に数限りなくいたはずだ。
恵まれた者と恵まれない者がこれほどはっきりと区別される世の中。明らかに今それは「政治の責任」として私たちは自覚しなくてはいけない。
籠池夫妻の罪と同じくらい安倍夫妻の罪は重いのにその自覚なく大相撲の桟敷席や宮中晩餐会に出席している。安倍昭惠の反知性の象徴のような顔は見たくない。
公の場からの一日も早い退場を願う。安倍夫妻の行く場所は籠池夫妻と選手交代の東京拘置所だ。容疑は公金と公権力の私物化だ。