木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

前の世代の責任

2017年07月15日 | Weblog

国鉄解体から30年がもたらしたもの
ルポライターの鎌田慧は言う。
「国鉄の分割・民営化とは改憲への道を掃き清めるための中曽根元首相らによる「完全犯罪」だった。そしてそれを許した結果が過労死や過労自殺が蔓延する財界の天下でもあったのではないかと」。すべては社会党と総評、国労潰しが目的だった。そして事実そうなった。大半の国民はそんなことは見抜けなかった。
錦の御旗となったのが「国鉄の赤字解消」だったが、債務は今東芝一社で抱える一兆七千億円に比べると回収可能な35億円。それも強引な新幹線建設によって発生したものだった。
国鉄解体は「行政改革」の名のもとに元大本営作戦参謀・瀬島隆三、財界労務担当とも言うべき亀井正夫(住友電工会長)、元満洲国政府高官ナンバー2・岸信介(安倍晋三の母方の祖父)、岸の意を体した元海軍将校・中曽根康弘(元首相)などによる右からの「国家改造」だったと鎌田氏。
それにマスコミが協力した。国鉄労働者が民間に比べていかに優遇されているか、それゆえに非効率であるかが連載記事となって新聞で報道された。
しかしよく考えてみれば国鉄労働者の働き方は労働者として目指すべき働き方であって、それでも民間に比べればというだけであって理想的な状態というわけでは決してなかった。だから国労は最強の労働組合として、労働組合の連合体である総評の中核を担う組合として労働運動だけでなく社会・政治運動の中心として政府・財界と対峙する存在であった。邪魔な国労を潰す戦略は権力を持つ側の周到な計画によって果たされ今の日本社会の状況に至るのである。
ブラック企業の横行、過労死、職場におけるいじめにパワハラ、挙げていけばきりがない社会の暗黒状況の進行である。総評に代わって労働組合の団体となった「連合」は「残業代ゼロ法」で妥協する段階に入りもはや労働者組合の代弁組織とは言えなくなった。
思えば労働組合は就職した若者の「社会勉強」の場であった。学校では積極的に教えることが避けられてきた労働者及び人間としての権利を知る場が組合であり、そこでの先輩労働者との交流だった。
今一番暴力的な新自由主義の犠牲になっているはずの若者の方が保守化し、安倍暴政を支持する割合が高いと言われている。悲しいことだが当然の帰結でもある。「自分の権利を学ぶ場を持っていないのだから」。
「週刊金曜日」の編集者が大学の先生に取材し「今の学生について感じることは」と聞いたところ、一人は「今の学生は優しい。不遇な人達に心を痛める気持ちは昔の学生よりずっと持っている。ただその元凶は何かと問う力は弱い」と言い、もう一人はズバリ「貧しくなった。学内の駐車場がかつては学生の車でいっぱいだった。今は見事にガラガラ」だと答えた。どちらも前の世代、特に今高齢者となった労働組合活動や資本の側に対抗する政治活動を担い支持して来た私たちの責任を問うている。

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