木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

理不尽な天皇制軍隊に個人で反逆した奥崎謙三と大西巨人

2022年04月08日 | Weblog

天皇制軍隊に個人で立ち向かった人
奥崎謙三氏は横井庄一氏と同様一兵卒であったが、東ニューギニア戦線で理不尽に上官によって銃殺された同僚の無念を晴らすべく、戦後彼らを尋ね責任と謝罪を求めた稀有の人である。
但し彼は戦後、争いの末相手を殺害してしまう罪を犯してしまった人ではある。それだけ気性の激しい人だ。
原一男という映画監督がその追及の旅をカメラで『ゆきゆきて神軍』というドキュメンタリー映画にした。劇場では見なかったがテレビでやっていたので見た。
戦後何事もなかったように暮らしていたかつての上官たちはまともに立ち向かうことはできず後ろをむくばかり。家族が警察を呼んだりして奥崎は何度も拘束されるが、具体的に何か罪を犯したわけではないので釈放されまた旅に出る。妻も同行してマイクを握ったりする。普段は自動車解体とかそんな仕事をしていたと思う。
奥崎氏は教育を受けた人ではないので文章は整ってはいないが『非国民奥崎健三は訴える』という書を出版している。
もう一人大西巨人。こちらは作家だ。戦争末期、島根だったか鳥取だったかの部隊に配属された大西は帝大出の知的エリートである。上官はそれを知っているので大西氏を目の敵にして「軍人勅諭」の暗唱を命じる。「頭の良いお前ならできるだろう」というわけだ。上官としては自分たちもそんなもの命令されてもなかなか覚えきれない。かつて自分が新兵だった時に上官に命令されてできずにビンタを食らっていた。帝大出はそんなもの馬鹿にしていて暗記してないだろうと思っていたらそれを見事に裏切って大西巨人はよどみなく暗唱した。
それ以来その上官は大西を無視し、しかし手をだすようなことはしなかったのである。
奥崎も大西も見事ではあるが誰にでもできることではない。

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