木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

「情報洪水社会」であり「情報遮断社会」

2007年09月28日 | Weblog

「福田・背水の陣内閣」が発足した。
安倍前総理が正常な判断を失っていったのは、どうやら松岡農水大臣が自殺したあたりかららしい。
それにしても、政治経験の乏しい、まだ若い(政界の中ではの話だが)安倍氏を総理に押し上げるにあたって、「指南役」というか「後見役」はいなかったのだろうか、とそんなことを思った。
そういう人がいれば、少なくとも松岡大臣を死なせずに済んだはずだが。そういう人材も、もう自民党にはいないということか。



先週の日曜日は「長野市議選の投票日」だった。過去最低の投票率、と新聞記事にあった。
選挙中、これではみんな投票に行かないだろうな、いや行けないだろうな、と思った。
選挙活動期間はたったの一週間。それも名前の連呼あるのみ。これでは、立候補者がどういう政策を持って、議員活動をするのかは見えてこない。
以前のように、市会議員が「地区代表」的意味合いを持っていた時は、それでもよかったのだろう。お互い知り合いの中から、市会議員も立候補していた。
今は、長野市といっても、戸隠から鬼無里から、豊野まで、と広域に渡っている。
国会議員も大事だが、実は一番身近な市会議員あたりに、どういう人を選ぶのか、ということの重要さを感じる。
テレビのワイドショーで、近頃よく取り上げられる話題が、「市会議員の不祥事」だ。
それも個人的なものではなく、市会ぐるみの政務調査費のでたらめな使い方、視察旅行に名を借りた、セクハラ旅行など・・・。
ある特定の市にとどまらない全国的な現象に思える。
こういう事実が次々に出てくると、議員になろうなんて考える者ほど、人間としての質に問題があるのでは、と考えさせられる。
自治体の議員に、どういう者を選ぶか、というのは、一番重要なのだ。ここに、市民の真の代表を送れば、その数が多数になれば、質の悪い国会議員を選んでしまう根を絶つことができるのだ。
それがわかっているからか、市会議員選挙を形だけで済まそうと、画策しているようにさえ思える。ちなみに私は共産党の候補者に投票しておきました。地方議会では頼りになる存在。社民党はダメです。



安倍首相の退場で、一見、歴史を逆流させるような流れが押しとどめられたかのような感じだが、関西学院大教授の豊下楢彦氏が、『週刊金曜日』の対談の中で、国際政治を一生懸命勉強しているという学生に、「どんな勉強をしているの」と聞いたら、ビートたけしの『TVタックル』を毎回見ていると、胸を張って答えたというエピソードを語っていた。冗談でなく、真面目に答えているのです、と言っている。
あの番組が、政治討論を装ったバラエティー番組だという認識が、この学生を含めて、一般的に若者達にないのだ。
テレビの言うことを丸ごと全部信用している。「テレビはウソを言わない。テレビは正しい」と。
テレビは視聴率をとるために、ヤラセという過剰な演出をし、視聴者に刷り込みをするためと、安上がりのために、同じ映像を繰り返し流し、都合よく編集するものだ、ということは、この間、この業界の不祥事が明らかにしてきたはずなのだが。
ついこの間、テレビで、今井正監督の『ひめゆりの塔
を見た。絶え間のない、艦砲射撃を受け、医薬品も何もかも足りない壕の野戦病院で、少女たちは日本の勝利を信じ、それがかなわなかった時は、「死のう」とまで思いつめる。見ていて本当に悲しくなった。そして、ここまで信じ込ませる「教育の力」と「情報遮断」の恐ろしさを思った。
もちろん映画だし、この映画の原作になった『ひめゆりの塔』も、多分に美化された形で書かれたであろうし、現在、「沖縄集団自決」の、検定による教科書記述削除問題の中でも、このような描き方は、「殉国美談」に利用されてきた、と批判されるようになっていると聞くが。
現代は「情報洪水社会」でありながら「情報遮断社会」である。
情報を握っている側が巧みに操作できる。テレビ・新聞といったマスコミはそれを握っている者の所有物である。
インターネットの情報は、そこをすり抜けることもできるが、その情報の受け手に、冷静に事を考える思考能力というか、思考形態がないと、これもまたこぼれて流されていく。
豊下教授によると、自身が受け持つ国際政治論の授業で、毎年最初に学生に「何に脅威を感じているか」と聞くと、大半が「北朝鮮のミサイル」と言うそうだ。見事に「TVタックル」に引っ掛けられているわけだ。
教授は、これを1時間半の授業でひっくり返しているという。
今の若い世代は「被害者意識の世代」だとのこと。教育で教えられなかったことが、この意識を作ってきたわけだ。
私に言わせれば、「北朝鮮は攻めてこない」。今はそんな古典的戦争の時代ではない。
アメリカ以外の国は、今、外国を攻めたりしない。
北朝鮮が日本を攻める理由がない。あるとすれば、それは日本が作っている。
北朝鮮を追い詰めて、自爆して滅亡する道を取らせれば別だが。
かつての太平洋戦争末期の、日本の軍人の1部が考えたようなことを北朝鮮のトップが考えていれば、それはあるかもしれないが、6か国協議はそういう方向に動いていないし、北朝鮮強硬論者の「安倍ちゃん」はあえなく沈没してしまったし・・・。



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