木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

地域のことを知らずして災害対応はできない

2023年03月12日 | Weblog

昨日は「東日本大震災」から12年。
何といっても宮城県の石巻市大川小学校の犠牲が悔やまれる。50分も校庭にとどまってしまった。先生の言うことを聞いた児童が犠牲になってしまった。先生たちも濁流にのみこまれてしまったのだからそれも今は責められない。どうしてこういうことになってしまったのか。
私なりに考えてみた。こうした災害時のマニュアルはあったと思う。しかしそれは形式的なものだった。「防災訓練」は年に2回ぐらいはしていただろう。
命に関ることは現場の判断が生死を分ける。私も教師をしていたことがあるので、教師と言う職業の心性がわかる。「間違いをしてはならない」と言う傾向だ。これは何の仕事でもそうだけど、教師は細部にこだわる人がおおい。「そんなことどうでもいいじゃない」と思うような人は教師を目指さない。
最優秀というほどではないが「学校優等生」で通してきた人たち。はみだしたことはしない。
「津波警報」は出ていたのだから迷っている場合ではない。直ちに行動を起こさなくてはならない。災害時のマニュアルでは広い道があり集団で移動するのに都合のいい川の方の道が避難経路になっていたという。校庭のすぐ裏側は山になっていて道らしい道はなかったが、必死に登っていけば少なくとも命は助かる。体の不自由な子供がいれば助け合って誘導することは可能だ。
この日校長は教育委員会の会議で学校を留守にしていたという。こんな場合は教頭が指揮を執ることになる。私の読んだ情報ではこの人はよくいえば慎重、決断力に欠けるタイプだったよう。しかし他の教師は何をしていたのかということになる。結局川の方へ避難し、途中で濁流に飲み込まれてしまった。しかし最後部の教師と児童は濁流が迫ってくるのを見て山の方へ逃げ、辛うじて助かったのだがわずか数名だった。保護者が納得しないのは当然だ。
宮城県では人々の志向が東北の一大都市、いわば東北の東京である仙台に向いているという。教師たちも当然そうだろう。石巻などは赴任先として若い先生達が勤めることになる。土地のこと、地形などもあまりよく知らない。マニュアル以外の山に逃げることを強く主張できる根拠を持っていない。
「赴任先の土地に愛着がなかった」。これが大川小学校の悲劇の最大の原因だろう。
ところが宮城県や教育委員会の見解はこうした深い原因を追究することなく石巻市や教育員会の在り方を免罪してしまった。裁判はこうした点を追究するものでなくてはならない。

右翼の微妙な変化。
土日の駅前といえば、いろんな主張をする人たちのいわば発表の場だ。
日の丸を付けた街宣車が止まっていた。いつもなら大音量で流すのは戦時中の軍歌と決まっているのに昨日は「異国の丘」だった。これは戦後流行した歌で、戦時中の様子を歌ったものだが戦意高揚の歌とはちょっと様子が違う。右翼も正面きって軍国主義を主張するのは若い世代には向かないと思ったのか微妙にスタンスを変えつつあるのかなと私は思ったが・・・。


コメント
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