木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

反アジアの日本政府

2019年07月17日 | Weblog

老いも若きも安倍政権支持
言葉や物事の裏を読めないのは若者ばかりとは限らない。人生経験が豊富な高齢者も変わらないと実感する。
私は古典のカルチャー講座を受講している。そこに集まる人は本を読むのが好きで、日本の古典文学にも関心のある人達だから世の中の動きにもう少し批判的な目があるかと思ったらそういうわけでもない。
私は長野市の松代で文化財のボランテイアにも参加しているが歴史好きの人達が必ずしも正しく歴史を理解しているとはいえないことも感じる。
一番典型的なのは松代にある「大本営地下壕」に対する見方だ。
米軍による東京への空襲から逃れてここに戦争遂行の本部(大本営)と官公庁、天皇をはじめとする皇族の住まいを移そうと軍部が地下壕工事を本格的に始めたのは昭和19年11月、戦争終結の9か月前なのである。
天皇の御座所は完成し、今でいう霞が関に当たる部分も8割がた完成していた。
この時工事に徴用されたのは日本植民地下の朝鮮人達だ。敗戦後こんな施設は封印しておきたいところだったが、地元の高校生らの活動により一部が公開されるようになり、今では松代観光の目玉の一つであり、学校の歴史・平和学習の貴重な施設となっている。
しかし支配側や日本の過去の戦争を賛美する連中は何とか隣国の人々の被害を過少に見せようと画策する。やれ、当時家族でこの工事に従事した朝鮮人と交流があったとか、一緒に遊んだとかのエピソードを証言させたりする。
しかしだからといって朝鮮を植民地にし、戦争のために動員したという事実は変わらない。ガイドをする人達の中にもそういう考え方をする人たちがいる。
「あったことは永遠に消えない」。だからこそ「もう過ぎたことだ。いつまであやまればいいんだ」と被害を与えた側が言ってはならない。第一安倍晋三は心から真摯に謝罪などしていない。
自分達の仲間である河野洋平氏の慰安婦に関する談話も、連立政権を組んだ社民党の村山首相のアジアの人々への戦争被害の謝罪も否定しようとしている。
国民もそれに同調して安倍をいい気にさせている。度し難い状況だ。
本当は学識者やジャーナリストや政治家が正しい見識を持って国民にはたらきかけなくてはいけないのだが、そうできる人達を排除している情けない今の日本の状況なのだと私は思う。

コメント
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