木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

腐敗・思考停止のトップと真面目・現場力の普通の人々

2011年10月02日 | Weblog

東日本大震災、特に福島原発事故から半年
を経て、感じることは権力を持っていない普通の人のまともさ、真面目さに比較して、政府・官僚、電力会社のトップ、その他財界を代表する人々、それらに飼われている学者・専門家の腐敗が極に達していて、しかも既得権益にしがみつくあまり、思考停止に陥っているという事実だ。
この夏、事故による原発の停止に加えて、定期検査中のもの、再稼働が延期されているものといった状況により「節電」が呼びかけられた。
私の住む地域では、夏の暑さを少しでもやわらげるための黒い遮光シートを窓辺に垂らす家が見られるようになった。去年にはなかった現象だ。
政府や地方自治体の対応が遅れているのに対して、民間ではそれを待っているのではなく、それぞれの現場で活動する姿には人々が危機の時に示す能力をまざまざと見る気がした。
被災地に食料を送る、それを入れるダンボールを提供する会社がある、といった具合だ。
『原発事故への道程』前・後編という番組がNHKEテレで2週に渡って放映された。
元通産官僚の島村武久氏の原子力政策研究会の会合で語られた会議録音を中心にして、戦後の原子力政策のそれこそ道程を振り返る番組であったが、前編を見終わって「原子力発電無責任体制」の過程が、そのまま「平洋戦争無責任遂行体制」と、そっくり重なるのにあ然とした。
あれほどの犠牲を自国及び他国民に強いた日本が戦後も「根本的に何にも変わっていなかった」という感想だ。
正力松太郎氏の暗躍は、この間新聞などでも明らかにされているけれど、この番組では正力氏がアメリカのCIA日本要員だったという事実をあえて抜いていたように感じた。
地震や津波を想定していないアメリカのGE製の「マーク1型」を「ターンキー契約」、建設から試運転までメーカーが責任を持ち、電力会社はキーを回すだけ、つまり運転するのみという「お手軽契約」で、すべてにコスト削減が優先されていた。
今回の事故は津波で電源が失われたことが事故を更に大きくしたわけだけど、福島第一原発の場合、30メートルの台地を海抜10メートルにまで掘り下げて建設された。これもコスト削減のため。
設置後もトラブル続き。「原子力は扱いにくい」が現場の認識だった。
それなのに原発はビジネスとして走り出した。
ビジネスとなれば他社に遅れを取るわけにはいかない。三菱、日立、東芝といった大企業が争って参入していくことになる。
戦慄の道程だが、後編の締めくくり、この政策研究会に所属したメンバーの結論は福島事故後も「原子力をエネルギーの中心とする信念に変わりはない」というのだから、これらのエリートと言われている人達の脳も心も腐っていると言わざるを得ない。
しかし人々の味方になって働く専門家も私たちは知った。
京都原子炉実験所の助教小出裕章氏は、今問題になっている放射能汚染された瓦礫や土は東電の本社に持っていけと言っている。
経産省にも保管してもらえばいい。
放射能汚染地の除染活動をしている東大医学部の放射線医学の教授児玉龍彦氏は、自分の専門を超えて除染の方法を模索している。
そのために汚染物質の保管方法や屋根の除染にあたっては住宅メーカーの知恵も借りるという話をしていた。
私はアフガニスタンで井戸を掘り、水路を作り、灌漑事業をしている中村哲医師に児玉さんを重ねた。
専門を超えて自分の学問と能力を人々のために役立てる。
腐敗した官僚や学者と何が分かれ道なのだろうか。

コメント (3)
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