木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

10年前の中村敦夫「国民会議構想」に学べ

2011年10月15日 | Weblog

新しい政治潮流をいかに。
民主・自民以外の第三極、それも国民の側に立った社会民主主義の勢力をいかに増やし、政治の世界に影響力を持つようにするにはどうすればよいのだろうか。
今まで私は社・共にそれを期待してきたが、悪制である「小選挙区制」のために影響力は選挙のたびに激減してきた。
しかし少ない影響力ながら、この間の原発やらせ問題で、電力会社のウソや経産省も関わったやらせをあばいてきたのはこれらの政治勢力、特に共産党の議員達であったことは忘れてはなるまい。
しかし今現実問題としてこの社共で政治の決定に影響を持つ勢力を国会の場に構築することに展望が見えない。
それよりも日本の、そして世界の将来を見据えた政治勢力を作り、その流れに社共も否応無く合流せざるを得ない状況を作っていくほうが合理的なのではという気がする。
具体的には環境政党=緑の党構想だ。ドイツには国民のための政党として、歴史と経験を積んできた「緑の党」があるが、日本でも元参議院議員で俳優の中村敦夫さんが立ち上げた「国民会議」があった。
正確な年は忘れたが、「さきがけ」の候補として参議院議員に当選した中村氏が、「さきがけ」解党後、みずから立ち上げた政治パーティーだ。
再選をめざして出した冊子「21世紀宣言」ー日本合州国構想ーが私の手許に残っている。
前文で「自立した個人の結集をめざす民権政党である国民会議は脱イデオロギー、国民主権の未来型政党である」と宣言し、中央集権、官僚独裁の縦割り行政に代る地域主権の住民や自治体政治家の連合体を目指すとしている。
多国間を駆け巡るマネーゲームを批判し、原発や石油エネルギーに代るエネルギー(太陽光発電や風力発電など)の開発に全力を上げることをこの10年ほど前の具体構想で示している。
軍需産業の廃止を訴え、「日米安保条約の10年以内の発展的解消」も言っている。
左派イデオロギーには距離を置く立場にしてこの現実認識だ。
今の自・民の何が何でも「日米安保同盟」の思考停止とは対極で、社共勢力も乗れる政策である。
日本国憲法に関しては「憲法の実現」という立場だ。世界で最も崇高な理念を掲げた「日本国憲法」であるが、日本の実態を見る限り、憲法の理念とはかけ離れた官僚主義が横行している。だから国民会議の立場は「護憲」ではなく「実憲」なのだ。
日本の財政赤字の理由を官僚と政治家は口を開けば、社会保障の膨張のせいにして、それを打開する手だてをすぐ消費税に頼ろうとしているが、赤字を作ったのは官僚組織とそれと結託した政治家達だ。これらを野放しにしたままでは「財政赤字」は永久に、それも天文学的に増えていくだけ。
国民会議の構想では外交や防衛、研究開発といった、直接納税者がその恩恵が見えにくいものは「国税」として「応能負担」、つまり払える能力のあるものが負担し、その税が直接生活者のサービスにつながるものは「応益負担」とし、州税(県税)・市町村税とするのが望ましいと提案する。
これらの構想を掲げて参議院比例区に十人(比例立候補の最低必要立候補者数)を立てて戦うも中村氏(東京地方区?)をはじめとして当選者を出すことができなかった。どころか比例立候補者が誰も法定得票数に達しなかったため、供託金1人600万円はすべて国庫に没収。
私はこの構想こそ、自・民・公ではなく、さりとて社共にもためらいがある中間層が賛成できるものだと思ったが、少数政党として、マスコミ=テレビの政策論議の場に呼んでもらえず、広く国民に知られる機会がなかったことも大きな要因となって、国会に政治勢力を送ることができず、おそらく没収された供託金6000万円の大半は中村氏が借金をして調達したものと思われ、今はその借金を清算することが中村氏の最後の務めなのだろう、その後彼の政治的発言は聞こえてこない。
少数政党、少数意見は徹底的に国民から隠し、判断の材料を与えない。これが権力とマスコミの作戦だったが、インターネット時代に入って、「求めよ、されば与えられん」という環境になった。
国民の側の本気度・真剣度が試される。「知らなかった」ではバカを見る。

コメント
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