「司馬遼太郎が好きな人は村上春樹が嫌い、ないしはわからない」のだそうだ。
これは内田樹という今人気の哲学?の先生のお言葉だそうで、CS朝日ニュースターの「週間鉄学」という番組で司会の竹田鉄矢が披露していた。思わず笑ってしまった。言い得て妙。
竹田は大の龍馬ファン。その大元には司馬の作品「竜馬が行く」がある。その彼が世の中の村上人気に、それでは自分も読んでみようと思って挑戦したらしいのだが、どうも波長があわなかったらしい。
私は今は司馬作品は読まないが、20代の頃はずい分読んだ。
「司馬ワールド」というのか、小説とも歴史噺ともつかない構成で物語が進むスタイルに違和感を抱くこともなく、むしろ小説にない新鮮味を感じていたように思う。
しかし今は、かつて新鮮と感じたそのスタイルこそ問題だと思うようになった。
小説としながら途中で脱線して、歴史雑談に入る。読者は小説と歴史的事実を気持ちよく混同して、読み終わったときには司馬の書いた小説を事実として頭に刷り込まれてしまっている。
その司馬の小説『坂の上の雲』を原作として、NHKが3年がかりでドラマを作り、今2年目の2部まで放映された。
明治期の日清・日露の戦争を坂の上に雲を見た日本人のエネルギーの象徴として描き、軍人の秋山兄弟とその友人である俳人正岡子規との交流を「明治の青春」として交差させる構成だ。
生前、司馬が映像化を望まなかったという作品だ。
司馬氏自身は太平洋戦争時に輜重兵として出征した体験の持ち主で、中国侵略に始まる太平洋戦争に「馬鹿げた戦争だった」という認識を持っていた。にもかかわらず好戦的、侵略戦争を肯定していると受け止められ、利用されることを危惧したようだ。
映像化は司馬の死後、遺族の承諾で実現した。
09年に放映された時見ていなかったのだが、再放映で昨年第一部を見た。
ドラマ自体はうまくできていると思った。しかし冒頭に流れる渡辺謙のナレーションはいかにも鼻につく「司馬流」だ。
司馬遼太郎は、趣味で箱庭を作るように歴史の事実の断片を都合よく動かし、自分の気に入る庭にした、そんな風に今は感じる。
小説として最後まで貫いているならそれもまた一つの世界かもしれないが、途中で脱線する。それが司馬氏の犯した罪だと思う。
司馬遼太郎とよく似た手法で歴史物を手がける作家がいる。
こちらは西洋、イタリアの歴史を物語り風に書く塩野七生氏。
実はこの人のものもある程度読んでいる。
ベストセラーとなった『ローマ人の物語』は、図書館で借りてではあるが、かなりのところまで読んだ。
塩野さんに心酔してではなく、西洋史というのはただただ地名、人名、事柄の羅列だったという思い出しかなく、物語風に書いたものを読めば少しわかることもあるのではないかと思って読んだ。
何しろ塩野さんはイタリア在住で、イタリアにある資料にあたって書いているので、事実とされていることからそんなに違ってはいないだろうと思ったわけだ。
司馬・塩野両氏、経済界のトップの方々に愛読者が多い。
自分とその時代のリーダーを重ね合わせていい気分になるらしい。
ちなみにこの竹田司会の番組に松原隆一郎という東大教授がレギュラーとして出ているが、その松原氏の息子さんは、村上春樹の『ノルウェイの森』を1ページ読んで、「これは嫌い」と言ったそう。
高校生だと思うが、若い人がみんな村上春樹に共感しているわけでもなさそうだ。