アメリカ下院議員を襲った銃弾。
以前のブログで、「アメリカに三つの依存症」ということを書いたが、それに加えて「銃依存症」という病いもある。
メキシコ国境に近いアリゾナ州、「移民規制法」が成立した州でもあるが、そこの民主党女性下院議員のギフォーズ氏が、スーパーマーケットの駐車場で政治集会を開く準備をしていて、至近距離から撃たれ病院に運ばれたが、弾が頭部を貫通し重体状態が続いている。
そして犯人の青年の銃乱射によって、連邦判事や九才の少女ら6人が死亡した。
アメリカは「テロとの戦い」を宣言して、イラクを侵略し、アフガニスタンを攻撃しているが、アメリカ人によるアメリカ人に対するテロを何とかするほうが先じゃないかと思う。
ギフォーズ議員は「移民規制法」に反対し、オバマ政権の目玉「医療保険改革」を強力に推進する議員だった。
明らかにその政治姿勢がねらわれたのだ。
今、9000万人のアメリカ国民が銃を所持し、2億丁の銃が流通しているという。
銃を購入するには一応規制はあるが、抜け穴だらけで徹底されていない。
精神的な病歴や犯罪歴があったり、18歳以下は買えないことになっているが、代理購入ができ、値段も数百ドルから手に入れられる。
銃の所持はアメリカの憲法でも認められている権利ということなのだが、実際、銃による事件、事故で1ヶ月58人もの人々が命を落としているという。
「銃の所持によって自分の身は自分で守る」というのだが、以前にも書いたが、後ろから撃たれたり、無防備な状態の時に弾が飛んでくればそれで終わりだ。
極端に言うと「日常生活が戦場」という状態ということではないだろうか。
ところで撃たれたギフォーズ議員も拳銃所有者であり、死亡した判事は妻を射撃訓練校に通わせていた。また議員の緊急手術に立ち会った医師の1人は地元射撃クラブの会員と、新聞記事にあった。
こんな事件が起きても「銃規制強化」の声は高まらず、「アメリカ人につける薬はない」という感じだ。
全員がそうではないだろうが、「銃依存症」にかかっていないアメリカ人は全くの少数派のように見える。
漫画ヒーローに名を借りた児童施設への寄付広がる。
「タイガーマスク」という梶原一騎の漫画は読んだことはないが、その主人公伊達直人を名乗る人物がランドセルを児童養護施設に贈ったことがニュースで伝えられると、同じような行動に出る人が全国に広がった。
贈り物はランドセルから始まって、文房具、現金、野菜やコメ、今日のニュースでは金の延べ棒を贈った人を伝えていた。
推測するに、それほど大金持ちではないが、子供達に少しでも希望をと思う人達の行動のように思えるのだが。
このブログではアメリカの悪口ばかり書いているが、個人による寄付額が最も多いのはアメリカのようだ。
アメリカは弱肉強食の競争社会だが、その競争に勝ったお金持ちが寄付という形で、それを貧しい人達に回すという文化があって、それで辛うじて社会が崩壊するギリギリのところでとどめている。
キリスト教の教会がその仲介役だが、日本の場合、どこへどうやって寄付すればいいのか、その道がわからなかったというところがあったような。
「そうか、児童施設に寄付すればいいのか」ということを知った、ささやかな善意の人達の行動が広がった。
児童施設の運営は厳しいというが、そもそも児童施設とはどのようなものなのか。
かつては「孤児院」と言われた。現在では親のいないという子供は少なく、経済的事情や虐待などで親と一緒に暮らせない子供達が中心だ。
児童施設の運営資金は自治体と国からの補助金で成り立っている。
この補助金は国と自治体の財政難を理由に削られつつあるのが現状だ。
まず施設に関わる職員の人件費が最大支出部分。なかなか学用品には回らないのが実情だ。
そして孤児院時代の慣習がまだまだ残っていて、子供達の人権を大事にしない、たとえば入所時にすべての私物を没収してしまう施設があるようだ。
なぜそうするのかという問いに「昔からそうだった」というのが答えという。
この全国に広がる「伊達直人」現象と対照的なのが、大金持ちの代表経団連の面々だ。
自分達大企業の利益ばかりを主張して、これら児童施設の子供達のことなど考えることもなく、アメリカの企業家達のように大きな寄付をすることもない。
その醜さが今の米倉会長の顔に典型的に表されている。
人は年をとれば容色が衰え、醜くなる。だが米倉会長の醜さは、今まで歩んできた人生の軌跡の醜さにほかならない。