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東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

早く気づこう

2012-10-16 | 人生の気づき
人間は、「自分で気がついている部分」と「自分で気がついていない部分」がある。一般的には、自己中心性の強い人ほど、「気がついている部分」が小さく、「気がついていない部分」が大きい。

問題は、その「気がついていない部分」である。この部分が、その人をして、その人の望まない方向に操ってしまう。自分では気がつかないうちに、原因は自分の中にあるにもかかわらず、自分の意図した方向とは別の方向に進んでしまう。

その問題に気づく秘訣は、他の人にもっと関心を持つことだ。自分以外のことにも熱心になると、自分の間違いに気づく確率が上がってくる。

歌声喫茶

2012-10-15 | 初体験の気づき
ホテルで「ワインを楽しむ会」に出た後、仲間たち9人で二次会に行った。行った先は、歌声喫茶。オールドファンの方ならばご存じであろうが、一つの歌を店内の全員で歌うというあの方式だ。ただ違うのは、この店はコーヒーではなく、アルコール類を置いている。

その店で、我々がフォークを歌っていると、後ろの席の方お二人が、上手にハモッて頂いた。後で分かったのだが、その方は私の知人にて、15年ぶりの再開である。

当日は、美味しいお酒と美味しい料理、そして15年ぶりの知人との再会。楽しいことは続くのですね。ありがたいありがたい。


魔法の国

2012-10-14 | 人生の気づき
いまの世界情勢は混とんとしており、争いや飢え・貧困、様々な苦しみを抱えている。では、お願いすれば、自分の理想の世界に行けるとすれば、我々はどのような世界を描くだろうか。おそらく、戦争がなく、いつも平和で、天候も穏やかでしのぎやすく、隣人とのいさかいもなく、食べ物も美味しいものばかりを毎日食べ続けられるといったようなイージーな世界を、描くことだろう。

しかし、真面目に考えたとき、このような世界に住んでたら、絶対になまくらな人間しか育たないと気づく。人は、満点の環境では成長しないということだ。自分にとって不適切な環境が存在してこそ、それが自分の成長につながる。

したがって、現在の忌まわしい環境も大きく嘆く必要はない。人間を成長させるための試練として受け止めれば、苦しみさえも、感謝の気持ちで接することが出来る。思い通りの世界が描けられる「魔法の国」があるとしても、その国に住んではいけない。

悪魔の日

2012-10-13 | 失敗の気づき
今年最高の不幸な出来事があった。なんと、美味しい蟹と酒を飲める会のお誘いがあったのだが、私の予定が入っていたために、会に出席できない。会費が1000円という魅力に、私は断腸の思いで、欠席通知を出した。この悔しさに、耐え切れずあと筆が進まない・・・

私の職業病

2012-10-12 | 人生の気づき
接客業をしているあなた、よその店でつられて、「いらっしゃいませ~」と言ってしまったことはないだろうか。ちなみに葬儀社に勤務していた知人は、結婚式のスピーチで「新郎は・・」と言うところを「喪主様は・・・」と言ってしまったらしい。

この言葉遣いというのも、一種の職業病かも知れない。私の場合は、何でもかんでも分析してしまう職業病がある。この店は何故流行っているのだろうかとか、平日ののこの時間帯でこの入り具合ならば、面積あたりの売上想定高から年商まで計算してしまう。

あるいは、ニュースにしてもアナウンサーの説明をうのみにしない。自分なりに分析して、アナウンサーの説明との誤差をチェックしたりする。29年間経営コンサルタントをしていると、日ごろの仕事の進め方が、日常生活にも表れる。

ヤッチャッタ

2012-10-11 | 私流
セミナー講師の仕事の開始時刻を間違えて、メールが届き、あわてて飛び出した。会場は近かったため、遅れなかったものの、なんと、ズボンにバンドが通っていない。

見苦しいから、受講生の皆様に最初からばらしてしまったが、むしろ愛嬌になったかな。人間は失敗を披露した方が、より身近になる。でも、私は失敗数が多いから、ばらすのはごく一部に限定しないと危ない。

名刹「一畑薬師寺」

2012-10-10 | 雑談
連休を利用して、島根県の名刹「一畑薬師寺」(臨済宗妙心寺派の禅寺)を訪れた。一畑薬師寺は、西暦894年に、漁師与市が海から拾い上げた薬師如来像をおまつりして開かれた寺で、今回は、初代住職の没後1100年の法事が開かれた。

我が家では、年に一度、家族総出でお参りしている、恒例の行事である。今回は、記念行事もあったため、天皇陛下も訪れられたことのある庫裡にて昼食をいただいた。その庭が写真のとおりである。庭の向こう、遠くに写っているのが宍道湖で、庭と湖が一体化した風景に、心癒された時間を過ごすことができた。

根性

2012-10-09 | 私流
「根性」とは、本来は仏教用語に由来する言葉だ。現在の根性は「異常なまでの努力」といった意味で使われる場合が多いが、本来は「その人間が持って生まれた性質」である。より深くは、衆生が仏の教えを受け入れられる能力や器の浅深のことと言われている。

この言葉の意味を理解すると、ますます「根性」という言葉が好きになる。写真は、我が家の床の間に飾られている掛け軸だが、まさに「根性」の姿だ。

はつもの

2012-10-08 | 初体験の気づき
はじめて、「猪のハム」を口にした。西予市での打ち上げパーティーで、それぞれが一品ずつ持ち寄る、その持ち寄り品の中にあった。やはり初物はうれしい。城川の食肉加工工場に猪の肉を持ち込んで作ってもらったとか。その手間暇を感じると、本当の味以上に美味しく感じる。

そこまでしたのだから、絶対に、美味しくいただかないといけないという、願いに近い想いであろうか。皆様方に感謝です。

手を合わす

2012-10-07 | 私流
神霊が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるところが御輿である。そのおみこしを、昨日は、早朝の散歩にて拝ませてもらった。7日8日と家族が旅に出るため、松山祭りには不在である。例年は、我が家は、御旅所になって、おみこしとその担ぎ手をお迎えするのだが、今回は出来ない。

したがって、事前にお参りさせてもらった。人間同士のお付き合いのルールがあるとすれば、神仏への礼儀も欠かしてはならない。そんな思いからだ。

歓待ありがとうございました

2012-10-06 | 雑談
先日、特産品開発講座が終了したが、講座受講生の方たちが「打ち上げ」を催してくれた。なんと会場は、メンバーのお一人である酒造会社の蔵の中。この日のために、手作りのテーブルも作られたとのこと。

15名が一品ずつ自作の料理を持ち寄るというポットラックパーティーだ。目の前には、猪を食肉加工場に持ち込んでつくった「猪のハム」や、シソとしょうがの隠し味が抜群にうまい「イナリ寿司」、「洋風おでん」など15品が勢ぞろいした。

酒はもちろん、酒造会社だから、売るほどたくさんある。嬉しかったのは、持ち寄りの料理以上に、その手間暇をかけられた真心である。企画する方、準備する方、皆さんの役割分担が一つにまとまって、今回の楽しい催しが決行された。

皆様方、ありがとうございました。私のテーマは、いつも「香りの残る仕事をする」ということで精進していますが、まさに今回は、その成果が報われたという感じです。

カクテルの楽しみ方

2012-10-05 | 私流
私が好きなアルコールは、ワインと日本酒が一番。そして二番が、カクテルだ。そのカクテルの楽しみ方は、まさに遊び方にあると言えるだろう。

いつも自分の好きなカクテルだけを飲んでいるとつまらない。したがって、「今日の私の酔い加減にあうカクテルを頂戴」とか「ちょっと風邪気味なんだけど、体を温めてくれるカクテルをお願いします」とか「日本酒に近い味のカクテルを教えてください」とか、色々な頼み方で、新しい自分の好みに出会える。

遊びで誕生したカクテルだけに、カクテルの楽しみ方は多様だ。

指示の与え方

2012-10-04 | 経営の気づき
上司から部下への指示の与え方を見れば、上司の資質が分かる。では、評価される指示の与え方は、どのようなものであろうか。複雑な仕事を指示する場合、次の三つがポイントになる。

一つは、その仕事の目的を伝えることだ。繰り返し行っている単純な作業ならば必要ないが、複雑な仕事の場合、その目的と全社的な位置づけを説明しておかなければならない。仮に、単純な仕事であっても、目的を確認することによって、作業改善法が見つかるかもしれない。

次は、なぜ仕事をその人に任せたか、その理由を伝えておくと、モラール高揚につながる。「この仕事は、君が適任だと思うのだが、やってくれるかい」と言われれば、つい張り切りたくなる。

次は、仕事の成果をほめること。「君に頼んでよかったよ。また頼むよ」と言われれば、つい嬉しくなる。仮に一つ大きなミスがあったとしても、「Aの部分がかなり違っていたけど、あとは完ぺきだった。Aの部分は、Bのマニュアルを読んで勉強した方がいいなあ。でも他は完ぺきだから、この部分は後輩の指導を頼むよ」と言えば、Bのマニュアルを見て、しっかりと勉強してくれるだろう。

とにかく、褒めて、その気にさせることが肝要だ。

幸せの障害

2012-10-03 | 人生の気づき
幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待する事である。これは、フランスの思想家であるフォントネルの言葉だ。 

私は、幸せを得るヒントは、「過大な幸福を求めすぎない」ことにあると思っている。それと、本物の幸福感を正しく認識すること。目に見えるものはちっぽけなもので、本物の幸せは、目に見えないものの中にあると考えた方が良い。

これは、東北大震災と福島原発事故を経験した日本人であれば、みな理解できるはず。このことを忘れてはいけない。

「○○にならないと、幸せになれない」と思い込んでいる人は、なかなか幸せになれない。「○○」が過大な目標であるならば、なおさらのことである。私の場合、友と酒さえあれば、それで幸せである。

 

2012-10-02 | 人生の気づき
躾(しつけ)という漢字は、身を美しくすると書く。しかし、内容的には、身体を美しくするという外面的なものではなく、言葉や態度などの振る舞いをただすことにつながる、内面的なものが比重的に大きい。

現在、学校においても家庭においても、この躾が行き届いていない。そして、昔は、地域の人たちも一緒になって子供たちの躾を教育していたが、いまは地域社会も放任状態だ。果たして、行く着く先はどのようになるのだろうか。せめて、私の孫たちには目配りしなくてはならないだろう。