ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ミー&ハー

2016-02-01 10:43:30 | 日記・エッセイ・コラム
小保方晴子さんの手記が出版される。
まだ店頭には出ていない。
出たら買おうと思っている。
何しろファンである。
それに生来の判官贔屓でもある。
・・・・・
それにしても解せない。
理化学研究所(理研)のやり方が。
思い切り持ち上げておいて、世間から非難されれば頬かむり。
個人が幾ら頑張ってもたかが知れている。
組織や世間に認められてこそである。
取り敢えずは組織に認められなければならない。
小保方さんは認められた。
そして大々的に取り上げられた。
マスコミはともかく面白おかしく報道するものだ。
結果はかくのごとくである
・・・・・
これは一体何なのか。
小保方さんに非があるとしても、
持ち上げたものの責任は。
認めたものの責任は。
非は非として問われなければならないが、
肝腎の非はうやむやだ。
持ち上げたものは一体…。
認めたものは一体…。
組織はむしろ個人を護るべきではないのか。
非は非としても護るべきではないのか。
それが日本の組織ではないか。
組織とは人である。
つまるところ人である。
人を蔑ろにすれば、いづれ破綻するだろう。
それが世の倣いだ。
ともかく、
一連の経緯が不自然である。
何か裏があるように思う、
大きな裏が。
一方的な思い込みではある。
でも、理研のやり方がどうしても腑に落ちないのだ。
博士号を取り消した早稲田大学も同じだが。
すべてが唐突なのである。
何もかも無かったことにしたいのか。
何かを隠してるのか。
・・・・・
理研は日本を代表する研究機関である。
以前から応援している。
日本人として。
それと同時にそしてそれ以上に、
私はミー&ハーなのである。