人は自分と世界を分けた時から、
迷い子となってしまった。
戸惑いと不安の中にある。
人以外の生き物は自分と世界を分けない。
自分は世界であり、世界は自分である。
だから戸惑いはない。
ただ現実が在るのみ。
・・・・・
人は惑う。
それなら惑う者はどうすれば良いのか。
惑いを打ち消す力があれば良いのだが、
そんなものは実際あるのか。
思うに、
それは「信じること」である。
ひたすら信じることである。
でも、時として揺らぐ。
ではどうすれば良いのか。
どうすれば揺らぎを押さえられるのか。
また思う。
それは「祈ること」である、と。
ここでやっと惑いは押さえられる。
・・・・・
「信じること」と「祈り」こそ、
人間には必要である。
信じるというだけでは心もとなく、
祈ることにより思いを定める。
それが自分と世界を繋ぐ。
安定の世界である。
ゆるぎない現実である。
それはつまり「信仰」である。
信仰は宗教ではない。
宗教の基ではあっても、宗教ではない。
だから信仰があれば無宗教でもかまわない。
それに信仰の核心は何でもいい。
何を信じてもいい。
それこそ自由である。
それこそが自由である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます