ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

嘘でできた風景

2021-09-27 07:42:59 | 日記・エッセイ・コラム
見晴らしのいい所から見ればよく分かる、
この世界が嘘に満ちているのが。
文字通り一目瞭然です。
と思っている。
原点は言葉にある。
神の言葉は真理であり現実である。
それを読み解いて人の言葉はなる。
その言葉は仮想であり方便である。
にしても、
現実に添っている限りはほぼ同等。
でもすぐに現実から離れてしまう。
それが神ならぬ人のサガ。
だから禁忌にされたのだ。
・・・・・
人には真理は見えない、時の事実が見えるだけ。
その事実は真理ではない。
真理の一端ではあっても。
仮想である人の言葉は嘘になりやすい。
基よりそれが事実なら、それを嘘とは言わない。
嘘とはそれが事実でないのに事実だと言うこと。
嘘とは事実を以って、それを真理だと言うこと。
このふたつ。
これが狭義(真性)の嘘である。
にしても、
所詮人間は真理はつかめない、
でも言葉としては必要なもの、
追い求める目標として。
だから、
止むを得ずかな「真理」と言う言葉がある。
これこそが言葉の最大の特徴。
言葉とは物事の一つひとつに名を付けたのが始まり?だが、
後に物事の奥に潜む共通項に目を付けた。
そしてそれにも名を付けた。
それを概念という。
言葉は本質的に概念である。
「真理」しかり「自由・平等・友愛」「権利」などもしかり。
これらは物事ではない。
これらは現実ではない。
だから注意を要すると。
それなのに、そんな言葉を弄ぶ。
現実に即して使えばまだいいが。
挙句の果て、概念の中に現実を閉じ込める。
本末転倒。
そして言葉は嘘になる。
そんな言葉が蔓延している。
それが現下の世界である。
今蔓延している嘘。
「自由・平等・友愛・権利・平和・多様性」ほか多数。
これらの言葉は現実にはないもの。
現実を都合よく切り分けて、切り分けた先に見えるもの。
だから現実に照らせば往々にして矛盾する。
それをときの都合で使い分ける、
さも尤もらしく。
これを騙しという。
しかして騙されて吹聴す者がいる。
彼らはそれを信じているのだろう。
あたかも現実であるかのよう。
でも嘘である。
真赤な嘘である。
・・・・・
現下における世界を又にかけた嘘。
ひとつ、コロナ騒動。
その発端から今日に至るまで嘘の固まり。
国連をも巻き込んでの大嘘。
今まで散々言ってきたのでここでは省く。
ひとつ、ワクチン騒動。
これはコロナ騒動に付随したもの。
と言うより逆でワクチンの為のコロナ騒動か。
反ワクチンはメディアは取り上げないし、
SNS上でもけっちんを食らってる。
ウソと白状しているようなもの。
それにここにきて、
もうひとつ、
経済の破壊それも個人や中小企業潰しを狙っての。
人々を大企業や大組織の紐付きにしたいのか。
ワクチン・パスポートもその一貫か。
それにしても親ワクチン派の言い分にはウンザリ。
ああ言えばこう言う、でオウム真理教を思い出す。
思うに反ワクチンは余りいないだろう。
私もそうだが反対ではなく嫌いだと言ってるだけ。
それでも攻撃してくる。
質が悪い。
ひとつ、地球温暖化。
最近は嘘がバレてきて、
気候変動とかゼロ炭素とか訳の分らんことを言っている。
どちらも意味不明。
気候は変動するもの。
長期超長期で言えば人知を超えている。
そも宇宙のリズムを人間が調整しようとは不遜。
化石燃料をできるだけ控えようとは異論なし。
代わりに再生可能エネルギーとは論外。
言ってることを詰めていけば疑問だらけ。
しかもすべてをCO2のせいにして。
大きな声では言えないが、
一番気に入らんのは、
レジ袋の有料化。
はなはだ困惑している。
・・・・・
ということだが、
本当に言いたいのはここから。
それは日本ことで、
戦後の度を越えた反日について。
それもまったき嘘だから。
これには怒り心頭。
一々言っても切りがないのでそれは省く。
大事なことは、
日本の根底には自由があるということ。
それに尽きる。
それを分かっていない。
世界の人々が分からないのは仕方ない。
でも当の日本人が分かっていないのだ。
天皇がある皇室がある、ことの意味が問えない。
天皇は権力ではない。
力で強制するものではない。
ならば一君万民の言の通り国民はみな同じ立場。
世間には秩序が必要で、だから役割分担はある。
そこには上下関係もあるが、
それは存在価値の上下ではない、
あくまで役割分担である。
だから階層社会にはなる。
時に入れ替わりも起こる。
欧米のような隔絶した階級社会ではないのだ。
根底では皆対等なのです。
それを知らないから、ここに嘘が紛れ込む。
それは日本が全体主義でファシズムだというレッテル。
それを易々と受け入れてしまった。
個別事象よりもこれを払拭せねば。
そも全体主義とは独裁者の命令一過で動くもの。
日本には独裁者がいない。
ありえないのだ。
事実戦前戦中の歴史をひもとけば歴然。
日本人はそれぞれの意思で動く自由人。
だから同調圧力は発生しやすい。
同調圧力とは自由があってこそ。
それは即ち自由の成れの果てだ。
それを知ろう。
だからである。
先の戦争(大東亜戦争)は国民一丸で戦ったもの。
ドイツのように誰かのせいにしないのは当然。
みな自分の事として捉えていた。
思いはひとり一人違っていても。
・・・・・
さて、
ここからは余計なことだが、
今般の自民党の総裁選挙、
誰が相応しいかは言わずもがな、
そうなるかは分からないが、
そうなるよう願ってる。
ちなみに、私は自民党員である、
清き一票をその人に入れました。
今はスガスガしい。