ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日中外相会談

2016-05-02 10:29:02 | 日記・エッセイ・コラム
相変わらず言いたい放題である。
シナの外相は。
王毅とか言うらしいが。
ほっとけばいいのだが、そうもいかない。
隣国なのだから。
さらに、もっと厄介な隣国もあるし。
・・・・・
元凶は中華思想である。
朝鮮では小中華思想と謂うが。
字面でも分かるが、ともかく自分中心なのである。
とは言っても、人は誰しもそういうものだ。
問題は彼らに自省が無いことである。
自省とは自らに問うことであり、
それは一人で行なうものである。
それが無いということは、
常に相手と面してるということだ。
だから相手との関係性にのみ心が動き、
その関係性に振り回される。
そして常に自分が優位であることを欲する。
俺の方が上だ、
俺の言うことを聞け、
それで丸く収まる、
のだと。
まことに不遜なことである。
それが中華思想である。
・・・・・
中華思想と裏返しなのが、
事大主義である。
強くて大きいものに従うという意で、
自分が強ければそうではないのだが、
相手が強いとひたすら付き従うのである。
これも中華思想の一片である。
事大主義とは主に朝鮮でのことである。
本家シナにも勿論ある。
鄧小平の韜光養晦(トウコウヨウカイ)がそれである。
孫子の兵法も同じようなものである。
韓国での最近の事例では、
盧武鉉の「大陸と海洋のバランサーになる」がある。
バランサーとは聞こえはいいが、
要するに強い者に付くということである。
当に事大主義で中華思想そのものである。
・・・・・
日本人には中華思想はない。
地政学的にもそうだが、何しろ日本には心がある。
自らを顧みる心がある。
そして時に自分を捨ててでも守りたいものがある。
だからだろう、中韓が靖国に拘るのは。
中韓には無いのである、
靖国の心が。
無私の心が。